2026年4月16日木曜日

ハイドン:オラトリオ「四季」(2026年4月12日東京文化会館、イアン・ペイジ指揮)

春というよりは、もう初夏の陽気である。まだ桜も散りきっていないからか、上野公園には大勢の人が訪れている。この季節、すっかり恒例となった「東京・春・音楽祭」は、今年も数多くの意欲的なコンサートを企画し、どの公演に出かけようかと東京のクラシック音楽ファンを悩ませている。西洋では復活祭の期間にあたり、来日する団体やソリストの融通がつきやすいのだろう。欧米に比べ、日本はすでに春本番を迎え、暖かく過ごしやすいということもあろう。

そういうわけで今年も「グレの歌」やいくつかのオペラなど、大型公演が目白押しである。その中でも私がもっとも注目し、発売日を待ってチケットを買ったのは、ハイドンのオラトリオ「四季」の演奏会だった。この音楽祭は合唱作品を取り上げるのが好例だが、今回はその「合唱の芸術シリーズ」の第14回目とのことである。とうとう大好きな「四季」が実演で聴ける。私は長年、この曲の実演に出会えることを心待ちにしていた。

そもそもこのブログを書くきっかけとなったのは、あの膨大な数に上るハイドンの交響曲をすべて聴き、その感想などをメモしておきたいという衝動にかられたからだ。書き進むにつれて、他の作品や演奏会の記録も残しておきたくなり、それは主要な作曲家の主要な管弦楽作品とオペラを次第に網羅するだけの量になっていった。10年以上が経過して、書いた記事は1000件を超えるまでになった。ハイドンの管弦楽を含む作品についていえば、2つのオラトリオ、すなわち「天地創造」と「四季」が避けて通れない作品である。この2曲は、実際ハイドンの数あるオラトリオの中でも双璧を成すとされ、片や旧約聖書の創成期を題材とした宗教的色彩の濃い作品、片や農民の労働生活を生き生きと描く世俗的色彩を持つ作品である。どちらがいいというものではなく、この両曲はハイドンのオラトリオの最高峰と言っていいだろう。

共通しているのは神への賛歌である。まるで情景が目に浮かぶような歌詞に合わせて、具体的な動物の鳴き声や気象の様子が音楽によって巧みに描写される。古典派の骨格を維持しながら、まるで標題音楽のようにそれらが出没する様子は、対訳を追いながら聴くとより鮮明に想像力が掻き立てられ、アリアや合唱との融合を繰り返しながら、壮大な絵巻物を見るような錯覚にとらわれてゆく。演奏を超えて、曲の素晴らしさにこそ感銘を受ける。おそらく若きベートーヴェンもこの曲を聴き、あの「田園交響曲」を着想したのではないか。

特に「四季」は、我が国でなじみやすい作品であるといえる。なぜなら中緯度に位置する日本は、春夏秋冬の区別がはっきりしており、季節感に対する感覚は世界のどの国よりも繊細であると思う。ひとこと「雨」といっても何十種類もの表現を使い分ける俳句の季語を持ち出すまでもなく、今でも天気予報はまず季節の話題から始まり、手紙の冒頭には季節表現を用いることになっている。四季に対する鋭敏な感覚を持ち合わせている日本人には、この作品ほどなじみ深く、また共感を覚える作品はない、とさえ思う。

にもかかわらず、「四季」が公演のプログラムに上ることはほとんどなかった。私はここ10年以上、この作品の実演を探してきたが、取り上げる団体は皆無に等しい状況だった。「天地創造」なら数年に1回は上演されていることを思うと、ちょっと理解しにくい。CDなどのメディアには「四季」の録音は数多くある。だから、今回の機会を逃すと、もう一生この音楽を実演で聴くことはできないのではないか、と思った次第である。

指揮者は当初予定されていたアイヴァー・ボルトンから、本邦初登場のイギリス人イアン・ペイジに変更された。そのことが関係していたのか定かではないが、チケットの発売日も延期され、私はその都度、カレンダーの印を変更する必要があった。だが、チケットは最後まで売れ残り、当日券も沢山用意された。会場に来た実感では、4割程度の入場者数だろうか。このような状況は見たことがない。しかも日曜日のマチネである。出演者に気の毒なくらいに、この作品の知名度は低いのだろうか。けれども、3人のソリストに加え、定評ある東京オペラシンガーズの合唱、東京都交響楽団による演奏とくれば、そこそこの演奏が期待できる。

そのソリストでひときわ安定した響きを会場に轟かせたのは、やはりバスのタレク・ナズミだった。冒頭から威厳があって、しかも明るく光彩を放つような低音は、聴いていてほれぼれとするほどだ。だが、テノールのマウロ・ペーターも悪くない。彼は真摯に歌詞に向かい、低音であっても決して低俗になることはなく、高貴で力強い神への賛歌を歌う。

その2人の男声に挟まれたのが、唯一の女声パートを歌うクリスティーナ・ランツハーマーだった。彼女は次第に調子を取り戻し、最終的には及第点の出来栄えだったと思う。合唱団はやや硬いという印象を持ったが、それも後半には解消し、特にクライマックスを築く「秋」の後半は、オーケストラの迫力と相まって深い感銘を残した。

オーケストラ中央には通奏低音を担うチェンバロとチェロの奏者が陣取り、ここはバロックの風合いを残す。合唱も時にフーガを奏でる。ペイジという指揮者は、ピリオド奏法の音楽団体を主宰し、主にモーツァルトの音楽で定評があるようだが、ここで聴いた演奏は特にビブラートを押さえたという感じはしなかった。むしろオーソドックスなモダン楽器の演奏スタイルだったことが意外だったというべきか。

そのようにオーケストラと合唱の硬さは、いささか精彩を欠いた感は否めない。しかし都響の、特に管楽器からは朗々と歌うメロディーが聞こえてくるし、「秋」における4台のホルンの重奏などは見事に決まった。イギリス人による「四季」の名演奏は、何といってもBBC響を指揮したコリン・デイヴィスだと思っているが、この録音は英語による歌唱である。デイヴィスの骨格ある質実剛健とも言うべき指揮は、この曲の魅力を伝えてやまないが、今回の演奏はそれに比べると、やや輪郭がぼけていた。それも初登場、かつ1度限りの演奏会の宿命だったのかもしれない。

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