2019年3月22日金曜日

ベルリン放送交響楽団演奏会(2019年3月20日、東京文化会館)

平成の30年間は「失われた30年」と丁度重なり、バブル崩壊後すなわち昭和の終わりをゆるやかに下る、失意と閉塞の時代でもあった。平均化すれば縮小していく経済は、この国をなだらかに「金持ち国」から「貧乏国」へと導こうとしている。だから、我が国を訪れる欧米のクラシック音楽家は、この先もうなくなってしまうのではないか、と長い間危惧してきた。

それでも我が国には、ヨーロッパに劣らないほどの愛好家がまだ多くいて、来日する音楽家を心待ちにしている。21世紀に入って20年近くたとうとしている最近でも、毎年多くのオーケストラやソロ演奏家が東京を訪れる。毎日どこかのコンサート会場で、世界を代表する団体の公演が繰り広げられ、時にはバッティングすることも多い。地元の演奏家がこれに加わり百花繚乱の様相を呈する我が国のクラシック音楽界の状況は、ここ東京が、ウィーン、ベルリン、ロンドン、ニューヨークなどと並び、世界の音楽の中心地であるとさえ思える。いやそうなってもう久しい。

毎年3月頃の、丁度イースターの前の時期になると特に多くなる来日演奏家の公演は、今年3月20日も赤坂のサントリーホールでは、グスターボ・デュダメル指揮ロス・フィルが、上野の東京文化会館では、ウラディーミル・ユロフスキーが指揮するベルリン放送交響楽団の演奏会が、ちょうど同じ時刻に始まるという事態となった。しかもプログラムでマーラーの「巨人」をどちらも取り上げると言う偶然が重なる。

もっとも私は、今や来日のオーケストラ公演は年に一度程度しか行かないし、その理由は昨今の座席代の高騰にあるので、デュダメルを一度は聞いてみたいと思いながら、S席2万9千円という目の玉が飛びでるような価格を見てあっさりと断念。いくらなんでも、それはおかしい、なとどぼやいていたところ、もう片方のベルリン放送響の方は、まだB席が残っていて1万1千円となっている。しかもソリストにレイフ・オーヴェ・アンスネスが招かれてブラームスの協奏曲第1番を弾くという(ちなみにロス・フィルは何とユジャ・ワンである!)。しかも「巨人」は嬉しいことに「花の章」付きという。これは聞き逃す手はない。年末にはカレンダーに印をつけ、満を持して3階席の最前列を確保した。

ところが3月に入って、私のもとにある手紙が郵送されてきた。おもむろに開封すると、そこには何とアンスネスが昨年より肘を痛めており、プログラムをブラームスのピアノ協奏曲第1番からモーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調K467に変更するというのである。並行して開催されるリサイタルは中止されるものの「 来日公演を強く希望する本人の意思を尊重して」オーケストラ公演には予定通り同行するというのである。私の行く公演は一連の日本ツアーの初日に当たり、主催は都民劇場。プログラムの最初には、これも予定になかったモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲が組まれた。

来日の初日、しかもプログラムの変更。客席は満席とは言い難く、特に1階席を中心に空席も目立つ。観客に高齢人が多いのは最近では珍しくないが、今日は特にその傾向が強い(若い人を見かけない)。通常なら嫌なものが頭をよぎる事態である。ところが舞台に登場したオーケストラから出て来たドイツの音楽は、やはり本場物を思わせる音色に伴われ大変充実したものだった。ユロフスキーは細身の長身から的確に各パートを指揮する。私は初めて聞く指揮者だが、最初の「フィガロ」の音感覚から好印象を持った。

待望のアンスネスは、チューニングを終えたオーケストラが静かに待機する長い時間のあとにようやく登場し、どういう音楽になるのかと固唾を飲んで見守ったが、そのモーツァルトからは、やはり世界を股にかける第一級のピアニストからしか聞こえないような、明確で綿密な音楽に、一気に引き込まれていった。第1楽章の展開部で見せるニュアンスの変化は、CDなどで聞く巨匠の録音からはあれこれと批評され、またその通り聞きとれるのだが、実演で感じ取れることはなかなかない。けれども今日のアンスネスの弾くK467の表情は、淡い緑から少し濃い緑に変化するようなかすかなものでありながら、微妙な部分にまで神経を行きわたらせたものである。それは丁度、日向から日陰に入るというよりは、陽射しが次第に増してゆく春の陽気であり、薄雲にわずかに陰ったり、また晴れたりといった丁度今の季節に合っている。

第2楽章の微妙なアンダンテは、思い入れたっぷりの演奏を聞きたがるが、ここではすっきりとしていて、それでいて表情が確信的である。第3楽章の愉悦に満ちたロンドも、それほど難しい音楽ではないが、こうやってきっちりと第1級の名演奏で聞くと、これ以上にないような幸福感に満たされた。もしかするとブラームスでなくても全く良かったのではないだろうか。モーツァルトの有名曲を、これほどきっちりと演奏された名演奏に接する機会など、実際なかなかないものである。「真の傑作」は「美しさとユーモア、ソリストとオーケストラの間で交わされる気品に満ちた会話に溢れ」、この「魔法のような」音楽を心行くまで楽しんだ観客の大きな拍手に応え、何とアンコールまで演奏されたのは驚いた。ショパンの夜想曲第4番が弾かれるわずか数分の間に、今度は表情を一気に変えて集中力を増し、音の変化が紡ぎだす色の変化が、まるでスポットライトが舞台を照らしているかのようさえ感じられる。空気はいっそうさえ渡り、もしかすると私がこれまでに聞いたどの演奏よりも美しいピアノ演奏だったとさえ思う。

それにしてもベルリンのオーケストラは、モーツァルトを「おらが音楽」として自信たっぷりである。テクニックだけを見れば昨今のN響の方が、もしかすると上かも知れない。けれどもゆとりを持って弾く木管の味わいには、本場のオーケストラでないと表現できないものがあるというようなこともわかる。だから後半の「巨人」への期待は大いに高まる。そして第1楽章の「さすらう若人」の主題が聞こえて来た時には、実演でこの曲がこれほどに精緻に聞こえたことはなかったような気がした。

コンサートで「巨人」を、私は何回も聞いてきた。聞くたびにそれなりに感動的な曲で、演奏する側としては重宝するであろう。けれども全編を通していい演奏はあまりない。実演ゆえの興奮がもたらす効果に惑わされているが、昨年聞いたアラン・ギルバートの演奏など「終わり良ければ・・」の典型だったし(これでは「花の章」も台無しである)、これまで最高と思ってきたパーヴォ・ヤルヴィも第2楽章までは雑然としていた。 ヤルヴィを上回ったファビオ・ルイージも第1楽章は関心できなかった(もとより広いNHKホールの3階席では、音楽の感動も音波と共に減衰する)。

それに比べるとユロフスキーの指揮するベルリン放送響の今回の演奏は、私の「巨人」鑑賞史上断トツの第1位だった。第1楽章のピアニッシモの冒頭から横一列に並んだ8人のホルンが起立するコーダまで、聞きどころが満載で興奮の連続だった。ミスタッチがなかったわけではない。だがそんなことは何ら問題なく、音楽の統一感とそのライブならではの新鮮さ、そしてそれをおそらくはきっちりと目指す音楽の形の中に表現するプロの腕前は、まだ若作りと言われたこの曲が、すでに後半の交響曲につながる壮大で深遠なマーラーの世界を、その冒頭から持っていることを意識させるものだった。

特に第2楽章「花の章」は滅多に聞くことができないが、これほどにまで美しく実演で聞けたことが何より嬉しい。うっとりとする春のような、まさにこの季節に相応しいこの楽章は、間をあけず第3楽章(通常の第2楽章)につながっていった。その見事さ!この楽章の緊張感に満ちたスケルツォが、興奮を再び呼び覚ます。

静かに始まるコントラバスに耳を傾け、子供の頃に聞こえた行進曲を回想するマーラーが、つかの間見せる童心への回帰と懐かしさ。誰にも見せられないナイーブな心の弱さを、第3楽章の中間部で聞くことができる。この部分が私にとって最大の聞きどころでもある。ユロフスキーは優等生的ではあるが、決して醒めた指揮をするわけではない。身振りはそつなく器用にまとまってはいるものの、聞こえてくる音楽は中庸にしてフレッシュである。第4楽章に至っては、オーケストラの熱演も加わって、見事な演奏に終始する。全編1時間以上にもなるハイブリッド版「巨人」(様々な稿を混ぜたもの)で、オーケストラをその気にさせそれを維持するのは大変なことだ。だが、この日の演奏は、その稀な名演だったと思う。もしかするとそういう演奏は、常日頃から行われているのかもしれないが、人生の間にそう何度も聞くことができるわけではない。だから今日のアンスネスのモーツァルトとユロフスキーの「巨人」は、いいつまでも心に残る演奏になるだろう。

新しい人生への出発の季節でもある春を、私たち日本人は桜とともに待ちわびる。そんな3月の公演に相応しいプログラム。大規模な演奏会のために来日する数多くの団員はみな、日本での演奏が楽しそうだ。そしてそのことが感じられる演奏会だった。さらに驚くべきことに、このような曲の後にもアンコールが演奏された。バッハの「G線上のアリア」をマーラーが編曲したバージョンは、厚い弦楽器による今では珍しい響きだが、そのことがかえって新鮮でもあった。そう、今回の公演のテーマはマーラーだそうである。妻が行くことになっているサントリーホールの公演(は一連の最終公演でもある)では、マーラーの編曲したベートーヴェンの交響曲第7番が演奏されるらしい。きっと大規模で熱い演奏になるだろう。そしてその頃には、桜の花も満開になっているはずだ。

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