2024年6月14日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第761回定期演奏会(2024年6月7日サントリーホール、大植英次指揮)

日フィルの定期会員になった今年のプログラムは、いくつか「目玉の」コンサートがあった。この761回目の定期演奏会もそのひとつで、指揮は秋山和慶となっていた。ところが事前に到着したメールを見てびっくり。指揮が大植英次となってるではないか!私の間違いだったかも知れない、といろいろ検索すると、秋山は骨折して療養を余儀なくさせられ、代わって大植が指揮することになったのだという記載にたどりついた。そのうち一枚のはがきが送られてきて、正式にその経緯がわかった次第。

私は大植の最近の演奏をきいておらず、久しぶりに聞いてみたいと思っていた。5月の神奈川フィルの定期を考えたが、こちらは別の演奏会とかぶってしまい断念。またそのうちに、と思っていたらその日が急に訪れた。これはこれで嬉しい。というわけで、梅雨入りが遅れている暑い東京の人混みをかわしながらサントリーホールへと急ぐ。

プログラムは当初と同じだった。前半にまず、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」で、これをリーアという人が室内オーケストラ用に編曲した版。これが日本初演だという。大植はこの曲を、楽譜を見ながら非常に丁寧に演奏したと思う。舞台のプレイヤーの人数は、もともとのこの曲の大編成から大幅に減らされているが、それでもそこそこの規模である。20世紀の音楽によくあるように、数多くの種類の打楽器が並んでいる。

どうも私はベルクが苦手である。新ウィーン学派の中ではシェーンベルクが最もとっつきやすく、次がウェーベルン。ベルクは「ヴオツェック」「ルル」といった歌劇作品もあって、この3人の中では音楽のジャンルに幅もあり、もしかすると取り上げられる機会は最も多いのではないだろうか。だが私はこれまで、楽しんで聞いた記憶がない。その前衛性(といっても1世紀も前の話だが)をいまだに理解できていないのだろう。

この日のコンサートのもっとも注目に値する曲は、次のリヒャルト・シュトラウスによるホルン協奏曲第2番だったと思う。ホルン協奏曲と言えば、モーツァルトによる素敵な4つの作品だけがとりわけ有名だが、それから100年以上が経って誕生したシュトラウスのものこそ、その最高峰と言っていいだろう。だがこの曲が演奏される機会は非常に少ない。それはおそらく、この曲が極めて難しいことから、ソリストとして弾ききるだけの(しかもライブで)実力を兼ね備えた人があまりいないからではないだろうかと思っている。このたびソリストとして登場したのは、日フィルの首席ホルン奏者の信末碩才という方。このお名前、「のぶすえさきとし」と読むらしい。プロフィールによれば栃木県小山市の出身で、まだ若いが今や我が国を代表するホルン奏者とのことである。

さてホルンの響きの素晴らしさは当然のこととして、まず私が聞き惚れたのはバックを務める大植指揮のオーケストラであった。このシュトラウスの音楽が、何ともビロードのような響きであったのだ。各楽器が絶妙に重なり合い、調和的な残響を残しながら、あのシュトラウスの豊穣な音楽に艶のある一体感を与えている。中欧の響き、というのはこういう音楽なんだろうか、などと考えた。大植は大フィルの音楽監督を務めていた頃に、あのバイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」を指揮して、この音楽祭に登場した最初の日本人となったが、もしかするとワーグナーの響きを体現する指揮ということで注目されたのではないかとさえ思った次第。大植のバイロイトへの出演はこの時限りとなったが、この響きはその表情を創出する術があるように思えてならない。

ホルン協奏曲はまた、シュトラウスの磨きのかかったメロディーがアルプスの自然を思わせる美しいもので、演奏上のミスがなかったわけではないが、それでも良くこのような曲を人前で弾くなと感心させるに十分なものであった。オーケストラの曲、たとえばワーグナーの楽劇などでホルンの超重要なソロが出てくるときは、聴衆としても大いに緊張するのだが、それはごく短いものである。しかしこの曲では、そのようなシーンが延々と続く。20分足らずの間に、3つの楽章があり、オーケストラの中にも2台のホルンがいて掛け合う。必死に弾く、というわけにはいかず、あくまで難なく演奏しているように流麗に、かつ自然に演奏しなければならないのは超絶的であるとさえ言えるだろう。曲が終わって大拍手に見舞われ、幾度となく舞台に呼び戻されたソリストにとって、この日は忘れられない節目となったに違いなく、だからこそ日フィルの好意的な定期会員は、みな拍手を惜しまなかった。

休憩の後、後半のプログラムであるドヴォルジャークの交響曲第7番が始まった。大植の指揮は、このような中欧の音楽に相応しく、丸で今回のプログラムは彼のために編まれたのではないか、とさえ思った。昨今、ドヴォルジャークであれブルックナーであれ、音型のはっきりとした、鮮明で明瞭な演奏が主流になっている。これはイタリア人指揮者がドイツの名門オーケストラに着任して、その傾向を変えたとも言える。アバドやシャイーといった指揮者の演奏するこれらドイツ伝統音楽に、新しい息吹を吹きかけ、新鮮な側面を打ち立てた功績は大きい。ここにいわゆる古楽器奏法が登場し、ビブラートを抑えたすっきり系の演奏が持てはやされるようになった。

だが大植の目指す音楽は、その対極にあるような気がする。強いて言えば、どこか懐かしい響きなのである。かといってドイツ的なずっしりしたものでもなく、ちょっと軽めのアンサンブルを感じる。今回の演奏では、その様子がよくわかった。ドイツのオーケストラにフランス人の指揮者登場したときの演奏のように、ちょっと艶があり、残響が重なる。残響などは聞いているホールに依存するパラメータであると思っていたが、必ずしもそうではないのかも知れない。

今では独特の演奏とも思えるような大植の音楽は、これはこれで大いに楽しく、そして聞きごたえがあったと思う。もともとブラームスの影響が強かったドヴォルジャークの交響曲である。秋山だっからもう少しメリハリがあって、若々しい演奏になっていたかも知れない。これはおそらく指向する音楽が違うのではないかと思った。大植の指揮で、私はかつて一度だけ、ブルックナーを聞いているのだが、ブルックナーだけでなくブラームスやマーラーの曲も聞いてみたい。そんなことを考えた。

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