バルトークは3つのピアノ協奏曲を作ったが、その最初の第1番は1926年夏に作曲されている。和暦では大正15年のことで、音楽関係ではNHK交響楽団の前身である新交響楽団が設立されている。2つの世界大戦に挟まれた不安定で暗黒のような時代、とこれまで私などは考えてきた。マーラーの死がひとつの音楽史における区切りと考えると、そのあとの時代、すなわちロマン派が終わってラヴェルやストラヴィンスキーの時代に入ってゆくのだが、バルトークもまたそのような時代にハンガリーで活躍した。
バルトークは民族音楽の収集と研究がライフワークであったようだ。彼の作品にその影響が色濃く反映されているという。私は専門家ではないし、ハンガリーの民謡にもまったく無知なので、どれがどうということは言えないが、リズムが千変万化するあのブラームスの「ハンガリー舞曲」や、リストの「ハンガリー狂詩曲」などに親しんでいるから、親しみやすい音楽だと思って聞いてみるのだが、これが一向にそうではなく、むしと難しくてよくわからない、というのが第1印象だった。
バルトーク自身そのことを認めていて、ピアノ協奏曲第1番についても「難点といえば、たぶんオーケストラにとっても、聴き手にとっても、非常に難しいというところでしょう」と述べている。民俗音楽をそのままの体で作品に反映させるだけの時代は終わり、20世紀の音楽としての傾向を踏まえないと、クラシック音楽としての存在感は主張できない。バルトークはそれを実践した。同じハンガリーの同世代コダーイやチェコにおけるヤナーチェクと同様の位置づけと言えるだろうか。
そのバルトークはピアニストでもあった。そして彼の最初のピアノ協奏曲は、バルトークが新古典主義の趣向を強める最初の作品と位置付けられている。とはいえ、私が聞いた印象ではやはり土着的な匂いがする。メロディーもほとんどなく、とらえにく。けれども私にとってストラヴィンスキーが常にそうであるように、ある時演奏次第では、耳にしっくりくるときがあるものだ。
ブーレーズが3人の異なるピアニスト、オーケストラと共演・録音した豪華なCDは私も買っていたが、これはどういうわけかほとんど聞いてこなかった。ブーレーズのCDとしては、ストラヴィンスキーやドビュッシーなど、新たな録音がリリースされるたびに大いに評判を呼び、私も興奮して何枚も買ったのだが、どういうわけか心に響かない。これは演奏が悪いというのではなく、もしかしたら録音によるものなのかも知れない。なぜなら実演で聞いた演奏では、めっぽうヴィヴィッドで躍動的だったからだ。録音ではどういうわけか立体感が失われ、醒めた冷たいものになっている。録音上の演出がそこにあるのではないかと疑っている。
第1楽章はピアニストが思いっきり低いキーを連打し、それに打楽器を主体とするオーケストラが絡むシーンから始まる。ブーレーズによるこの曲のCDではツィメルマンが独奏を担っているが、来日時の公演映像が残っていて、そこではポリーニが見事な競演を繰り広げている。そのポリーニが鍵盤の端っこに指を置いて、指揮の合図を待つシーンが印象に残っている。ブーレーズとポリーニよるライブ映像は、もはや老人とも言える年齢の二人が、このような難曲でもそつなくやってのける円熟の極みに感嘆するが、ここで取り上げるのはバウゼが2009年に録音したCDで、快速の演奏はもはやこの曲が、こなれた「通常の」クラシック音楽として、まるで難しさなどないかのように「普通に」演奏されてしまっている。
ソナタ形式、と言われてもピンとこないが、よく聞くと第1楽章は主題が再現される。リズムに合わせて踊りだしたくなるような曲がノセダの指揮によって洗練されたものになっている。一皮むけたかっこいい演奏だが、これは後から聞くとブーレーズの「完璧に」板についた演奏から続く道の上にいるうなところがある。なるほどブーレースの演奏を再認識するきっかけにも、私の場合、なったのである。
第2楽章では、静かな中に独特の雰囲気が醸し出される。ここでも打楽器がピアノに絡む。いや良く聞いてみると、ここの楽章に弦楽器が登場しない。バルトークの新しい響きが、彼自身のオリジナルかどうかは知らないが、打楽器の活躍によるところが大きいと思う。不協和音と時に乱れる楽器群。それでも太鼓が足取りを刻む。夜の音楽。
バウゼ/ノセダの組み合わせで聞く第3楽章は極めてカッコいい。快速で一気に駆け抜けるノリのいい演奏に、もはや古い演奏に見られる澱みはない。バルトークの音楽の一種の面白さが堪能できる。あっという間の7分弱。それにしてもこの曲が初演された時、指揮者は何とフルトヴェングラーだったらしい。ちょっと想像ができない。
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