2018年3月11日日曜日

ピアソラ:「ロス・タンゲーロス(Los tangueros)」(P:エマニュエル・アックス、パブロ・ジーグレル)

タンゴに話が及んだついでにピアソラの作品を収録した手持ちのCDを聞いてみた。私のコレクションには、わずかに2枚ピアソラのCDがあるが、現代作曲家のCDとしては多い方である。そのうちのひとつが、クラシックの名手エマニュエル・アックスと、ピアソラ五重奏団のメンバーでもあったパブロ・シーグレルが組んだピアノ・デュオの一枚である。意外な組み合わせが話題を呼んだ一枚でもある。

今となってはなぜこのCDを持っているのか、思い出せない。リリースは1996年だから、丁度ニューヨークに住んでいた頃に、行きつけのアッパー・イーストのタワーレコードでたまたま見つけ、その都会的で何ともニューヨークにぴったりの音楽に、直ちに購入を決めたのではないか(ということにしておく)。このジュリアード音楽院近くのレコード店は、クラシック音楽の売り場が大変充実していたが、タワーレコード自体がアメリカより姿を消して久しい。

ピアソラの作品は、私がそう感じたように、都会的で現代的。そしてニューヨークを感じるのは偶然ではない。なぜなら彼は幼少時代と無名の音楽家時代をニューヨークで暮らしているからだ。ジャズの要素も取り入れられているのは、当然と言えば当然で、彼はアルゼンチン・タンゴを発展させたというよりはタンゴの亜流として出発した。アルゼンチンのような保守的な国で、ピアソラが認められるようになったのは、ずっと後になってからのことである。

タンゴはもともと踊るための音楽で、タンゴのステップはラテン・ダンスの主要な一角を占める(このCDのジャケットには踊る男女の姿が映ってはいる)。コンチネンタル・タンゴのように耳に心地よいイージー・リスニングでもない。だからこれは真剣に聞くための音楽、そして時にリスナーを選ぶという点で、やはり現代音楽に属するクラシック音楽なのだろう。ピアソラ自身、そういう作品を作り続けた。ここに収録されているのは、それらのうちから有名な曲を、シーグレル自身がこの録音用に編曲したものだ。

とは言え、強いリズムとセンチメンタルなメロディーは、まさにタンゴの世界である。場末のバーに集うどうしようもなくうらぶれた人々が、ある時は祖国を思いながら、ある時は情熱にかられて歌い、踊る。第2次世界大戦中はヨーロッパを凌ぐ豊かな国でもあったアルゼンチンが、戦後は貧困と圧制に苦しみ、まるで数十年前に置き去りにされてきたような国、それがアルゼンチンのイメージであり、その音楽もまた古臭く、発展が止まっていた。だが、ピアソラのユニークな国際性が、この古い因習を打破し、アルゼンチンタンゴの歴史を進めることに成功した。

ブエノスアイレスの空港に降り立ち、市内へと向かうバスが、人っけのない廃墟のような街に入り込み、ガラスが割れたままとなっているビルの前に停まった。人々は古いファッションに身を包み、深く刻まれたしわの奥から、あてもなくこちらを見ている。ラジオから発せられる早口のスペイン語やラテン音楽が、どこからともなく聞こえて来た。1990年になっても、ブエノスアイレスの街は60年代頃の、いやもしかすると第2次世界大戦前のそれであった。私は日本から3日がかりで乗り継いだフライトの疲れを引きずりながら、古い時代にタイムスリップしたような感覚を覚えた。そして窓もない安ホテルのベッドで泥のように眠りにつき、それは48時間以上も続いたと思う。学生生活最後の旅行は南米と決めていた。その憧れの地での行程は、このようにして始まったのだった。

ブエノスアイレスには1週間くらい滞在したと思う。その間にラ・プラタ川を渡りウルグアイにも出かけた。黄土色の広大な河口に架けられた国境の長い橋を渡る。そしてその流域こそがタンゴの発祥地であった。どこまでも続く平原と、その牧草地に立っている動かない牛たち。その時の光景を瞼に思い浮かべながら、これらの曲を聞いていた。2018年の春。私はほとんど初めてのように、このCDを聞いた。

春の陽射しをうけつつもまだ寒いある日の昼下がり。私は埼玉県の北部を歩きながら、静かに演奏に耳を傾けた。アックスとシーグレルのピアノは技巧的で申し分がないくらいに上手いが、それが徐々に熱を帯びてゆくようだった。規則的とも不規則ともつかないリズムが、消えては現れ、現れては消える。乗り心地の悪いアルゼンチンのバスにも次第に体が慣れてくるように、リズムが体に合わさってきたたと思って暫くたったとき、ある時はパタンと、あるときは消え入るように音楽が終わる。しばしの静寂。

曲は聞けば聞くほどに味わい深く、うち何曲かは聞いたことのあるメロディーである。中でも、亡き父に捧げられた 「アディオス・ノニーノ」は心を打つ曲である。続く「リベルタンゴ」もお気に入りだ。ヨーヨー・マや葉加瀬太郎も演奏しているこの曲もまた、様々なアレンジがあるのだが、一度聞けば忘れられない曲である。聞いていくうちに、何か高級なサロンにいるような気がしてくる。


【収録曲】
1.Revirado
2.Fuga y misterio
3.Milonga del Angel
4.Decarissimo
5.Soledad
6.La muerte del angel
7.Adios Nonino
8.Libertango
9.Verano Porteqo
10.Michelangelo '70
11.Buenos Aires Hora cero
12.Tangata


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