あれは大学生の頃だっただろうか。FM放送から流れてくるチレーアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」という作品に、はじめて触れたのは。
当時私はヴェルディやモーツァルトのオペラに目覚めた時で、有名な作品であれば何でも聞いてみたいと思っていた。大学生であっても試験前の勉強くらいはするもので、その日は私も受験生時代を思い出しながら、自宅で机に向かっていた。勉強をするときは自然にラジオに手が伸びる。ところが日曜日の午後というのは、どこの放送局も競馬中継ばかり。唯一NHKのFM放送だけが、私をクラシック音楽に誘ってくれる時間だった。そういう誰も聞かないような時間帯に、NHKはオペラの全曲録音を放送することになっていた。
今でもニューヨークの公共ラジオは、メトロポリタン歌劇場の土曜日の公演を中継している。この放送を楽しみにしている人は多いようで、MET Live in HDシリーズの中でよくアメリカ人の歌手たちが、小さい頃この放送を聞いてオペラに目覚めた、などという話をしている。だが我が国ではオペラはまだ身近なものではなく、実演はおろかレコードを通しても、オペラを全曲通して聞くことなど滅多にできない時代だった。そのような時代に、NHK-FMの「オペラ・アワー」は、貴重な番組だったと言える。
透き通りような、それでいてしっとり落ち着いた声の持ち主、後藤美代子アナウンサーが喜歌劇「こうもり」の序曲に乗せて番組が始まる。その日の曲目は、私も聞いたことのない作曲家チレーアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」だった。どこの歌劇場の誰の演奏によるものかは、覚えていない。もしかするとその日は、CDの全曲録音ではなく、どこかの放送局のライブ録音だったように思う。タイトル・ロールを歌ったソプラノは、ミレッラ・フレーニだったかも知れないし、レナータ・スコットだったかも知れない。そのどちらかだけは、ほぼ確かだと思う。歴代の大歌手が主役を歌う作品であるにも関わらず、チレーアなどという「アドリアーナ・ルクヴルール」以外では知られていないイタリアの作曲家(唯一の例外は「アルルの女」における「フェデリコの嘆き」だろう)。ヴェルディの「椿姫」と「オテロ」、あとはプッチーニの歌劇のアリア集程度しか聞いたことのない私が、なぜかこの作品を初めて聞いて、それなりに楽しんだことを覚えている。
後で知ったことには、「アドリアーナ・ルクヴルール」は結構有名なオペラで数々の名歌手が録音を残しており、その中には上記のフレーニやスコット以外にもレナータ・テバルディ、モンセラット・カヴァリエといった錚々たる顔ぶれが並ぶ。多くの役をこなした世界的ソプラノ・スターが、やがてどうしても歌いたくなる作品、それが「アドリアーナ・ルクヴルール」とのことである。そして今回、METでその番が回ってきたのは、アンナ・ネトレプコだった。18世紀パリに実在した大女優の役と聞けば、世界中のヒロイン役を欲しいままにした人物が惚れる作品だということだろうか。
10年以上が経ったMET Liveシリーズに初登場した「アドリアーナ・ルクヴルール」は、その顔ぶれが豪華である。主題役のネトレプコに加え、アドリアーナと女性同士の熾烈な争いを繰り広げる恋敵のブイヨン公爵夫人にメゾ・ソプラノのアニータ・ラチヴェリシュヴィリ、二人が争う美男のザクセン伯爵マウリッツィオにテノールのピョートル・ベチャワという布陣。今やイタリア・オペラを歌える歌手は、みなロシア・東欧系になってしまった。一方、重要な役割を担う劇団の舞台監督ミショネはバリトンのイタリア人、アンブロージョ・マエストリである。マエストリと言えば、「ファルスタッフ」の当たり役というイメージが強い実力派である。
読む年齢によって小説の見方が変わるように、オペラ作品もまた年齢によって見方が変わる。若い頃は「椿姫」の「ある日、幸運にも」(アルフレードが第1幕で歌うアリア)などを聞いては胸を締め付けられていたが、今ではミショネの密かな恋心と、温厚で優しさを湛えた心情に心を奪われる。彼は第1幕で自分がアドリアーナの相手にはならないことを悟ると、独白「さあ、モノローグだ」で複雑な感情を吐露するものの、以降この劇には何かと出続け、いつもアドリアーナに寄り添うことで思いを保とうとする。その初老ゆえの知恵とで言うべき行動は、作曲者チレーアの投影ではないかと書かれている(音楽之友社「スタンダード・オペラ鑑賞ブックⅠ~イタリア・オペラ(上)」)のを読んで一層親近感が増した。
ストーリーは一人の男性を巡る二人の女性の鞘当てと書けば単純だが、見た感じでは随分複雑である。だが私はここで、この作品を金曜日の夜に映画館で見たときの状況を正直に告白しなければならない。2月に入って体調を壊し気味だった私は、仕事が終わってから3時間余りにもわたって映画館に座るだけの体力がないことは明らかだった。それでもこの作品は見ておきたい。この機会を逃すわけにはいかないので、私は迷った挙句、結局東銀座の駅から東劇へと歩いて行った。パンを二つ買い込み、インタビューの時間などに食べていると、予想通り睡魔が襲ってきた。
最近のMETライブには珍しく、どういうわけか客の入りが良くない。これほどきれいな歌に満ちた作品なのに意外であった。けれども音楽を子守歌にうとうととするには好都合だった。第1幕でネトレプコがいきなり有名なアリア「私は芸術の卑しい僕」を歌ったのを最後に、ほとんど記憶がない。途中、第2幕との間も切れ目なく上演されたため、私が目を覚ますのは、アドリアーナとブイヨン公爵夫人が対決する壮絶な二重唱(第2幕の幕切れ)だったのだ!おかげでこの作品のもっとも複雑な部分、すなわち政治的な理由でマウリッツィオが公爵夫人に取り入る部分をすっ飛ばして理解することとなった。
第3幕はフランスを舞台にしたオペラらしくバレエも挿入されるものだが、ここの音楽「パリスの審判」はほのぼのとしたもので、劇中の舞台で演じっれると古風でこじんまりとした感じ。チレーアの音楽は他の作曲家の作品と比べても、どことなく決定打に書ける感じがする。そんな微妙な不足感が実はこの作品の魅力で、私が学生時代に「ながら勉強」しながら聞き続けた理由もあるような気がする。つまり、何となく聞いているオペラとしては実にうってつけなのである。ヴェルディのように高カロリーではないし、プッチーニのように胃にもたれることもない。おかげで特に心に残るメロディーがあるわけでもないし、クライマックスと呼べるようなドラマチックな場面も少ないにもかかわらず、十分に抒情的で時に歌手が、感情的に変化して急に高らかに歌い始めるあたりは、イタリアにおけるオペラの大衆演劇という側面をにわかに表す。
アドリアーナがマウリッツィオに贈ったすみれの花が、よりによってなぜかアドリアーナに届けられ、恋人から絶縁されたと嘆くアドリアーナ(そういうシーンにも常にミショネは登場する)のもとへ、やっとのことでマウリッツィオが戻って来るが、彼がアドリアーナと愛の二重唱を歌う時には、ブイヨン公爵夫人が偽って届けたすみれの花に染み込まされた毒がアドリアーナに回り、彼女は痙攣を起こしながら死に絶えてゆく。
劇団コメディ・フランセーズの人間模様がこのオペラのまたひとつの側面だが、女性の嫉妬による恋敵の毒殺という劇的な要素が絡んでいる。それも歌が適度に心地よく、いわばオペラの典型のような作品だと思う。そんな作品を劇中劇として再現し、舞台の中の舞台に人間関係を表現したデイヴィッド・マクヴィカーの演出は見事だと思った。彼はまたインタビューで、本作品の本質的な要素として、真実と嘘の境界がわからなくなる点だと述べていたような気がする。第3幕の後半で、バレエを見る客席に座っていたアドリアーナと公爵夫人が、いつのまにか感情をむき出しにして歌い始める時、視点は舞台の中から外に飛び出る。「道化師」の先駆けとも言えるような設定が、ことのほか生きてくるのだと思った。
ヴェルディの後、プッチーニに向かうオペラ史の中で、ヴェリズモ的要素をほのかにたたえつつも、フランスらしい抒情性を持ち合わせた作品。指揮のジャナンドレア・ノセダは、昨年N響の定期を振った引っ張りだミラノ生まれのイタリア人で、長らくトリノの歌劇場で活躍してきた経歴を持つ。彼は煽るタイプの指揮者で、ちょっとムラがあるというか、その時によって印象が随分と異なる印象がある。けれども今回の上演では、オーケストラから力強い表現を引き出していて見事だった。
(注)「オペラ・アワー」を始めとするNHKのクラシック番組を長年担当した後藤美代子アナウンサーは、 2017年逝去されていたようだ。「オペラ・アワー」に代わる番組は今でもあるようだが、まだ音楽メディアが少なかった頃の、心をときめかせてくれたFM番組で聞くクラシック音楽の時間が、名実ともに過去のものになってしまったような寂寥感に見舞われた。
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