2025年10月15日水曜日

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団、1990年)

今年は10月に入って、ようやく長い夏が終わりそうである。秋の夜長に音楽を聞く楽しむ期間は、年々短くなっている。しかし今年は、いよいよSpotifyがロスレス配信を開始したことにより、私のオーディオ環境にも変化が生じた。WiiMという新しいネットワークオーディオ機器を購入し、昨年新調したスピーカー(YAMAHA NS-F700)に接続したところ、見違えるような音質になったのである。これまで聞いていた音楽とは、明らかに異なる臨場感。まるでそこに舞台があるような音場空間が、とうとう我が家にも誕生したのだ。

そういうわけで、ここはかねてから書く気でいたチャイコフスキーの交響曲第5番を、家族のいない静かな夜に聞いている。演奏はロシアの偉大な巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが指揮するソビエト国立交響楽団である。スヴェトラーノフの指揮したこの曲の演奏には何種類かあるが、私がいま聞いているのは1990年に東京で行われた全曲演奏会のライブ録音。その3年後にスタジオ録音された盤もあるが、この録音には終演後の盛大な拍手も収録されている。

チャイコフスキーの作曲した交響曲の中で、私はこの第5番がもっとも親しみやすく、かつ完成度が高い作品だと思う。世界中の多くの指揮者とオーケストラが競うようにして演奏し、それは今でもそうであることから、この曲の人気の底堅さがわかる。実際、誰が演奏してもいい作品だと感じることができる。いわば「名曲の条件」を兼ね備えた曲である。だが、その中でもひときわ高くそびえているのが、スヴェトラーノフの演奏であると思っている。

第1楽章は、その後全編にわたって響く主題「運命の動機」が、クラリネットによって厳かに奏でられるところから始まる。序奏であるこの部分は、これから始まる長い曲に相応しく、たっぶりと抒情的であることが好ましい。一気にロシア世界に入り込むような主題は、その序奏に続き提示されるが、たちまち快活なアレグロに移行してゆく。弦楽器が広い平原を飛行するかのように、歌うような3拍子を奏するのが魅力的である。

ロマンチックな第2楽章は、チャイコフスキーが作曲した最も美しい音楽のひとつであろう。陽気な部分と陰鬱な部分が交錯するチャイコフスキーの魅力を湛えているのは、各楽章に共通している。それをいかにバランスよく聞かせるかが鍵である。ノスタルジックでロマンチックなアンダンテ・カンタービレに酔いしれていると、やはりここでも「運命の動機」が顔を出す。

第3楽章はスケルツォではなく、陰影に富んだワルツ。それがこの曲の新鮮なところで、チャイコフスキーの舞踊曲はすべて楽しいが、ここでも同様に、まるでバレエを踊るかのようなメロディーである。

「運命の動機」が再現されると、一気にリズムが加速され、凱旋する軍隊のように前に進んでいく。第4楽章は勝利の祭典ある。特にコーダ部分に至っては、行進曲風の力強さで締めくくられると、気分も高揚しスッキリとさせてくれる。音楽を聞く楽しみを、通俗的に味わわせてくれる。

数ある演奏の中から、この曲にスヴェトラーノフを選んだのには理由がある。それは私がNHK交響楽団でスヴェトラーノフによるこの曲の実演を聞いているからだ。記録によれば、それは1997年9月のことだった。ピアニストの中村紘子を迎えたオール・チャイコフスキー・プログラムで、そのシーズンの幕開きを飾る定期公演だった。丸で戦車のように突き進む演奏からは、普段N響で聞くことのできない野性味が感じられ、それはあの広いNHKホールの隅々にまで浸透していった。

楽団の書いた文章によれば、スヴェトラーノフの練習はロシア語でなされるそうである。いったいどれほどの団員がその言語を解釈するのかわからないが、音楽家には音楽を通して可能なコミュニケーションが、別に存在するのかも知れない。とにかくこの演奏会は、歴史に残る名演だった。私はこの演奏会を含め、都合3回の定期公演を聞いている。ほとんどがロシアものである。

ライブ収録された1990年の演奏では、スケールの壮大さ、ロシアを彷彿とさせる深い抒情性、そして畳みかける凄まじいまでの大迫力が収録されており、この曲の魅力が詰まっていると言える。

2025年10月14日火曜日

NHK交響楽団第2045回定期公演(2025年10月10日サントリーホール、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)

御年98歳の世界最高齢指揮者が、一か月間も東京に滞在して3つのプログラム(計6回)の演奏会に挑む。それを聞いただけで、これは得難い経験になるのではと思うのが人情と言うものだろう。その演奏の良し悪しがどうのこうのという前に、まず長い移動時間を耐えて日本へ飛来し、何回もの練習をこなし、そして舞台に登場する。若ければ当たり前のこのような営みを、ある程度年を取った人なら驚異的だと思うに違いない。とりわけ私のように持病があると、海外旅行など相当な覚悟が必要なのだから

2025年10月10日、サントリーホールで行われたNHK交響楽団の第2045回定期公演(Bプログラム2日目)に、私は定期会員として出かけた。今回のプログラムは、スウェーデン系米国人ブロムシュテットに相応しくすべて北欧系の曲。まずグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」に始まり、続いてニルセンのフルート協奏曲。後半はシベリウスの交響曲第5番である。ここでフルート独奏は、スイス生まれのセバスティアン・ジャコー。彼は日本での演奏は数多いようだが、私ははじめて聞く。

前半の2曲は編成が小さく、並べられた舞台上の椅子の数も少ない。対向配置されえた第一バイオリンとチェロの間を、オーケストラのメンバーに混じって、ゆっくりと歩行器につかまりながら巨匠が登場すると、会場からはブラボーの掛け声とともに、より大きな拍手に見舞われた。係員に見守られながら自力で指揮台に登り、慎重に専用の椅子に腰掛ける。第一ヴァイオリンの椅子が再び元に戻され、おもむろにチューニングが始まった。

このようにしてグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」が始まった。前奏曲から始まるノルウェーのやや物悲しい風情に満ちている。N響の弦の暖かな音色が自然に響いている。テンポはむしろ速めで、頭脳は明晰であるのか指揮の衰えを感じないのは驚きである。ゆったりと叙情的な中間部も、チェロのソロなど聴きどころの多い曲だが、終曲でコンサートマスターの郷古廉が、印象的なソロを聞かせる。

ところでブロムシュテットのグリーグといえば、私は「ペールギュント」の演奏が、青春の音楽と言っていいぐらいの愛聴盤である。特にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した古い録音は、当時としては珍しい劇音楽としての全曲もので、私は学生時代、それこそ毎日のように聞いていた。このことについては、またあたらめて書こうと思う。

丁寧な「ホルヘアの時代から」が終わり、マエストロは一旦舞台裏へ。間おおかずして、今度はフルーティスト、ジャコーと共に登場。デンマークの作曲家ニルセンの「フルート協奏曲」が始まる。この曲は初めて聞く。ニルセンはグリーグより20年ほど後の作曲家で、シベリウスと同年代。その晩年の作品である。

ここで私は、この曲が非常にめずらしく、バス・トロンボーンが使われ、しかもフルートとの掛け合いをするのがとても新鮮だった。しかもそこにティンパニが加わるのである。オーケストラの中に3つの頂点を結ぶような舞台上のやりとりを、いつもの2階席右寄りより眺める。2楽章構成の短い曲が終わって、ジャコーはアンコールにドビュッシーの「シリンクス」という曲を披露した。

さて記録によれば私は、これまですべてN響でブロムシュテットを計7回聞いている(今回が8回目)。その中には記憶に鮮明なものもあれば、そうでないものもある。とりわけ印象に残っているのは、モーツァルトのハ短調ミサと、シベリウスの交響曲第7番だった。敬虔なキリスト教徒であり、特にストイックな性格からか、厳しい練習が課されるとN響メンバーがインタビューか何かで言っていたのを聞いたことがある。しかるに真面目な日本のオーケストラとの相性は、良かったのだろう。私が東京で初めてN響の定期を聞いた頃には、ずでに名誉指揮者として毎年のように来日していたが、それが40年を経てもなお続いていることは、両者関係が極めて強い信頼関係で結ばれていることの証であろう。

この時のシベリウスの名演奏は、そのままCDにしてもいいと思った。他の指揮者での経験も合わせると、N響とシベリウスの相性はとても合っている、と私は思っている。だからあの飛び立つ白鳥のモチーフにした、明るく伸びやかな交響曲第5番がプログラムに上った時、これは聞いてみたいものだと思った。そしてその時が来た。

澄み切った透明な早朝の湖。私がイメージするこの曲の第1楽章は、そこに一羽の白鳥がまさに飛び立たんとしている光景である。N響の音がややぎこちなく聞こえたが、それはむしろ白鳥が飛行に備えて、試行を繰り返している時の様子にさえ感じられた。後半になると、大空へ舞っていく。

第2楽章は民族的なムードを感じ、この曲の持つまた別の美しさを感じるのだが、それも第3楽章に再び飛来する白鳥の主題への、ちょっとした間奏曲のようでもある。広大な自然の中に、大きく羽ばたいていった白鳥たちの飛行が、間を置かずしてクライマックスを迎え、簡素ながらも壮大なコーダを築くとき、得も言われぬ幸福な感覚が私を襲うのだった。

指揮者は各パートごとに楽団員を立たせ、抱擁と握手を交わす。高齢者にこれ以上の負担を強いるのは、やや酷ではないかと思われるものの、鳴りやまない拍手に応えて舞台に再度現れたマエストロには、盛大な拍手とブラボーが送られた。盛況のうちに無事第1回目のプログラムが終了した。今月はあと2種類のプログラムを指揮する予定であり、それらは広大なNHKホールを連日満席にしているようだ。そして何と、来シーズン(100周年記念)にも来日することが発表されている!御年99歳になっているであろうマエストロは、ブラームスとブルックナーを指揮することが決まっているそうである!

2025年9月24日水曜日

読売日本交響楽団第144回横浜マチネーシリーズ(2025年9月21日横浜みなとみらいホール、ケント・ナガノ指揮)

私はケント・ナガノという指揮者について、あまりよく知らなかった。実際、彼は日本のオーケストラをほとんど指揮したことはない。今回日本の常設オケに客演するには、1986年に新日フィルを指揮して以来の実に39年ぶりということだった。彼は日系アメリカ人3世であり、しかも奥様も日本人だという割には、日本での演奏機会が少なかったようだ。日本を避けてきたのだろうか、とさえ思っていた。

過去の彼のインタビューを聞くと、意見が非常に醒めていて冷たいという印象があった。カリフォルニア生まれの知識人らしく実にクールでドライ。だから音楽も、などと考えていた。私が所有していたCDはわずか2枚で、一つはリヨンの歌劇場のオーケストラを指揮したドリーブの「コッペリア」、そしてモントリオール交響楽団を指揮したベートーヴェンの「エグモント」と第5交響曲をカップリングした一枚である。これらの2枚のCDはとても素敵なので、愛聴盤でさえあるのだが。

そういうわけでこのたびの来日で読響を指揮すると分かった時も、実際どうしようかと迷った。プログラムは2種類あって、ひとつはマーラーの交響曲第7番。最も演奏機会の少なかったマーラーこの難曲が、最近はプログラムに上ることが多いが、私の場合さほど喜んで聞きたくなる曲ではない。一方、もう一つのプログラムは、シューベルトの「グレイト」交響曲である。「グレイト」は誰が指揮しようと聞きたくなる曲なので、私はこちらの方を選んだ。会場は横浜のみなとみらいホールの1回限りで、日曜日のマチネー。席はまだある。というわけで、秋風がようやく吹き始めた週末に私はひとり出かけることとなった。

桜木町で国電を下り、重慶飯店で期間限定のアヒルの玉子入り月餅餅を買う。そのあと長い歩道を歩いてみなとみらい地区へ。右手には日本丸とその向こうに遊園地が見える。この横浜ならではの光景は、やはり気分が変わっていいものだ。そしてビルの中に入ると、フィレンツェのジェラート屋があった。つまらないカフェでもコーヒー1杯500円するのは当たり前の昨今、ビールでも飲もうものなら軽く1000円近く取られるインフレ日本で、アイスクリームが税込み500円というのは安い。私もあのフィレンツェのアイスクリームは懐かしいから、ここでラズベリー入りのソーダを注文して時間を調整。横浜に来る楽しみがまた増えたことが嬉しい。横浜から直接みなとみらい線に乗ったのでは、ここには来られない。

会場のロビーから見えるコンベンション・センターの風景も、東京の他の会場では見えることがない風景である。そこで今度はビールを飲む。これも600円と良心的。このようにして上演前のひとときをプログラムを見ながら過ごした。このような贅沢な時間もまた、コンサートの一部である。

本日のプログラムは3つ。まず前半は野平一平の「織られた時IV〜横浜モデルニテ」という作品。世界初演だそうである。冊子によれば、近代化の象徴とも言える横浜の光景を音にして、前衛的な雰囲気も含めた作品と本人が解説している。教会の鐘の音に模したファンファーレで始まり、我が国初の鉄道や汽船の音などもモチーフになっているようだ。ナガノは8分余りのこの曲を丁寧に指揮、会場にいた作曲者も登壇して喝采を浴びていた。

続く曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番で、数あるモーツァルトのピアノ協奏曲には珍しい短調の曲である。このような曲を取り上げるのは、実力あるピアニストの意欲だろうか。そのピアニストはイタリア人のベネデット・ルポ、私は初めて聞く。もちろんこの曲も実演はおそらく初めて。ところが演奏が始まって驚いたのは、その音色の粒立ちの格調高い気品である。モーツァルトを弾くに相応しい確かなタッチと、ほとんど飾って見せないストレートな表現。すべての音符が考え抜かれ、理想的な強弱レベルで明晰に聞こえてくる。例えていえば、グルダに似ている、という感じだろうか(もっともグルダは録音でしか聞いたことがないのだが)。

第2楽章でのオーケストラは、そのピアノを側面から寄り添い、確かなリズムを刻む。席が良かったからかも知れないが、読響の音ももはやヨーロッパのレベルである。第3楽章のカデンツァに入る部分など惚れ惚れする響きは最後まで続き、同じように感じ入った聴衆も多かったに違いなく拍手も多い。何度もカーテンコールに応えてルポは、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を弾いた。これも惚れ惚れとする印象を残した。サービス満点の演奏だった。

休憩を挟んでのシューベルトは、「天国的に長い」とされる曲だが、いい演奏で聞くことになるといつまでも聞いていたいと思う曲に変身する。ところが今回の演奏時間の記載を見ると約48分と書かれていた。これは繰り返しを一切しないことを意味していると思ったが、実際そうであった。そもそもこの曲をすべて繰り返して演奏するには、演奏家によほど覚悟がないと難しいのだろうし、聴衆がそれについて来られるのかが気がかりである。実際、この曲の間中、いや前半でさえも、私の両隣のご婦人は終始居眠りをしておられる始末。いやそれだけではない、後方の席にいた拍手をいち早くする高齢男性も、演奏中は熟睡。いつ果てるともわからない音楽を生で聞きながら眠るのは、さぞ気持ちがいいに違いない。

ところがその演奏は、私はこれまで聞いたシューベルトの曲中、最高の部類に入る名演奏になったことは疑いがない。第1楽章から、そのバランスといい継続的な完成度といい、申し分がないだけでなく、オーケストラがすこぶる上手いと感じた。もしビデオ収録されていたら見てみたいが、どうもそういうこともなさそうで残念である。だがそこに居合わせた聴衆は、この演奏のレベルの高さを確信していた。終演後、間を置かずして圧倒的に盛大なブラボーが沸き起こったことも、そのことを示している。

読響の定期で、これほど大きな拍手を聞いたのは初めてである。そしてこの曲をここまでの完成度で、しかも長い時間維持し続けたことはちょっとしたものだ。特に私が一番注目している第3楽章のトリオの部分を、ナガノは十分な時間を保って演奏した。ここを中途半端に通り抜ける指揮者が多い中で、私は初めて理想的な演奏に巡り合った心境だった。CDでスタジオ録音されたものなら(例えばアバドの演奏)、ゆっくりと時間をかけてこれを理想的な演奏に仕上げることもできよう。しかし実演となると、なかなか難しいと思われる。そもそも長い曲を覚悟しているブルックナーの場合とは、ちょっと事情が異なる。

第4楽章のリズムが淡々と進みつつも気迫のこもった演奏は、次第にオーケストラも聴衆も熱を帯びて聞き入る。もっと長く聞いていたいと思う演奏になってゆく。それにしても読響の木管楽器の巧さが際立つ。まわりを見ると、皆さんまだ船を漕いでいる。熱を帯びた演奏家や一部聴衆と対照的なのが実に面白く愉快である。実は今、名古屋へと向かう新幹線「のぞみ」に乗って、昨日のコンサートを思い出しながらこの文章を書いているが、まるでその車窓風景のように快速に進む音楽が、とうとう終わりを迎えた時、割れんばかりの聴衆が指揮者を何度も舞台へ呼び戻し、それはオーケストラが退散しても続いたことは、言うまでもない。

最高の読響の演奏、最高のシューベルトの余韻を残しながら会場を後にしようとしたとき、何と「サイン会場」と書かれたプラカードを持った係員がいるではないか。聞くと「今日は特別のようです」とのことだった。私もプログラム冊子を持って行列に。インタビューで聞くナガノの醒めたコメントとは違い、こんなにも熱い演奏をする指揮者とは思わなかった。そして一人一人にサインをする指揮者とピアニストに、私は「これまで聞いた中で最高のシューベルトでした」と話しかけると、とても喜んで笑顔で答えてくれた。そういうわけで、これは忘れ得ぬコンサートになった。

帰りはみなとみらい駅で恒例の「シウマイ」を買って、そのまま電車へ。家から1時間とかからない横浜にも、これからは時々出かけたいと思った。このホールは、場所も座席の心地も音響も悪くはない。ただあの最前列席の目の前に張り巡らされた金属線が、舞台の視界をさえぎらなければもっと心地よいのに、と思った。

2025年9月20日土曜日

NHK交響楽団第2043回定期公演(2025年9月19日サントリーホール、ファビオ・ルイージ指揮)

今シーズンからN響の定期会員になった。定期会員になるのは1992年以来、34年ぶりのことである。丁度就職して東京に住み始めた頃で、思いっきり演奏会に出かけることができることが大いに嬉しかった。この年、9月から始まる新シーズンのNHKホールのチケットは、最安値がたしか1000円で、これは3階席後方(E席自由席)だった(この席は今では3000円になっているが、学生割引というのもある)。

私はまだ初任給をもらったばかりの新入社員だったが、同じ3階席の前方の席を確保した(D席3000円)。広いNHKホールに毎週のように通い、あまり聞くことのない曲も楽しんだ。満員になることはまずないから、席を移動してゆったりとすわり、時に睡魔に襲われるのもまた良いものだ、などと考えていた。当時、サントリーホールでの公演はなかった。

N響の定期会員だったのはこの1年だけだったが、その後もN響の公演にはしばしばでかけてきた。平均すると毎年数回は聞いている。そのほとんどがNHKホールでのもので、それも2階席かそれより後。1階席は中央に座らないとオーケストラを後方から眺める感じになるのが面白くないからだが、中央の席はすでに埋まっていることが多く、しかも高い。NHKホールの座席は狭く、両隣に人がいると窮屈な上、前の人の頭が視界を遮る。1階席からはオーケストラを見上げる位置になって、後方の演奏家が見えない。2階席なら全体が見渡せるが、そこはすでにかなり後方になってしまい、臨場感に乏しい。

とにかくNHKホールで聞くN響の演奏会は制約が大きく(しかも渋谷の繁華街を通らなければならないことが決定的につらい)、音響も悪いので最近はよほどいいプログラムでなければ敬遠しているのが実情なのだ。しかし、サントリーホールであれば、家からも行きやすい上に音響も良く申し分がない。本当はサントリーホールでN響を聞いてみたい。ところがこのサントリーホールでの定期公演は、毎回ほぼ売り切れ。すなわち定期会員だけですでに満員になってしまっている。その定期会員は、NHKホールの場合と違って1年更新だから、更新時期に合わせて1年分のチケットを買う必要がある。安い席やいい席は継続の会員に優先的に売り出されるから、さらにハードルは高い。

そういうわけでサントリーホールでのN響定期は、なかなか聞くことができないのである。しかもサントリーホールでの公演プログラムは、玄人好みの凝ったものが多いという特徴があって、招聘される指揮者の意欲的なプログラムとなっているのはいいのだが、いわゆる定番、あるいは名曲の類は巧妙に避けられており、それらはNHKホールでのプログラムに回されている、という次第である。

前置きが長くなったが、とにかく今シーズン(25~26シーズン)、私は意を決してサントリー定期の会員になった。これで来年6月までに開催される全9回の定期公演にS席が確保された。あとは毎回、何らかの事情で行けなくなる事態を回避しつつ(これが意外に多いのが、これまで定期会員を躊躇ってきた理由でもある)、月1回は金曜日(2回ある公演の2日目)に赤坂まで出向くことになった。今年、N響は99周年。なかなか意欲的なプログラムが並んでいる。先日はヨーロッパ・ツアーに出かけたばかりで、その模様はようやくテレビで放送された。

今回の公演は、そのヨーロッパ・ツアーにも同行した首席指揮者のファビオ・ルイージで、プログラムはまず武満徹の「3つの映画音楽」(これもヨーロッパ公演の演目)、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(独奏:マリア・ドゥエニャス)、それにメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」である。猛暑の今年は、いったいいつになったら秋が訪れるのだろうかと、もう諦めの境地で過ごしていた矢先、ようやく気温が下がった19日、サントリーホール前の広場には多くの屋台も出て、金曜日のオフィス街が賑わっていた。その合間を抜けて会場へと入る。いつものサントリーホールではあるが、どことなく行儀のいいN響の聴衆ですでに満席である。

最初の曲「3つの映画音楽」は弦楽合奏のみの曲である。武満が生涯にわたって作曲した映画音楽から「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」に使われた曲を編曲し、1つの管弦楽曲として構成したもの。私もCDを持ってはいるが、実演は初めてであった。私の座席はRCセクションの7列目で、オーケストラを斜めに見下ろす位置にあり、とてもいい。そこから聞くN響の音は、いつもNHKホールで聞くものとは全く違っていた。

特にそれを実感したのが、次のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲である。白いドレス姿で登場したドゥエニャスは初登場。まだ若い彼女は、しかしながらなかなかしなやかで音色も美しい。聞きなれた曲が、まるで初めての曲のように感じられるのは、N響を含めた音のバランスの良さ故だろうか。これまで聞いていたこの曲がいったい何だったのだろうかとさえ思った。私は公演前に飲んだワイン(サントリーの赤)のせいもあって心地よい睡魔に襲われ、しばしば夢見心地で長い第1楽章に酔いしれた。

注目すべきはそのカデンツァで、何と彼女は自前のそれを披露するではないか!この曲のカデンツァと言えば、だいたいヨアヒムのものと決まっており、私もしれしか聞いたことがない。ところが彼女は、そう、あとの第3楽章のものも含め、自前の、それも大変聴きごたえのあるカデンツァを聞かせたのである。何と言おうか、さほど技巧的でもなく、しかし斬新さがあって長い。それが自然に入り、静寂な聴衆の前で圧倒的な量感を持って奏でられ、そしてすっとオーケストラに溶け合ってもとに戻る時の得も言われぬ美しさは、今日のコンサートの白眉であった。

第2楽章の精緻な表現も見事で、特に後半の美しさは特筆すべきものだった。第3楽章で見せた迫力のあるロンドは、この曲の魅力を100%以上に引き出し、聴く者を興奮させていった。それにしてもN響の音は、さらにボリュームを増したかのようで、普段は大人しい聴衆も熱い拍手を送っていたが、今日の演奏会はマイク一本垂れておらず、テレビ収録されたのは前日のコンサートだったのだろうと思う。これは放送された時に再度見てみたい。

休憩を挟み、後半は「イタリア」交響曲のみ。30分1本勝負のアレグロを、ルイージはこれ以上にないくらいのスピードで演奏した。その迫力たるや、まるで上に向けた水道の蛇口から、天に向かって水がほとばしり出るようで、一糸乱れぬアンサンブルの極致と化したN響の演奏は、いまやヨーロッパの一流オーケストラにも比肩しうるものだと確信した。特にチェロとコントラバスによる低弦の響きは、かつて非力だった日本のオーケストラとは見違えるほどの充実ぶりで、第4楽章まであっという間の演奏。ただ速いだけのうわついたものではなく、木管が宙を舞い、ホルンが咆える。実演で聞くオーケストラの醍醐味である。

これまで幾度となく聞いてきたN響の演奏会なのに、このサントリーホールで聞く異常なほどの素晴らしさは、一体どういうことなのだろうか、と思った。いや白状すれば、サントリーホールでN響を聞くのはこれが初めてではない。とすればこれは指揮者による効果としか考えられない。ルイージという指揮者は、表現的にはやや無機的で、深い感銘を残すことがあまりない指揮者だが、音作りについては超1級品なのだろうと思った次第である。その良さがNHKホールでは拡散してしまうが、サントリーホールでは凝縮されて迫って来る。ルイージのコンサートはまだあと2回(11月、4月)あるし、他の指揮者とも聴き比べることができるのが楽しみである。

次回は早くも10月10日、ヘルベルト・ブロムシュテットが予定されている。御年98歳の指揮者を聞くことができれば、それだけで生涯の記憶に残るものとなるだろう。

2025年9月1日月曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(The MET Line in HD Series 2024-2025)

こう言うとオペラ好きの人から笑われそうだが、私はベートーヴェンの「フィデリオ」が大好きである。これまでに実演で2回、CDで4種類、DVDで2種類は見聞きしているだろう。その「フィデリオ」がMET Liveに登場するのは初めてである。待ちに待った感がある。もっとも日本での公開は5月頃だった。私が見るのは、夏休みに上演されるリバイバルになってしまった。忙しくて行けなかったからである。なお、ニューヨークでの公演(収録日)は、本年3月15日となっている。

「フィデリオ」の魅力は何と言ってもベートーヴェンの音楽そのものに尽きる。舞台はスペインの監獄で暗い。男装したレオノーレはフィデリオ(ソプラノのワーグナー歌手、リーゼ・ダーヴィットセン)と名乗って刑務所に侵入、そこの看守ロッコ(バスの重鎮、ルネ・パーぺ)の部下となり、夫であるフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)を救い出す、という救出劇。

第1幕には一応、男女の恋物語として看守の娘マルツェリーネ(中国人のソプラノ、イン・ファン)に言い寄るジャキーノ(テノールのマグヌス・ディートリヒ)との二重唱なども用意されてはいるが、音楽がベートーヴェンとしては未熟なものが多い。「あまり得意でないことをやっているな」という感じである。しかも今回のマルツェリーネはアジア人ということもあって、どうしても私などは「昭和のお姉さん」(つまり「サザエさん」)のようなムードを感じてしまい、やや興ざめ。とはいえ、私はこの無骨な音楽も大好きで、やはりベートーヴェンにしか書けないものを感じるのである。看守ロッコの上司である刑務所長のドン・ピツァロ(バス・バリトンのトマシュ・コニエチュニ)を含めた4人が第1幕を長々と演じるが、そのクライマックスは何と言っても、夫の身を案じて歌う長いレチタティーヴォとアリア「悪者よ、どこへ急ぐのか」である。ベートーヴェンは音楽を中心に据えて歌を書いたので、息継ぎも難しく、このアリアの難易度は相当なものである。

幕間の紹介によればダーヴィットセンは、双子を妊娠中の身だそうで、この公演を最後に育児休暇に入るそうだが、さっそく来年の「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデでカムバックするというから驚く。公演が終わった舞台裏の画像で、感極まって涙ぐむ彼女の姿は印象的だった。歌唱の方もさすがに見事だったが、私は第1幕の後半を、折からの猛暑の疲れも手伝って心地よい睡魔に襲われ、あまりよく覚えていない。指揮者は女性のスザンナ・マルッキ。人気はあるようだがどことなく平凡で、あのベートーヴェンの推進力が感じられないのは残念だった。

映像の前口上でゲルブ総裁が、この難しい時代に「フィデリオ」を上演することの意味を訴えていたが、実際にはこのプロダクション(演出:ユルゲン・フリム)は、随分前(一説では2000年頃)から上演されているらしく、古典的な舞台装置である。ロシアの捕虜収容所などでなくて良かったと思った次第。序曲は「フィデリオ」の序曲で、第2幕に「レオノーレ」第3番は挿入されなかった。

短いインターミッションの後、第2幕が始まった。私はこの第2幕の冒頭が気に入っている。ベートーヴェンが書いた最高の音楽のひとつではないかとさえ思う。それがひとしきり演奏されると、いよいよフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)が登場、「神よ!」と叫ぶシーンがこのオペラの真骨頂である。ここから続く長大なアリアは、最大の聞き所の一つである。透明なテノールの響きも含め、このオペラの不思議なところは、舞台が常に暗黒であるにもかかわらず、音楽がむしろ陽気であることだ。それこそベートーヴェンのベートーヴェンらしいところではないだろうか。

従って遂にレオノーレとフロレスタンが再会し、そこに居合わせるロッコとドン・ピッアロを含めた4人によるやりとりは、有名なレオノーレのメロディーや「勝利のファンファーレ」を含め、大いに盛り上がってゆく。緊張感が増すというよりは、ドラマの域を超えてオラトリオと化してゆくのが面白い。ただ、私はマーラーが始めた序曲「レオノーレ」第3番の挿入が、どうしても欲しいと思うので、司法長官ドン・フェルナンド(バスのスティーヴン・ミリング)が水戸黄門のように登場し、勧善懲悪の大団円を迎えるまでのひと時を、間奏曲のように待ちたい気持ちが強い。舞台も急に明るくなって、ここから長大かつ壮大なフィナーレに入るのだが、その前の「溜め」が欲しくなるのである。だが、最近はそういう演出は減ってしまった。

マルッキの指揮も第2幕は調子が良く、高らかに歌い上げられる自由と愛への賛歌に、会場からは惜しみない拍手が送られていた。この音楽は誰がどう演奏しても、ベートーヴェンにしか表現できない音楽とストーリーである。世の中の正義が揺らいでいる今の時代にあって、このような渾身の音楽を聞くと、胸が熱くなる。私はビデオ上映のオペラで涙を流すことは滅多にないが、約1年ぶりのMET Liveでベートーヴェンの感動的な音楽に、改めて心を動かされたのだった。

2025年8月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会(2025年8月2日ミューザ川崎シンフォニーホール、上岡敏之指揮)


我が国にはかつて、クラシック音楽を聞く層の中心が若者という時代があった。私の親くらいの世代から団塊の世代にかけて、その傾向は顕著だった。そのブームの中心に、帝王カラヤンがいたことは誰もが知るところだろう。日本の音楽界とメジャー・レコード会社がその火付け役となり、極東の非西洋国ながら数多くのコンサートが開かれ、そこに陣取ったのは20代を中心とする当時の人々だった。

思えばクラシック音楽好きとなったのも、そのような時代背景と大きく関わっている。私の場合、うちのクラシック音楽好きの元祖は、昭和10年生まれの伯父だった。伯父が集めたLPレコードの何枚かを、我が家は借りてきて、ステレオ装置のそばに立てかけられていた。まず父がその音楽を聞き、その影響で私は小学生の頃からレコードに親しんだ。CDの時代となり、自前でコンサートに行けるようになると、私はさらに多くの曲を聞き始め、世界中の来日オーケストラのコンサートにも足を運んだ。伯父から父を通して受け継がれたクラシック音楽好きは、その後私の弟にも及び、さらに今ではその息子へと伝播している。

その伯父が、急に亡くなった。先週のことだった。私は急遽、葬儀に参列することになり、週末に予定していた家族旅行をキャンセルした。葬儀はつつがなく終了。翌日は京都に息子を訪ねただけで、台風の接近もあって早々に帰京した私は、旅行で諦めていたコンサートに出かけることになった。「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2025」の一連の公演の中で、もっとも注目していた上岡敏之の指揮するブルックナーのコンサートに行くことにしたのだ。この公演のチケットが、まだ多く売れ残っていたのは意外だった。そして伯父が晩年によく聞いていたブルックナーの交響曲、それもワーグナーの追悼に書かれた長大なアダージョを擁する第7番のみが、この日の演目だった。

何という巡りあわせだろうか。私が伯父の追悼に相応しいとさえ思うコンサートを、ミューザ川崎シンフォニーホールに聞きに出かけた。3階席まではほぼ満席のホールは、冒頭から異様とも思える静寂さを際立たせ、上岡がタクトを下ろした瞬間、それまでに聞いたことがないピアニッシモの弦が鳴り響いてきた。それはいきなり最初から一気にブルックナーの世界に、観客席のすべてを覆うような空気に包まれていた。

最初の第1小節の微弱音から、これほど完成度が高い演奏は聞いたことがない。その音はブルックナーの音楽を知り尽くした指揮者にしかできないレベルの芸当に思われた。どことなくとりとめがなく、散漫にさえ感じる演奏が多い中で、上岡のブルックナーはすべての音符からその意味を理解し、有機的に組み合わせ、連続するフレーズの流れに絶え間なく生命を与えているだけでなく、それが繰り返されたりした際には、また違った表情を湛える。考え抜かれた音楽の再生は、捉えにくいブルックナー音楽の構造を見事に浮かび上がらせ、私はこの作曲家を初めて正しく理解したような気がした。

それは極めて精緻で冷静であり、職人的だったと思う。そうか、ブルックナーの音楽も、正しくはこのようにきっちりと統制され、しかしそうと感じさせないような流れで全体を見渡し、細部に指示を出すのだ。ブルックナー音楽は自然ではなく、構造物なのだ。長大な第1楽章は、その崇高な造形美を再現する技量高い指揮に引き込まれていった。

長いコーダに末に第1楽章がピタリと終わった瞬間、指揮者は指揮台に前のめりになって、ばたっと手をつくという印象的なポーズを取ったことが、舞台斜め左方の2階席からも良く見えた。遅い演奏だ。だが弛緩させることなく、かといって不自然さは微塵もない。そのようにして、あの第2楽章に入った。ここの楽章の間中、私は涙をこらえることはできなかった。副主題のメロディーをヴァイオリンが丁寧に奏で始めると、伯父との思い出が走馬灯のように浮かんできたのだ。

フィラデルフィア歴史地区(1990)
登山や潮干狩りにでかけた幼少期の思い出だけではない。大学進学のお祝いにもらったのが、クライバーの大阪公演のチケットだったことに始まり、単身赴任先のニューヨークに居候して毎日のようにマンハッタン観光に出かける私に、メトロポリタン歌劇場やカーネギーホールのチケットを数多く譲ってくれたのだった(ムーティ指揮フィラデルフィア管、マゼール指揮フランス国立管、テンシュテットが振る予定だったニューヨーク・フィルの定期、それにクライバーの「オテロ」などなど)。この直前、丁度カラヤンがウィーン・フィルとニューヨークを訪れ、交響曲第8番の歴史的名演奏を行ったことを、伯父は何度も話してくれた(そのカラヤンは程なくして亡くなり、その追悼盤としてブルックナーの第7交響曲がリリースされたことは、いまでも記憶に新しい)。

週末には伯父の運転する車でワシントンDCまで出かけ、ホワイトハウスや桜の咲くポトマック川などを周遊し、帰りにはフィラデルフィアの歴史地区にも足を延ばした。伯父は有名なレストランで豪華な食事をおごってくれただけでなく、ナイアガラの滝への日帰りツアーまで手配してくれるという歓迎ぶりだった。その10年後、私が仕事でニューヨーク勤務をすることになった。ある日突然私のオフィスの電話が鳴って「いまKitano Hotelに泊まっている」と告げられたのだ。思いがけないマンハッタンでの再会時も、その時客演していたサンクト・ペテルブルグ響に話が及んだ。退職後も第2の会社人生を送りながらニューヨークに出張に来ていた伯父は、たまたま前日に同じコンサートに出かけていたことが判明したからである。

私に大いなる愛情を持って接してくれた伯父は、私が2002年に白血病に倒れた時に、骨髄移植のドナーを快く引き受けてくれた命の恩人である。白血球の型が2人の兄弟とも一致しなかった私の家族は、最後の望みをかえて親戚中の型を調べ、その中から「大いに可能性あり」と主治医が言った伯父との適合性が、もっとも高かったのだった。この時すでに還暦を過ぎていたから、ドナーとしての資格がなくなるギリギリのタイミングだった。翌日には骨髄液の採取のために上京し、即入院してくれた。暑い真夏のちょうど今頃だった。もしかしたら親戚中で、私との親和性を科学的な証拠とともに示されたことを、何か運命のことにように感じていたのかも知れない。

享年89歳の往生である。ドナーの伯父より先に死ぬわけにはいかない、とこれまで自分に言い聞かせて闘病を続けてきた私は、なぜか少しほっとした気がした。そして伯父の細胞は、私の中でまだ生き続けているとも。それは丁度、今日聞いたブルックナーの悠久の音楽のように、自然でよどみなく、引いては押し寄せる大波のように、そして長い道のりの末に頂点を築く時には、打ち震えるような感動が全身を覆うように、私の体中の細胞を振動させた。

これ以上ないゆったりしたテンポだった。ワーグナーへの鎮魂歌が、私の伯父へのそれに重なった。このコンサートは生涯忘れることのないものになるだろう。そしてそれは個人的にそう思ったのみならず、会場にいた聴衆にとっても、唯一無二のような時間だったのではないだろうか?

この曲は第1楽章、第2楽章があまりに充実しているので、後半の音楽が陳腐に思えることがなくはない。だがよく考えてみると、何となく吹っ切れて追悼の身持ちが昇華され、天国に上るような嬉しさと感じることもできようではないか?上岡の指揮も、第3楽章の後半になると、まるでダンスを踊るように指揮台の上を動きまわり、タクトがきめ細かく各楽器にキューを出す。第4楽章に至っては、これはもう衆生の音楽だろう。還俗して非日常の世界を脱し、気持ちが中和されて現生に戻るように、尻切れトンボのように終わった演奏は、指揮者が動かない間、誰一人音を立てる者がいなかった。聴衆との我慢比べが始まった。やがて誰かが辛抱しきれなくなり、静かに拍手を始めると、それにつられて怒涛のようなブラボーと喝采、それに口笛までもが吹き荒れた。

何度もカーテンコールに応える指揮者は、各楽器のセクションを回ってパートごとに奏者を立たせ、熱狂の聴衆にアピールした。今日の新日本フィルはとても上手かった。こんな演奏が日本でも聞けるのかと思った。プログラム冊子には65分と書かれていた演奏時間は、90分にも及んでいた。短期間でこのような演奏ができるのではない。上岡はこれまでもたびたび音楽監督として新日本フィルで演奏を行い、ブルックナーの交響曲を録音している。有名指揮者コンクールの受賞経歴があるわけではないが、着実にドイツで実績を積み、個性的で真摯な演奏をする上岡の演奏会は、東京でも毎年何度か開かれており、私も目が離せない。だが、今回の演奏会ほど特別なものはなかった。猛暑の中を駅まで歩く。またこれから始まる日常。どこか遠いところから帰ってきたような感覚だった。

葬儀の翌日に訪れた正伝寺(京都)

2025年7月29日火曜日

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団演奏会(2025年7月27日ミューザ川崎シンフォニーホール、高関健指揮)

決して気を衒った演奏ではない。ただしっかりと楽譜に忠実に、そして誠心誠意音楽を正攻法でまとめた演奏ながら、これほど共感に満ち、聞くものを幸福にする演奏にはそう出会えるものではない、と感じたコンサートだった。特にプログラム前半、小山実稚恵を独奏に迎えたベートーヴェンの「皇帝」は、私の涙腺をしばしば刺激し、この聞きなれた曲がこうも素直に、立派に表現されていることを心の底から喜んだ。

ミューザ川崎シンフォニーホール、で毎年夏に開催される「フェスタ・サマーミューザ」は今年でもう21年になるそうだ。2005年にこの催しが始まった時、私は闘病中で、その存在すら知らなかった。2018年に初めて出かけ、以後何度か行ったことがある。梅雨明け直後の猛暑の首都圏で、国内オーケストラを中心としたプログラムが連日続くというものだ。川崎駅前の雑踏に気が滅入り、いつもちょっと足を遠ざけてしまうのだが、今年はオープニング・コンサートに「言葉のない指環」(ワーグナー/マゼール編)があって、これに行ってみようと思っていた。

しかし考えることはみな同じようだった。このプログラムは早々に売り切れてしまった。仕方がないから他に面白そうなのはないかと探していくと、私の予定が空いている日に開催されるものとしては、7月27日(日)東京シティ・フィルの演奏会が目に留まった。プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(独奏:小山実稚恵)、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」という名曲プログラム。私は小山実稚恵も指揮者の高関健も聞くのが初めてだから、丁度いいと思った。このお二人は、長年東京で毎年限りない数のコンサートを開いているが、どういうわけか私はまだ未経験ということが決定打となり、2階席(といってもオーケストラ後方)を買い求めた。

そして後から知ったことには、この演奏会も満員御礼、すなわち早々にチケット完売となったのだ。首都圏在住のクラシック音楽ファンは、やはりこのような名曲プログラムが好きである。そして私も夏の音楽祭では、こういうのがまあいいか、と思った。「皇帝」と「巨人」、どちらも大好きな曲である。それにも増してこのような企画が20年以上も続き、しかも盛況なのは嬉しいことである。そこには聴衆を裏切ってこなかった歴史があるのだろう、と思った。毎回オーケストラを変えて、様々な指揮者が様々な曲を披露する。その中には学生のオーケストラもある。料金はリーズナブル。

ミューザ川崎シンフォニーホールというところは、音響自体は悪くないのだが、構造が少し変わっていて螺旋状に縦長の形状をしている。どの席からもちょっと視界が悪い。私の座った2階席からも、各楽団員を真横か後から眺める位置だが、その3割程度はそもそも見えない。もっとも指揮者とピアニストは丸でテレビカメラのように良く見える位置なので、悪くはない。落ち着いた衣装で登場した小山とは別の通路から高関が指揮台へ。熟年の演奏会といった雰囲気で、客層も年齢層がかなり高め。

「皇帝」の冒頭の和音が丁寧に鳴り響いた時、私は「そうだ、この音だ」と思った。ベートーヴェンがロマン派の香りを高めつつ、ピアノという楽器の魅力を最大限に引きだそうとした大コンチェルト。それをたっぷりと、味わう。伴奏パートを担うオーケストラの指揮がピタリとポーズを取る間際に、ピアノが阿吽の呼吸でフォルテを連打する。大規模なソナタ形式もわかりやすいこの曲は、味わいのあるカデンツァ的部分(ベートーヴェンはこの曲に「カデンツァ」は不要と記し、それに合わせるかのように自らが作曲した独奏部分を挿入した)で最高潮に達する。それにしてもシティ・フィルからは紛れもないベートーヴェンの絹のような音色が出てくるのが嬉しい。

その様子は第2楽章にも弾きつがれ、うっとりと耳を傾けているうちに第3楽章へ。静謐な中から徐々に主題を醸し出す第3楽章の入口の絶妙な指揮と独奏が、このような角度から明確にわかる演奏に興奮した。以降、変奏を繰り返しながら悠然と進む「傑作の森」の例えようもない幸福感を、私はこの曲を聞くたびに味わう。演奏がというよりは、これはもう曲の魅力が勝っている。ただその魅力を損なわずに演奏してくれればいい、と思う。今日の演奏は、たとえ少しのミスがあろうとも、それはそれで実演の妙味でさえあるのであって、ライブの醍醐味は決して完璧な演奏であることではない。そういう風にして、長い前半の演目が、大盛況のうちに終わった。期待していたアンコールは、何とショパンの「夜想曲」第2番だった。この有名な曲を私は第1人者の名演で触れる時、そこにはショパン弾き(彼女はショパンコンクールの入賞者でもある)ならではの確たる息遣いと音色が感じられた。好感を持って、私は小山の初めての演奏会を心から楽しんだ。

20分の休憩を経てオーケストラがスケール・アップされ、マーラーの「巨人」が始まった。この演奏は後半になるにつれて良くなっていった。あまりに何度も聞いている局なので、どうしてもその比較になってしまう。例えば第1楽章の主題が出るところはもう少し印象的にならないか、第2楽章のリズムはもう少し跳ねないか、第3楽章の中間部は別世界に焦がれるように...と。しかしこの演奏が、少々違和感を覚えた原因は、もしかすると利用されたスコアによるものかも知れない。プログラムによれば本公園では「ラインホルト・クービックによる2019年校訂版」が日本で初めて使用される、とのことである。スコア研究の第1人者たる高関のこだわりを感じるが、ではそれがどういう違いがあるのかと追えば、それはよくわからない。

冒頭のバンダなどでしょっと聞き苦しいミスもあったシティ・フィルだったが、オーボエやホルン(終楽章では起立した)の熱演もあり、最後は大団円となった。若い団員が多い同オーケストラを聞くのは、私が東京で音楽を聞き始めてから30年以上がたつにもかかわらず2回目である。魅力的なプログラムが安価に聞けるなら、もう少し足を運んでもいいと思った。

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団、1990年)

今年は10月に入って、ようやく長い夏が終わりそうである。秋の夜長に音楽を聞く楽しむ期間は、年々短くなっている。しかし今年は、いよいよSpotifyがロスレス配信を開始したことにより、私のオーディオ環境にも変化が生じた。WiiMという新しいネットワークオーディオ機器を購入し、昨年新...