2025年9月1日月曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(The MET Line in HD Series 2024-2025)

こう言うとオペラ好きの人から笑われそうだが、私はベートーヴェンの「フィデリオ」が大好きである。これまでに実演で2回、CDで4種類、DVDで2種類は見聞きしているだろう。その「フィデリオ」がMET Liveに登場するのは初めてである。待ちに待った感がある。もっとも日本での公開は5月頃だった。私が見るのは、夏休みに上演されるリバイバルになってしまった。忙しくて行けなかったからである。なお、ニューヨークでの公演(収録日)は、本年3月15日となっている。

「フィデリオ」の魅力は何と言ってもベートーヴェンの音楽そのものに尽きる。舞台はスペインの監獄で暗い。男装したレオノーレはフィデリオ(ソプラノのワーグナー歌手、リーゼ・ダーヴィットセン)と名乗って刑務所に侵入、そこの看守ロッコ(バスの重鎮、ルネ・パーぺ)の部下となり、夫であるフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)を救い出す、という救出劇。

第1幕には一応、男女の恋物語として看守の娘マルツェリーネ(中国人のソプラノ、イン・ファン)に言い寄るジャキーノ(テノールのマグヌス・ディートリヒ)との二重唱なども用意されてはいるが、音楽がベートーヴェンとしては未熟なものが多い。「あまり得意でないことをやっているな」という感じである。しかも今回のマルツェリーネはアジア人ということもあって、どうしても私などは「昭和のお姉さん」(つまり「サザエさん」)のようなムードを感じてしまい、やや興ざめ。とはいえ、私はこの無骨な音楽も大好きで、やはりベートーヴェンにしか書けないものを感じるのである。看守ロッコの上司である刑務所長のドン・ピツァロ(バス・バリトンのトマシュ・コニエチュニ)を含めた4人が第1幕を長々と演じるが、そのクライマックスは何と言っても、夫の身を案じて歌う長いレチタティーヴォとアリア「悪者よ、どこへ急ぐのか」である。ベートーヴェンは音楽を中心に据えて歌を書いたので、息継ぎも難しく、このアリアの難易度は相当なものである。

幕間の紹介によればダーヴィットセンは、双子を妊娠中の身だそうで、この公演を最後に育児休暇に入るそうだが、さっそく来年の「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデでカムバックするというから驚く。公演が終わった舞台裏の画像で、感極まって涙ぐむ彼女の姿は印象的だった。歌唱の方もさすがに見事だったが、私は第1幕の後半を、折からの猛暑の疲れも手伝って心地よい睡魔に襲われ、あまりよく覚えていない。指揮者は女性のスザンナ・マルッキ。人気はあるようだがどことなく平凡で、あのベートーヴェンの推進力が感じられないのは残念だった。

映像の前口上でゲルブ総裁が、この難しい時代に「フィデリオ」を上演することの意味を訴えていたが、実際にはこのプロダクション(演出:ユルゲン・フリム)は、随分前(一説では2000年頃)から上演されているらしく、古典的な舞台装置である。ロシアの捕虜収容所などでなくて良かったと思った次第。序曲は「フィデリオ」の序曲で、第2幕に「レオノーレ」第3番は挿入されなかった。

短いインターミッションの後、第2幕が始まった。私はこの第2幕の冒頭が気に入っている。ベートーヴェンが書いた最高の音楽のひとつではないかとさえ思う。それがひとしきり演奏されると、いよいよフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)が登場、「神よ!」と叫ぶシーンがこのオペラの真骨頂である。ここから続く長大なアリアは、最大の聞き所の一つである。透明なテノールの響きも含め、このオペラの不思議なところは、舞台が常に暗黒であるにもかかわらず、音楽がむしろ陽気であることだ。それこそベートーヴェンのベートーヴェンらしいところではないだろうか。

従って遂にレオノーレとフロレスタンが再会し、そこに居合わせるロッコとドン・ピッアロを含めた4人によるやりとりは、有名なレオノーレのメロディーや「勝利のファンファーレ」を含め、大いに盛り上がってゆく。緊張感が増すというよりは、ドラマの域を超えてオラトリオと化してゆくのが面白い。ただ、私はマーラーが始めた序曲「レオノーレ」第3番の挿入が、どうしても欲しいと思うので、司法長官ドン・フェルナンド(バスのスティーヴン・ミリング)が水戸黄門のように登場し、勧善懲悪の大団円を迎えるまでのひと時を、間奏曲のように待ちたい気持ちが強い。舞台も急に明るくなって、ここから長大かつ壮大なフィナーレに入るのだが、その前の「溜め」が欲しくなるのである。だが、最近はそういう演出は減ってしまった。

マルッキの指揮も第2幕は調子が良く、高らかに歌い上げられる自由と愛への賛歌に、会場からは惜しみない拍手が送られていた。この音楽は誰がどう演奏しても、ベートーヴェンにしか表現できない音楽とストーリーである。世の中の正義が揺らいでいる今の時代にあって、このような渾身の音楽を聞くと、胸が熱くなる。私はビデオ上映のオペラで涙を流すことは滅多にないが、約1年ぶりのMET Liveでベートーヴェンの感動的な音楽に、改めて心を動かされたのだった。

2025年8月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会(2025年8月2日ミューザ川崎シンフォニーホール、上岡敏之指揮)


我が国にはかつて、クラシック音楽を聞く層の中心が若者という時代があった。私の親くらいの世代から団塊の世代にかけて、その傾向は顕著だった。そのブームの中心に、帝王カラヤンがいたことは誰もが知るところだろう。日本の音楽界とメジャー・レコード会社がその火付け役となり、極東の非西洋国ながら数多くのコンサートが開かれ、そこに陣取ったのは20代を中心とする当時の人々だった。

思えばクラシック音楽好きとなったのも、そのような時代背景と大きく関わっている。私の場合、うちのクラシック音楽好きの元祖は、昭和10年生まれの伯父だった。伯父が集めたLPレコードの何枚かを、我が家は借りてきて、ステレオ装置のそばに立てかけられていた。まず父がその音楽を聞き、その影響で私は小学生の頃からレコードに親しんだ。CDの時代となり、自前でコンサートに行けるようになると、私はさらに多くの曲を聞き始め、世界中の来日オーケストラのコンサートにも足を運んだ。伯父から父を通して受け継がれたクラシック音楽好きは、その後私の弟にも及び、さらに今ではその息子へと伝播している。

その伯父が、急に亡くなった。先週のことだった。私は急遽、葬儀に参列することになり、週末に予定していた家族旅行をキャンセルした。葬儀はつつがなく終了。翌日は京都に息子を訪ねただけで、台風の接近もあって早々に帰京した私は、旅行で諦めていたコンサートに出かけることになった。「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2025」の一連の公演の中で、もっとも注目していた上岡敏之の指揮するブルックナーのコンサートに行くことにしたのだ。この公演のチケットが、まだ多く売れ残っていたのは意外だった。そして伯父が晩年によく聞いていたブルックナーの交響曲、それもワーグナーの追悼に書かれた長大なアダージョを擁する第7番のみが、この日の演目だった。

何という巡りあわせだろうか。私が伯父の追悼に相応しいとさえ思うコンサートを、ミューザ川崎シンフォニーホールに聞きに出かけた。3階席まではほぼ満席のホールは、冒頭から異様とも思える静寂さを際立たせ、上岡がタクトを下ろした瞬間、それまでに聞いたことがないピアニッシモの弦が鳴り響いてきた。それはいきなり最初から一気にブルックナーの世界に、観客席のすべてを覆うような空気に包まれていた。

最初の第1小節の微弱音から、これほど完成度が高い演奏は聞いたことがない。その音はブルックナーの音楽を知り尽くした指揮者にしかできないレベルの芸当に思われた。どことなくとりとめがなく、散漫にさえ感じる演奏が多い中で、上岡のブルックナーはすべての音符からその意味を理解し、有機的に組み合わせ、連続するフレーズの流れに絶え間なく生命を与えているだけでなく、それが繰り返されたりした際には、また違った表情を湛える。考え抜かれた音楽の再生は、捉えにくいブルックナー音楽の構造を見事に浮かび上がらせ、私はこの作曲家を初めて正しく理解したような気がした。

それは極めて精緻で冷静であり、職人的だったと思う。そうか、ブルックナーの音楽も、正しくはこのようにきっちりと統制され、しかしそうと感じさせないような流れで全体を見渡し、細部に指示を出すのだ。ブルックナー音楽は自然ではなく、構造物なのだ。長大な第1楽章は、その崇高な造形美を再現する技量高い指揮に引き込まれていった。

長いコーダに末に第1楽章がピタリと終わった瞬間、指揮者は指揮台に前のめりになって、ばたっと手をつくという印象的なポーズを取ったことが、舞台斜め左方の2階席からも良く見えた。遅い演奏だ。だが弛緩させることなく、かといって不自然さは微塵もない。そのようにして、あの第2楽章に入った。ここの楽章の間中、私は涙をこらえることはできなかった。副主題のメロディーをヴァイオリンが丁寧に奏で始めると、伯父との思い出が走馬灯のように浮かんできたのだ。

フィラデルフィア歴史地区(1990)
登山や潮干狩りにでかけた幼少期の思い出だけではない。大学進学のお祝いにもらったのが、クライバーの大阪公演のチケットだったことに始まり、単身赴任先のニューヨークに居候して毎日のようにマンハッタン観光に出かける私に、メトロポリタン歌劇場やカーネギーホールのチケットを数多く譲ってくれたのだった(ムーティ指揮フィラデルフィア管、マゼール指揮フランス国立管、テンシュテットが振る予定だったニューヨーク・フィルの定期、それにクライバーの「オテロ」などなど)。この直前、丁度カラヤンがウィーン・フィルとニューヨークを訪れ、交響曲第8番の歴史的名演奏を行ったことを、伯父は何度も話してくれた(そのカラヤンは程なくして亡くなり、その追悼盤としてブルックナーの第7交響曲がリリースされたことは、いまでも記憶に新しい)。

週末には伯父の運転する車でワシントンDCまで出かけ、ホワイトハウスや桜の咲くポトマック川などを周遊し、帰りにはフィラデルフィアの歴史地区にも足を延ばした。伯父は有名なレストランで豪華な食事をおごってくれただけでなく、ナイアガラの滝への日帰りツアーまで手配してくれるという歓迎ぶりだった。その10年後、私が仕事でニューヨーク勤務をすることになった。ある日突然私のオフィスの電話が鳴って「いまKitano Hotelに泊まっている」と告げられたのだ。思いがけないマンハッタンでの再会時も、その時客演していたサンクト・ペテルブルグ響に話が及んだ。退職後も第2の会社人生を送りながらニューヨークに出張に来ていた伯父は、たまたま前日に同じコンサートに出かけていたことが判明したからである。

私に大いなる愛情を持って接してくれた伯父は、私が2002年に白血病に倒れた時に、骨髄移植のドナーを快く引き受けてくれた命の恩人である。白血球の型が2人の兄弟とも一致しなかった私の家族は、最後の望みをかえて親戚中の型を調べ、その中から「大いに可能性あり」と主治医が言った伯父との適合性が、もっとも高かったのだった。この時すでに還暦を過ぎていたから、ドナーとしての資格がなくなるギリギリのタイミングだった。翌日には骨髄液の採取のために上京し、即入院してくれた。暑い真夏のちょうど今頃だった。もしかしたら親戚中で、私との親和性を科学的な証拠とともに示されたことを、何か運命のことにように感じていたのかも知れない。

享年89歳の往生である。ドナーの伯父より先に死ぬわけにはいかない、とこれまで自分に言い聞かせて闘病を続けてきた私は、なぜか少しほっとした気がした。そして伯父の細胞は、私の中でまだ生き続けているとも。それは丁度、今日聞いたブルックナーの悠久の音楽のように、自然でよどみなく、引いては押し寄せる大波のように、そして長い道のりの末に頂点を築く時には、打ち震えるような感動が全身を覆うように、私の体中の細胞を振動させた。

これ以上ないゆったりしたテンポだった。ワーグナーへの鎮魂歌が、私の伯父へのそれに重なった。このコンサートは生涯忘れることのないものになるだろう。そしてそれは個人的にそう思ったのみならず、会場にいた聴衆にとっても、唯一無二のような時間だったのではないだろうか?

この曲は第1楽章、第2楽章があまりに充実しているので、後半の音楽が陳腐に思えることがなくはない。だがよく考えてみると、何となく吹っ切れて追悼の身持ちが昇華され、天国に上るような嬉しさと感じることもできようではないか?上岡の指揮も、第3楽章の後半になると、まるでダンスを踊るように指揮台の上を動きまわり、タクトがきめ細かく各楽器にキューを出す。第4楽章に至っては、これはもう衆生の音楽だろう。還俗して非日常の世界を脱し、気持ちが中和されて現生に戻るように、尻切れトンボのように終わった演奏は、指揮者が動かない間、誰一人音を立てる者がいなかった。聴衆との我慢比べが始まった。やがて誰かが辛抱しきれなくなり、静かに拍手を始めると、それにつられて怒涛のようなブラボーと喝采、それに口笛までもが吹き荒れた。

何度もカーテンコールに応える指揮者は、各楽器のセクションを回ってパートごとに奏者を立たせ、熱狂の聴衆にアピールした。今日の新日本フィルはとても上手かった。こんな演奏が日本でも聞けるのかと思った。プログラム冊子には65分と書かれていた演奏時間は、90分にも及んでいた。短期間でこのような演奏ができるのではない。上岡はこれまでもたびたび音楽監督として新日本フィルで演奏を行い、ブルックナーの交響曲を録音している。有名指揮者コンクールの受賞経歴があるわけではないが、着実にドイツで実績を積み、個性的で真摯な演奏をする上岡の演奏会は、東京でも毎年何度か開かれており、私も目が離せない。だが、今回の演奏会ほど特別なものはなかった。猛暑の中を駅まで歩く。またこれから始まる日常。どこか遠いところから帰ってきたような感覚だった。

葬儀の翌日に訪れた正伝寺(京都)

2025年7月29日火曜日

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団演奏会(2025年7月27日ミューザ川崎シンフォニーホール、高関健指揮)

決して気を衒った演奏ではない。ただしっかりと楽譜に忠実に、そして誠心誠意音楽を正攻法でまとめた演奏ながら、これほど共感に満ち、聞くものを幸福にする演奏にはそう出会えるものではない、と感じたコンサートだった。特にプログラム前半、小山実稚恵を独奏に迎えたベートーヴェンの「皇帝」は、私の涙腺をしばしば刺激し、この聞きなれた曲がこうも素直に、立派に表現されていることを心の底から喜んだ。

ミューザ川崎シンフォニーホール、で毎年夏に開催される「フェスタ・サマーミューザ」は今年でもう21年になるそうだ。2005年にこの催しが始まった時、私は闘病中で、その存在すら知らなかった。2018年に初めて出かけ、以後何度か行ったことがある。梅雨明け直後の猛暑の首都圏で、国内オーケストラを中心としたプログラムが連日続くというものだ。川崎駅前の雑踏に気が滅入り、いつもちょっと足を遠ざけてしまうのだが、今年はオープニング・コンサートに「言葉のない指環」(ワーグナー/マゼール編)があって、これに行ってみようと思っていた。

しかし考えることはみな同じようだった。このプログラムは早々に売り切れてしまった。仕方がないから他に面白そうなのはないかと探していくと、私の予定が空いている日に開催されるものとしては、7月27日(日)東京シティ・フィルの演奏会が目に留まった。プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(独奏:小山実稚恵)、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」という名曲プログラム。私は小山実稚恵も指揮者の高関健も聞くのが初めてだから、丁度いいと思った。このお二人は、長年東京で毎年限りない数のコンサートを開いているが、どういうわけか私はまだ未経験ということが決定打となり、2階席(といってもオーケストラ後方)を買い求めた。

そして後から知ったことには、この演奏会も満員御礼、すなわち早々にチケット完売となったのだ。首都圏在住のクラシック音楽ファンは、やはりこのような名曲プログラムが好きである。そして私も夏の音楽祭では、こういうのがまあいいか、と思った。「皇帝」と「巨人」、どちらも大好きな曲である。それにも増してこのような企画が20年以上も続き、しかも盛況なのは嬉しいことである。そこには聴衆を裏切ってこなかった歴史があるのだろう、と思った。毎回オーケストラを変えて、様々な指揮者が様々な曲を披露する。その中には学生のオーケストラもある。料金はリーズナブル。

ミューザ川崎シンフォニーホールというところは、音響自体は悪くないのだが、構造が少し変わっていて螺旋状に縦長の形状をしている。どの席からもちょっと視界が悪い。私の座った2階席からも、各楽団員を真横か後から眺める位置だが、その3割程度はそもそも見えない。もっとも指揮者とピアニストは丸でテレビカメラのように良く見える位置なので、悪くはない。落ち着いた衣装で登場した小山とは別の通路から高関が指揮台へ。熟年の演奏会といった雰囲気で、客層も年齢層がかなり高め。

「皇帝」の冒頭の和音が丁寧に鳴り響いた時、私は「そうだ、この音だ」と思った。ベートーヴェンがロマン派の香りを高めつつ、ピアノという楽器の魅力を最大限に引きだそうとした大コンチェルト。それをたっぷりと、味わう。伴奏パートを担うオーケストラの指揮がピタリとポーズを取る間際に、ピアノが阿吽の呼吸でフォルテを連打する。大規模なソナタ形式もわかりやすいこの曲は、味わいのあるカデンツァ的部分(ベートーヴェンはこの曲に「カデンツァ」は不要と記し、それに合わせるかのように自らが作曲した独奏部分を挿入した)で最高潮に達する。それにしてもシティ・フィルからは紛れもないベートーヴェンの絹のような音色が出てくるのが嬉しい。

その様子は第2楽章にも弾きつがれ、うっとりと耳を傾けているうちに第3楽章へ。静謐な中から徐々に主題を醸し出す第3楽章の入口の絶妙な指揮と独奏が、このような角度から明確にわかる演奏に興奮した。以降、変奏を繰り返しながら悠然と進む「傑作の森」の例えようもない幸福感を、私はこの曲を聞くたびに味わう。演奏がというよりは、これはもう曲の魅力が勝っている。ただその魅力を損なわずに演奏してくれればいい、と思う。今日の演奏は、たとえ少しのミスがあろうとも、それはそれで実演の妙味でさえあるのであって、ライブの醍醐味は決して完璧な演奏であることではない。そういう風にして、長い前半の演目が、大盛況のうちに終わった。期待していたアンコールは、何とショパンの「夜想曲」第2番だった。この有名な曲を私は第1人者の名演で触れる時、そこにはショパン弾き(彼女はショパンコンクールの入賞者でもある)ならではの確たる息遣いと音色が感じられた。好感を持って、私は小山の初めての演奏会を心から楽しんだ。

20分の休憩を経てオーケストラがスケール・アップされ、マーラーの「巨人」が始まった。この演奏は後半になるにつれて良くなっていった。あまりに何度も聞いている局なので、どうしてもその比較になってしまう。例えば第1楽章の主題が出るところはもう少し印象的にならないか、第2楽章のリズムはもう少し跳ねないか、第3楽章の中間部は別世界に焦がれるように...と。しかしこの演奏が、少々違和感を覚えた原因は、もしかすると利用されたスコアによるものかも知れない。プログラムによれば本公園では「ラインホルト・クービックによる2019年校訂版」が日本で初めて使用される、とのことである。スコア研究の第1人者たる高関のこだわりを感じるが、ではそれがどういう違いがあるのかと追えば、それはよくわからない。

冒頭のバンダなどでしょっと聞き苦しいミスもあったシティ・フィルだったが、オーボエやホルン(終楽章では起立した)の熱演もあり、最後は大団円となった。若い団員が多い同オーケストラを聞くのは、私が東京で音楽を聞き始めてから30年以上がたつにもかかわらず2回目である。魅力的なプログラムが安価に聞けるなら、もう少し足を運んでもいいと思った。

2025年6月25日水曜日

ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団演奏会(2025年6月23日ミューザ川崎シンフォニーホール、ラハフ・シャニ指揮)

唖然とするほど見事な演奏だった。ブルース・リウの長い掌が左右に上下に躍動し、しばしばそれを追うのができないほどだった。テレビで見ているのと同じように、鍵盤上を動き回る両手の高速運動が、目の処理速度を上回るのではないか、という状態だった。ピアニストはもとより、指揮者も楽譜を見ていない(最初から用意されていない)。そしてピアニストは指揮者をも見ていない。そこには練習時の申し合わせと阿吽の呼吸だけが存在していた。彼はそれでもこの難曲(プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番)を、一気呵成に弾ききった。

私は終始どこをみていればいいのかわからなかった。テルアビブ生まれの指揮者ラハフ・シャニは、まだ30代中盤の、一般的な指揮者人生でいえばかなり若手の方だが、すでにどのフレーズをどう演奏すれば効果的かを心得ている。そこから自信を持って、絶妙なバランスで、テンポを変え、音色を調整し、精緻でメリハリのある表現が出てくる。まるでスポーツのように若い息遣いが、最初の曲、ワーヘナールの珍しい序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の冒頭から示され、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団のモダンで洗練された響きに耳を洗われた。

オランダという国は、コンセルトヘボウ管弦楽団のような世界一流のオーケストラが存在する音楽の盛んな国でありながら、有名な作曲家というのが思いつかない国である。私もワーヘナールという人の作品を聞くのは、これが初めて。解説によればこの曲は、1905年に作曲されているからロマン派の後期。たしかにワーグナーの初期作品のようでもあり、シュトラウスの影響もあるのでは思わせる豊穣な音楽である。ロスタンの小説が丁度発表された頃であるから、その管弦楽曲を思いついたのだろう。結構長い作品だった。

中央にピアノが配置され、オーケストラが再び登場する。2番目の曲であるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が、今日の目当てである。独奏のブルース・リウは中国系カナダ人。パリで生まれモントリオールで育ったらしい。何と言っても前回、2021年のショパン国際ピアノ・コンクールの覇者として知られる。我が国では2位に入賞した反田恭平に人気が集まっているが、コンクールで見せた「息を飲むような美しさ」(解説書)は記憶に新しい。今年もこのコンクールが行われるが、私はここへ来て、先日のアヴデーエワに続くショパン・コンクール優勝者の演奏に接することが続いている(本命はチョ・ソンジンなのだが、彼は人気があり過ぎてチケットを取るのが難しい)。

さてそのショパン弾きのリウがプロコフィエフをやる。舞台に設置されたのは、YAMAHAやスタインウェイのピアノではなく、FAZIORIであった。このメーカーは比較的新しいイタリアのピアノで、彼はこのピアノでショパンを制しているから、今回そのピアノを持ち込んだのだろうか?その音色が冒頭から聞こえてきたとき、いつもとは少し異なるように思えた。柔らかく、少し音が小さいと思った。そしてこれはショパンには相応しいのだろう、とも。しかし今日はプロコフィエフである。始まってすぐに激しいリズムが次々と顔を出し、見ていて飽きない。

それにしても物凄い集中力で、一気に聞かせるのはピアノだけではない。シャニと言う指揮者は、彼自身もピアニストであり、そして指揮者としてもオーケストラから常に前向きな表情を引き出すことに長けているように見える。あっとする間に終わってしまった第1楽章に続き、長い第2楽章の、次々と展開する変奏の面白さは見事なもので、ちょっとピアノの音がオーケストラに消されているかと思うこともなくはなかったが、これはこれで興奮の中に会場が包まれてゆく。

第3楽章に入ってコーダへ向かって一気に突進するあたりは、もうどこを見てよいのかわからないほどだった。私の席は2階席最前列少し左手というベストな場所で、丸でテレビカメラが設置されるような角度で、手の動きがわかる。このミューザ川崎シンフォニーホールというところは1階席が小さく、2階席が舞台とても近いので、そのアドバンテージを私は最大限楽しむことになったと言える。

月曜日のコンサートというのも、最近は珍しい。私はここのところ、来日するオーケストラというのをほとんど聞かなくなっている。我が国の演奏団体の水準が、海外に引けを取らない水準に達しているので、わざわざ高いチケット代を払う必要はないとさえ感じているからである。しかし、ごくたまに(数年に1回くらい)は、まだ聞いたことのないオーケストラが魅力的な指揮者とともに来日し、その演目が魅力的に思えた時にだけ、私はチケットを買うことにしている。今回のロッテルダム・フィルがまさにそうであった。私のスケジュールも空いており、そしてソリスト、指揮者とも申し分ない。そして何と、1週間前にもかかわらずそのチケットは大量に売れ残っており、直前だということで割引までされているではないか!

これは私にとって偶然の贈り物だった。前半のアンコールではピアノに譜面台が設置され、その前に椅子が2席設けられるという事態が発生した。ブルース・リウと指揮者のシャニが並んで座り、何とブラームスのハンガー舞曲第5番を連弾したのである。これは余興というにはあまりに贅沢なもので、ピタリと合った息遣いから共感の妙を発する至高の時間だった。前半のプログラムの興奮を冷ましたく、久しぶりにワインなどを飲んだが、これは水のようにあっさりとドライだった。

最後のプログラム、ブラームスの交響曲第4番は、私が期待していた通り大いに好感の持てるものだった。まず音色が重くない。ブラームスというと重厚なドイツの響きを期待する向きが多いが、私はむしろこのようなスッキリ系が好みである。これはおそらく古楽器的奏法が影響しているのではないかと思う。聞いた席が素晴らしかったからかも知れないが、オーケストラの各楽器とそのバランスの妙が手に取るように感じられる。イスラエルの若い指揮者となると、どことなく強権的な自信家を想像するが、シャニはそういうところがなく、むしろオーケストラの自主性を尊重しその実力を引き出すことに成功しているように見えた。少し不安定だったのは第1楽章だけで、尻上がりに調和が進み、第2楽章がこれほど共感を持って聞こえたことはなく(私の少ない実演での経験上に過ぎないのだが)、第3楽章でそれは頂点に達した。

第4楽章に入ると、中間部の個性的な木管のソロも言うまでもなく圧巻のコーダまでの間は、フレッシュなブラームスを堪能する10分間だった。この曲を実演で聞くのは、これまでそれほど多くはなかったが、間違いなく私の経験上ベストであったと言えるだろう。このような熱演のとに、2曲ものアンコールが演奏されたのは、来日オーケストラならではの特典だった。いずれもメンデルスゾーンの珠玉のピアノ曲集「無言歌集」を指揮者自らが管弦楽曲にアレンジしたものと思われる。「ヴェネツィアの舟歌」そして「紡ぎ歌」。オーケストラは拍手に応えて何度も会場に振り向き、鳴りやまない拍手に応えて指揮者は何度も舞台に現れた。

川崎には安くて美味しい居酒屋が多い。まだ月曜日だというのに多くに店が遅くまで開いている。私もそのうちの1件に入り、ビールと焼鳥ををつまんだ。こういうことが手軽にできるのが、日本のコンサートのいいところである。梅雨空が続く鬱陶しい東京で、長い夏が始まろうとしている。

2025年6月9日月曜日

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてきたからだ。丸でショパンのようだ、と思った。こんなに流麗に、モダンに、そして確信に満ちた演奏に出会えたのが嬉しくてたまらなかった。

この日のコンサートの指揮者は、当初予定されていたウラディーミル・フェドセーエフから、バスク人のフアンホ・メナに変更されていた。フェドセーエフだったらこんなに職人的に、そして献身的なサポートだったかどうかはわからない。しかしメナという指揮者は、最初のプログラムであるリムスキー=コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲の時から、細かい表情まで丁寧に音楽づくりをする人だと感心した。

3階席最前列ながら私の席は端から5つ目で、オーケストラからそれなりに近いのだが、ピアノの細かい表情までは感じ取ることができない。音はストレートに響いてはくるが、会場が大きすぎて発散してしまう。それでもアヴデーエワの鮮やかな技巧と、そこから放出されるエネルギーに圧倒されながら、次々と進む変奏が面白くてたまらない。この曲を聞くのは何度目かだが、間違いなく今回の演奏は圧巻だった。

大喝采の聴衆に応えたアンコールは、同じラフマニノフの「6つの楽興の時」作品16 から第4番「プレスト」ホ短調という作品だった。これも大変な難曲だと思ったが、さらりとやってしまうテクニックに唖然とするうち、終わってしまった。今年は5年毎に開かれるショパンコンクールの年である。来シーズンのN響では12月のC定期で、その優勝者との共演が予定されている(もっとも第1位がいなかったらどうなるのだろう?)。

今日のコンサートは当日券の発売がなかったことを考えると、チケットが売り切れだったのかも知れない。それはフェドセーエフが「悲愴」を指揮する予定だったからであろう。フェドセーエフの「悲愴」と言えば、80年代の頃、日本のメーカーによってモスクワでデジタル録音されたLPレコードが売り出された時、私もその演奏に接したひとりである。彼は丁度売り出し中の頃であった。その演奏は、当時の定番とされていたカラヤンなどに少々辟易しかけていた頃、錚々たる同曲のレコードの中に堂々とランクインするもので、新鮮さと録音の良さが印象に残るものだった。

あれから40年ほどがたち、フェドセーエフも90歳を超えた。それで現役を続けていることも驚きなので、今回の来日が本当に実現するか、実際のところ不安だった。だがその不安は的中した。意外だったのはB定期にも登場するメナが代役となったことだ。このことで、来場しなかった客も一定数いたのではないかと思われる。プログラムを変更せず、ロシア物で固めるという今回の演奏が、果たして良いものかどうか。だがそれは杞憂だった。

私は初めて聞くメナという指揮者は何歳なのか、プログラムに記載はないので詳しいことはわからない。だが彼の演奏するチャイコフスキーの「悲愴」は、冒頭の重々しいファゴットのメロディーから印象的な音色の連続で、そうか、「悲愴」とはこういう曲だったのか、と改めて感じる結果となった。毎年数多くの演奏会で取り上げられ(とりわけ梅雨のシーズンにはなぜか多いような気がする)、少し食傷気味な「悲愴交響曲」を、私は過去に6回聞いている(その中で思い出に残っているのは2回だけ=ノイマン指揮チェコ・フィルと小澤征爾指揮ボストン響だけれども)。

とりわけ第4楽章の見事さについては、特筆すべきだったと言える。この楽章にこそ重心が置かれ、クライマックスにおける絶望と、ついには諦観へと至る心象的な移り変わりを、これほど見事に感じたことはない。最後の消え入るようなコントラバスの一音までもが、広いホールでも手に取るように感じられた。この作品はまぎれもなくチャイコフスキーのひとつの到達点を示す作品だと思った。

会場はすぐに大きな歓声と拍手に包まれ、オーケストラが去っても拍手が鳴りやまない光景となった。N響の定期も今シーズンはあと2回のみ。来週はメナがブルックナーの交響曲第6番を指揮する。私はチェリビダッケの指揮するこの曲のビデオを見て、ブルックナーの音楽に目覚めた記憶がある。メナはそのチェリビダッケの弟子だから、この演奏を逃すのは惜しい。だがサントリー・ホールのチケットはただでさえ入手困難であり、しかも私は東京を離れることになっているから、この演奏を聞くことができない。後日テレビで見るしかないが、何かいいコンサートになるような予感がする。

2025年5月26日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)

まだ土曜日が休日でなかったころ、私は中学校から帰ってきて昼食を済ませたあとのほんのひととき、NHK-FM放送で我が国のオーケストラの定期演奏会を録音したものを放送する1時間の番組を聞くことが多かった。他に聞きたい放送があるわけでもなく、私は習い事に出かけなければいかねい憂鬱な気分と、週末を迎えた幸福感が入り混じる複雑な心境の中で、この番組に耳を傾けていた。

すると決まって睡魔が襲ってくるので、その日も少し眠っていたような気がする。そしてしばらく気持ちよい睡眠を謳歌している最中、急に耳をつんざくようなトゥッティが爆発音のように聞こえてきた。これが私のチャイコフスキーとの出会いだった。迫力のある音楽は10分足らずの間中ずっと鳴り響き、瀑布のように雪崩落ちるアレグロが何度も押し寄せ、コーダはこれでもか、これでもかと狂気のように幕を閉じた。アナウンスによれば、その曲はチャイコフスキーの交響曲第4番ということだった。私は嬉しくなり、チャイコフスキーの音楽が一気に好みとなった。

チャイコフスキーには、初めて聞くものを虜にさせるようなメロディーを思いつく天才のようなところがある。すべての曲がそうではないのだが、一度聞いたら忘れられない音楽に、しばしば出会う。ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、バレエ音楽と数えたらきりがない。そして交響曲の分野では、この第4番から第6番「悲愴」まで名旋律の宝庫と言っていいのではないだろうか。

交響曲第4番は、力強い金管楽器が大活躍する。「運命のファンファーレ」と呼ばれる冒頭は、憂鬱だがそれを越えて激しく痛々しい。私はこの部分があまりに激しいので、時に不快なくらいに苦痛でさえある。そしてそのファンファーレは終楽章でも回帰されるのだから、たまったものではない。私はこの作品をさほど楽しい作品だとは思えない。

だが、そうかと思うと美しい抒情的なメロディーが顔を出し、哀愁を帯びたチャイコフスキー特有の感傷が琴線に触れる瞬間もないわけではない。長い第1楽章においてでさえ、それは現れる。そして第2楽章は木管の寂しげなメロディーが切なく、何と言おうか、痛さをこらえていると時に訪れる安らぎの時間のような、不安をかかえながらも痛みは緩和し、辛うじて凌いでいるような安心を覚える。ちょっと分裂気味な気分にさせられるこの曲は、あまりに実際的な気分をのようでもあり、そういうわけでちょっと生々しいのである。

変わっているのは第3楽章。このスケルツォは、管楽器とピチカートによる弦楽器のみで演奏される短い曲である。集中力を伴って高速で演奏される。苦痛が取り払われて安寧の時間が過ぎ、戸惑いの中で短い時間が過ぎてゆく。音楽が一瞬止まったかと思うと、一気に大迫力の全奏が会場に鳴り響く。このお祭り騒ぎのような音楽もどこか神経症的である。演奏によっては扇動的で、落ち着きがなく、かといって楽しい感じもしない。

「運命を乗り越えて歓喜に至る」というのはベートーヴェン以来続く交響曲の伝統的モチーフだが、チャイコフスキーの音楽はもはやそれが観念的なものではなく、病気の苦痛のようにあまりにリアルに響く。であれば、そんな単純に運命が克服できるわでもなく、葛藤はしばしばぶり返し、何かわけがわからないまま、気が付いたら少しはましになっていた、というのが実際の闘病ではないだろうか。ただその現実を見せつけられるような気がして、スッキリと楽しめなくても良いとするのは、芸術性が勝っているからだと思うことにしよう。

というわけで、私はこの曲を定番のエフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏で聞いている。この演奏はスゴイ。最近何でも「凄い」といって感想を述べるのが流行っているが、この形容詞はこのような演奏にこそ使ってみたい。冒頭からコーダに至るまで、全くを隙を見せず一直線に突き進む。それは圧巻で、ソビエトの演奏家がまるで西側にミサイルでも打ち込むように、冷徹な完璧さで聴く者を圧倒する。

1960年にウィーンを訪れたソビエト屈指の演奏家が、西側のレコード会社にスタジオ録音を敢行したことが、雪解け時代の奇跡のひとつだったのかも知れない。この時、まだ共産主義は後年ほど廃れておらず、西側と拮抗する力を持っていた。演奏自体もそういうパワーを見せつけられているようなところがあり、それがいっそ曲のモチーフを強調しているようなところがある。第5番、第6番「悲愴」とともにすべてが記念碑的名演であることは言うまでもないが、決して自意識過剰なところはなく、ロシア音楽の神髄を音楽的に表現している。

私は大学受験が終わって、入試会場からの帰り道、当時まだ発売されたばかりのコンパクト・ディスクを記念に買おうと思って大阪ミナミの繁華街を歩いていた。心斎橋筋商店街に小さなレコード屋を発見して入ってみたが、ただでさえ少ないクラシックのコーナーに、わずか数枚のCDが売られているのみであった。1986年のこの当時、1枚の値段は3500円した。しかも輸入品ばかり。私は当時発売されたばかりにカラヤンの「英雄の生涯」を買うと決めていたが、このCDは残念ながら発見できなかった。代わりに見つけたのが、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番だった。

私はそのCDを買って持ち帰り、買ったばかりのCDプレイヤーに乗せてかけてみた。晩年のカラヤンは、往年のオーラを放つ統制力が低下し、ややヒステリックな演奏に聞こえた。試験の出来はあまり芳しくなかった。合格発表までの数日間は、放心した気分であった。そして長い受験勉強の苦痛と、それが過ぎても気持ちが直ちには変わらない不思議な感覚でこの曲を聞いていた。妙にしっくりくるものがあった。もしかすると憔悴しきったチャイコフスキーが、ヴェニスでこの曲の作曲に取り組んだ時も、これとよく似た心境だったのかも知れない。

2025年4月30日水曜日

NHK交響楽団第2036回定期公演(2025年4月27日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

N響は来る5月、オランダのアムステルダムで開かれる「マーラー・フェスティヴァル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて登場し、首席指揮者ファビオ・ルイージの下交響曲第3番と第4番を演奏するらしい。これは画期的なことだと思われるが、その公演に先立ち5月の定期公演では、同じプログラムが演奏される。今回出かけたA定期では、交響曲第3番が取り上げられた。

交響曲史上おそらくもっとも長大なこの作品は、普通に演奏しても100分に達する大曲である。女声合唱、少年合唱、それにアルトの歌手も必要とする。このたびの独唱はロシア人のオレシア・ペトロヴァで、彼女はこれまでたびたびN響とも共演しているようだが、私は初めて聞く。一方、合ペトロヴァ唱団はオランダでは地元の団体を起用するようだが、今公演では東京オペラ・シンガーズとNHK東京児童合唱団が受け持った。広い舞台に何段にも設えられた合唱席が高らかと並び、大規模なオーケストラを含め壮観である。

3800人も収容するNHKホールは、紅白歌合戦を開催するために設計されたため、クラシック音楽のコンサート会場としては広すぎて音響が悪いことで有名である。でもこのような大規模な作品では、このくらいの広さを必要とするのだろうか。そして2日ある両公演ともチケット完売というのも珍しい。3階席の隅にまで誰か座っている。その私も3階席の脇の最前列である。ここからだとグラスがないと表情を見分けることは難しい。

マーラーの交響曲第3番は、3つある「角笛交響曲」の真ん中の作品だが、長い曲にもかかわらず静かで精緻な部分が大半を占め、集中力を絶やさず演奏することは並大抵のことではあるまい。コーラスが歌うのは第5楽章に限られるので、最初から登場すると待ち時間が長いし、途中で退場すると緊張感が失われる(本公演では第1楽章の後に合唱が、第2楽章のあとにソリストが登場し、第5楽章を歌い終わった時点で着席した)。

さてその演奏だが、私の数少ないこの曲の経験(たった3回)の中ではベストであり、おそらくこの演奏を上回るものに今後出会う事はないと思われた。気合の入った演奏は、第1楽章冒頭からの、異様にも感じられる凝縮度を見ればよくわかるくらいで、ルイージも緊張を隠せないくらい。大きな身振りでグイグイとひっぱってゆく。そのことが、ちょっと演奏に堅苦しさを与えたと思う。もう少し余裕があるととは思ったが、それも30分にも及ぶ第1楽章では、そこそこ大きな音も鳴って聞きごたえがあるし、客席もまだ体力があるので、胸に熱いものを心に感じつつこれから始まる長い旅への期待を膨らませる。

それにしても今回の聴衆は、とても思い入れが強い人たちが大挙して押し寄せているように見えたし、オーケストラも首席奏者揃い踏みの布陣である。8本のホルンが冒頭で奏でるユニゾンもまるで単一の楽器のように見事で、それに続く2つのティンパニ、3つのシンバルもピタリと揃っていた。

長い第1楽章が終わっただけで相当疲れたが、まだ音楽はそのあと1時間以上続く。第2楽章と第3楽章はいわゆるスケルツォ風だが、ここの聞き所は満載である。だからまだ緊張感は抜けない。特に第3楽章にはあの長いポストホルンの独奏がある。私はここの部分に入った時、その奏者がどこにいるのかを、何度も何度も目を皿のようにして探したが見当たらない。あとでわかったのだが、奏者は舞台裏にいたようだ。だがその音色はまるで舞台前面で演奏しているかのように朗々と会場にこだまし、見事というほかないものだった。

長大な第1楽章といい、精緻を極める中間楽章といい、CDなどで落ち着いて聞くことになれすぎていると、ミスなく演奏して当然と思ってしまう。このような長い曲ほど、実演に接する機会が少ないので、つい完璧に演奏されてしかるべきなどと思ってしまうが、それはとんでもない間違いで、実際には音楽は一期一会の芸術である。客席と演奏者が一体となって作り上げる時間の連続が、最高にエキサイティングであり、またいとおしくもある。

第4楽章のペトロヴァの声が聞こえてきたとき、低く垂れこめた雲の合間から光が差すような瞬間に身震いを覚えたのは私だけだっただろうか。マーラーの曲ではしばしば化学変化が生じ、ある瞬間から会場全体が一種の神がかり的モードに入ることがある。今日の演奏会の場合、このあたりだったと思う。ここから先、特に終楽章の見事な弦のアンサンブルをまるで雷に打たれたように聞き入ったのは、私だけではない。徐々に築かれるクライマックス、長い長い道のりのあとに到達する愛の賛歌。だが第3番は第2番と違ってただ熱演をすればいいだけの曲ではない。

聞かせ所のうまい指揮者がオーケストラとがっぷり四つに組んで、最高の聴衆を得たときにのみ実現され得る音楽の奇跡が、あったと思う。もっと頻繁にコンサートにでかける余裕があれば、あるいはもっと完成度を上げた演奏に出会える可能性はあるかも知れない。だが、私に許された制限の中では、この曲のベストだと思うことにしようと思う。5月11日のコンセルトヘボウでの演奏会は、現地でビデオ収録される予定だそうで、NHKで後日放送されるだろう。その時に今回の演奏を思い出しながら、よりこなれた演奏(になっていることを期待する)に酔いたいと思う。

とにかくN響の持てる力が十二分に発揮された演奏会だった。演奏が終わっても指揮者がタクトを下ろし終えるまで音を立てる者はいなかった。そしてあふれ出すように始まった拍手とブラボーが、これほどにまで大きかったことを私は知らない。満員御礼のNHKホールをあとにして、新緑の眩しい代々木公園でやさしい風に吹かれながら、いくつかのフレーズを思い起こしていた。これはこの作曲家の「初夏」の音楽である。

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(The MET Line in HD Series 2024-2025)

こう言うとオペラ好きの人から笑われそうだが、私はベートーヴェンの「フィデリオ」が大好きである。これまでに実演で2回、CDで4種類、DVDで2種類は見聞きしているだろう。その「フィデリオ」がMET Liveに登場するのは初めてである。待ちに待った感がある。もっとも日本での公開は5月...