2022年7月19日火曜日

ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調作品21(P:クリスティアン・ツィメルマン、ポーランド祝祭管弦楽団)

例年になく早い梅雨明けに、もう夏が来て相当時間が経ったと思っていたら、まだ7月中旬である。ところが不思議なことに、そのあとに曇りがちの気温の低い日々が続いて、ここ数日は日本列島が大雨に見舞われている。かつてはハッキリとしていた梅雨明けも、ここのところは随分怪しい。おそらく日本中が温帯から亜熱帯性気候へと移り変わっているのだろう。これからは雨季(6月から9月)と乾季(それ以外)といういい方の方が相応しいのかも知れない。

そんな蒸し暑い日々を過ごしながら、ショパンのピアノ協奏曲を聞いている。第1番の方はすでに書いたので、残るは第2番ということになる。ショパンの2つあるピアノ協奏曲のうちで、先に作曲されたのが第2番へ短調である(1830年)。音楽メディアがLPからCDに移行してから、ショパンのピアノ協奏曲は1枚のCDで発売されることが多くなった。ここで紹介するクリスティアン・ツィメルマンのポーランド祝祭管弦楽団を弾き振りした演奏もそうである(と書きたいところだったが、実は2枚組である。演奏時間が長く1枚に収まり切らなかったようだ。一方、ジュリーニと共演した旧盤は2つのLPを1枚にまとめている)。

第2番は第1番に比べて地味で、人気がないとされている。圧倒的に多く演奏されるのは第1番の方で、ショパン・コンクールの最終選考でも第1番を取り上げるピアニストがほとんどである。だが、私の聞く印象では、第1番が優れているように感じるのは第1楽章だけで、それ以外は甲乙つけがたい。第2楽章などはもしかしたら第2番の方がいい曲だと思うこともある。メロディーの親しみやすさ、あるいは華やかさという点において第1番が勝っているように思うが、演奏される頻度の差ほどに第2番がつまらない作品ではないと思う。

その第1楽章は、焦燥感のあふれる主題で始まる。オーケストラだけの長い序奏に続いていよいよピアノの出番となる。これは第1番でも同じなのだが、主題のメロディーが甘く切ないだけの第1番に比べると、焦り、もがき苦しんでいるショパンの心情が色濃く反映されている。この曲の、それがむしろ魅力であるとも言える。第1番が、もう少し時間が経って過去を客観的に振り替えることができた時の余裕を感じるのに対して、この第2番はもっと真剣に悩んでいる。とりとめもなく物思いにふけったかと思うと、そわそわとして心がかき乱される。演奏しにくい曲だろうと思うが、それはこの曲の輪郭がつかみにくいからで、それはそもそもそういう作品だからである。

若きショパンの心情が一層わかるのは第2楽章である。このラルゲットはショパンの書いたピアノ作品の中でも屈指の名曲ではないかと思う。初恋の相手は、ワルシャワ音楽院の声楽家の歌手だったらしいが、一度も口を利くことなく片思いを続けたショパンが、その思いをぶつけたのがこの曲である。

最初のピアノの音が聞こえてきたときから、まるで時が止まったかのような錯覚に見舞われる。恋愛映画の一コマにそのまま使えるような曲である。何とも切なく、そして壊れやすい心情の吐露を、やっと理解できるようになったのは中年以降であります。やはりこのような若き青年の心理をそのまま表現した音楽は、女性には理解しがたい部分があるのではないかと勝手に想像するだけのゆとりが生まれてから、ということになるわけです。だから、この曲が第1番に比べて一般受けしにくいのは、そのような心情がストレートに反映しすぎているからではないだろうか、などと考えたのです。

ショパンの片思いは結局、告白をすることなく終わり、かれは祖国を離れるが、私は第3楽章のロンドにショパンの空想の告白を見つけている。第3楽章のメロディーは軽やかで、マズルカを始めとするポーランドの民謡風のリズムも散りばめられているが、ひとしきりこのような楽し気な、しかし十分翳りも帯びて決して楽天的にはなれない前半が過ぎ去ると、ホルンの短いソロが聞こえてくる。これに応えるのはより小さい声(やはりホルン)である。

これこそがショパンが夢に見た「告白」のシーンではないだろうか?この部分を境に、音楽は一気に明るく華やかになり、舞い踊るようなコーダへと突き進む。だがやがてこれは戯言であったと気付く。音楽はその酔いから醒めるように、大人しく終わる。

このような想像をすることができたのは、ポーランド生まれでショパンコンクールでも優勝したクリスティアン・ツィメルマンによる2回目の録音を聞いた時だった。ここで彼は自らが組織した、この曲のためのオーケストラ(ポーランド祝祭管弦楽団)を弾き振りしている。彼はこのオーケストラと世界中で演奏を行い、ドイツ・グラモフォンに録音した。その演奏は、それまで聞いたことのないよううな驚きの連続だった。特に第1番では、貧弱と言われてきた管弦楽のパートにこれ以上ない精神力を注ぎ込み、異様なまでの集中力である。そのあまりに極端で自由な表現は、この2つの曲を1枚のCDに収めることさえ不可能にした。

ツィメルマンは自分が理想とする演奏に仕上げるには、オーケストラを自主的に組織するしかなかったと語っているが、彼の最初の録音は、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンジェルス管弦楽団との競演でなされている。この録音は決して悪くはなく、私もポーランド祝祭盤が出るまでは、この曲の最右翼だと思っていた。しかし彼は、この演奏にも満足しなかったのだろう。

結果的にショパンのピアノ協奏曲の魅力を最大限に引き出したこの演奏は、今ではこの曲のスタンダードな名演となって不動の地位を築いている。第2番においても、第1番ほどではないにせよ、それまでには知られてこなかった細かい部分の表現にまで神経を行き届かせ、新たな魅力を伝えてくれる。あまり頻繁に聞くことがない曲ではあるが、私にとっての第2番コンチェルトの定盤となっている。

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