2020年11月16日月曜日

メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調作品52「賛歌」(S: バーバラ・ボニー、エディス・ウィーンズ、T: ペーター・シュライアー他、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)

メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の冒頭の主題を聞いて、どこかで聞いたことのあるメロディーだと感じた。校歌か軍歌の類、あるいは昔の放送番組の主題歌か何かではないかと思いめぐらしたが、出てこない。いろいろ検索していくうち、滝廉太郎の「箱根八里」であることが判明した。これは偶然であろうか?

ところがもう一曲、やはり滝廉太郎の有名な「荒城の月」が、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」の第1楽章冒頭によく似ているというのである。あらためて聞いてみると、確かにそうだ。これはもう何らかの関係があるの見て良いのではないか?滝廉太郎と言えば、「春のうららの隅田川」で始まる「花」など、我が国の童謡や歌曲を数多く作曲した人だが、若干23歳で若すぎる死を迎えた。そのメロディーの美しさは「日本のシューベルト」などと例えられる明治時代の作曲家である。

メンデルスゾーンが滝廉太郎の音楽に影響を与えたのは事実だろうか?そう考えながら、滝廉太郎の生涯を読んでいたら、何と彼は明治34年(1901年)、22歳の頃にヨーロッパに渡り、ベルリンを経て何とライプツィヒ音楽院に入学しているのである。ライプツィヒ音楽院はメンデルスゾーンが設立した音楽院である。その前に滝はクリスチャンとして洗礼を受けている。

ところが「荒城の月」や「箱根八里」が作曲されたのは、渡欧する直前の1900年のことである。従って滝は、日本にいる頃にメンデルスゾーンの楽譜に出会い、その音楽を模してこれらの歌曲を作曲したと想像することができる。そしてメンデルスゾーンを滝は慕い、わざわざライプツィヒに向かったのだろうか。しかし彼の肺を蝕む結核にかかるのは、入学後わずか5か月のことだった。

メンデルスゾーンはユダヤ人の家系に生まれたが、キリスト曲に改宗し、数多くの宗教的作品を残している。バッハの大曲「マタイ受難曲」を蘇演したことはメンデルスゾーン最大の功績とされている。そのメンデルスゾーンの交響曲第2番は、まるでカンタータのような作品である。第1楽章から第3楽章までの管弦楽のみの部分を第1部とし、後半の9つのパートから成る第2部には、合唱と独唱、それにオルガンも加わる「賛歌」となる。この作品はベートーヴェンの「第九」のように、交響曲に合唱を取り入れた作品となった。メンデルスゾーンの他の交響曲作品とは、やや趣を異にしている。

その冒頭の主題は、第2部の冒頭でも繰り返される。だが「この歌ではない」とあえて否定したベートーヴェンの、いわばキリストを越えたところにある神とは違って、メンデルスゾーンの神は、まさしくキリストの神である。カンタータ風の音楽は、神を賛美し主を讃える。メンデルスゾーン独特の楽天的な推進力と、ちょっと間の抜けた主題がこの音楽の特徴だと思う。

メンデルゾーンには「エリア」のような大作があるので、この曲については何かを語るのが難しい。主題の動機をいろいろな変奏に仕立て上げ、重ね、分解し、そのようにして音楽を構成してゆく様は、この曲でも明らかだが、その主題がちょっとイージーな印象を残すのは私だけの感想だろうか。だがそのことを省けば、全編に流れる幸福な音楽は、紛れもなくメンデルゾーンである。

メンデルゾーンと言えばマズア、マズアと言えばメンデルゾーンというくらいにメンデルスゾーンを愛し、その音楽を一生の間演奏し続けたクルト・マズアは、長年に亘ってメンデルスゾーンゆかりのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めた。日本人の妻を持つこともあってか頻繁に我が国を訪れ、日本のオーケストラも指揮している。私はゲヴァントハウス管弦楽団とともに大阪で開いた80年代のベートーヴェン・チクルスを始め、何度も実演を聞いている。特にニューヨーク滞在中は、冷戦後に音楽監督を務めたニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会に、何度も足を運んだ。

自然体でありながら推進力があり、豊穣なメロディーを、まるで暖かい色の絨毯のような弦楽アンサンブルが奏でる響きが魅力的である。この傾向は、まさにメンデルスゾーンの特長そのものである。数あるメンデルスゾーンの演奏の中で、この交響曲第2番の演奏もまた、手慣れた様子で突き進む魅力的な演奏である。他の演奏で聞くとぎこちない部分が、マズアの手にかかると全く見えないばかりか、必然的なものに聞こえてくるのが不思議である。ドイツ的というのではなく、むしろモダン。マズアは目立たない指揮者だったが、実演で聞くとほぼ外れることがない指揮者でもあった。

長年ドイツで活躍しながら、ドイツ的な重厚さには乏しく、自然過ぎてあまり感動的でもない演奏をすると思われていたマズアが、何とメータの後任になってニューヨークへ赴いた時は少々驚いた。当時、ボストンには小澤征爾、フィラデルフィアにはサヴァリッシュがいた。三人に共通するのは、実に精力的に演奏会をこなし、速いテンポでオーケストラをドライブする技巧的な手さばきである。そしてこの3人に共通するのが、メンデルスゾーンを得意とし、名演奏を残していることである。

そのマズアのメンデルスゾーンとして交響曲第2番「賛歌」に登場してもらった。マズアのよるメンデルスゾーンの演奏は、一貫してイン・テンポにより集中力を絶やすことがない。この結果、第1部冒頭の間延びした主題やその変奏も、それなりに音楽的。続く第2楽章は、丸で舞曲のような明るさで、この曲が宗教曲であることを忘れてしまいそうになる。第3楽章も緩徐楽章とはなっているが、伸びやかなセレナーデである。

この曲のマズアによる演奏では、楽章間に切れ目がない。再び第1曲の「箱根八里」が聞こえてくると、そこからが第2部(後半)である。後半は合唱と独唱を伴うが、まずこのメロディーを合唱が歌う。「箱根八里」は箱根登山鉄道の発車メロディーに使われているらしいが、どことなくこれから遠足に行くような気分にさせられる。

マズアの演奏は、ライプツィヒ放送合唱団と三人の独唱(ソプラノがバーバラ・ボニー、エディス・ウィーンズ、テノールがペーター・シュライアー)がいずれも素晴らしく、オルガンを含めた録音もバランスよく秀逸である。全部で9曲ある後半は、ルターが完成させた旧約聖書からの文言が歌詞として用いられているという。合唱が独唱と絡んで高らかに神を讃える部分や、丸でオペラを思わせるような部分、それにフーガなど様々な音楽的要素があるし、メロディーは親しみやすいのだが、どこかインパクトが少ないのも事実で、その辺りがこの曲の限界といったところ。終曲に至って再び、この曲を通したモチーフが現れて終わる。

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