2024年11月12日火曜日

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交響曲を作曲し終えた後のことで、つまりは最後の管弦楽作品ということになろう。

しかし私は何と、この曲を最初のブラームス作品として実演で聞いている。ズビン・メータがイスラエル・フィルを率いて来日したコンサートにこの曲があったのだ。当時高校生だった私は「学生券」というのを買って大阪フェスティバルホールの最後部の座席を確保したが、小遣いも少ない時期にこの出費は大きかった。私はいっときも無駄にしないようにと、予め曲を聞いて親しもうとした。当時、我が家のレコード・ラックにこの曲を収録したレコードはなかった。こういう時、FM雑誌などを参考にNHKで放送される音をカセット・テープに録音するしかなかった。

ところが嬉しいことにこの曲が放送されたのだった。私がテープに収めたのは、ダヴィド・オイストラフとムスティスラフ・ロストロポーヴィチが独奏を務める決定的な録音で、伴奏をジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団が務めている。そもそもあまり録音の多くない曲にあって、この演奏は最高の評価を得ていた。そしてこの曲は、この2人の独奏にさらにスヴャトスラフ・リヒテルが参加してベートーヴェンの三重協奏曲をカラヤン指揮ベルリン・フィルと競演した演奏と並んで、当時のソビエトの知られざる巨匠が西側のオーケストラと競演した歴史的なものとして燦然と輝くものだった。

ところが私がこの曲を聞いた時の印象は、何ともパッとしない曲だということだった。そもそもヴァイオリンとチェロという楽器が競演したところで、いずれもがオーケストラの中に埋もれてしまい華やかさを欠く。そればかりかブラームスの何とも地味な音楽が続き、一体どこをどう聞いていいのかさっぱりわからない。私がエアチェックした録音も、あまりいい音質とは言えないのも事実で、30分余りの短い曲だったから何度も聞いたが、何度聞いても結果は同じ。どうもつまらない曲を聞く羽目になるという予想が変わらないまま演奏会当日を迎えたのである。

2人の優秀な独奏者を必要とする曲なので、あまりコンサートに上ることもない曲でもある。何か記念になるようなコンサートで取り上げられることが多い。しかしイスラエル・フィルの来日演奏会では、ヴァイオリンとチェロのソロをそれぞれの首席奏者が務めた。コンサートは後半の「春の祭典」に圧倒されて思い出に残るほど感動的だったが、この曲自体は何かつまらない曲であるという印象は変わらなかった。

その後、私は一度も実演でこの曲に接してはいない。CDは上記の2曲を1枚に収録したものを購入し、たまに聞いてはみたがどうもしっくりこないという印象はぬぐえず、そうこうしているうちに何十年もの歳月が流れた。「対立」と「和解」がこの曲のテーマであるという。私もそろそろこの曲と和解をしようと、久しぶりに聞いてみることにした。こういう場合、できるだけ新しい演奏で聞くことが経験上肝要である。録音が新しく、演奏もできれば若い人のがいい。そして見つけたのが、フランスのカピュソン兄弟が独奏を務める一枚だった。兄弟はそれぞれヴァイオリンとチェロの名手だから、この曲にはうってつけである。録音は2007年、新しいとは言ってももう17年も前のことではあるが。

まず驚くのは、曲が始まって最初のフレーズがオーケストラで大きく鳴ったかと思うといきなり2つの楽器による独奏が続くことである。これはいきなりカデンツァとなる珍しい曲なのだが、ここでのチェロはピチカートもあったりして何か奔放な感じである。しかしテーマそのものは陰鬱な感じで、気持ちが晴れない。ブラームスは北ドイツの生まれだが、この曲はスイスで作曲されている。しかし彼の音楽は、どこか地の底から隆起してくるようなエネルギーが、そのまま爆発しないか、しても粘性の噴出をするようなイメージである。

だが第2楽章は牧歌的なメロディーで、牧草地帯のスイスを思わせなくもない。総じて明るく伸びやかである。一方、第3楽章になると、まずチェロが印象的な旋律を奏で、ヴァイオリンが反復する。そしてオーケストラが力強くこれを繰り返す。このメロディーだけを覚えて、コンサートに出かけたことを思い出す。以降、このユダヤ的?なメロディーが様々に形を変えて進む。

さすがに聞く方の私も歳を重ねて、とうとうブラームスがこの曲を作曲した年齢を過ぎてしまった。そう考えると感慨深いものがあるが、たしかにいぶし銀のような曲で、秋の夜長に静かに聞くにはいいかも知れない。特にこのカピュソン兄弟による演奏は、意外にもスッキリとしてい点で、ともすればこの曲が粘っこくなりすぎるのを防いでいる。だが私は、この曲の後半に収録されているクラリネット五重奏曲の方が、もっと良く聞きたくなるいい曲に思えてならない。

2024年11月2日土曜日

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品14(P: アルフレート・ブレンデル、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

例年になく高温の日が続く今年。それでもさすがに11月ともなるとようやく秋が深まって来て、今日は朝から雨が降り続いている。すっかり日も短くなり、夕方になると肌寒く感じる。私がブラームスを聞きたくなるのは、そういう季節である。だがこのブログでは、これまであまりブラームスの作品を取り上げてこなかった。別に避けていたわけではないが、人気ある作品となるとそれを語る人も多く、おいそれといい加減なことは言えまいとの気持ちがもたげ、そうでなくてもずっしりと重い重厚感のある音楽が、私を駄作文から遠ざけていた、という気がしている。

しかしブラームスの若い頃の作品は、若さゆえの野心と情熱に満ち、それでいて十分に内省的、ロマンチックである。交響曲を作曲し始めたのが遅かったので、とりわけそのような作品は忘れられがちであるとさえ思われる。その若い頃の作品、ピアノ協奏曲第1番が作曲されたのは1854年から1857年にかけてで、1833年生まれのブラームスの20代前半の作品ということになる。しかしこの曲は、晩年の作品に劣らず深い味わいを持っている。いまでこそ私にとっては、ピアノ協奏曲第2番がもっとも好きなブラームス作品となっているが、私も若かったころは、第2番の魅力よりも躍動感とエネルギーに溢れた第1番の方が好きだった。

ピアノ協奏曲第1番は長い。演奏時間は50分に達する。その壮大な音楽はむしろ交響曲と呼んだ方がいいくらいで、実際この曲は「ピアノ付き交響曲」といわれるくらい(第2番もそうだけど)、実際一時は交響曲として筆が進められた。初演時は退屈だと批判されたようだが、第2番よりも録音されたディスクは多いのではないだろうか。

その名演ひしめくあまたのディスクの中で、何が一番心に残っているかと言われれば、やはり(ほかの曲でもそうなのだが)最初にこの曲に親しんだ演奏ということになる。私の場合、それはアルフレート・ブレンデルによるものであった。競演しているのはクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル。1986年フィリップスによる録音である。この組み合わせは1992年に来日し、私も生まれて初めてベルリン・フィルの演奏を聞いたときの思い出にもなっている。当時、アバドはベルリンの音楽監督にカラヤンの後継として就任したことで、さらに世界の注目を集めていた頃である。

第1楽章は荒っぽい音楽である。私はこの曲を初めて聞いた時、ブラームスのピアノ協奏曲なるものが一体どのようなものであるのか想像がつかず興味津々だったが、この第1楽章を聞いて、ずっしりとしたブラームスのオーケストラの音色と、華やかな音色のピアノが、溶け合うというよりも妙な化学反応を起こしているような音楽だと思った。だが不思議に印象は深く、何度も聞いてみたいと思った。それにくらべると第2番などはもっと長いし静かな感じで地味だと思った。程なくして私はもっぱら第1番を聞くようになった。

ブレンデルの録音は、当時の最新録音のひとつで大変充実したものである。ベルリン・フィルの演奏も目立ちすぎず、かといって控えめでもない。どちらも、そしてその競演も丁度いい塩梅である。その真骨頂は第2楽章で示される。はじめはよくわからないと思いながら聞いていた緩徐楽章も、歳を重ねるごとに理解が進んだというのもおかしな話だが、何かつぶやくような静謐な音楽がそっと心に響く。今回はイヤホンでストリーミングを聞いているのではなく、CDプレイヤーをアンプにつないで2台のスピーカーを鳴らしている。そのようにして聞くアダージョの美しさは比類がない。

第3楽章はピアノとオーケストラががっぷり四つに組んだ素晴らしい曲で、聞き進むうちに熱も帯びてくるものの、美しさを邪魔するわけではなく、その絶妙なバランスがとても素敵である。この曲の初演が不調に終わったのが理解できないほどだが、確かにクラシック音楽というのは、一度聞いただけではわからないくらいに難しいのは事実である。音楽は基本、ライブで楽しむべきものと思っている私も、ディスクで聞くことにも別の大きな価値を見出すべきだと思っている。

それにしても、秋の夜長に耳を傾ける落ち着いた時間が妙に懐かしい。この曲を聞いていると昔、CD一枚一枚を購入しては何度も聞いていたころが蘇ってきた。そういえば今年は息子が大学生になって家を出て行き、私はひさしぶりに自由な時間を取り戻した。それでもここまでの半年はいろいろ慌ただしく、しかも夏の猛暑に体も不調を極めた。環境の変化により、もぬけの殻のように何もする気が起きなかったこの夏を経て、ようやく音楽にでもゆったりと浸ってみるきっかけになればいいと思った。

2024年10月24日木曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(2020年二期会公演ライブ映像上映、大植英次指揮)

2020年はコロナ禍により多くの社会生活が犠牲になった年で、クラシック音楽のコンサートも軒並み中止、海外からの演奏家の来日もほとんどがキャンセルされたのは、記憶に新しいところである。この年はくしくもベートーヴェン生誕250周年にあたっていて、ベートーヴェン作品のコンサートが数多く企画されていた。新型コロナウィルス流行の最大の犠牲者のひとりは、ベートーヴェンである。

そのベートーヴェン唯一の歌劇である「フィデリオ」が、コロナ流行の真っ只中だった2020年9月、二期会によって上演されていることを私は知らなかった。もともと随分前から企画されていたのだろうから、ギリギリの判断を迫られたと言って良い。あれから丁度4年が過ぎ、もう過去のことは忘れてしまいそうになるくらい日常を取り戻してきているが、パンデミック開始から半年がたったころの世の中は、まだまだ異常事態の中にあったのは確かである。

そのような状況で開催された「フィデリオ」は、歌手がすべてスケジュール調整のしやすい日本人だったということが幸いしたのかも知れない。新国立劇場で開催された公演のライブ映像がビデオ上映されることを当日になって知り、東京文化会館(小ホール)に出かけたのは、ようやく秋めいてきた10月20日のことである。いつものように上野公園は黒山のような人だかりで、まるで上海の繁華街にいるような感じ。しかし小ホールはひっそりと静まり返っていて、数えるほどしか入場者はおらず、贅沢に座って上演開始を待った。

ベートーヴェンが一生を費やして作曲した歌劇「フィデリオ」が、私は大好きである。何と言ってもあのベートーヴェンの音楽が、2時間以上にわたって楽しめる。序曲はいうに及ばす有名だし、いくつかの歌は独唱であれ重唱であれ、一度聴いたら忘れられないメロディーである。何度も改訂した序曲(今回は「レオノーレ」第3番が用いられたが終わると、いきなり若い頃のベートーヴェンの音楽が聞こえてくる。その生削りで中途半端なロマン性と無骨で単純な音楽は、少なくともドン・ピツァロが登場する頃まで続く。

ところが第2幕に入り、重唱が多くなっていくとストーリーなどを離れて、愛だの正義だのといった教条主義的理想論が、高らかに歌い上げられる。そのエネルギーは終盤にかけて半端なく、その高揚感がストーリーや歌詞の一本調子な退屈さをどこかへ追いやってしまうから不思議だ。総合的に見て音楽としてはベートーヴェンの最高傑作に入るのではないかと思っている。演奏会形式を含めるとこれまで3度の実演に接しているほか、あのレナード・バーンスタインがウィーン国立歌劇場を指揮した伝説的公演のビデオを含め、数多くのCDを所持している。

さて、新国立劇場で開催された二期会公演の「フィデリオ」は、いつものようにダブル・キャストが組まれたが、今回ビデオ上演で見たのは、以下の歌手陣の公演である。まず主役であるレオノーレ(フィデリオとして男装)は土屋優子(ソプラノ)。彼女は北海道生まれとある。その夫で刑務所に捕らわれている政治犯フロレスタンは、福井敬(テノール)。今や主役級を次々こなす我が国のトップ・テノール。刑務所の看守で小市民的だが憎めないロッコ役に妻屋秀和(バス)、先日も「夢遊病の女」での名唱の記憶が醒めやらないが、このような役にピッタリと思う。そしてロッコの娘で、レオノーレに恋するマルツェリーネに冨平安希子(ソプラノ)。容姿端麗でしかも歌声は響き、それは序盤の見どころである。

一方、フロレスタンを殺そうと画策する悪役ドン・ピツァロには大沼徹(バリトン)。官僚的で何を考えているかわからないような陰湿さが良く表現されていて、若干日本の警察ドラマを見ているような感じも否めないが、よくできたキャスト。そして登場場面は少ないが、重要な大臣ドン・フェルナンドには黒田博(バリトン)。貫禄十分で高貴さもある。合唱は二期会を中心に新国立劇場合唱団、藤原歌劇団も加えた混声舞台というのも面白い。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は大植英次である。

指揮が大植英次だったというのが、私がこの公演に注目した理由の一つである。プログラムによれば、ドイツに住む彼はコロナ禍で次々と公演が中止になる中、急遽「フィデリオ」の指揮の依頼を受けたのだという。おそらくは別の外国人指揮者が予定されていたのであろう。8月に帰国し、2週間の隔離を経て公演に挑んだようだ。バーンスタインを敬愛し、そのバーンスタインから直接多くの教えを受けた彼は、ベルリンの壁が崩壊した際に行われた歴史的な「第九」の演奏に立ち会い、「友よ」という歌詞を「自由」に変えて歌った伝説的演奏について詳しく語っている。

パンデミックで閉ざされた世界中の人々が願ったのが、そのような自由だった。その思いは「フィデリオ」の舞台、中世のスペインにおける圧政に苦しんだ正義の人の開放の物語に通じるものがある。いやベートーヴェンの音楽には、「第九」であれ「フィデリオ」であれ、自由への賛歌とも言うべき人類愛に満ち溢れており、それだけであると言ってもいいくらいだ。その人間賛歌を高らかに歌い上げるのは、第二次世界大戦が終わって復興したウィーン国立歌劇場の戦後最初の演目が「フィデリオ」だったことが象徴的であろう。

だから今回の演出を担当した深作健太が、舞台をナチス政権下のドイツ、そして冷戦時代の東ドイツ、さらには冷戦終結後でも戦禍の絶えない世界を俯瞰するような意味づけを行ったことは、それがコロナ以前から構想されていただろうにもかかわらず、一定の説得力を持っているとは言える。象徴的だったのは、最終幕で合唱団が付けていたマスクを敢然と外して歌うシーンだった。マスクこそが不自由の象徴だと言わんばかりである。これはコロナ禍における偽善的なものに対するささやか反抗だと私は解釈した。

しかし全般的に行って、私はオペラの作品にこのような政治的意図を感じさせないまでも、現実の世相を強調して見せることをあまり好まない。これでは純粋な音楽の物語が、余計な想念にかき消され興ざめである。頻繁に表示される文章のテロップも、それが意味するところを直接的に伝えすぎていると思う。とはいえ、もともと舞台が刑務所という暗い舞台である上に、ヘンテコな恋愛の歌も挟まれて、不得意な分野に苦労したベートーヴェンというのを感じるが、第2幕ではそれらが昇華され、まるでオラトリオのようになっていく。このようなビデオで観ていると、重唱の面白さが堪能できる。

大植の指揮は、ストレートかつ一気にベートーヴェンの音楽を聞かせるもので素晴らしい。序曲には「レオノーレ」第3番が用いられ、あのマーラーが考案した第2幕終盤での挿入はなかった。プログラム・ノートの大植のインタビュー記事におけるバーンスタインの証言では、「フィデリオ」はもともと3幕構成だったと推測されるとのことだが、だとするとその間に「レオノーレ」を差しはさむのは悪くない考えだと思う。

ビデオによる上演には字幕も付けられ、アングルも歌手を追っているので飽きることはない。ただ音質は、オーケストラについてはワンポイントマイクで録られたような貧弱さであり、それに歌手のボリュームが相当大きく乗っている。これはMet Live in HDシリーズなどでも同じだが、実際に聞こえる会場での音質とはかなりかけ離れている。そうでもしないとビデオとしてはやや物足りないものになるとの苦渋の判断だとは思われるが、世はAI時代である。このような音響工学にもその技術が取り入れられると、もう少し現実の舞台に近づけられるのではないかと思っている(いやそれ以上に効果的になってしまうのは良くないのだが)。

2024年10月16日水曜日

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(2024年10月6日新国立劇場、マウリツィオ・ベニーニ指揮)

新国立劇場24/25シーズンの幕は、オペラ「夢遊病の女」で切って落とされた。美しいが技巧的な歌唱力を持つ多くの歌手を必要とするベルカント・オペラが我が国で上演されるのは珍しい。ベッリーニの作品が新国立劇場に登場するのは、何とこれが初めてだそうである。同作品が我が国で初めて上演されたのは明治時代にまで遡るそうだが(プログラムによる)、演奏回数は多くはない。ところがそのようなベルカント・オペラが、今シーズンには2作品も新しく制作される。もう一つはロッシーニの歌劇「ギヨーム・テル」で、これは画期的なことである。

オペラの鑑賞記を書くのはなかなか難しい。特にその新しい演出について、これを細かく書いてしまうと、これから出かける人に要らぬ予備知識を与えてしまう(いわゆる「ネタバレ」)。かといって、全公演が終了してからということになると、印象が薄れ文章に気持ちが乗らなくなってしまう。そこで、このような記録は下書きとして書き留め、後日アップロードするという手法を取ることになる。あらすじはすでに良く知られており、歌手の出来栄えは日によって違うから、あまり気にする必要はないのだが。

ベッリーニ晩年(と言っても彼は34歳で夭逝した)の作品である「夢遊病の女」は、「ノルマ」や「清教徒」などと並んで代表的な作品である。もっと長生きしていたら、彼の作品はもっと成長し、新しい要素を取り入れてイタリア・オペラはまた違った発展を遂げたのではないかと言われている。ロッシーニとは異なりまた少し異なり、歌そのものが麗しい旋律によって次から次へと登場するベッリーニのオペラの魅力は筆舌に尽くしがたい素晴らしさだが、それはそのままヴェルディの初期作品へとつながる。「夢遊病の女」はスイスの素朴な村を舞台に甘美で流麗な音楽が横溢し、大活躍する合唱と合わせて聞き所満載である。

私は一連の今公演の指揮がマウリツィオ・ベニーニと発表されたとき、買う気がなかったチケットを購入するか非常に迷うこととなった。メトロポリタン歌劇場などでベルカント・オペラのスペシャリストとして登場するこのイタリア人の巨匠によって繰り広げられるであろう演奏を、一度体験したみたいと思ったからだ。彼は今年6月の「トスカ」でもタクトを取り、その演奏は大変好評だったようだ。YouYubeには事前に開かれたプレトークの動画が掲載されており、その中で彼は、このたびの上演に対する思いを熱く語っている。東京フィルの優秀さと、3人の主役についても申し分がないレベルだということがわかり、私は妻の分と合わせて座席を確保したのは、公演の3日前だった。すでにプレミア公演が好評のうちに終了していたにもかかわらず、日曜日だというのに当日席も十分に残っていた。

主役であるアミーナを歌うのは、まだ20代の若いイタリア人、クラウディオ・ムスキオだった。彼女はシュトゥットガルト歌劇場の歌手で、今年7月の公演でアミーナを歌い、スタンディング・オベーションの成功だったという触込みだった。もっとも当初発表されていたのはローザ・フェオラだった。彼女は「芸術上の理由」から降板することが発表されていた。噂では、ベストなコンディションが保てないということだったようである。だが、私はむしろ実力のある若い歌手の方が、楽しみな要素も多い。定評ある歌手が常にベストだとは限らないのである。

一方、アミーナの結婚相手であるエルヴィーノを歌うのは、世界的に知られたイタリア人のテノール、アントニーノ・シラクーザである。もう還暦を迎える彼は、この役を200回以上も歌ってきた大歌手で、ベルカント・オペラで朗々と歌い上げるリリカルな歌唱には定評がある。年齢を重ねてかつての輝きが減っているという噂もあるが、それでもこの年になって高い声を響かせるのには驚くばかりだ。

意外に見逃せないのが、ロドルフォ伯爵の重要性かも知れない。二人の主役に次ぐ彼の歌には、高貴でありしかも威厳のある歌声が求められる。この役を日本人の妻屋秀和(バス)が担う。我が国を代表するバス歌手として多くの公演に出場している。さらにはリーザに伊藤晴(ソプラノ)、養母テレーザに谷口睦美(メゾ・ソプラノ)という布陣である。申し分のない新国立劇場合唱団の指揮は三澤洋史で、ホームページに掲載されたビデオには練習の様子が記録されている。イタリア語の歌唱にこだわった歌唱は、ベニーニのお墨付きも得て、世界最高ランクの合唱が期待できる。

時間通りに幕が開いて、音楽が聞こえてくるかと思いきや、舞台に現れたのはアミーナと彼女を取り巻く10人程の男たちである。彼らはアミーナを中心に踊り、その間音楽は聞こえない。ひとしきりこの踊りのシーンが続く。以降、アミーナには常にこのバレエダンサーが取り囲むようにして踊った。これは彼女が抱えるもう一つの側面、すなわち彼女の深層心理を表しているのかも知れない。アミーナは孤児として育てられ、そのことが大きなストレスとなって夢遊病を患っているのである。

この舞台で最初に歌うのは合唱(村人)、そしてアミーナの恋敵リーザである。結婚式のシーンでリーザは最初のカヴァティーナを歌う。ここは最初の聞き所である。そしてやがて祝福の渦の中に二人の主役が現れる。合唱団を含めて明るく祝祭的な歌が続く。一気にベルカント・オペラの世界に引き込まれてゆく。それにしても指揮のベニーニは、素晴らしい。彼は歌手の一挙手一投足にまで配慮して、その歌に寄り添い、どんなフレーズにも巧く対応して音符を延ばしたりテンポを動かしたりするのだが、それがあらかじめ計算された(つまり良く練習された)ものとして完璧に示されるのだった。

オペラ上演で、このよう歌手と指揮者の即興的な駆け引きは、しばしば見受けられる。しかし最近ではむしろ指揮者が主導権を持ってグイグイと舞台を進める傾向が強い。しかしそれではベルカント・オペラの良さが伝われないと彼は考えているようだ。なぜならベルカント・オペラの主役は飽くまで歌であり、それを下支えするのがオーケストラであることをわきまえているからだ。

私はロドルフォ伯爵が身を隠して村に到着し歌うカヴァティーナ「この心地良い場所」で、涙を禁じ得なかった。妻屋の歌唱が良かっただけではない。ここまで聞いてきたそれぞれの歌手の水準が平均以上に高いことがわかり、ますます舞台に引き込まれていったからだ。それにしてもその歌詞は美しい。舞台には最低限のセットが置かれ、もう少し照明を生かすなど新国立劇場の装置を生かせばとも思ったが、演出は最近流行の奇抜さが先行する読み替えはなくオーソドックスな部類に入るだろう。むしろ心理的な側面に寄り添う必要から、余計なものを排除した傾向がうかがえる。そのことは舞台に集中力を与え、好感が持てる。

30分の休憩を経て始まった第2幕は、合唱団のシーンから始まる。3階席のサイドからはオーケストラも良く鳴るので、ともすれば歌声がかき消されがちである。しかし今回の公演はその心配がまったくなかった。脇役を含め大変完成度が高く、オーケストラにも一点の曇りももなく、合唱団とバレエは完璧だった。そこに3人の主役級歌手が、長いフレーズと技巧的な装飾を含めて次から次へと綺麗な歌を披露する。

最後のシーン、「不思議だわ」以降は本作品最大の見せ所である。ここでアミーナはひとり長大なアリアを歌う。その前半は夢の中で、後半は夢から醒めた状態で、ということになっている。ここの転換がひとつの見どころだとおもっていたが、今回のアミーナの歌唱は、驚くべきことに村の建物の屋上で歌うというもので、彼女がこの幕の最初からそこにいたとは誰もわからない。照明が当たって、舞台上十数メートルはあろうかという高さにスポットライトが当たり、白い衣装を着た夢遊病の彼女が立っているのである!

3階席の高さもあろうかと思われる。隣のご婦人などははらはらしながら、その様子を見ている。だが彼女はそこにいるだけではなく、大一番の歌を歌うのである。村人を含むすべての登場人物は、屋根上の彼女を見上げている。客席全体が緊張する中、ムスキオは最後の歌を歌い切り、舞台が真っ暗になって終わったとき、満場の客席からは圧倒的なブラボーの嵐が沸き起こったことは当然のことだった。興奮冷めやらぬ雰囲気の中で、カーテンコールが何度も繰り広げられた。ベニーニも登場し、オーケストラも総立ちとなって拍手を送る。手をつないで何度も何度も舞台の奥と前を行ったり来たり。オペラを聞き終えた満足感に浸った3時間が、このようにして終わった。

新国立劇場のエントランスには巨大な生け花が飾られていた。名残り惜しそうな人々は、その前で写真を撮るなどして余韻に浸りながら会場を後にした。私と妻はいつものように、初台の商店街を抜けて代々木八幡の方面へ。事前に予約してあった富ヶ谷にあるレストランで、しばしその公演の素晴らしさを語りながら、年に何回かはこのような舞台を見てみたいねと語り合った。

今シーズンのもうひとつの新制作の出し物であるロッシーニの「ギヨーム・テル」は、「夢遊病の女」と同様にスイスを舞台にした作品である。一般にロッシーニはベッリーニの前の作曲家だが、この「ギヨーム・テル」はロッシーニ最晩年の作品であり、一方ベッリーニは若くして亡くなってしまったから、音楽史的には「ギヨーム・テル」(1829)と「夢遊病の女」(1831)はほぼ同時期の作品である。この長大なオペラ・セリアを本当に見るべきか、私はカレンダーや財布と相談しなければならない。そして今シーズンにはないが、あのドニゼッティの「愛の妙薬」もまた、牧歌的な雰囲気に溢れるベルカント・オペラの代表作である。そういえばまだ見ていない作品は多い。もう少し長生きしてお金持ちになり、毎日芝居を見て暮らす老後こそが理想的であることに疑う余地はない。そういう日々を味わうことは、もはやできないだろうが、少しでもそこに近いことはしてみたいと常々思っているところである。

秋の京都へ向かう新幹線の中で、この文章を書いている。持ってきたスマートフォンからは、ナタリー・デセイがアミーナ役を歌う決定的な録音を聞き続けてきた。まもなく第2幕が終わる。列車は三河安城を通過した。

2024年9月30日月曜日

第2018回NHK交響楽団定期公演(2024年9月28日NHKホール、尾高忠明指揮)

この曲が演目に上れば演奏が誰であれ聞きに行こう、と思う曲がいくつかある。私にとってチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」はそのような曲のひとつである。このたび新シーズンの幕開きとなるNHK交響楽団のC定期公演に、この曲が掲載されていたのを発見したのは、つい先日のことだった。しかもプログラム前半には、同じチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」が演奏される。ここでソリストを務める首席チェロ奏者の辻本玲の、私はファンである。そういうことからこのコンサートに行くことに決めた。

今年の夏は例年にない猛暑で、しかもそれが9月に入っても続くという異例のものだった。クラシック音楽というのを、私は暑い日に聞こうとはあまり思わない。特にこれはヨーロッパの文化であって、その気候風土は地中海性のそれである。空気は乾燥し、冬は寒い。寒い日にゆっくりと耳を傾けることで、例えばブラームスの響きが堪能できる。少なくとも私はそう感じている。

だから今年の9月は、なかなか音楽会に行く気にはなれず、しかも体調を壊したこともあって咳がひどく、これでは公演の時間を静かに座っていることも困難な状況だった。唯一、前もって買っていた東京フィルの定期(ヴェルディの歌劇「マクベス」)も、東京に住む甥に譲る羽目になった。このまま猛暑が続けば体調は回復せず、音楽を聞く気もしないままではないか。そうするともう9月末だというのに、N響定期も危ないな、などと考え始めていた。

しかし何とか猛暑も落ち着いて体調も少しは良くなり、2日目の公演に間に合うこととなった。もっともこの日のチケットは相当数が売れ残っていたから、私は迷わず1階席を買い求めた。指揮は正指揮者の尾高忠明である。1階席とは言っても端っこの方だから、オーケストラを後から見る感じ。ただ前から3列目というのはとても迫力がある。頭上にはパイプオルガンがそびえている。

NHKホールの舞台は、いつからか前面に拡張されて広くなっているにもかかわらず、オーケストラは奥に配置されて舞台の前が大きく開いている。どうしてこういうことになっているのかよくわからない。しかも「ロココ」のような小規模な作品では、さらにオーケストラがこじんまりとしており、大きすぎるホールにやはりそぐわない。辻本玲はチェロを携えて指揮者とともに登場、ゆっくりと、そしてたっぷりとした演奏が始まる。

8つの変奏から成るこの曲は、チェロと管弦楽のために書かれた数少ない作品のひとつだが、演奏時間は20分足らずと短く、有名である割には実際に演奏される機会は多くない。主題が次々と変奏されてゆくのを真横から見るのは悪くないが、辻本のチェロは、その体格のように恰幅のいい演奏で、健康的で若々しく鳴りっぷりがいい。だからかもしれないが、とても充実した印象を残す。彼はいつもチェロ・セクションの最前列で大きく体を揺らしているが、これはテレビで見ても印象的で、その演奏を間近で楽しむことができた。アンコールはカタロニア民謡「鳥の歌」。この曲もチェロの代表的小作品だが、それをオーケストラの弦楽メンバとともに演奏した。定期公演とはいえ、ソリストが身内ということもあるのか、あるいは指揮者が長年に亘って関係を築いてきた日本人からか、どことなくリラックスした雰囲気を感じる。しみじみといい時間が流れた。久しぶりに聞く実演、そして音楽好きだけが会場にいるという安心した雰囲気に嬉しくなった。

N響は何年か前、ソヒエフの指揮により「白鳥の湖」を演奏している。私はこの時も勇んで出かけ、大いに感動したのだが、今回はその時とは異なり、演奏される曲はオリジナルの順である。ソヒエフは独自に曲順を変えて、それはそれで面白かったが、今回はむしろストーリー性を重視したということか。ただ主要な音楽、特に後半に続くダンスの数々は、この曲の最大の聞き所で、管弦楽曲を聞く魅力を伝えて止まない。尾高が指揮棒を持たずに演奏を始めると、舞台の並んだオーケストラからとてつもないボリュームの音楽が流れ出した。

尾高の指揮で聞くシベリウスやエルガーを、私はこれまでに何度か聞いているが、その醒めた、ややシニカルな演奏とは対照的である。最近大フィルで聞いたブルックナーなどもそうだったが、最近の尾高の音楽は、どこか吹っ切れたようにとても迫力に満ちている。そして今日のチャイコフスキーも、まさにそうだった。広いNHKホールの奥にまで音楽を届けようとすると、あのような音量になるのかも知れないが、その結果、ややバランスを欠いていたような気がする。少なくとも前から3列目の私には、ちょっと音圧が大きすぎた。ソヒエフなら、このあたりのバランスは天才的で絶妙である。

しかしそのようなことは、いわゆる「贅沢な苦言」であって、演奏そのものの素晴らしさは、ソリストとして時に会場の視線をくぎ付けにするコンサートマスターの郷古廉を始め、トランペット(彼はソロ部分で起立して演奏したので、私の位置からも良く見えた)、そして大活躍のハープと、絶好調のN響の音を堪能することができたのは言うまでもない。それにしても「白鳥の湖」は、チャイコフスキーが作曲した作品の中でもメロディーの素敵な曲のオンパレードである。チャイコフスキーには時に大変平凡な作品も多いのだが、チャイコフスキーにしか表現できないようなものが沢山ある。そして「白鳥の湖」の音楽は、充実した大音量のワルツや踊りの音楽が目白押しで、飽きることはない。次から次へと繰り出される音楽に興奮し、酔っていく。技量の高いプロのオーケストラが、バレエ音楽を真面目に演奏するという贅沢さ!管弦楽を聞く醍醐味を感じる。

ため息が出るような、あるいはあまりのメロディーの美しさに涙さえ禁じ得ない瞬間を何度も経て、1時間余りにわたる演奏が終わった時、3割程度しか埋まっていない客席からは、大きなブラボーが飛び、さらにそれがオーケストラの退場後も続くこととなった。ソロ・カーテンコールに登場した指揮者とコンサートマスターは、舞台のそでで遠慮がちに挨拶をした。前日のコンサート(第1日目)にはテレビ収録があったはずである。おそらくもう少しバランスのいい音量で、この演奏が聴けるのではないかと今から待ち遠しい。

2024年9月8日日曜日

過去のコンサートの記録から:オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1982年2月8日、大阪フェスティバルホール)

コンサート・プログラム
記憶が正しければ、1981年末に朝比奈隆指揮大阪フィルの「第九」を聞いたその翌年、すなわち1982年は高校入試の年だった。大阪府の高校入試は私立・公立とも3月に行われていたから、2月とも言えばもう直前の追い込みの時期である。ところがどういうわけか私は、この頃に生まれて初めてとなる来日オーケストラの公演に出かけている。それも同じクラスの友人を誘って。

北欧からヘルシンキ・フィルが来日し、我が国でシベリウスの作品を取り上げる全国ツアーが開催されたのだった。これは第10回TDKオリジナル・コンサートという、実に1971年から続く来日オーケストラ公演シリーズの10周年で、当時は民放FM局に同名の番組があって、NHKとは一線を画したクラシック番組としてなかなか楽しい番組だった。この番組は、来日した演奏家や当時の日本人演奏家によるコンサートの収録が主な内容で、調べたところによると1987年に終了しているようだが、コンサートはその後も「TDKオーケストラコンサート」として続けられている。

来日公演のライブ録音盤
1882年にロベルト・カヤススにより設立された北欧で最も古いオーケストラは、この年創立100周年、そして数々の初演を行ったシベリウスの没後25周年という節目だったようだ。この時の来日では当時の首席指揮者オッコ・カムと、我が国のシベリウスの第一人者渡辺暁雄が担当した。プログラムによれば公演は東京厚生年金会館、大阪フェスティバルホール、それに福岡サンパレスの3か所で、3日間で交響曲全曲演奏となる(これはTDKの主催公演の話で、これ以外にも全国各地で公演を行っているようだ)。これらはすべてPCM収録され、番組で放送された。私がでかけた公演は、このうちの大阪のもの(2月4日)で、交響詩「フィンランディア」、交響曲第5番、それに交響曲第2番という、もっとも有名な曲の組み合わせだった。とはいえクラシック音楽を聞き始めた中学生にとってシベリウスの音楽は未知なもので、特に第5番などは一度も聞いたことがなかった。それよりも初めて聞く外国のオーケストラがどのような音を出すのか、興味津々だった記憶がある。

カム指揮BPOのCD
オッコ・カムは当時まだ30代の気鋭の指揮者で、しばしば日本も訪れていたようだが、何と言っても第1回カラヤン・コンクールの覇者として知られていた。このシベリウス・チクルスはいまでも語り草となり、この時の録音はCDにして発売されている。しかしまだコンサート2回目の私には、実演でオーケストラを聞くこと自体に興奮し、演奏自体はほとんど記憶が残っていない。私は受験を控えていたというのに、このコンサートで演奏される曲を何度か聞き通した。我が家にあったカラヤン指揮フィルハーモニア管による疑似ステレオ盤が、交響曲第2番を収録していた。この演奏は再生装置が貧弱だったせいか、ひらべったくてまったくつまらない印象でしかなかった。カムがベルリン・フィルを指揮したレコードも発売されていた。私はそれを聞くことはできなかったが、おそらく彼がベルリン・フィルにの残した録音はこれ1曲だけである。それは今では簡単に聞くことができる。若々しい演奏である。

TDK音楽テープの広告
当時のプログラムが今でも手元にある。曲目や指揮者の解説だけでなく、北欧の音楽、しかもフィンランドのそれについて小さい字で詳しく書かれ読みごたえがある。ピアニストの館野泉が文章を寄せ、10年間のこの番組の全放送記録も掲載されている(小澤征爾が日フィルを指揮していたり、若い内田光子がソリストとして登場していたりと興味は尽きない)。そして広告にはTDKの音楽用カセットテープのラインナップが出ているのは大変懐かしく、そういった広告も含めて過去のプログラムというのは味わい深いものだと思う(買う時は高く閉口するのだが)。

実際のコンサートでは、初めて聞く外国のオーケストラに興奮したが、その技術的な水準はそれほど高いとは思わなかった。ただご当地の音楽というだけあって、その表現は堂々としたものがあり、私を一定の感動に導いたのは確かであった。私は、このコンサートが放送された際に、もちろんエアチェックしてカセットテープに保存した。そして初めて聞いたシベリウスの音楽に親しみを持つことになったのだから、このコンサートの企画は成功したと言える。極東の若き学生に、初めて実演で母国シベリウスの音楽を届け、彼をその音楽好きにさせたのだから。

私にとっての第2回目のコンサートは、このようなものだった。ただ私はそれから40年以上が経過した今でも、フィンランドという国を知らない。シベリウス以外の音楽もほとんど知らない。カムという指揮者は、今でも存命で時に演奏会に登場しているようだが、私はあれ以来、一度も彼の指揮する音楽に接してはいない。フィンランドという国は、私にとっていまだに遠い存在である続けているということかも知れない。

2024年8月27日火曜日

過去のコンサートの記録から(プロローグ)

私はこれまで、計392回のクラシック音楽演奏会に出かけている。これは、仕事や家庭を持つ一人の音楽ファンとしては多い方だと思うが、経済的、時間的なゆとりのある方や、音楽関係者と比べるとけた違いに少ないだろう。人生最初のコンサートが1981年のことだったから、42年間に年平均9.3回という計算になる。このブログを書き始めたのが2012年のことで、それ以降の演奏会については詳細な感想を記してきた。またオペラについては、それ以前に見た公演を思い出しながら記述をした。残る1981年から2012年の間の約30年間のコンサートについては、良く覚えているものもあれば、記憶にないものもある。しかし私は、それこそ最初から誰の演奏で何という曲を聞いたか、最小限の記録をしてきたので、ある程度振り返ることができる。いつかやろうと思っていたことを、ここで一気に記しておきたい。

だがその前に、自分のお金で出かけた最初のコンサート(1981年12月)までの音楽体験について、思い出しながら少し書いておこうと思う。

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特に音楽家の家系でもない私の家に、祖父母が所有いていたVictor製の古いステレオ装置があった。独立した2台のスピーカーとターンテーブル、アンプ、チューナーが一体型になった、割に大きなものだった。ここで聞けるのは、SP、EP、それにLPのアナログ・レコードだった。SPレコードには江利チエミの歌謡歌や軍歌、さらには柳屋小さんの落語などがあったように記憶している。78回転という高速で回るレコードは重く、しかもわずか数分で片面が終わり、盤面を裏返す必要があった。

音声は当然ノイズを伴ったモノラルで、当時の水準からしても古色蒼然としており、これをじっくり聞く気はしなかった。むしろ私はドーナツ盤のレコードを買ってもらって、「帰って来たウルトラマン」や「NHKみんなのうた」のような音楽を聞いていた。まだ幼稚園の頃だったと思う。小学生になって私の通う地元の小学校には各教室に、簡易なポータブル式のレコードプレーヤーがあった。休み時間になると奪い合うようにしてこれに群がり、当時流行していた「黒猫のタンゴ」などを聞いたのを覚えている。

これらはいずれもクラシック音楽ではない。最初のクラシックの経験は、その小学校1年生の時、猛暑の体育館で聞いた地元のオーケストラの演奏だった。初めて聞く生の音楽に、私はとても興奮した。この時聞いたモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、記憶に残る最初の西洋音楽体験だった。

クラシックのLPレコードは、我が家にも数枚あった。けれども、それらを再生する装置がなかった。ある時それらのレコードを、満足いくステレオ装置で聞いてみたい、と父は考えた。確か私が9歳の頃、最新のVictor製コンポが我が家に届いたのだ。出入りしていた日立のショップにたのんで組んでもらったようだった。だが私は、それに勝手に触れることを禁じられた。盤が汚れたり、針が痛むことを恐れたのだろう。仕方がないので親に頼んで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のレコードをかけてもらった。するとそれまで聞いたことのない生々しい音楽が流れ出てくるではないか!これが最初の録音メディアによる音楽体験で、演奏はゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルのドーナツ盤だったということがわかっている。

剛直にしてしなやかな音楽は、私を一気にクラシック好きにした。そこでもう少し長い曲を聞いてみたいと思った。クラシック音楽は一般に長く、1時間にも及ぶ曲を物音立てず静かに聞くものだ、という観念があって、それでも飽きない音楽とはいったいどういうものだろう、と思った。私は一枚のLPをリクエストした。それはベートーヴェンの「英雄交響曲」で、ジャケットには田舎を散歩するベートーヴェンの険しい表情が描かれていたように思う。演奏はブルーノ・ワルター指揮コロンビア管弦楽団。そしてこれを最後まで聞き通したのだった。小学校3年生の時だった。この演奏(というか曲)は私を一気にクラシック好きにした。今でもCDで買いなおすなどして手元に持っている。ただ録音のせいか、再生装置のせいか、平べったい印象の演奏で、何か感動したというよりは50分にも及ぶ曲(しかも「エロイカ」)を最後まで聞いたという優越感に浸っていたように思う。

私が音楽を聞いて喜ぶのを見て、母は私を初めての演奏会に連れて行ってくれた。それは彼女もかつて歌ったことのあるアマチュア・コーラスが合唱を務めるベートーヴェンの「第九」で、外山雄三が指揮する大阪フィル。この時初めてコンサート・ホールというところに行って、長時間静かに座っているという経験をしたことになる。何やらわからないまま終わったが、最後に大きな拍手に包まれた演奏だったことを覚えている。年末と言えば「第九」、「第九」といえば年末で、大阪でも数多くの「第九」演奏会が催されていた。中之島にあるフェスティバルホールからの帰り、北新地から曽根崎まで歩き、美味しい中華料理を食べた。たしか小学校5年生くらいだった。

この頃になると自由にステレオ装置を触ることができたから、私は家にあった数十枚のレコードから、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲を中心に、様々な曲を聞いていった。モーツァルトはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による質実剛健そのものの演奏、ベートーヴェンは第3番(ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル)、第4番(オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管)、第5番(アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響)、それに第9番(ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管)、ベルリオーズの「幻想交響曲」(シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響)といったものである。

中学生の私はラジオを聞くことを趣味にしていたから、クラシック音楽の多くはFM放送で楽しむことが多かった。今とは違い、それこそ一日中クラシック音楽の番組を放送しており、民放にもクラシック音楽の番組があった。カール・ベームの「ジュピター交響曲」を土曜の朝の民放FMで聞いて興奮してしまい、学校に行っても音楽が耳から離れることはなかった。

中学2年生になったとき、1年間の米国滞在を終えて帰国した父親のスーツケースの中から、当時発売されたばかりのレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン全集の10枚組LPがどかんと入っていた。すべてライブ録音されたこの全集こそ、私を決定的にクラシック好きにした。当時、友人が毎日のように我が家へ遊びに来ていたから、彼らにも片っ端から聞かせてはカセットにダビングして手渡した。演奏による音楽表現の違いを味わうようになったのも、このころからである。そして当時の友人を誘い、小遣いをはたいてとうとう実際の演奏会に足を運ぶことにした。と言ってもそれほど選択肢があるわけでもなく、郊外に住む私の家から会場まで一時間以上かかるから、演奏会が終わるとまっすぐに帰って来る必要があった。

私はどういう演奏会がいいか考え、そして無難な選択をした。当時我が家に来ていた新聞広告を見て、年末恒例の「第九」の演奏会の学生券を購入することにしたのである。演奏は朝比奈隆指揮大阪フィル。地元のショッピングセンター地下に新しくできたプレイガイドで、そのチケットの一番安い席を買い求めた。たしか3000円だった。当時の大阪フェスティバルホールの2階席最後列は、ティンパニーの音が視覚よりずれて聞こえるような遠い席であるのもかかわらず大勢の人がおしかけ、私の隣に陣取っていた数人の学生と思しき太った男が、コーダが終わると一斉に「ブラボー」と叫んだ。これは少し不自然な感じがした。演奏会はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲に始まり、アンコールには残った合唱のみで「蛍の光」が歌われた。高校入試を間近に控え、暮も押し迫った12月30日のことだった(注)。

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(注)この演奏会、1981年だと思っている。しかし、Webで検索しても当時の演奏会に関する情報は今のところ得られていない。私にできる唯一の方法は、大阪フィルへメールを出して、当時の第九の演奏会情報を検索してもらうことである。だが、もはやそれはどうでもいい気がしている。私は1980年代の前半の中学生時代に、朝比奈の指揮する年末の第九の演奏家に行ったことは確かであり、それは私が初めて自前でチェット購入した演奏会だった。

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...