2022年7月22日金曜日

レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

街そのものが博物館と言ってもいいイタリアの首都ローマ。ここへは二度行ったことがある。一度目は1987年夏のことであり、2度目は1994年冬のことだった。どちらも天候に恵まれ、快晴だった。冬の寒さはさほどでもなかったが、夏の暑さは堪えた。当時まだ冷房も冷蔵庫も豊富には普及していなかったヨーロッパでは、特に日中の陽射しを避けるしかなく、よほどの店でもない限り、冷たい飲み物は手に入らなかった(手には入るが、値段が跳ね上がった)。それでも学生の私は、たった2日しかないローマの休日を大いに楽しもうと、朝から夜まで歩き回った。

ローマ市内の至る所に噴水があった。どの噴水も芸術的に装飾が施された彫刻と一体である。広場という広場には、そういう噴水が1つはあった。彫刻の口や手から、ふんだんに水が溢れている。夏の日差しを浴びて、その水は白く青く輝いている。水不足のヨーロッパでおそらく噴水は、贅沢の象徴だったのだろう。暑い真夏のイタリアで、少しでも涼し気な場所は、広場の噴水であった。

「トレヴィの泉」と聞くと、大阪育ちの私は阪急三番街を思い出すのだが、もちろん本物はローマにある。数えきれないローマ市内の噴水の中でも、ひときわ大きく豪華で有名なこの泉は、宮殿の一部を構成している。その前に多くの観光客が座って、長時間眺めていたりするのだが、そのスペースはさほど広くはない。その噴水に向かってコインを後ろ向きに投げ入れる。再びローマに来ることができますように、と。

レスピーギの「ローマ三部作」のひとつ「ローマの噴水」は、3つの交響詩の中でも最初に作曲された(1916年)。ローマ市内にある4つの噴水を描写している。それは時間の経過とともに、「夜明けのジュリアの谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「真昼のトレヴィの泉」「黄昏のメディチ荘の噴水」と切れ目なく続く。クライマックスは「トレヴィの泉」だが、それ以外の部分は静かで、派手な残りの2つの交響詩と比較して地味である。

第1部「夜明けのジュリアの谷の噴水」は、朝もやのなかに牧歌的な雰囲気が表現されていて印象的である。家畜が通って行ったりする。一方、どこか日本風のファンファーレのような(と私はいつも思うのだが)が聞こえてくると第2部「朝のトリトンの噴水」に入る。何かドビュッシーを思わせるようなメロディー。朝の陽射しがキラキラと輝く。ホルンに合わせて神々が踊る。

Fontana di Trevi(1987)
第3部「真昼のトレヴィの泉」は、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」を思い出してしまう。レスピーギはリムスキー=コルサコフから作曲の指導を受けているが、あらゆるものを壮大に管弦楽によって表現してしまうのは、リヒャルト・シュトラウスにも通じるようなところがあるように思う。

音楽が再び静かになっていく。黄昏時を迎えたローマには西日が差し、暑かった一日もようやくしのげるようになった。第4部「黄昏のメディチ荘の噴水」というのを私は見たことはないのだが、暮れてゆく光景が目に浮かぶようである。

「ローマ三部作」にはトスカニーニによる極め付けの名演を筆頭に、数多くの録音が存在するが、私がこれまでもっとも感心した一枚が、カラヤンによるものである。カラヤンの精緻な表現は、アナログ録音全盛期の高い技術に支えられて、いまでも輝きを失わない。ただカラヤンは「ローマの祭り」を録音しなかった。この通俗的な曲の代わりに、より気品に満ちた愛すべき「リュートのための古風なアリア」が収録されている。

※写真はトレヴィの泉(1987年)

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