久しぶりにベートーヴェンを聴いた。それも最近ではむしろ珍しくなった感のあるモダン楽器風の演奏である。CDを含め、もう年に数回も聞かくなったベートーヴェンの作品を2つ並べる演奏会に、NHKホールの客席は3階の奥までビッシリと満員である。それほどこの日のコンサートは特別であった。
特別であることの理由は、まずピレシュが引退を表明し、このたびのツアーは日本の聴衆にとって最後になるということである。思えば1944年生まれのピレシュは今年74歳である。私の両親ほどの年齢であるにもかかわらず数多くのレパートリーをこなし、世界各地で演奏を繰り広げる現役の世界的ピアニストであり続けることが、どれほど大変かは想像を絶する。
今一つ本公演が特別な理由は、指揮者のブロムシュテッについてである。彼もまた91歳と「超」高齢なのである。私の知る限りでは、70年代頃から非常にきびきびとした演奏をする指揮者で、東ドイツのドレスデンのオーケストラを指揮していたころに録音されたグリーグの「ペールギュント」は、高校生のころの私の青春の音楽であった。それはそれは毎日、カセットテープが擦り切れるほど聞いた記憶がある。敬虔なクリスチャンとして厳格な演奏をすることで知られ、練習もめっぽう厳しいとの評判だが、私もN響で聞いたシベリウスなどは忘れられないし、ブルックナーの第4番も脳裏に焼き付いている。
「一期一会」というに相応しい今回の定期公演に、チケットは早々に売り切れた。同じ組み合わせで昨年末のベルリン・フィル定期が催されたということは、後で知ったが、馬鹿でかいNHKホールが連日満員、チケット完売となったのは、私の記憶でも朝比奈隆以来ではなかろうか?それほど期待の大きいコンサートに、私は弟と妻を誘い、辛うじて手に入れたのは3階のC席であった。高い方からチケットが売れていくN響定期において、これは残念ではある。だが実演に触れることができるだけで幸運である。
ピアノ協奏曲第4番は、静かに始まる。いきなりピアノのソロがあって、同じメロディーをオーケストラが繰り返す。おもむろにメロディーが始まるのは第2楽章、第3楽章でも同様で、これはベートーヴェンの実験的な側面が強調されている。ピレシュの冒頭は、美しい響きが少しの疲れの中にも確実に響き、その独自の世界は、まわりからちょっと浮くようでもあるが、優しく、そして精神的な幸福感に持ちている。それが彼女の音楽の魅力そのものであると思う。この個性は、独奏部分で真価を発揮する。すなわち、私は今回の演奏の最高の部分は、第2楽章であったと信じている。
ベートーヴェンがなぜこの曲にだけ短い緩徐楽章を書いたかわからない。だが凝縮された中に、もうこれ以上に無駄はないと思われるほどの集中と深遠さを持ってこの音楽は流れる。その例えようもない静謐さのなかにあって、ピレシュの音楽がどれほど精練され美しかったかをここに記すことはほぼ不可能である。私はただ涙があふれんばかりだったということ以外に。
編成をおそらく演奏当時の規模、すなわち少数の弦楽器と2管編成に限定したオーケストラは、広い舞台にはさらに小さく見えた。その編成は、続く交響曲第4番でも同様で、作品番号の近いこの2曲は同じ日に初演されているという。
傑作の森の頃のベートーヴェンが、もっとも意欲的に作曲を繰り広げていた作品群の中にあって、この2曲は若干地味な存在と言える。つまり「北欧の乙女」である。ブロムシュテットはもう高齢なので、弛緩した演奏になるのではないか、だとしてもそれはそれで充実した枯淡の境地に接することになるのではないか、という期待は見事に裏切られた。舞台にさっそうと現れた指揮者は、いつもの少し早めのテンポでオーケストラを引っ張っていく。序奏も比較的早く、それは最後までそうであったが、特筆すべきは管楽器と弦楽器がこれほどうまく溶け合った演奏もないではないかというほど精密に計算された掛け合いが全楽章を通して展開されたことだ。
フルートがオーボエに、クラリネットが弦楽器に、線上に現れては繋がり、音が重なることもなければ途切れることもなく、順番にスーッとひきつがれてゆく。まるで一つの楽器のように正確に。これほど管楽器が活躍する曲にあって、室内楽のように精密さが要求される様は、前半のピアノ協奏曲第4番と同様、聴衆を釘付けにした。
アグレッシブでエキセントリックな演奏が主流となった昨今のベートーヴェンだが、90年代の頃のモダンな演奏に久しぶりに接したというのが正直な感想だ。大拍手の中を何度も舞台に登り、特に木管楽器のメンバーと握手を交わす。オーケストラも満足の一夜だったのではないだろうか?もうこのコンビで演奏会を聴くことはできないのだろうか?いやそんなことはない。近秋の定期にブロムシュテッとは再登場し、遂にはブルックナーの第9番やマーラーの「巨人」などを指揮することになっている。もう今からわくわくする。
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