2025年12月10日水曜日

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境でしか生きられない不遇さに、強いストレスを抱えて成長したはずだ。それが「夢遊病」という形で表れている。本当の自分は、強く抑圧され、表出を許されない。だが夜になると、別の――いや、本来の彼女が姿を変えて彷徨い、無自覚のまま幽霊のように村に現れる。

ところがベルカント時代の、あまりに陽気で美しいベッリーニの音楽は、こうした暗い側面を覆い隠してしまう。ヴェルディの時代になると、「薄幸な女性」の心理がより細やかに描写される。《椿姫》を挙げるまでもなく、それは儚く美しく、そして残酷である。しかしアミーナという役柄には、そこまでの心理の闇を感じるのが難しい。想像力を大きく補ってもなお、深く描きにくい役である。

そんな作品を、新演出として担ったのが、かつてテノール歌手として一世を風靡したメキシコ出身のロランド・ヴィリャソンである。閉鎖社会に生きるアミーナの心理を、過度に現代風に寄せるでもなく、かといって古めかしくもない絶妙な距離感で描いている。歌を中心に据えながらも、物語の要点を的確に押さえた秀逸な演出である。いくつか気づいた点を記しておこう。

まず舞台には、スイスらしいアルプスの高峰が大きくそびえている。その前には複数のドア(各住居を示すのだろう)に囲まれた村の広場が広がる。合唱団が演じる村人たちの、閉鎖的で因習に縛られた生活はこの広場で展開される。そこへ旅人として現れる謎のロドルフォ伯爵(バスのアレクサンダー・ヴィノグラドフ)は、なんと山のほうから塀を越えて梯子で下りてくる。外の世界が「越えるのも困難な高い壁」で隔てられていることの象徴だろう。

塀の上、すなわち山々を背景に、アミーナの“分身”とも言うべき無言の女性が登場し、アミーナがアリアを歌うたびに同じ仕草でシンクロする。古い慣習に押しつぶされそうになる彼女の無意識の本心が、夢遊病の際にこのもう一人の女性として舞台上に具現化しているのだ。

外の世界を知る徳の高い伯爵は、夢遊病を理解しており、夜中に彷徨う彼女の無実を証明しようとしている。しかし、アミーナの婚約者エルヴィーノ(テノールのシャピエール・アンドゥアーガ)は、一度は熱烈に愛した彼女を誤解から責め、自暴自棄になる。そして伯爵が宿泊することになった宿屋の女主人であり、アミーナの“元々の”恋敵でもあるリーザ(ソプラノのシドニー・マンカソーラ)に言い寄って結婚しようとする。この浅はかな行動について、アンドゥアーガ本人が「尊敬できない役柄だが、困難な歌にエネルギーを集中している」と語ったインタビューが面白かった。

このプロダクションは今シーズンのMET Liveの開幕演目である。幕開けにベッリーニを置くのは斬新だが、ベルカント作品の難しさを考えると冒険でもある。だが満を持して歌手を揃え、この分野の気鋭であるリッカルド・フリッツァを指揮に起用したことで、本公演の成功が裏付けられたことは容易に想像できる。

歌手に目を向けよう。私は近ごろの体調もあり、長時間の映画や公演にやや疲れていて乗り気ではなかった。映画仕立てのライブ上映であり、急いで観る必要もない。東劇では3週間のロングランだし、夏にはリバイバルもある。しかも私は、ナタリー・デセイとファン・ディエゴ・フローレスが出演した2008年のジマーアマン演出の名プロダクションを観ており、昨年の新国立劇場の舞台も記憶に新しい。「無理して行かなくても……」という気持ちは確かにあった。

しかし映像が始まり、冒頭でリーザを歌うマンカソーラのアリアが聞こえてきた瞬間、私は一気に画面へ引き寄せられた。めくるめくベルカントの歌声に、思わず身震いしたのである。彼女は主役ではない。主役はアミーナ役のシエラで、彼女は今もっとも注目すべきアメリカのベルカント・ソプラノだ。相手役エルヴィーノを歌うスペイン出身のアンドゥアーガについては、冒頭でゲルブ総裁が「若き日のパヴァロッティを思わせる」と述べていたが、私は声質や風貌から、むしろ若き日のカレーラスを思い起こした。

ロドルフォ伯爵を歌ったヴィノグラドフはロシア出身。若いながらも艶と威厳を備え、高貴な雰囲気が抜群である。二人のソプラノが恋敵として対照をなす点も舞台の見どころだが、声に個性を持つマンカソーラがとりわけ印象的だった。ただ、やはり舞台はシエラの独壇場である。アミーナの聴きどころは多く、どれも素晴らしいが、最大のハイライトはやはり第2回目の夢遊病のシーンだ。夢遊状態で歌うアリアと、そこから目覚めて歌うアリアとで、歌の性質がどれほど変化するかが見どころである。舞台がガラリと明るくなるなどの工夫があってもよいのでは、といつも思うのだが、今回もそうした演出はなかった。

ただし、舞台左手から階段が現れ、傾いた村の扉の上からアミーナの“分身”と触れ合う。彼女は外の世界――伝統に縛られない新しい世界へと向かっていく。恋敵リーザとの抱擁は、女性としての感覚を共有する象徴的な場面であり、その後、例の階段を上って村の外の世界へ羽ばたこうとするところで幕となる。

息もつかせぬ歌声に寄り添い、繊細なルバートを交えながらも歌手をしっかり導く指揮者の音づくりは見事というほかない。そのおかげで出演者たちは難度の高いアリアを次々と熱唱する。2幕のオペラが終わるころには、心の底から充足感が押し寄せてきた。音楽を聴く楽しみ、歌と舞台を味わう喜び――その時間を持つ幸福を深く実感した3時間であった。

2025年12月9日火曜日

NHK交響楽団第2052回定期公演(2025年12月5日サントリーホール、ファビオ・ルイージ指揮)

イタリア・ジェノヴァ生まれの指揮者ファビオ・ルイージが、パーヴォ・ヤルヴィの後任としてN響の首席指揮者に就任してから三年が経過した。ルイージとN響の関係は、観客の好みを超えて一種の発展と成長を遂げ、そうでなければ到達し得なかったであろう音楽的表現のレベル、関係性を獲得しつつあるように思えてくる。9月定期のメンデルスゾーンにも、今回のサン=サーンスにも、同様の傾向が感じられた。

直線的でこれ以上ないスピード。体を大きく揺らしながらそれにくらいついていくN響メンバーからは、かつて見たこともないエネルギーが感じられる。各プレイヤーは身を乗り出し、必死の形相でさえある。何か一線を越えたような表現力、それを生み出す開き直ったような覚悟とエネルギーが、首席以外のプレイヤーからも如実に感じられる。このさまはライブで演奏を見る楽しみでもある。上品な日本のオーケストラで、このような果敢で集中力の高い演奏は、かつてあまり感じられることはなかった。もっともそれを成功させているのは、各プレイヤーの高い技量が前提になっているのだが。

そのようにしてルイージのN響は、今やかつてない高みに達しているように思えてくる。12月定期を聞いて、その思いを新たにした。B定期2日目、クリスマスの飾り付けがこのシーズン独特の華やかなムードを高める中、3つの曲が演奏された。まず我が国を代表する現代の作曲家、藤倉大の新曲で、N響委嘱作品の「管弦楽のためのオーシャン・ブレイカー~ピエール・ブーレーズの思い出に~」。勿論世界初演である。渡された解説によると、この作品はロンドン在住の藤倉が見つけた雲の本にインスピレーションを得て作曲したとのことである。しかし題名に「オーシャン」という名詞が使われており、これは「雲」をヒントに「海」をモチーフとして描いた作品ということになるのだろうか。

いずれにせよ、「雲」あるいは「海」が持つ絶え間ない分子の動きと光、あるいはその変化を音にしている。少なくともそういう風に聞くことになる。オーケストラは大編成で、ヴィブラフォンも登場するが、音楽自体は親しみやすい。テンポがあまり動かないからかも知れない。激しい部分もあって、聞いたことがない楽器の組み合わせによる音の変化を楽しむ。ルイージは丁寧にこの曲を演奏し終え、舞台から作曲家が登場すると大きな拍手に見舞われた。約15分の曲だった。

ピアノが中央に配置され、続くフランクの「交響的変奏曲」が演奏された。ここでピアノ独奏を務めたのは若きイスラエル人の俊英、トム・ボローであった。もっとも私はこの曲を聞いたことがなく、丸でピアノのための小協奏曲のような佇まいを15分余りにわたって楽しむことになった。フランクはベルギーの作曲家だが、フランス音楽に分類され、実際、フランス風のメロディーが聞こえてくる。

ピアノの音からは、自信たっぷりにほとばしる若いエネルギーを感じるので、そのことが何か嬉しいのだが、特にアンコールとして演奏されたJ. S. バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006」から「ガヴォット」(ピアノ版、ラフマニノフ編)の方が、何か彼自身の瑞々しさをストレートに伝えていたように思う。もっといろいろな作品(特にベートーヴェン)を聞きたいと思った。

後半のプログラムはサン=サーンスの「オルガン交響曲」であった。サントリーホールの正面に設えられたパイプ・オルガンの前に登場したソリストは、近藤岳であった。作曲家でもある彼は、ときどきNHKの音楽番組にも登場しているそうである。

この「オルガン交響曲」を何と形容すれば良いのか迷うのだが、冒頭に書いたようにめっぽう速く、一気に演奏されたので、その様子に見とれているうちに終わってしまった、という感じである。とにかく第1楽章が始まると直に、並々ならぬ勢いでグイグイと進むさまは壮観でさえあった。第1楽章の後半、すなわち通常の交響曲では第2楽章に相当する緩やかな部分は、いよいよオルガンが登場して通奏低音のように底を支え、弦楽器から大変にロマンチックなメロディーが聞こえてきてうっとりする曲である。ところが今回の演奏は、そういう部分に酔う間を(少なくとも私には)与えてくれなかった。

迫力に満ちた第2楽章は、打楽器やピアノも交じって大変カラフルな曲だが、ここでもルイージは煽るかのようにオーケストラをドライブし、それに食らいついてゆくオーケストラとのやりとりを見るのは、奮い立つような時間だ。こういう演奏は実演でしか見ることができないとも思えてくるので、これは貴重である。ともすれば我々は、録音されたメディアでの音楽体験に依存しずぎているのが事実で、本来音楽は実演で聞くものである、ということを思い出させてくれる。

ルイージの指揮は、まるでトスカニーニが生きていたらこんな演奏だったのかなあ、などと少し考えてみたりしたが、つまりは空回りしているわけではなく、オーケストラが一皮むけた状態で必死になっている。かつてのN響ではなかった光景が生まれつつある。そのような関係性を構築し、完成度を高めつつあるこのコンビは、そこそこ評価されてよいだろうと思う。だが、音楽そのものに魂が宿っておらず、どこかに置き忘れてきた感がある。その結果、後から考えてどのような音楽だったかを思い出すことができない。つまりは心に残らないような部分がある。そこが今後の課題であり、リスナーとしての注目すべき部分だと思った。

2025年12月3日水曜日

R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1985年)

私の育った家庭は決して教育熱心でなかったわけではないが、かといって受験などは放任主義で、CDが出始めた時も受験直前になってプレイヤーを買った。私の部屋は、ステレオ装置の置いてあるリビングの真向いにあって、ドアを閉めていても音が聞こえてくる。夏はクーラーもなかったから、音が筒抜けだった。

まだCDが出始めた頃で、タイトルは輸入盤が中心でごく僅か。値段はそれでも一枚3500円した。LPにない魅力をうたったCDは、まだ高嶺の花だった。私が小遣いで買うことはできないし、したくない。むしろ安くなる一方のLPにこそ、手を出していた。

そんな私が初めて自分のお金で買おうとしたCDが、カラヤンの「英雄の生涯」だった。もっともカラヤンの新盤くらいしか、レコード屋に置かれていない。それも隅っこの方に申し訳程度。これでは、選択肢がほとんどない。そのような中で、カラヤンの「英雄の生涯」は、自身のCD第1号に相応しいと思った(思うことにした)。1986年、40年前にことである。そして受験がすべて終わったその日が、ついにやってきた。

私は試験会場を後にして、大阪ミナミの道頓堀に近くを彷徨しながら、レコード屋を探した。普段はキタのレコード屋(ワルツ堂や大月楽器)に行くことにしていたが、堺市の大学を受験したので、難波界隈での買い物を試みたのだ。ようやく訪れた解放感に浸りながら、ゆったりと人混みの中を気分良く歩いていると、長かった受験生活の間に硬直して固まった緊張が、ゆるゆると解けていくような錯覚に見舞われた。

心斎橋近くに小さなレコード屋を見つけ、中に入った。ところがCDなど置かれているようには見えない。ましてクラシックのコーナーなど片手のてのひらで厚さを計れるほど小さいスペースである。これではCDなど買えるはずがない。しかし、CDは今日買って今日聞きたい。何せ、受験が終わった記念の日の、自分へのささやかなご褒美なのだから。

そのレコード屋には、それでも数枚のクラシック音楽CDが並んでいた。店員に頼んで見せてもらうほど高い位置にあって、どんなタイトルかわかりにくい。もっともジャケットが黄色いので、ドイツ・グラモフォンのCDであることはすぐにわかった。となれば、カラヤンのCDもあるに違いない。私はリリースされたばかりの「英雄の生涯」を探した。しかしあいにく「英雄の生涯」は売られていなかった。仕方なく、私は代わりにカラヤンが指揮するチャイコフスキーの交響曲第4番(ウィーン・フィル)のものを買って帰った。音楽の性質は、まったく違う。「英雄の生涯」が自尊心に溢れた若きエネルギーを感じる陽性の曲なのに対し、チャイコフスキーの方は、自身を失って挫折状態から、空虚な勝利妄想に至る神経症のような曲だ(と当時の私は考えていた)。

帰宅してさっそくチャイコフスキーのCDをかけていると、もしかすると自分の今の気分に合っているのは、むしろこちらではないか、と思うようになった。受験の出来栄えが、あまり芳しくなかったからである。しかし2週間後には合格が発表された。私はその学校が第2志望だったので、進学こそしなかったが、そのような受験の日々を懐かしく思い出す。

前置きが長くなった。ではその時買おうとしたカラヤンの新盤「英雄の生涯」はどうなったか。それから十年近くも経過してCDの値段も落ち着き、私は上京してサラリーマン生活を送っていたから、あるとき池袋のHMVで思い出したようにこのCDを買った。45分程度の曲なのに、CDにはこの1曲しか収められていない。西ドイツ製。もっともカラヤンには、59年の録音もある。晩年のデジタル録音がいいとは限らないので、これは私の個人的な思いの入った選曲であることをお断りしておく。

若いリヒャルト・シュトラウスが書いた交響詩の中では最後に位置するのが、この「英雄の生涯」である。正式には「大オーケストラのための交響詩」となっていて、105名のプレイヤーを要する大曲である。ここで「英雄」とは、歴史上の人物でもなければ、ナチスの党首でもなく、作曲家自身を指すと言われている。なんとも自惚れた曲だが、そのあたりが面白いと思った。ということは第3部の「英雄の伴侶」は、恐妻家で知られるシュトラウスの妻が描かれているということになる。ここで登場するヴァイオリン・ソロ(コンサートマスターが弾く)は、最初めっぽう粗くて起伏に満ち、時に高音を発するヒステリックな音楽である。

音楽で表現できないものはない、と語ったシュトラウスは、このような方法で妻へのささやかな攻撃を試みた。なんともいじらしく、微笑ましい話のように思える。いや切羽詰まった思いの吐露か。ただ大作曲家にはほかにも多くの敵がいた。それは批評家である。ただシュトラウスのために言っておくと、「英雄」が自身を指すということは公式には述べられていない。従って余計な雑念を配して聴くのが良い、とされている。

さて、「英雄の生涯」は以下の6つの部分から構成されている。ただし、音楽は続けて演奏される。

  1. Der Held (英雄)
  2. Des Helden Widersacher (英雄の敵)
  3. Des Helden Gefährtin (英雄の伴侶)
  4. Des Helden Walstatt (英雄の戦場)
  5. Des Helden Friedenswerke (英雄の業績)
  6. Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)

大音量のゴージャスな響き、親しみやすい旋律、数多くの楽器やソロパートを聞く楽しみ、そしてそれらが重なり合い、うねりとなって進行するさまは、まさにオーケストラを聞く醍醐味といっていい。人気があるからだろう。毎年数多くの演奏会でこの曲が取り上げられる。録音の数も多い。演奏会に行くと、有名なフレーズの練習に余念がない団員が、早くも舞台上で直前のおさらいをしている。

勇壮な冒頭から一気に引き込まれ、気が付いたら第2部になっているという感じで音楽はスタートする。この冒頭は一度聞いたら忘れられないが、主題のメロディーは何度かあとにも登場する。力強くて威勢が良く、若きエネルギーを感じさせる。

それに対し第2部は、「英雄」敵が登場する。彼らは批評家なのか無理解な聴衆なのか。いずれにせよ、ここは暗く焦燥感に満ち、心が安定しない。

第3部になって女性が登場。この女性、キンキンと声を張り上げて奔放に振舞うが、芸術家である英雄は煮え切らない態度である。そのやりとりが比較的長く続くが、ここはソロ・ヴァイオリンの腕の見せ所となっている。私の所有するカラヤンの新盤では、レオン・シュピーラーが弾いている。

この第3部は結構長い。そして後半になると芸術家の心も解けて相愛となり、ロマンチックな愛の情景が描かれる。このような音楽はシュトラウスの十八番であって、ヴァイオリンを絡めながら壮大な情景が繰り広げられてうっとりする。

舞台裏からトランペットが鳴り、小太鼓の音が聞こえてくると第4部に入る。3拍子。戦場。ということは、作曲家は芸術に邁進し、新しい境地を次々と切り開く時期ということか。格闘するのは敵なのか、それとも芸術的理想なのか。いずれにせよ最終的には大勝利を収め、音楽はクライマックスを形成する。人生の絶頂期。だがこの曲を作曲したシュトラウスはまだ30代である。

第5部。「ドン・ファン」のメロディーが聞こえてきて驚くが、それ以外にも数々の交響詩の音楽がちりばめられているようだ。やはりこれはシュトラウス自身の業績とその回想である。成功した英雄は、心穏やかな平和な日々を送る。現代に置き換えれば、さながら引退直後の60代といった感じだろうか。一仕事を終えてなおまだ健康を害してはいない。だから、この時期にこそ人生は謳歌すべきである(と私は思うことにしている)。

第6部は、高齢者となった英雄の最期である。イングリッシュ・ホルンが印象的。体が弱り、穏やかな隠居生活に入るのだろう。過去を振り返りつつ、伴侶に看取られて世を去る。壮大なコーダとなって、音楽は感動的に終わる。

この音楽を演奏するのに、カラヤンの右に出る者はいない、と思った。その考えは今でも変わっていない。何度も録音しても良さそうな曲だが、59年の古い録音と、74年のEMI盤、そしてデジタル時代の85年盤が良く知られている。ここで取り上げたのは84年版。久しぶりに聞いて、やはりいいな、と感じる。CDの時代が去って久しいが、このCDは最後まで手元に置いておきたい。

この新しい録音が再度リリースされた時には、「死と変容」が収められていた。一方、59年盤を聞くと演奏自体はさほど変わらないが、より引き締まった感じがする。ヴァイオリン・ソロのミシェル・シュヴァルヴェが素晴らしい。そして余白にはワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録されている。音楽配信が主流の今では、まあどうでもよいことなのだけれど。

2025年11月27日木曜日

映画:宝島(2025)

映画「国宝」を見た翌日、「宝島」を見た。「宝島」は直木賞作家の真藤順丈による小説が原作だ。私はこの本を出版と同時に読み、その内容に深く感動して自身のブログにも書いたほどだ(https://diaryofjerry.blogspot.com/2019/10/2018.html)。その作品が映画化されてすでに公開されているとは、最近まで知らなかった。両作品とも3時間に及ぶ大作だが、「宝島」には「国宝」の2倍以上の製作費がかけられたらしい。それにもかかわらず、「国宝」の評判に比べると「宝島」の評判は圧倒的に低い。

なぜそうなったのかを考える上で、注意すべきことがある。タイトルに「宝」の文字が入っているものの、両者の映画はまったく異なる性質を持っている。「国宝」は歌舞伎役者の人生や関係者との対立・親睦を描いており、映像作品としての美しさも手伝って極上のエンターテインメントに仕上がっている。一方、「宝島」は米国占領時代の沖縄の現実を描いた社会ドラマであり、その内容は非常にシリアスである。

「宝島」が描き出す、まるで発展途上国のような当時の沖縄の現実は、これまであまり取り上げられてこなかったように思う。あまりに激しく、悲しい現実だからだ。しかし、小説「宝島」はこの問題に真摯に向き合い、東京出身の作家であるにもかかわらず方言を巧みに使い、見事な長編小説に仕上げている。登場する5人の主人公、オンちゃん、グスク、レイ、ヤマコ、ウタをはじめとするすべての登場人物が、当時の沖縄の人々の立場や考え方の違いを象徴的に体現している。しかし、彼らが共通して抱き続けるのは、沖縄の厳しい現実をなんとかしたいという根源的かつ人間的な欲求であり、それがこの物語の主題である。

アメリカ兵にひき殺されても、小学校に戦闘機が墜落しても、占領下の沖縄には自治権がなかった。戦前の沖縄は日本の一部であるにもかかわらず、太平洋戦争の戦場となり、住民の4人に1人が亡くなった。しかも、そのあとの長い占領時代が続いた。さらに、それが終わって本土復帰した今でも、多くの基地が存在し続けているのは周知の通りだ。したがって、この映画は少し前の沖縄を舞台にしているとはいえ、今日的な問題としての性質をそのまま受け継いでおり、それがこの映画を見ることの意義である。「国宝」にはそのような社会的視点はない。本質的にテーマにしていることが違うのだ。

長い原作を映画化するに際して、『宝島』もずいぶん苦労したのではないだろうか。当時使われていた沖縄の方言が多用されていることも難解さに拍車をかけているが、これは公開からしばらく経って、字幕を付けることにより解消された。この字幕がなければわかりにくいだろう。しかし、字幕があってもこの小説を読んだことがある場合と比べると、やはりストーリーの複雑さは否めない。

共通の目的があった初期の「戦果アギヤー」からしばらく経って、3人の進む道は少しずつ分かれていく。彼らを含め、その周りにいるコザの人たちや米軍関係者、日本政府関係者など、それぞれの立場が微妙に異なることは今日の沖縄の複雑な政治状況にそのままつながっている。だからこそ、その違いをもう少し強調すべきだったように思う。

行方不明になったオンちゃんを追う3人は、それぞれ異なる道へ進むが、孤児として花売りをしていた少年ウタによって結びつけられ、共通の目的であるオンちゃんの消息を長年にわたって探ろうとし続ける。その間にコザ暴動や毒ガス武器配備の隠蔽事件などが次々とおこるが、その多くは事実に基づいている。映像が作り出すどこか中南米の植民地のような基地の街でデモが起こり、車がひっくり返されて火がつけられ、「アメリカ出ていけ!」とデモが叫ぶ。メジャーな映画でこのような作品が、あっただろうか?

しかも、この映画は沖縄の人によって書かれたわけではなく、沖縄の俳優によって演じられているわけでもない。それにもかかわらず、真正面から沖縄の問題を取り扱っていることに震えるような感動を覚える。多大な費用がかけられ、気鋭の監督が指揮し、第一人者の俳優が演じるというのは、恐ろしいほどに見事だし嬉しい。

しかし、小説を読み終わったときに感じるのは、沖縄の海に吹くすがすがしい風だ。その心地よい、どこか寂しい気持ちを内に秘めた中に、三線が鳴り響き、エイサーが踊られる。海が青ければ青いほど、沖縄の悲しみは深く、大きい。この沖縄の情景を、最後にもう少し表現してほしかった。

だが、そういったことはあと一歩で満点になるテストに難癖をつけるような話だ。もっと多くの人が見てほしいと思う映画であるからこそ、あとわずかな改善がなされるといいなと思う。あるいは、この映画を機に、今まで正面から語られてこなかった現代の沖縄史を、もっと多くの人が取り上げていくことになればと思う。それほどの重量感を持つストーリーは迫真に満ち、真摯な感情表現に魂を揺さぶられるが、見終わると不思議と気持ちが浄化されたような気分になる。そんな魔法のような話を「国宝」を上回る時間、まったく飽きずに一気に見ることができる。

2025年11月26日水曜日

映画:国宝(2025年)

今年公開された映画の中で最大のヒット作である「国宝」は、吉田修一による同名の小説を原作としている。私は原作を読んでいないが、映画で見た本作は、大変見ごたえのあるものだった。その理由は、二人の主役を演じた俳優(吉沢亮、横浜流星)の名演技に加え、ツボを押さえた大胆な脚本の見事さと、アップを多用した集中力あるカメラワークにあったと思う。結果的に、小説では味わえない映画作品としての成功を収めているのだろうと感じる。

長崎で始まるストーリーは、すぐに関西が中心となって続き、最後に少し東京へも移る。俳優はみな関西人ではないが、セリフのほとんどが関西弁であることは、大阪出身の者として何か嬉しい。歌舞伎はそもそも上方で発展したから、ということもある。登場する演目に「曽根崎心中」や「二人道成寺」のような、関西を舞台とするものも多く登場する。

私は歌舞伎を見たことはないが、実は幼い頃に大阪ミナミの新歌舞伎座で、祖母に連れられて見たことになっている。まだ4、5歳の頃だった。幼い私は開演前のわずかな時間、花道の上で遊んでいたらしい。やがて係員が来て、「そろそろ降りて下さい」と言われた。私はそのことを良く覚えていて、もしかするとそれが最も幼い頃の記憶ではないかと思う。

その歌舞伎の女形を目指す若い二人の若者が、本作品の主人公である。あまりに多くのことが語られているので、その詳しいあらすじをここに書くことは控えよう。私が書きたいのは、その3時間にも及ぶ作品をみた簡単な感想だ。これまで映画のことなど書いて来なかったし、造詣が深いわけでもない。年に数本見ればいい映画鑑賞経験の中で、しなしながら本作品については少し書き留めておきたい衝動に駆られている。その理由は、おそらく作品が持つ解釈の多面性にあると思う。どこをどう切り取って話すにしても、それなりに深みのあるものになっていく作品は、さほど多くはない。

オペラと同様、長い小説を映画化するにあたって、映像として残す部分のみを最小限とし、一方で、歌舞伎の演目と主人公の心理描写をシンクロさせつつ、綺麗で鮮やかなカメラワークを多用した。その結果、多様な解釈の余地を残しつつ完成度の高い作品に仕上げることに成功した。もしかすると、二人の主人公の心理的な側面、交錯する友情や対立を、もう少し丁寧に描くことができたかも知れない。しかしそれでは、3時間の尺に収めることなどできなっただろう。かといって連続ドラマ化すると、集中力が失われぼけた作品になる。そのギリギリのせめぎ合いの結果、小説なら細かく描かれているであろう部分は、見る者に委ねられることになった。映像作品としての完成度に重点を置くことで、結果的に小説にはない魅力を得たような気がする。

二人は同い年、しかも少年時代の俳優を含め顔つきがそっくりである。二人が長い準備期間において獲得した歌舞伎独特の所作や円舞の技術は、見事というほかない。カメラはそれらを追い、しばしばアップで写す。歌舞伎好きの人が作ったのだろう。このような伝統芸能を主題としながら3時間もの間、息をつかせないほどに観客の目を惹きつけていく手法には、ただ驚くばかりである。

テーマは血筋が才能か、といったことだが、60歳近くになる者にとって、まあそれはどうでもよいことのように思えてくるのが正直なところ。まだ若い彼らは、向上心も劣等感も強く、そのことが嫉妬を生み、情熱を喚起する。私はそのような若者の持つエネルギーやどうしようもないやるせなさを思いつつ、そうか、この映画は多くが男性の論理に貫かれている、今では少ない作品であることに気付いた。つくづく男の人生は過酷だな、などと思った。女性の視点で見ると、また異なった見方があるのだろうけど。

6月に公開されたにもかかわらず、11月末になっても多くの観客を集めて上映されている。私が見たのは日曜日だったので、広い映画館はほぼ満員。迫真の演技に見とれながら、細かいところであの人はその後どうなったのか、なぜここはこのようなことになるのか、など多くの疑問が生じた。その答えを見つけるのは、見る人にかかっている。何度も細かく見れば、ヒントがあるのかも知れない。しかしそうしなくても、そして歌舞伎のことなど何の基礎知識がなくても、十分に楽しめる作品である。

2025年11月24日月曜日

NHK交響楽団第2050回定期公演(2025年11月21日サントリーホール、ラファエル・パヤーレ指揮)

もともとN響のB定期は、やや玄人好みの選曲だと思っていた。従来からN響では、同じ指揮者が約1か月間滞在して、3つのプログラム計6回の公演を指揮する。公式には記されているわけではないが、Aプロは指揮者の十八番、Cプロはポピュラー作品が中心に組まれているものと思われる。しかしN響もいまや世界的指揮者を多く招聘することによって、長い期間マエストロを、極東の島国に拘束しておくことは困難になったように思われる。今シーズンで言えば、移動に伴う疲労が心配な超高齢のヘルベルト・ブロムシュテット、首席指揮者のファビオ・ルイージ、それにウクライナ戦争であらゆるポストを辞任したロシア人、トゥガン・ソヒエフを除けば、毎回指揮者が入れ替わる。11月はAとCが名誉音楽監督のシャルル・デュトワで、Bのみベネズエラ人のラファエル・パヤーレとなっていた。

デュトワのC定期は世紀の名演だったと聞いている。ここで演奏されたラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)には、私もできれば行きたった。しかしあの広いNHKホールで、演奏を堪能しようと思えば1階席の中央に座る必要があり、それには座席の確保が困難な上、席自体がやや狭く視界も良くない(端の席はほぼ絶望的)。しかも夜の渋谷の雑踏、もしくは休日の代々木公園のお祭り騒ぎの中を会場に向かうのは、私にとってもはや苦行である。そういうわけで、最近NHKホールに出向くのは避けている。

そのデュトワがB定期も振るかと思いきや、そうではなかった。年間会員としてはちょっと残念だったが、こればかりは仕方がない。そういうわけで今月は、パヤーレの登場である。パヤーレを私はかつて一度聞いている(2017年)。ところが今回配布されたプログラム・ノートによれば、彼のN響への初登場は2020年2月と記されている。これはどういうことかと思ったら、定期公演の話であった。私が出かけたのは「N響『夏』」と呼ばれるコンサートで、ここはいわば若手指揮者による名曲プログラム。実はほとんど印象は残っていないが、聞いたという事実は覚えていたので、まだましな方である。

そのパヤーレも、今やモントリオール交響楽団のシェフに抜擢されたようだ。ベネズエラ生まれと聞けばドュダメルを思い出すが、独自の音楽教育プログラム「エル・システマ」のホルン奏者出身とのことである。しかし今回のプログラムは、新大陸の音楽ではなくドイツ音楽、それもシューマン、モーツァルト、それにリヒャルト・シュトラウス。言わば王道の選曲と言うべきか。だから曲は名曲ばかりでも、これは指揮者にとっての意欲的プログラムであると思われた。B定期としてのこだわりは、そういうところだろうか。

さて、シューマンの「マンフレッド」序曲は、かつてフルトヴェングラーのCDで聞いたくらいで、ほとんど知らない。シューマン独特の、あのくすんだ音色がN響から聞こえてくる。指揮はこの曲だけ完全な暗譜で、指揮台は置かれていなかった。特に心に残るようなわけでもない平凡な演奏が終わって、舞台左奥に置かれていたピアノを、どうやって舞台中央に運ぶのか、私はこれまで何度もサントリーホールに通っているが、ちゃんと見るのはこれが初めてである。

舞台は階段状になった半円形の台が設えてあり、指揮者を中心に後方の奏者ほど高い位置に並んでいる。この階段を乗り越えるため、何と舞台の一部の段差が電動装置によって切り取れたように沈み、そこの部分だけがフラットになったのだった。その作業のため、第1及び第2ヴァイオリンのセクションは一時退場を余儀なくされた。このような舞台の準備作業を、私は興味深く見ながら、次のプログラム、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番を待った。

再び舞台の階段が正常位置に戻り、ヴァイオリン奏者の椅子が並べられると、団員たちの一部が再登場。ピアノのC音を合図にチューニングが開始された。程なくしてソリストを務めるエマニュエル・アックスと指揮者が登場した。

アックスと言えば、私は子供のころから録音で知られているアメリカ人のピアニストで、ヨーヨー・マと競演した録音などで良く知られているが、実演で聞くのは実はこれが初めてである。そしてモーツァルトのピアノ協奏曲第25番もまた、実演で初めて聞く曲である。この曲はハ長調で書かれており、モーツァルトのハ長調と言えば、「リンツ」や「ジュピター」などが思い浮かぶ。いずれも壮大でストレートな華やかさを持った曲で、誤解を恐れずに言えば、奏者を選ぶというか、なかなか難しい曲に思われる。

だからかどうかはわからないが、この25番のピアノ協奏曲は、いい曲と思うのだが演奏されることは少ない方だ。パヤーレはその最初音を、ふわっとしてスッキリとした音色で始めたのは印象的だった。アックスのピアノがまた、モーツァルトに相応しく、雑味なく響く。全体に好感の持てる演奏ではあったのだが、それ以上でもそれ以下でもない。もしかするとパヤーレの音作りは、やや雑なところがあって、細やかな音の表情や音色の変化に乏しく、N響はうまく取り繕ってはいるがちょっと平凡な演奏に終始したように感じた。しかしアックスのピアノは何とも素敵で、その真骨頂はアンコール曲(ショパンのノクターン第15番)で示されたと言って良いだろう。

休憩を挟んでオーケストラが倍増され、舞台上にずらりと並んだ姿は壮観だった。リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」と言えば、毎年数多くの公演がなされる名曲中の名曲だが、たしかにこの曲ほどオーケストラの醍醐味を味わわせてくれる曲もない。にもかかわらず、私はかつて2回しか聞いていないのは意外であり、しかもそのうちの1回は、すでに忘却の彼方にあった。今回検索してみると、2020年1月にN響で聞いている。しかもこの時の会場もサントリーホール、指揮はファビオ・ルイージ、ゲスト・コンサートマスターはライナー・キュッヘルとなっている。

私が聞いた位置が悪かったのか、それとも体調が悪かったのか、あるいはこの曲についてまだあまり多くを知らなかったのか、そのあたりはよくわからないが、その前に初めて「英雄の生涯」を聞いた時の読売日本交響楽団による演奏会(2015年3月のサントリーホール、指揮はジェラール・コルステン)はよく覚えているので、ルイージの演奏はどこか物足りなかったのかも知れない。

さてその「英雄の生涯」のパヤーレだが、これは前半のプログラムにおけるやや精彩を欠いた演奏に比べると、少なくとも私の個人的な印象としては悪くなかった。というよりも、結構よかったんじゃないかと思っている。もしかするとパヤーレの音は、どこかフランス風のオーケストラのように平べったく、しかしながら色彩感は豊かであった。この結果、何とも言えないようなムードを醸し出していた。全体として見た場合に、ずっとうっとりとして自然に身を任せておけばいいような気分が私を被い、それは最後まで続いた。

なぜかとても心地が良く、聞いているだけで気持ちが満たされるような感覚は、オーケストラの技量によって作り出されたのか、指揮者の意図するところだったかのかはよくわからない。しかしこの丸で韓国ドラマを見る時のような、魔法のようにしっとりとした演奏は、まぎれもなくオーケストラを聞くことの喜びを感じさせてくれた。饒舌なヴァイオリン・ソロを弾いたコンサートマスターは、長原幸太だった。そしてファゴットもホルンも小太鼓も、十分に巧く、そつがない。そのことが演奏に余裕を与え、指揮者が大きな身振りでドライブする姿が上滑りすることもなかった。

客席全体がこの演奏を良いと感じたかどうかは、正直なところわからない。N響の定期となるとほぼ会員で埋まっているから、皆相当耳の肥えた人たちである。そしてこの演奏にはブラボーはなかった。感動しているのは私だけかとおもった。ところが、消えかけていた拍手がわずか数人に減ったにもかかわらず、それを熱心に続けている人がいる。そしてその拍手は、あろうことか次第に大きくなってゆき、オーケストラが退場してしばらくしても絶えることはなかった。よく見ると、私の隣の席のいつもの夫婦も、珍しく退場せずにずっと拍手している。

「一般参賀」などと揶揄されるコロナ禍後の指揮者に対するちょっと大げさな反応には、少し辟易している。この若手指揮者に対し、東京のリスナーは良い印象を持って帰ることを土産に、今後の成長を見守りたいという老婆心に導かれている要素がないとも言えないかも知れない。しかし、私はまた自分がそうであったように、この演奏には(すくなくとも後半の「英雄の生涯」に限れば)、実にいいものだったと素直に思った人が、一定数いたということだ。それを証明するかのように、長い時間の後、再び舞台に指揮者が登場した時には、多くのブラボーが叫ばれたのだ。

そもそも我が国には、クリスマスを祝う伝統はない。にもかかわらず、いやだからこそというべきか、東京では早くもクリスマス・ムードになっていた。サントリーホール前の噴水にもクリスマスツリーがお目見えし、階上には赤と緑の垂れ幕が下がっている。一層華やいで見えるこの頃、いつのまにか11月も後半になって師走の足音が聞こえてきている。長く夏が続いた今年は、もう少し秋を楽しみたかった、という本音を言い出すまもなく、来る年の準備に追われるのだろうか。そいうえば、在京オーケストラの来シーズンのプログラムが出そろった。会場前で配布される大量のチラシの束を繰りながら、早くもカレンダーに注目のコンサート情報を書き込んでいる。

2025年11月19日水曜日

ハーゲン四重奏団演奏会(2025年11月13日トッパンホール)

地下鉄有楽町線の江戸川橋駅を出て首都高速5号線の高架をくぐり、神田川沿いにしばらく歩くとTOPPANホールがある。ソロ・リサイタルや室内楽向けの小さなホールだが、今年25周年を迎え、毎年数多くのコンサートが開かれているから、そこそこ定評のあるホールと言ってもいい。同じ規模のホールは都内各地にあって、銀座の王子ホールのように単独のホールもあれば、東京文化会館小ホールやサントリー・ホールのローズ・ホールのように、大ホールに併設されたところもある。私は、主に室内楽が専門のTOPPANホールに行くのは、実は初めてである。

少し不便な場所にありながら、世界的な演奏団体がここを使用することは多い。そして世界屈指の四重奏団であるハーゲン四重奏団も、ここの常連である。いやそれどころか、解散を決めた彼らは、TOPPANホールを最後の公演地とすることを決めたそうだ。そのファイナル・プロジェクトの第1弾が催されることとなった。

私は滅多に室内楽の演奏会には行かないが、こうなると話は別である。一応クラシック音楽を趣味とする人間として、ハーゲン四重奏団の演奏会に行くのも悪くない、と思った。そもそも熱心な聞き手からすると、何とも不謹慎な話である。言わばウィーン・フィルの演奏会にだけ出かける俄かクラシック・ファンと同じである。そしてウィーン・フィルのチケットが取りづらいのと同様に、ハーゲン四重奏団のチケットも発売即完売。私が辛うじて手にできたのは、3日ある演奏会の最終日。クラリネットにイェルク・ヴィトマンを迎えたクラリネット五重奏曲のみの演奏会で、その前半には彼自身が作曲した作品が日本初演される。

このような玄人好みの演奏会に、私は仕事を早々に切り上げてしばし睡眠をとり、満を持して出かけた。何せ静寂さが際立つホールで、うとうととしようものなら大変である。そしてまさしくその通りの聴衆で、これほど品のいい客層の演奏会に出くわしたことはない。身なりがよく気品が漂っている。かといって、熱狂的な感覚むき出しの人々とも違う。さらには、このヴィトマンが作曲したクラリネット五重奏曲は、何とレントが40分も続くというではないか!まさにこれはTOPPANホールの聴衆向けの音楽で、沈黙と音楽との境界線を行くような作品だそうである。

プログラム・ノートによると、楽譜上で"TOPPAN Staccato"と敢えて記載されている部分がいくつかあって、ここを最弱音で弾くことが求められているそうである。それを他のホールでどう演奏するのか、よくわからないが、この曲はこのホールの音色に触発されて作曲された。そして私が初めて感じたTOPPANホールの音響は、これまでのどの小ホールにも増して素晴らしいものであったことは確かである。舞台に立つ演奏家も、ホールの持つ響きの良さと、静かな聴衆との間いに生じるインティメントに感応し、このような音楽の作曲、演奏に及んだのだろう。

ハーゲン四重奏団は、ザルツブルクのモーツァルテウムの奏者で結成された四重奏団であり、その構成は4人の兄弟である(現在、第2ヴァイオリンは交代)。1981年には活動を開始しているというから経歴はかなり長いが、ウィーンの伝統を受け継ぐ四重奏団かどうかはわからないが、アマデウス四重奏団、アルバン=ベルク四重奏団のあとを受け継いだオーストリアのグループとして、ドイツ・グラモフォンなどに多くの録音がある。私もベートーヴェンの何曲かを持っている。そのベートーヴェンを本当は聞きたかった(第2夜)が、これは仕方ないだろう。

四重奏団に混じってクラリネットのヴィトマンが登場する。丁度私の位置(前から4列目の左端)からは、そのクラリネットだけが、第1ヴァイオリンの影になって見えない。音楽の始まりは、まさに静寂からの境界ギリギリの音の「生まれ」で、その瞬間から何かが始まりそうな予感が果てしなく続く。レントといっても音の強弱はあり、現代音楽でもあるからそれまでに聞いたことのないような音色に、新鮮なものが詰まっている。弦楽器の様々な奏法は、長い歴史のなかで育まれ、多様にして多彩かつ良く知られているが、クラリネットとなると私などはあまり馴染みがない。それで、この40分余りの間中、私は興味津々であった。

クラリネットという楽器の表現力の広さに感心したのだが、中でもまるで尺八のような音で、幽玄なムードがただよう部分など。どこか能舞台を見ているような錯覚に捕らわれた。かと思うと、やはりそこは西洋音楽の伝統に回帰するような部分もある。クラリネット五重奏曲と言えば、何と言ってもモーツァルトとブラームスが2大巨峰で、この2つの曲に太刀打ちできるものはないと言ってもいいくらいである。当然、作曲者はそのことを意識するわけで、これらの曲のモチーフが使われているようだ。

熱心な聴衆は音楽が終わると、盛んに拍手をしてブラボーさえ飛び交った。作曲家を目指す学生や、現代音楽に興味のある聞き手が揃っていたのだろう。にしても、このような音楽に生で触れることは、もうないだろうと思った。やはり音楽は一期一会の芸術であり、そのことがいい、と年を取ると感じるようになった。

20分の休憩時間は、階上のカフェで過ごす。そして後半のプログラムは、ザ・クラリネット五重奏曲とも言うべきモーツァルトである。何度も聞いて耳にタコができているような曲だが、勿論私にとっては初めてのライブ。有名なメロディーが始まった。その演奏は終始安心して聞いていられる、完璧の、まさに夢のような時間だった。この曲に触発されたブラームスは、それ以上に素晴らしいクラリネット五重奏曲を残している。この2つの曲をカップリングしたディスクは多い。

ハーゲン四重奏団に委託され2009年には作曲されたヴィトマンの作品が、今日の白眉だったかも知れない。その意味では、モーツァルトの有名な曲は、まるでアンコールのように気さくな気分で、奏者がどう考えていたかはわからないが、終演後にアンコールはなかった。モーツァルトの方が、有名曲だけあって聴衆の拍手は大きかったが、前半にあったようなブラボーは聞くことがなかった。

このフィナーレ・シリーズは今後も続くようで、今回はパート1と記されている。私はそんなこと知らなかったので、ちょっと何か拍子抜けである。だがTOPPANホールの音響の素晴らしさと、ハーゲン四重奏団の生の演奏、それに新しいクラリネット五重奏曲の日本初演に、満足な一夜であった。

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境...