ミューザ川崎シンフォニーホール、で毎年夏に開催される「フェスタ・サマーミューザ」は今年でもう21年になるそうだ。2005年にこの催しが始まった時、私は闘病中で、その存在すら知らなかった。2018年に初めて出かけ、以後何度か行ったことがある。梅雨明け直後の猛暑の首都圏で、国内オーケストラを中心としたプログラムが連日続くというものだ。川崎駅前の雑踏に気が滅入り、いつもちょっと足を遠ざけてしまうのだが、今年はオープニング・コンサートに「言葉のない指環」(ワーグナー/マゼール編)があって、これに行ってみようと思っていた。
しかし考えることはみな同じようだった。このプログラムは早々に売り切れてしまった。仕方がないから他に面白そうなのはないかと探していくと、私の予定が空いている日に開催されるものとしては、7月27日(日)東京シティ・フィルの演奏会が目に留まった。プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(独奏:小山実稚恵)、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」という名曲プログラム。私は小山実稚恵も指揮者の高関健も聞くのが初めてだから、丁度いいと思った。このお二人は、長年東京で毎年限りない数のコンサートを開いているが、どういうわけか私はまだ未経験ということが決定打となり、2階席(といってもオーケストラ後方)を買い求めた。
そして後から知ったことには、この演奏会も満員御礼、すなわち早々にチケット完売となったのだ。首都圏在住のクラシック音楽ファンは、やはりこのような名曲プログラムが好きである。そして私も夏の音楽祭では、こういうのがまあいいか、と思った。「皇帝」と「巨人」、どちらも大好きな曲である。それにも増してこのような企画が20年以上も続き、しかも盛況なのは嬉しいことである。そこには聴衆を裏切ってこなかった歴史があるのだろう、と思った。毎回オーケストラを変えて、様々な指揮者が様々な曲を披露する。その中には学生のオーケストラもある。料金はリーズナブル。
ミューザ川崎シンフォニーホールというところは、音響自体は悪くないのだが、構造が少し変わっていて螺旋状に縦長の形状をしている。どの席からもちょっと視界が悪い。私の座った2階席からも、各楽団員を真横か後から眺める位置だが、その3割程度はそもそも見えない。もっとも指揮者とピアニストは丸でテレビカメラのように良く見える位置なので、悪くはない。落ち着いた衣装で登場した小山とは別の通路から高関が指揮台へ。熟年の演奏会といった雰囲気で、客層も年齢層がかなり高め。
「皇帝」の冒頭の和音が丁寧に鳴り響いた時、私は「そうだ、この音だ」と思った。ベートーヴェンがロマン派の香りを高めつつ、ピアノという楽器の魅力を最大限に引きだそうとした大コンチェルト。それをたっぷりと、味わう。伴奏パートを担うオーケストラの指揮がピタリとポーズを取る間際に、ピアノが阿吽の呼吸でフォルテを連打する。大規模なソナタ形式もわかりやすいこの曲は、味わいのあるカデンツァ的部分(ベートーヴェンはこの曲に「カデンツァ」は不要と記し、それに合わせるかのように自らが作曲した独奏部分を挿入した)で最高潮に達する。それにしてもシティ・フィルからは紛れもないベートーヴェンの絹のような音色が出てくるのが嬉しい。
その様子は第2楽章にも弾きつがれ、うっとりと耳を傾けているうちに第3楽章へ。静謐な中から徐々に主題を醸し出す第3楽章の入口の絶妙な指揮と独奏が、このような角度から明確にわかる演奏に興奮した。以降、変奏を繰り返しながら悠然と進む「傑作の森」の例えようもない幸福感を、私はこの曲を聞くたびに味わう。演奏がというよりは、これはもう曲の魅力が勝っている。ただその魅力を損なわずに演奏してくれればいい、と思う。今日の演奏は、たとえ少しのミスがあろうとも、それはそれで実演の妙味でさえあるのであって、ライブの醍醐味は決して完璧な演奏であることではない。そういう風にして、長い前半の演目が、大盛況のうちに終わった。期待していたアンコールは、何とショパンの「夜想曲」第2番だった。この有名な曲を私は第1人者の名演で触れる時、そこにはショパン弾き(彼女はショパンコンクールの入賞者でもある)ならではの確たる息遣いと音色が感じられた。好感を持って、私は小山の初めての演奏会を心から楽しんだ。
20分の休憩を経てオーケストラがスケール・アップされ、マーラーの「巨人」が始まった。この演奏は後半になるにつれて良くなっていった。あまりに何度も聞いている局なので、どうしてもその比較になってしまう。例えば第1楽章の主題が出るところはもう少し印象的にならないか、第2楽章のリズムはもう少し跳ねないか、第3楽章の中間部は別世界に焦がれるように...と。しかしこの演奏が、少々違和感を覚えた原因は、もしかすると利用されたスコアによるものかも知れない。プログラムによれば本公園では「ラインホルト・クービックによる2019年校訂版」が日本で初めて使用される、とのことである。スコア研究の第1人者たる高関のこだわりを感じるが、ではそれがどういう違いがあるのかと追えば、それはよくわからない。冒頭のバンダなどでしょっと聞き苦しいミスもあったシティ・フィルだったが、オーボエやホルン(終楽章では起立した)の熱演もあり、最後は大団円となった。若い団員が多い同オーケストラを聞くのは、私が東京で音楽を聞き始めてから30年以上がたつにもかかわらず2回目である。魅力的なプログラムが安価に聞けるなら、もう少し足を運んでもいいと思った。
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