2018年4月22日日曜日

東京交響楽団第65回川崎定期演奏会(2018年4月15日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

今回の演奏会のお目当ては、後半のブルックナーではなく前半のマーラーであった。マーラーの交響曲第10番嬰へ長調は、未完に終わった。1911年に亡くなる前年の1910年に着手されている。第1楽章の「アダージョ」はほぼ完成形だったようだが、第2楽章以降はスケッチのみが残されている。この部分を補って、全曲として完成させたデリック・クック追補版などは最近演奏されることも多いようだが、今日、ジョナサン・ノット指揮による東京交響楽団による演奏は「アダージョ」のみ、そのラッツ校訂版ということになっている。

大作、交響曲第9番を完成させたマーラーは、ニューヨークに活動の本拠地を移していたが、まだ飛行機もない時代、新旧の両大陸を移動し、演奏会を年に何十回もこなす生活は、彼を過労死へと導いたのではないか、と私は思っている。マーラーはすこぶる精力的であり、その多忙ぶりはメンデルスゾーンを思わせる。本作品は、持病として不整脈を持つマーラーの、病んだ心臓のようにギクシャクしたものだという指摘があるが、私はむしろアルマの不貞にも苦しみながら超多忙な生活を続けるマーラーの、ストレスの多い精神状態を体現しているように思っている。それは現代人そのものの感覚であり、その方向が(至極簡単に言えば)十二音階や不協和音の多用される音楽へと発展?してゆくことになる。

さて私はこのプログラムの演奏会を、前日のサントリーホールで聞こうと考えていた。残り少なくなったチケットをオンラインで買おうとしたとき、表示されたのはS席がわずかに1枚。その1枚を大急ぎで押さえたものの、決済の方法を間違い、自動的にキャンセルされたとわかったのは前日のことだった。ところがサントリーホールのホームページには、何とS席とA席合わせて80枚もの当日券が売り出されると書いてある。私は少々混乱し、それなら翌日の川崎のコンサートも当日券が十分にあると考えた。実際、その通りであった。

当日券売り場に並んでいると、後ろに居た女性が知り合いの人と会話を始めた。彼女は前日の演奏会がいかに素晴らしかったかを話し、そしてもう一度聞きたくて今日もここに来たと言った。同様の意見は、他の客からも聞こえた。そういうことがあったので、私は迷わずS席を買うこととなった。2階最前列の席は、それでも空席が目立った。ところがこれは実に大名演だったのである。

マーラーの交響曲は、私にとって初めて実演に接する曲で、そしてこれでマーラーの作品は一通りすべて聞き終えることとなる記念すべき日である。ノットは丁寧に、そして時にはつんざくような響きを会場に響かせた。この作品、私が何か書くことはほとんどできないのだが、一つ言えることは、それまでの作品からさらに先へと進んだ感のあることだ。ノットの演奏は、そのことを考えさせた。だがそれが何であるかは、少なくとも私の経験からはうまく表現できない。

ブルックナーの交響曲第9番ニ短調もまた、この巨匠の未完の作品である。ただこちらは第3楽章まであり、それだけでも1時間を超える作品である。スケルツォが第2楽章に置かれれtることもあって、完成された一つの作品を聞くようなところがある。今日の演奏会は、ロマン派後期のシンフォニスト二人の未完の曲というわけである。

演奏は第2楽章以降が秀逸で、もしかするとこの作品を実演で聞くことのできる最高のレヴェルにあったのではないかと思う。それは解釈がどうのこうのということではなく、オーケストラの集中力と迫力が、恐ろしいほどに発揮された演奏だったからだ。我が国のオーケストラの演奏会となると、聴衆を含め少し醒めた演奏が多い中にあって、東京交響楽団は全体に若い奏者が多く、実力派揃いではないかと思う。たとえばオーボエの荒恵理子、 ファゴットの福井蔵などである。

この二人しか私は実名を知らないのだが、マーラーの「アダージョ」でも見せた精緻でふくよかな響きが、ブルックナーでは如何なく発揮されたと思う。最前列左右に分かれたヴァイオリンはもとより、ヴィオラや左手置くに陣取ったコントラバスまで、フォルテの時には揺れに揺れ、最後列のプレーヤーまでもが思いっきり弦を上下させる様は、ベルリン・フィルのビデオを見る時のように手に汗握る興奮である。

そのような迫力だけで押し切るような演奏に終始していては、ブルックナーにはならない。だが今日の演奏は第3楽章のアダージョにおいて、さらに演奏に磨きがかかったように思える。我が国のリスナーはマナーがいいといつも思うが、今日の川崎に集結した聴衆ほど私を驚かせたことはない。曲が終わっても、誰一人拍手しないのである。完全なる静寂の時間が長く続いた。手を下げないノットが、十分に長い沈黙のあとで腕を下すと、会場のあちこちから怒涛のようなブラボーが響き渡った。

拍手は十分以上は続いたと思う。そしてN響以外のオーケストラの定期で、オーケストラが引き上げても拍手が鳴りやまないシーンを、私は初めて見た。オーケストラを含め、会場全体が音楽に浸る時間を共有し、その美しさに感動した。サントリーホールでのその模様は、NHKによってビデオ収録されたらしい。だから放送される時が来たら、ぜひ見てみようと思う。このまたとない時間を思い出すために。

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