2026年1月31日土曜日

NHK交響楽団第2056回定期公演(2026年1月30日サントリーホール、トゥガン・ソヒエフ指揮)

ロシアのウクライナ侵攻でフランスのオーケストラの音楽監督を辞任した、北オセチア生まれのトゥガン・ソヒエフは、モスクワのボリショイ劇場の音楽監督の座も投げうってフリーランスとなった。しかし彼の実力は、世界が認めざるを得なかったようだ。その後もベルリン・フィルやウィーン・フィルの公演に呼ばれ、ついに来年(2027年)のニューイヤーコンサートの指揮台に立つことが発表されている。

多忙を極めるソヒエフが毎年のように来日し、毎回1か月もの期間東京に滞在して、3シリーズ計6回の定期公演に登場してくれることは、東京の音楽ファンにとって嬉しいことこの上ない。私も2016年以来、機会あるごとに出かけてきたが、毎回名演である。そして今年もまた、私にとって10回目となるソヒエフの演奏会に出かけることになった。サントリー定期の会員として、今回はオール・ロシア・プログラムが組まれている。

最初の曲はムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」であった。この作品はリムスキー=コルサコフの編曲版がよく知られているが、今回はショスタコーヴィチの編曲によるものだった。もっとも私はほとんど聴いておらず、その違いはよくわからないが、作曲年代から考えてショスタコーヴィチ版の方が規模が大きく、チェレスタなどの楽器が使われるようだ。ソヒエフはこの5分ほどの曲を丁寧に演奏した。早朝のモスクワに居合わせるかのようなムードが漂い、その魔法のような音楽作りに見とれるばかり。

プログラム2曲目は、ピアニストの松田華音(かのん)を迎えての、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番である。私は恥ずかしながら、この曲を聴くのは初めて。しかも松田のピアノも初めてであった。プロフィールによると、松田は高松生まれ。6歳でモスクワに渡り、モスクワ音楽院を首席で卒業したとある(2019年)。今となってはロシアに留学するのは大変なことだろうが、彼女の場合、少し早かったのが良かった。とはいえ、あの寒いロシアに若干6歳から留学するなど、想像の域を超えている。

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は2曲あり、こちらは後の方(1957年)。2つの作品の間に第2次世界大戦があり、ソビエトの社会状況は大きく変わっていることは周知の事実である。1957年頃といえば、中学生の歴史の教科書でも触れられているように、デタント(雪解け)が進んだ頃である。それだからか、このピアノ協奏曲第2番もどこか明るく快活である。

この第2楽章を聴いて、私は少し驚いた。ショスタコーヴィチの音楽といえば無機的な響きを想像するのだが、ここは何とロマンチックな音楽で、ショスタコーヴィチでもこういう曲を書いたのかと思わせるようなものだった。ショパンかドイツ音楽を思わせる。松田は何度も舞台に呼ばれ、当然のことのようにアンコールを弾いた。会場の出口であとで確認したところ、これはシチェドリンの「ユモレスク」という曲だったようだ。

20分の休憩を挟んでの演目は、プロコフィエフの交響曲第5番であった。舞台上に多くの楽器が並び壮観である。プロコフィエフを得意とし、録音も行っているソヒエフの十八番である。いつものように指揮棒を持たず、時折すくい上げるようなジェスチャーで各楽器へ細かい指示を出す。もう少し前の方で見ていたら(それはサントリーホールの場合、P席でもいいかもしれない)、その面白さを堪能できただろう。

ソヒエフの音楽を聴きながら、いつもながら雑味のない、極めてバランスの取れたその音楽をどう表現すればいいのかと考えた。すると卑近な例が思い浮かんだ。先日、近江の有名な酒蔵を訪れた時に買った純米大吟醸の日本酒が思い出されたのだ。ソヒエフの音楽は決して大音量を出すわけではない。私はカラヤンの音楽を聴いたことはないのだが、もしかすると、その絶妙なバランスは天性のものかもしれない。しかし各楽器は抑制された息苦しいものではなく、むしろ陽気に解き放たれ、奏者は自信を持って弾いているように感じる。

第1楽章の冒頭から終楽章のコーダに至るまで、ソヒエフの解釈は揺るぎなく、完璧であった。N響はいつも思うのだが、プロコフィエフが大変似合う。そしてソヒエフの魔法にかかると、いっそう輝きを増す。弦楽器奏者が椅子から立ち上がらんばかりに体を揺らし、管楽器が掛け合う。その合間に響く打楽器、ピアノ、ハープ。実演ではやはり終楽章のアレグロが手に汗握る様相を呈した。いつもの醒めたものとは違い、間髪を入れず沸き起こる拍手とブラボー。そうか、N響のサントリー定期でもこれほどの熱狂があるのかと思った。

ソヒエフのN響との次回の共演は、早くも今年11月に開催されるようだ。しかも3つのプログラムはいずれも魅力的で、私はすべてのコンサートに足を運ぶことも検討している。Aプログラムのプロコフィエフ(ヴァイオリン:神尾真由子)とショスタコーヴィチ(交響曲第8番)、Bプログラムのラフマニノフ(ピアノ:カントロフ)とチャイコフスキー(「くるみ割り人形」)、そしてCプログラムのベートーヴェン・チクルスの一部(交響曲第2番と「田園」)である。

2026年1月17日土曜日

チャイコフスキー:マンフレッド交響曲(ウラディーミル・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

 お正月といえば、とかく午前中である。元旦とは元日の朝のことを言うし、初日の出を見ると一年の始まりにふさわしい気持ちになるものだ。お正月の朝は、新鮮な気分にさせてくれる。だが、お正月の夕方も良い。特に、日の暮れる直前の、冬の雲がところどころ色を変え、やや紫がかった空に漂っているかと思うと、夕日が当たって色がさまざまに変化するのを眺めているうちに、時間のたつのも忘れて見入ってしまう。日の短い1月のことだ。午後4時頃ともなると、そういう時間になる。外はひっそりとし、静まりかえっている。

恒例のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートまで、まだしばらく時間もある。そこで、晴天続きの今年の元日は、ほろ酔い気分で散歩に出かけた。耳にはチャイコフスキー。今日はマンフレッド交響曲を聞いている。チャイコフスキーには、番号の付いた6曲の交響曲のほかに、「マンフレッド交響曲」という作品があって、これはストーリーを元に作られた標題交響曲である。ベートーヴェンの「田園」がその起源だと習ったが、その後ベルリオーズの「幻想交響曲」で大きく飛躍した。リストはあの大きな「ファウスト交響曲」を、シベリウスは「クレルヴォ交響曲」を、リヒャルト・シュトラウスは「アルプス交響曲」を書いている。

チャイコフスキーにバイロンの劇詩「マンフレッド」を元にした交響曲作曲の依頼が舞い込んだのは、依頼主のバラキレフがベルリオーズに高齢を理由に作曲を断られたからである。私はここで、ベルリオーズがチャイコフスキーと重なる年代を生きていたことに、改めて思いを馳せるのだが、チャイコフスキーはこの仕事を受諾し、時間はかかったが見事な一時間余りの曲を作った。ちょうど交響曲第4番と第5番の間のことである。

私は長年この作品に接することがなかった。しかし、今ではチャイコフスキーが作曲した7曲の交響曲の中で、最も気に入っている。かつては少なかった演奏の頻度も、最近は増えているように思える。作品の魅力に気づく人が多くなってきたのだろうか。今、私が聞いているウラディーミル・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルによる演奏は、2006年にリリースされたライブ録音(2004年)である。思うにチャイコフスキーには、このような物語付きの曲が親しみやすく、よく似合うと思う。語弊があるかも知れないが、通俗的な名曲にこそ、チャイコフスキーらしい抒情性がストレートに、遺憾なく発揮されているように思う。

その素晴らしい抒情性は第1楽章から全開である。陰影に富んだ出だしは、どこか歌劇の前奏曲のようである。「アルプスの山中を彷徨うマンフレッド」。そもそもバイロンの「マンフレッド」なる物語の内容を知らないままこの曲を聞いてきたのだが、ここがアルプスを彷徨うシーンだとは知らなかった。恋人を死に至らしめたことを苦しんでいるということだが、私にはやはりロシアの大地の香りがしている。そして勝手に、その荒涼とした大地を想像している。後半ではハープの音も交じって少し色がつくと、いっそう悲しさも倍増されるような気がする。そして緊迫感に満ちたコーダになだれ込む。この第1楽章は、チャイコフスキー渾身の力が込められている楽章である。

第2楽章は「アルプスの妖精」。小刻みなフルートが、妖精の飛び交う様子を音楽にしている。やがてとてもロマンチックな主題が流れてきて、明るく楽しげな様子に、聞いている方も嬉しくなる。まるでバレエ音楽のように気さくに聞けるところがいい、かわいらしい曲である。

さて、第3楽章冒頭もまた、苦しいほどのなつかしさを感じさせる曲である。「山人の生活」と題されたこの部分は、穏やかな中に明るさも感じさせ、そうかと思うと軽やかな3拍子に乗って牧歌的な歌声も聞こえてくる。民謡風と言ってもいいのではないかと思うほど親しみやすいこの楽章まで聞いてくると、これは原作が抽象的で難しいことで損をしているだけではないか、と思えてくる。それにしても晴れた冬の空に、これほど似合う曲はないのである。

ユロフスキの演奏は非常な名演だが、ライブ録音である。楽章間には観客の音が収録されている。そして満を持して最も長い第4楽章「アリマーナの地下宮殿」が始まる。速くやや支離滅裂なこの楽章の出だしだけを聞くと、とても退屈でただうるさいだけの曲に聞こえてくるかも知れない。だから最初から、できるだけ見通しのよい演奏で聞かなければならない。突進する最初の部分も終わって、苦悩と激情に見舞われた部分でさえ、いっとき舞曲風になりどこか明るく、「悲愴」のような救い難い気持ちにはならない。どこかオペラの終幕風でもある。

この終楽章を特徴づけるのは、何とオルガンも登場する長大なコーダである。初めて聞いた時、いきなりオルガンの音が聞こえてきて、私は一体何事が起こったのかと思った。荘厳にしてレクイエム風の音楽は、マンフレッドの苦悩を解放し、静かに幕を閉じる。長い沈黙のあと拍手が沸き起こる。このユロフスキ盤マンフレッド交響曲は、この作品の演奏の中でもひときわ注目すべき演奏である。

2026年1月1日木曜日

謹賀新年

 
2026年の年頭に当たり、新年のご挨拶を申し上げます。

ますます混迷する世界情勢において、いまだ戦争がなくならず、生活格差が拡大するなど、憂慮すべき事態が絶えません。暮らしにくくなる日常で、少しでも平和で落ち着いた方向に向かうことを祈念しながら、今年も音楽に耳を傾けたいと思っています。

令和8年元旦

NHK交響楽団第2057回定期公演(2026年2月8日/NHKホール、フィリップ・ジョルダン指揮)

今回のN響定期は、少し変わったプログラムだった。前半がシューマンの交響曲第3番「ライン」、後半がワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から「ジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」の3曲(ソプラノ独唱:タマラ・ウィルソン)。同時代のドイツ人...