2018年4月9日月曜日

バリオス:ギター曲集(G:ジョン・ウィリアムズ)

例年より早く桜が散って、新緑がまぶしい季節となった。吹く風はまだ少し寒いが、青空に木々の緑が映えるこの季節を、私はことのほか愛している。そんなまぶしい陽気に相応しい曲として、私はバリオスのギター曲集を聞いていた。

それは箱根峠から三島へと下ってゆく急な坂道でのことであった。江戸時代のまま残る石畳の松並木を抜けると眺望が開け、右手には白銀の雪を頂く富士が、左手には陽光を受けて鏡のようにキラキラ光る駿河湾が見渡せた。日曜日だけれど、歩く人はほとんどいない。箱根ではあれほど多くの外国人観光客を見かけたし、小田原方面へと下る道には大勢のハイカーがいるけれど、逆の方向(これを昔は「西坂」と言った)へと下る人は少ないのだ。

左のポケットに入れたWalkmanから心地よいギターのトレモロが聞こえてくると、時間が止まったような感覚が私を覆う。朝食にパンを一枚だけ食べてきただけの、いわば空腹の状態で何時間も歩き続けていると、飢餓感が五感を研ぎ澄まし、自分に本来の感性が戻って来る。ジャンパーの襟を立て、箱根連山に吹き付ける太平洋からの南風を受ける。わずかばかりの雲が富士山に当たり、その頂上にだけ漂っている。5合目付近まで被る雪との境界がわからない。景色を楽しみつつも足元に注意しながら、急な坂道を少しずつ下りてゆくには、登るとき以上に体の様々な筋肉を動かす。そのリズムが心地よい。

バリオスは南米パラグアイの作曲家である。だからここで聞くギターの曲が、青々とした森の風景にマッチするとは言っても、日本の山の緑と、南米アマゾン近くのそれとはずいぶん異なるだろうと思う(このCDの副題は「パラグアイのジャングルから」となっている!)。けれどもそんなことは関係ない。音楽は作曲された意図とは違うところで、また聞き手の勝手なイメージと結びつく。

私がニューヨークで勤務していた頃、西海岸サンフランシスコへの出張を命じられたことがある。もう北米滞在も終わりかけていた頃のことだ。初めて私は仕事で、カリフォルニアへと飛んだ。日本人の社員とは何度も電話でやりとりをしていた。時に冷たく、厳しくもあったその同僚も、実際に出会ってみると同じ人間である。特にその女性は、美人だということで注目の的であり、私も出会いを楽しみにしていた。

だが会ってみると、彼女は淋しそうな表情をしていた。日本を離れてアメリカ人と結婚し、郊外でふたりで暮らしていた。一週間の滞在が終わり、明日ニューヨークへ戻るという最後の日、私は個人的に彼女の夫が運転する韓国製乗用車に乗って、夜のドライブに招待してくれた。その夫はあまり幸福そうな感じではなかったが、それは仕事が売れないからだと説明してくれた。音楽関係の仕事に携わり、その専門も現代音楽の評論だと言っていたような気がする。つまり私の英語力では、詳細はわからない。

私は自分も音楽が好きでよく聞いている、と適当に話した。こちらはプロではなく、単なる愛好家である。彼は、最近リリースされたジョン・ウィリアムスのギター曲など、なかなか素晴らしいものだ、とか何とかつぶやいた。まさにそのCDを私もニューヨークのタワーレコードで買っていた。SONYのやつですね、バリオスの。その時彼の表情が一変した。「そうだ、まさにそれだ。あれは本当にいい!」

実は私はまだそのCDを聞いていなかった。だが彼は、初めて自分に友人ができたかのように、嬉しそうに話してくれた。よく理解できなかったが、彼は行く予定のなかったベイ・ブリッジの、ちょっと隠れた名所にまで私を案内し(確かそこは軍関係者のみが入れるところだった)、島のように遠くに輝く「霧の町」の夜景を楽しんだ。西海岸の乾いた、少し肌寒い風が、吹き抜けていった。

同じような風の中で、私は何十年ぶりかにこのCDを聞いた。そしてギターと言えば「禁じられた遊び」とか「アルハンブラの思い出」のような曲しか知らない私も、それと同じかそれ以上に印象的なトレモロの続くギターの名曲に、時間のたつのも忘れるような感覚を味わった。長い坂道も、このようにして春の光を受けながら、私はすこぶる愉快であった。

サンフランシスコを離れる時、その同僚が私に言った。夫はあなたとお話が出来て、久しぶりに楽しそうだったです、と。私はその時の彼女の、嬉しそうな笑顔が忘れられない。バリオスのこの音楽を聴くと、いつもその時のことを思い出す。

私は中山城址公園の、もう芝生だけとなっている広大な広場に立っていた。北条氏が何千人もの家来を率いて築城した山上の要塞も、たった半日で豊臣勢に滅ぼされたそうである。今も残る遺構の上を歩きながら、私は遠くにそびえる富士の高嶺に見入っていた。いつのまにか、バリオスのギターは終わり、次に収録されているベートーヴェンのミサ曲ハ長調が鳴っていた。新学期の快晴の一日を、ひとりで過ごす贅沢な時間を、私は心行くまで味わっていた。


【収録曲】
1.ワルツ第3番
2.前奏曲ハ短調
3.クエカ
4.マシーシャ
5.大聖堂
6.フリア・フロリーダ
7.ワルツ第4番
8.最後のトレモロ
9.マズルカ・アパッショナータ
10.蜜蜂
11.古いメダル
12.郷愁のショーロ
13.サンバのしらべ
14.アコンキーハ
15.前奏曲ト短調
16.森に夢見る
17.クリスマス・キャロル

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