大学を卒業するまで、私の部屋にはエアコンがなかった。高校三年生の夏は、猛暑の中で受験勉強を強いられた。その頃も大阪の夏は暑く、毎日36度を超える日が続いた。当然のことながら勉強は手に着かない。ひたすらベッド上で大量の汗をかきながら、扇風機を回して昼寝をする。ようやく涼しくなってくる夜間に備えるためだ。8月も終わりになる頃には、いつのまにか鈴虫が鳴いている。
午後10時になってNHKラジオが一日のニュースを放送する。勉強をしながらこれを聞くのが日課だった。11時になるとFMに切り替える。すると、今でも時々再放送される名番組「クロスオーバーイレブン」が始まる。「今日一日のエピローグ」というナレーションとともに、分野のミックスした軽音楽が静かに流れてくると、私の勉強は佳境に入ってゆく。12時になると、民放で始まるのが城達也の「ジェットストリーム」である。さらには「ABCヤングリクエスト」が午前3時まで…。
「クロスオーバー・イレブン」の話をするのは、異なるジャンルの音楽がミックスされた新しい領域が、この頃よくもてはやされたからだ。フュージョンやロックなど、私が普段聞かない音楽も、心地よいナレーションをミックスした構成によって、頭の中にスーッと入って来る。まだラジオが全盛の時代だった。
クラシック音楽も、分野の異なるロックやジャズなどに編曲されたり、逆にポップスのナンバーをクラシック風にアレンジしたりして、いわゆるクロスオーバーというジャンルに分類される録音がたまに出回る。専らアレンジの妙と、器楽のテクニックに酔うことになる。少し大人のセンスで、静かな語り口ということが多い。クロスオーバーはいわゆる「アダルト・コンテンポラリー」や「ソフト・ロック」の延長にあるとも言えるかも知れないが、我が国ではいつのまにか洋楽が底流となり、どこの放送局を聞いても最近のJ-POPばかりという状況である。クラシック専門局はおろか、洋楽専門の放送局も(かつてはあったが)今はない。
モンテネグロ生まれのギターリスト、ミロシュがドイツ・グラモフォンにデビューしたのはもう10年近く前になるのだが、その後手を痛めて休養し、最近活動を再開したようだ。私が今回聞いた最新アルバム「Sound of Silence」は、その名の通りサイモンとガーファンクルの名曲がタイトルとなっている(ただしサイモンの歌は「The Sound of Silence」と定冠詞が付いている。アルバムの方にはない)。ここでは、いわゆる「クラシック」の名曲も取り上げられているが、すべて必要最低限の編成にアレンジされていて、最高のヒーリング・ミュージックとなっている。
どの曲がどうの、ということはなく、最後の武満徹編曲による「虹のかなたに」に至るまで、選曲と編曲のセンスが素晴らしい。 それは静寂がまた音楽の一要素であることを思い出させ、空中に漂う音波のゆらぎに心を奪われるひとときである。強いてどの曲が好きかと問われれば、「Moving Mountains」ということになろうか。パーカッションと弦楽アンサンブルが寄り添い、流れるメロディーが美しい。他には、ギター単独の曲も散りばめられている。どの曲もつぶやくようで、ひとりで静かに聞き入るのがいい。
どんな猛暑になったところで夏が好きだ、という人がいる。こういう人は9月頃になって人が途絶えた海岸に佇み、行く夏を惜しむのだそうだ。北国生まれの私の妻などは想像できないらしいが、関西育ちの私にはよくわかる。8月もお盆を過ぎると、蝉の鳴き声が遠く鳴って聞こえるような気がする。
熱海に向かう快速列車が小田原を過ぎた頃、このアルバムが鳴っていた。どこまでも広い太平洋と快晴の真空を眺めながら、静かなギターに耳を傾けた。もうすぐ秋がやってくるのだと思うと、少しセンチメンタルな気分になった。私にとってはギターは、晩夏に聞くのが好きな楽器である。
2. サワー・タイムズ
3. タレガ: 哀歌
4. ムーヴィング・マウンテン
5. ファリャ: ナナ
6. ストリート・スピリット
7. マグネティック・フィールド: ブック・オブ・ラヴ
8. メルリン: エヴォカシオン
9. コーエン: フェイマス・ブルー・レインコート
10. タレガ: 祈り
11. カランドレリ: ソリテュード
12. ブローウェル: キューバの子守歌
13. ムーディー・ブルース: サテンの夜
14. プホール: ミロンガ
15. アームストロング: ライフ・フォー・レント
16. アーレン: 虹のかなたへ
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