2020年8月15日土曜日

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(G: ナルシソ・イエペス、アタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団)

高校生の頃だった。文化祭で記録映画を作るという友人に協力して、私は猛暑の大阪市内を連日取材。手を付けていない宿題が日に日に意識される中、友人宅での編集作業も大詰めを迎えていた。まだバブルが発生する前の、ごく平凡な夏休み。もう40年近く前だったが、大阪の夏は今と変わらず暑かった。

大阪環状線を映したシーンで、そこの背後に流れる音楽をどうしようかという話になった。友人も私も、少しクラシック音楽を聞いていたから、もちろん候補は友人宅にあった十数枚のLP。手当たり次第に針を落としてゆく。そしてその中から選んだのは、ホアキン・ロドリーゴが作曲したギターの名曲「アランフェス協奏曲」だった。演奏はギターにスペインの巨匠ナルシソ・イエペスで、伴奏はアタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団だった。録音はフランコ独裁の真っただ中にあった1958年とされていて、この時期はまだモノラル録音が主流。しかしステレオ録音されており、奇跡的と言うべきか音質は悪くない。

アランフェス協奏曲はイエペスによって有名になったと言っても過言ではない。特に有名なのは第2楽章で、深い哀愁を讃えたメロディーはどこか懐古調でもあり、私などはまだ見ぬスペインへの想像力を膨らましながら、アランフェスってどんなところだろう、一度行ってみたいものだ、などと考えてはこのロマンチックなメロディーの虜になっていた。ポピュラー音楽にも転用され、知らない人はいないのではないかとさえ思われるほどに、この第2楽章は有名である。

だが友人と私が記録映画のBGMに選んだのは、このアダージョではなく第1楽章だった。冒頭からギターのソロで始まる軽快な音楽は、これから行楽に向かおうとワクワクするような出発のシーンに相応しいと思った。これは今でも正解だったと思っている。この第1楽章は、あまりに有名な第2楽章と比較してほとんど知られておらず、そのことがかえって私たちを刺激した。

何かと言うと対立し、ことあるごとに口論に発展した編集作業も終わり、9月の文化祭でこの映画は何とか上映にこぎつけた。8ミリフィルムの時代だった。この曲を聞くと、迫り来る受験への不安と、友人との喧嘩を繰り返した高3の夏を思い出す。そして大学生になり、やがてそのアランフェスに行く機会があった。その時同行していたのが、この時の友人だった。初めてのヨーロッパへの海外旅行。私たちはマドリッドから郊外に向かう電車の中から、Aranjuezと書かれた駅名表示板を発見した。 

ロドリーゴは2歳の頃から盲目だったことで知られている。だからアランフェスにしろどこにしろ、実際に目で見ているわけではないだろう。おそらくあらんかぎりの想像力を働かせて、作曲したのではないかと思う。そもそも目が見えないことの苦労は想像を絶するだろうし、それが作曲という作業においてどのように克服されているのかは、もう凡人の理解を超越している。

私たちはアランフェスという街を通り過ぎたが、決して訪問はしていない。世界遺産にも登録されている宮殿が有名な小都市で、美しい写真がスペイン政府観光局のサイトに掲載されている。だが忙しい私たちの日帰り旅行の目的地は、タホ川に面し、かつての西ゴート王国だったトレドだった。旧市街がすべて博物館のような城郭都市は、陽射しを遮るものなど何もなく、従って猛烈に暑い。砂漠の中にある要塞都市だが、スペイン内戦の舞台になったことでも知られる。私たちが訪れた80年代と言えば、独裁と内戦の爪痕が残るころだった。


スペインが辿った悲劇的な歴史は、その後ECに加盟してヨーロッパの仲間入りを果たし、バルセロナ・オリンピックを契機に経済が目覚ましい発展を遂げる90年代までは、この国を旅行者から遠ざけていた。物価が安いにもかかわらず、旅行はしにくい方だった。荒涼とした自然の中に中世の姿を残し、イスラム教とキリスト教の混在する文化遺産を目にするのは、ヨーロッパの旅行の中でも特別な魅力であり、スペインこそ最後に行きたい国だなどと旅行好きの人は話したものだった。

アランフェス協奏曲の魅力は、古典的な造形の中にギターの愛すべき旋律が散りばめられていることだと思う。ギターという楽器の特徴から、ごく小規模なオーケストラが小さい音で伴奏する必要があり、コンサートでは取り上げられることよりはむしろ、録音で知られることの多い曲である。全体を通してとても親しみやすいので、どのギタリストが演奏しても楽しめる曲である。イエペスにも何種類かの録音が存在する。このうち最も有名なナバーロ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるドイツ・グラモフォン盤は、テンポも遅く精緻だが、私はアルヘンタによる盤を好む。これは上記の自作映画に使ったという個人的な思い出の他に、テンポよく駆け抜けて行くような演奏がまさに風光明媚な旅行への誘いを喚起するからかもしれない。つまり、この曲に関する限り、演奏へのこだわりは個人的な思い出と結びつき、そこから逃れることができないし、それで良いと思っている。

この古色蒼然とした歴史的名盤によって、すでに遠く過去の人だと思っていたロドリーゴが没したのは1999年だった。ある日私は新聞で作曲家の97歳の死を知った。もうその時には私のスペイン旅行からも10年以上が経過していた。この曲は過去の記憶の古さを増幅させてくれる効果があるように思う。

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