2025年10月15日水曜日

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団、1990年)

今年は10月に入って、ようやく長い夏が終わりそうである。秋の夜長に音楽をゆっくり楽しむ期間は、年々短くなっている。しかし今年は、いよいよSpotifyがロスレス配信を開始したことにより、私のオーディオ環境に変化が生じた。WiiMという新しいネットワークオーディオ機器を購入し、昨年新調したスピーカー(YAMAHA NS-F700)に接続したところ、見違えるような音質になったのである。これまで聞いていた音楽とは、明らかに異なる臨場感。まるでそこに舞台があるような音場空間が、とうとう我が家にも誕生したのだ。

そういうわけで、ここはかねてから書く気でいたチャイコフスキーの交響曲第5番を、家族のいない静かな夜に聞いている。演奏はロシアの偉大な巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが指揮するソビエト国立交響楽団である。スヴェトラーノフが指揮したこの曲の演奏には何種類かあるが、私がいま聞いているのは1990年に東京で行われた全曲演奏会のライブ録音。その3年後にスタジオ録音された盤もあって、それも有名だが、この録音には終演後の盛大な拍手も収録されている。

チャイコフスキーの作曲した交響曲の中で、私はこの第5番がもっとも親しみやすく、かつ完成度が高い作品だと思う。世界中の多くの指揮者とオーケストラが競うようにして演奏し、それは今でもそうであることから、この曲の人気の底堅さがわかる。実際、誰が演奏してもいい作品だと感じることができる。いわば「名曲の条件」を満たした曲である。だが、その中でもひときわ高くそびえているのが、スヴェトラーノフの演奏である。

第1楽章は、その後全編にわたって響く主題「運命の動機」が、クラリネットによって厳かに奏でられるところから始まる。序奏であるこの部分は、これから始まる長い曲に相応しく、たっぶりと抒情的であることが好ましい。一気にロシア世界に入り込むような主題は、その序奏に続き提示されるが、たちまち快活なアレグロに移行してゆく。弦楽器が広い平原を飛行するかのように、歌うような3拍子を奏するのが魅力的である。

ロマンチックな第2楽章は、チャイコフスキーが作曲した最も美しい音楽のひとつであろう。陽気な部分と陰鬱な部分が交錯するチャイコフスキーの魅力を湛えているのは、各楽章に共通している。それをいかにバランスよく聞かせるかが鍵である。ノスタルジックでロマンチックなアンダンテ・カンタービレに酔いしれていると、やはりここでも「運命の動機」が顔を出す。

第3楽章はスケルツォではなく、陰影に富んだワルツ。それがこの曲の新鮮なところで、チャイコフスキーの舞踊曲は常に楽しいが、ここでも同様に、まるでバレエを踊るかのようなメロディーである。

「運命の動機」が再現されると、一気にリズムが加速され、凱旋する軍隊のように前に進んでいく。第4楽章は勝利の祭典ある。特にコーダ部分に至っては、行進曲風の力強さで締めくくられ、気分も高揚する。音楽を聞く楽しみを、通俗的に味わわせてくれる。

数ある演奏の中から、この曲にスヴェトラーノフを選んだのには理由がある。それは私がNHK交響楽団でスヴェトラーノフによるこの曲の実演を聞いているからだ。記録によれば、それは1997年9月のこと。ピアニストの中村紘子を迎えたオール・チャイコフスキー・プログラムで、そのシーズンの幕開きを飾る定期公演だった。丸で戦車のように突き進む演奏からは、普段N響ではあまり聞くことのできない野性味が感じられ、それはあの広いNHKホールの隅々にまで浸透していった。

ある人の書いた文章によれば、スヴェトラーノフの練習はロシア語でなされるそうである。いったいどれほどの団員がその言語を解釈するのかわからないが、音楽家には音楽を通して可能なコミュニケーションが、別に存在するのかも知れない。とにかくこの演奏会は、歴史に残る名演だった。私はこの演奏会を含め、都合3回スヴェトラーノフを聞いている。ほとんどがロシアものである。

ライブ収録された1990年の演奏では、スケールの壮大さ、ロシアを彷彿とさせる深い抒情性、そして畳みかける凄まじいまでの大迫力が収録されており、この曲の魅力が詰まっていると言える。

2025年10月14日火曜日

NHK交響楽団第2045回定期公演(2025年10月10日サントリーホール、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)

御年98歳の世界最高齢指揮者が、一か月間も東京に滞在して3つのプログラム(計6回)の演奏会に挑む。それを聞いただけで、これは得難い経験になるのではと思うのが人情と言うものだろう。その演奏の良し悪しがどうのこうのという前に、まず長い移動時間を耐えて日本へ飛来し、何回もの練習をこなし、そして舞台に登場する。若ければ当たり前のこのような営みを、ある程度年を取った人なら驚異的だと思うに違いない。とりわけ私のように持病があると、海外旅行など相当な覚悟が必要なのだから

2025年10月10日、サントリーホールで行われたNHK交響楽団の第2045回定期公演(Bプログラム2日目)に、私は定期会員として出かけた。今回のプログラムは、スウェーデン系米国人ブロムシュテットに相応しくすべて北欧系の曲。まずグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」に始まり、続いてニルセンのフルート協奏曲。後半はシベリウスの交響曲第5番である。ここでフルート独奏は、スイス生まれのセバスティアン・ジャコー。彼は日本での演奏は数多いようだが、私ははじめて聞く。

前半の2曲は編成が小さく、並べられた舞台上の椅子の数も少ない。対向配置されえた第一バイオリンとチェロの間を、オーケストラのメンバーに混じって、ゆっくりと歩行器につかまりながら巨匠が登場すると、会場からはブラボーの掛け声とともに、より大きな拍手に見舞われた。係員に見守られながら自力で指揮台に登り、慎重に専用の椅子に腰掛ける。第一ヴァイオリンの椅子が再び元に戻され、おもむろにチューニングが始まった。

このようにしてグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」が始まった。前奏曲から始まるノルウェーのやや物悲しい風情に満ちている。N響の弦の暖かな音色が自然に響いている。テンポはむしろ速めで、頭脳は明晰であるのか指揮の衰えを感じないのは驚きである。ゆったりと叙情的な中間部も、チェロのソロなど聴きどころの多い曲だが、終曲でコンサートマスターの郷古廉が、印象的なソロを聞かせる。

ところでブロムシュテットのグリーグといえば、私は「ペールギュント」の演奏が、青春の音楽と言っていいぐらいの愛聴盤である。特にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した古い録音は、当時としては珍しい劇音楽としての全曲もので、私は学生時代、それこそ毎日のように聞いていた。このことについては、またあたらめて書こうと思う。

丁寧な「ホルヘアの時代から」が終わり、マエストロは一旦舞台裏へ。間おおかずして、今度はフルーティスト、ジャコーと共に登場。デンマークの作曲家ニルセンの「フルート協奏曲」が始まる。この曲は初めて聞く。ニルセンはグリーグより20年ほど後の作曲家で、シベリウスと同年代。その晩年の作品である。

ここで私は、この曲が非常にめずらしく、バス・トロンボーンが使われ、しかもフルートとの掛け合いをするのがとても新鮮だった。しかもそこにティンパニが加わるのである。オーケストラの中に3つの頂点を結ぶような舞台上のやりとりを、いつもの2階席右寄りより眺める。2楽章構成の短い曲が終わって、ジャコーはアンコールにドビュッシーの「シリンクス」という曲を披露した。

さて記録によれば私は、これまですべてN響でブロムシュテットを計7回聞いている(今回が8回目)。その中には記憶に鮮明なものもあれば、そうでないものもある。とりわけ印象に残っているのは、モーツァルトのハ短調ミサと、シベリウスの交響曲第7番だった。敬虔なキリスト教徒であり、特にストイックな性格からか、厳しい練習が課されるとN響メンバーがインタビューか何かで言っていたのを聞いたことがある。しかるに真面目な日本のオーケストラとの相性は、良かったのだろう。私が東京で初めてN響の定期を聞いた頃には、ずでに名誉指揮者として毎年のように来日していたが、それが40年を経てもなお続いていることは、両者関係が極めて強い信頼関係で結ばれていることの証であろう。

この時のシベリウスの名演奏は、そのままCDにしてもいいと思った。他の指揮者での経験も合わせると、N響とシベリウスの相性はとても合っている、と私は思っている。だからあの飛び立つ白鳥のモチーフにした、明るく伸びやかな交響曲第5番がプログラムに上った時、これは聞いてみたいものだと思った。そしてその時が来た。

澄み切った透明な早朝の湖。私がイメージするこの曲の第1楽章は、そこに一羽の白鳥がまさに飛び立たんとしている光景である。N響の音がややぎこちなく聞こえたが、それはむしろ白鳥が飛行に備えて、試行を繰り返している時の様子にさえ感じられた。後半になると、大空へ舞っていく。

第2楽章は民族的なムードを感じ、この曲の持つまた別の美しさを感じるのだが、それも第3楽章に再び飛来する白鳥の主題への、ちょっとした間奏曲のようでもある。広大な自然の中に、大きく羽ばたいていった白鳥たちの飛行が、間を置かずしてクライマックスを迎え、簡素ながらも壮大なコーダを築くとき、得も言われぬ幸福な感覚が私を襲うのだった。

指揮者は各パートごとに楽団員を立たせ、抱擁と握手を交わす。高齢者にこれ以上の負担を強いるのは、やや酷ではないかと思われるものの、鳴りやまない拍手に応えて舞台に再度現れたマエストロには、盛大な拍手とブラボーが送られた。盛況のうちに無事第1回目のプログラムが終了した。今月はあと2種類のプログラムを指揮する予定であり、それらは広大なNHKホールを連日満席にしているようだ。そして何と、来シーズン(100周年記念)にも来日することが発表されている!御年99歳になっているであろうマエストロは、ブラームスとブルックナーを指揮することが決まっているそうである!

映画:宝島(2025)

映画「国宝」を見た翌日、「宝島」を見た。「宝島」は直木賞作家の真藤順丈による小説が原作だ。私はこの本を出版と同時に読み、その内容に深く感動して自身のブログにも書いたほどだ( https://diaryofjerry.blogspot.com/2019/10/2018.html )...