SP→LP→CDとほぼ20年おきに大きな変化に直面する音楽再生メディアは、ここへきてストリーミング配信に急速に移行しつつあるというのが、今の私の率直な感触だ。ネットの時代になって20年以上が経過したが、音楽配信なんて随分前からあるではないか、と言われるかも知れない。その通りなのだが、CDが売れなくなって10年余りが経過し、そのあとに主流となるのが音楽ダウンロードかと思いきや、その時間は非常に短く、ダウンロード販売が主流になったとは言い難い(CDもこの間に売れ続けた)。
一方、CDのようなサンプリング周波数44.1キロヘルツ、量子化ビット数16ビットという古い規格のリニアPCMに変わるものとして期待されたSACDや、その録音技術であるDSDも、マスタ録音の場では古い規格に置き換わることになったが、再送用音楽ファイルのフォーマットとしては、一部マニアの枠にとどまっている。いやPCMでもハイレゾ化の移行は、ここにきてとん挫していると言わざるを得ない。常に聞き手が高音質を求めるのだという思い込みが、この判断を狂わせているのかも知れない。結局、ひところもてはやされたネットオーディオ機器も、今ではさっぱり売れなくなってきている。私もインターネットラジオを聞くくらいしか、いまではネットオーディオ機器を使うことはない。
これに変わって音楽配信、しかもダウンロードではなく、そのまま再生するストリーミング配信が、大規模にそのリスナーを増やしている。多くのストリーミング配信で聞くことができる音楽は、CDと同等かそれ以下の音質であるにもかかわらず、膨大な音源を有し、定額で聞き放題というのが特徴である。音源は以前にCD等で発売された過去50年程度のものだけでなく、最新のリリース作品も含まれる。聞き放題といっても月に千円以下というのが魅力である。加えて携帯音楽プレイヤーとしてのスマートフォンが、ますます重要になってくる。もちろん絡みにくく高音質なBluetooth対応のイヤホンとセットでなければ意味がない。
定額制のストリーミング・サービスは今や百花繚乱の如き様相を呈しているが、私の感触ではSpotifyが一歩先に行っているようだ。といってもすべてを試したわけではないのだが、いろいろな意見や記事を総合するとSpotifyの世界的戦略はちょっとしたものだ。まず、無料というグレードがあり誰でも手軽に試すことができる上に、その期間は何と無期限である。手軽に始められるだけでなく、そのまま聞き続けることができる。
勿論、制約もある。今のところ、30分に1回程度のCMを聞かなければならないし、シャッフル再生でしか聞くことができない(オペラ好きとしてはこれは困る)。音質も少し悪いし、ダウンロードして(通信料を節約して)聞くこともできないようだ。だがちゃんと契約しても月にたったの980円である。同じ住所に住む家族なら、1480円で最大6つのアカウントを所持できる。このことの意味は、とても重要である。違法ダウンロードがはびこるくらいなら、わずかでもちゃんと著作料を支払う契約者となってもらうことが、リスナーにとってもアーティストにとっても重要だと考えている点だ。もちろんマーケットは全世界だから、一人当たりの支出はわずかでも、作品によってはかなりの収入になるだろう。
音楽ストリーミング配信は、3つのものをリスナーから解放しつつある。まずひとつは、メディアを所有しなければならないという考えである。膨大なCDやその保管スペース、あるいはファイルの置き場所(すなわちハードディスクとそのバックアップを含む維持管理)が不要となる。これまで一生懸命になってカタログを見つめ、評論家の意見を聞きつつ集めてきたCDが、すべてゴミになる可能性さえある。もっとも人は、最終的には所有したくなる生き物だと言う人もいるが、私の場合、よほど気に入ったCD(特にオペラ)を除けば、点数を半数以下にできると考えている。もちろん今後はディスクを買うことはないだろう。
2つ目は、二番手以降の目立たない作品や演奏に対する根拠のない低評価である。購入する資金に余裕がない場合(たいていの人はそうだ)、ある作品に対し、世間的に高評価な演奏を買おうとする。リスクが少ないからだ。たとえそれが失望に終わっても、皆が讃える演奏について、自分なりの納得ができる。だがその結果として、いつまでも同じ録音のディスクが売れ続けて来た。ドヴォルジャークの「新世界」といえばカラヤンかクーベリックか。あるいはケルテスがいいのか(それも2種類あるが)。だが「新世界」は星の数ほどの録音があるし、これからも演奏され続ける。そういった演奏に触れる機会は、これまではなかなか得ることができなかった(機会としてはあったが、資金を拠出してわざわざ時間をかけて聞きこむだけのゆりとは、庶民にはなかった)。だが、定額制の音楽配信によって、これまで見向きもしなかった演奏や作品に出合う機会は増えるだろう。ネットでは一般に困難だとされる機会喪失も、音楽配信に関しては増大するというのが私の考えである(これはクラシックに限った話ではない。歌謡曲でも他人が歌った=「カヴァーした」歌に簡単に接することができたりする)。
今一つの解放は、面倒な再生操作である。コンパクトディスクが初めて登場した時に、永久に音質が劣化せず、しかも70分余りにも及ぶ再生時間の途中で、ディスクを裏返す必要はないと言われた。けれども今となっては、逐一ラックで希望のディスクを選び出し(そのために私は作曲家年代別に配列している)、プレイヤーやアンプのスイッチを入れて盤をトレイに乗せ、目的のトラックを選択して再生するという動作でさえ、面倒なものとなりつつある。FMラジオを聞くように、スイッチひとつで選曲ができ、それをそのまま世界中のどこにでも持ち出せるのがいい。Walkmanのようにいちいち音楽ファイルをコピー(かつてはカセットテープにダビングしたものだ)する必要もない。ラックを眺める代わりに、Spotifyには検索機能が容易されているし、気に入ったものが「お気に入り」に登録しておけばいい。
かつてカセットにダビングして好きな曲をリスト編集した行為は、Spotifyでは「プレイリスト」がこれに相当する。ここに6000万曲にも及ぶ音源から、好きなものを登録しておけばいい。随時並び替えもできるし、気分を変えてシャッフル再生も可能だ。これで好きな音楽リストを作れば、いつでも好みの音楽を聞くことができる。そして驚くべきことに、自分のプレイリストを公開したり、他人と共有することもできるのだ!
ということは他人のプレイリストも勝手に聞くことができる(公開をしない設定もできる)。自分と好みの似ている人が作成したプレイリストには、自分の好きな別の曲が入っていたりして面白いし、その人が登録している別の曲に触れることもできる。この機能によって、自分のお気に入りの曲ばかりを聞き続けることから少し離れ、ちょっとした偶然の出会いを楽しむことができる。これは今までになかった楽しみである。
さらには他人の作成したプレイリストだけでなく、Sportifyが自動的に作成するプレイリストというのがある。AI技術の導入によってある曲や歌手が好きな人向けに、コンピュータが選び出したプレイリストを提供してくれる。ある流行歌手が好きなら、その歌手の傾向に沿った様々な選曲をパッケージにしたもの(Radioと呼ばれる)もあって、気分に応じて様々な聞き方ができるというわけである。
GoogleのCromecastがあれば、Spotifyをテレビ画面に映すこともできる。ジャケットの画像や歌詞を写すこともできる。Chromecastの驚くべき利点は、操作するスマホの通信料がかからない(Spotifyを操作するPCやスマホは、あくまでリモコンに過ぎず、Chromecastの受信は自宅ならWifi経由となる)点だ。さらに私が契約している格安スマホのサービスには、Spotify(だけではないが)については通信料がかからないオプション(無料)があって、これを使えば外出しても通信量が加算されない。
FM放送のようなライブ感(「今、赤坂では雪が降ってきましたよ」などのトーク)がないことくらいだろうか。だがそれが好みならインターネットラジオでもradikoでも聞けばいいのであって、結局のところラジオとSpotifyがあれば私の場合、音楽生活は80%完璧である。あとの20%は、時々行く生のコンサートと特にこだわって聞くCDである。
Spotifyで最近接した例を2つ紹介しよう。
(1)1月にでかけたN響の定期では、ソヒエフの指揮によりフォーレの「ペレアスとメリザンド」、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」、それにリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」といった曲が取り上げられた。ブリテンは1枚、「シェエラザード」もたった2枚しかCDを持っていない私としては、もう少しいろいろな演奏で聞いてみたかった。だがそれにもまして、ソヒエフの他の演奏も聞いてみたいと思った。Spotifyで「ソヒエフ」と検索すると、ソヒエフの他のオーケストラを指揮して録音した他の曲などに混じって、「N響定期第1904回」とかいう誰かが作ったプレイリストが表示された。他の演奏ながらコンサートと同じ順番で、私はこれらの曲を聞き、実演との違いや曲の持つ他の側面を感じることができた。
(2)チレーアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」を最近METライブで見て、大学生の頃に初めてこの曲を聞いたことを最近書いたのだが、この曲のCDを持っているわけではなかった。こういう場合、CDを売る店は今ほとんど消滅したので、HMVオンラインなどで購入するか、あるいは昔のようにFM放送で放送されるまで待ち続けるしかない。図書館に行ってみれば、もしかすると誰かの演奏が置いてあるかも知れないが、このようなめずらしい曲のCDは、たぶんない。だが私は、いまやそんなことをしなくてよいのだ。Spotifyを起動して「チレア」あるいは「Adriana Loucverour」などどやれば、たちどころにアリア「私は芸術の僕」(の中には、ネトレプコのものもある)や、最新の全曲録音(2009年トリノ歌劇場のライブ)が見つかる。ネトレプコはMETライブで見たアドリアーナだし、トリノの全曲録音は自前で買うことはまずない代物である。だからこそこのようにお手軽に聞くことのできるSpotifyは、私の音楽生活に革命をもたらしつつある。
(補足)
定額制の音楽ストリーミング配信はほかにもある。このうちNaxosミュージック・ライブラリはクラシック専門として以前からあるものだ。検索の方法や音源の多さ(CDにして13万枚)など、クラシックに限れば一番充実していると思う。けれどもクラシック以外の音楽もこの際聞き放題を楽しみたいと思うのが通常だろう。しかもクラシックだけで毎月2000円するというのは、個人としてはちょっと躊躇する金額というのが実用だ。
Deezerは私が購入したネットワークプレイヤーにSpotifyと並んで対応しているサイトで、音質の良さ(といってもCDレベル)が売りである。だがギャップレス再生ができない(2019年末現在)というオペラ好きにとっては致命的な欠陥がある。
一方、MP3の320kbpsレベルと言われるSpotifyのPremiumも自宅ステレオに接続してみたところ、確かにCDには劣るのは明白だけれども、上記の「アドリアーナ・ルクヴルール」などをだらだらとBGMのようにして聞くだけなら何ら不足はない。音楽はそもそもライブで聞くもので、実際それに勝るものはない以上、ちょっとした音質の差など、価格と手間の圧倒的な手軽さの前では無意味な議論だと言える。
2019年3月10日日曜日
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