その歴史的名演奏は、いまもってトスカニーニが指揮したNBC交響楽団の演奏にとどめを刺すが、モノラル録音であることを考えるとちょっと物足りない。最新のAI技術により、モノクロ写真がカラー化できるように、モノラル録音がステレオ化されるようなことはないのだろうか?そうなればこの演奏は聞いてみたい気がしている。
第1部「ボルゲーゼ荘の松」は、まるで荒れ狂ったような乱痴気の音楽だと思ったが、これは子供たちが松の木の下で軍隊ごっこをして遊んでいる様子だという。ホルンやフルートを始めとした管楽器の鋭い旋律に乗って、弦楽器や打楽器が甲高い音を立てる。だがやけに速いだけの上ずった演奏よりは、リズムを刻む冷静な演奏が、結局はいいようである。
第2部「カタコンバ付近の松」はレント。急に静かになると、祈りの音楽が聞こえてくる。奇妙な対照。途中からトランペットの旋律が入り、そのまま弦楽器に乗って厳かに大きく鳴り響く。6分と長い。
ピアノが聞こえてくると第3部「ジャニコロの松」である。深夜、月明かりに照らされてそよ風に揺れている。クラリネットが、フルートが、ハープが幻想的なムードを醸し出す。そしてやがて夜泣き鶯が最弱音のオーケストラに乗って鳴き出す。夜明け前の薄明かりに照らされて幽玄の世界が見事に表現されている、この曲の聞きどころのひとつである。ここも約6分。
とうとう最後の第4部「アッピア街道の松」に入った。最初はまだ夜明けの時刻。オーケストラはオーボエの独奏が聞こえるくらいである。しかし暫くして太陽が昇り始めると、音量はみるみるうちに上がってゆき、そこへ軍隊が行進してくると勇壮なバンダを加えて会場が壊れるのではないかとさえ思われるようなボリュームになってゆく。その間3分にも満たない。会場の前後左右から、オルガンまでもが混じってクレッシェンドを築く。この立体的な様子は、やはり録音機で捉えることができない。ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)の終結部と同様、実演で聞くしかなく、音楽が終わると少しの間難聴になっているような感じもする。
レスピーギは自らフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏したようだ。「ローマの松」はフィラデルフィア・サウンドの十八番とでも言うべき存在である。かつてはユージン・オーマンディがこの曲を指揮して名声を博したが、その演奏もいまもって素晴らしい。が、ここではムーティを取り上げることにしたのは、私がこの曲のCDを初めて買った時の演奏がムーティのものだったからである。当初録音に難があったと思ったが、今ではリマスターされこの問題は緩和されている。
本当に久しぶりにこの演奏を聞いてみたところ、外面的な効果にとらわれず、非常に音楽的であることを改めて発見した。全体の構成を良く把握しており、20分程度のひとつの交響詩としての構成感が明確である。
ところで「すべての道はローマに通ず」という言い方があるが、アッピア街道というのも数あるローマ街道の一つである。私はイタリアを何度か旅行したことがあり、イタリア語も少しかじったが、いまだこの街道を歩いたことはない。できればいつか、わずかの区間だけでも歩いてみたい気がする。思えばまだ旅行していない地域や国は数多い。
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