2025年3月26日水曜日

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

4曲あるブラームスの交響曲の中で、第3番は私が最も親しみやすいと感じている作品である。にもかかわらず、この曲が演奏されることは他の3曲に比べ少ない。何故だろうか?よく理由に挙げられるのは、すべての楽章が静かに終わる点と、中途半端な長さである。しかし哀愁を帯びた第3楽章は、ブラームスの最も美しいメロディーとして有名だし、両端の楽章はそれなりに迫力もあって飽きることはない。他の曲があまりに有名で立派なので、その陰に隠れてしまっているからではないだろうか。

この曲の特徴はシューマンの影響がもっとも色濃く出ている点だろう。特に同じ交響曲第3番の「ライン」は、冒頭などが似た感じである。シューマンの匂いがほのかに香り、少しもやのかかったような明るさが感じられて好ましい。ブラームスの作品の中では特にリラックスした作品で、その真骨頂は第2楽章ではないだろうか。それは第2番以上に落ち着いた室内楽的ムードであり、静かで孤独でもあるのだが、不思議に淋しくはない。

春霞の中を散歩するような緩徐楽章に引き続いて、第3楽章は深まる秋に戻るのは面白いが、これは私の勝手な感覚である。この曲の第4楽章を初めて聞いた時、これは意外にも大規模な曲だと思った。静かに終わると聞いていたので、もっと地味な作品だと思ったのだ。だがコーダの直前までアレグロで突き進む。大規模なコーダで華やかに終わるのが好きなのはクラシック音楽を聞き始めた若い時だけで、歳を取ると次第に静かに終わる曲が好ましく思えて来る。

そのような第3交響曲の演奏は、どのようなものが思い出に残っているだろうか。私の好みは、この曲をあまり壮大に演奏しないことだ。特に第1楽章の冒頭を大きくロマンチックに演奏すると、どこか締まりのないものに聞こえる。もっとも私はシューマンの「ライン」についてジュリーニの演奏が好みなのだが、どういうわけかこの曲については、縦のラインをそろえたきりっとした演奏を追い求めてきた。

そして私のお気に入りは、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルを指揮したものである。アバドには若い頃に、この曲をシュターツカペレ・ドレスデンと演奏しているようだが、私は聞いたことがない。アバドの演奏は、この曲のそれまでのドイツ的名演奏を聞いてきた人にとっては、少し物足りないものではないかと思う。だが私はあまりそのようなものに捕らわれることなくこの曲に入ってきたので、アバドの新鮮な解釈は大変好ましく思えた。新しい時代のブラームス像を、この演奏は示していると思う。

2025年3月12日水曜日

サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーゾ(Vn: ジノ・フランチェスカッティ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を実演で聞いたことをきっかけに、このブログでも書いておこうといろいろな演奏を探していると、この曲は昔からフランチェスカッティによるものが名演であることを思い出した。そういえば我が家にも、彼の演奏するレコードがあった。ただ、それはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だったような気がする。伴奏はセル指揮クリーヴランド管弦楽団。その余白に収録されていたのが「序奏とロンド・カプリチオーゾ」だった(と思うが実は怪しい)。

ヴァイオリン独奏とオーケストラのための10分足らずのこの小品は、親しみやすいメロディーで一度聞いただけで忘れられない曲である。明るい音色と、どこか懐かしさを感じさせる抒情性がマッチして、フランス音楽の最も特徴的な側面がストレートに表現されているように思う。ビゼーやドビュッシーがこの曲を編曲していることや、そもそもヴァイオリンの名手サラサーテに捧げられていることからも、この曲の人気が不動のものであることを裏付けている。

その「序奏とロンド・カプリチオーゾ」は、息子が小さい頃に習っていたヴァイオリンの発表会で、先生がその演奏を披露することが多かった曲である。師走の休日の、静かな快晴の午後。ピアノを伴奏に甘く切ない音楽に耳を傾けていると、時が昔にタイムスリップしたような感覚に捕らわれたものだった。そういうことからかこの曲は、私にとって古色蒼然としたセピア色の思い出に染まっている。

ジノ・フランチェスカッティは、フランスの技巧派ヴァイオリニストで、サラサーテの作品やサン=サーンスの演奏で知られている。米コロンビアに残した数々の名演は、録音が古くなってしまった今でも独特の光を放っている。確かな演奏家の音は、録音の古さを乗り越えて輝きを放つ。フランチェスカッティもまたその一人である。

「序奏とロンド・カプリチオーゾ」は、バックをユージン・オーマンディが務めている。当然オーケストラはフィラデルフィア管弦楽団である。その演奏を改めて聞いてみた。ステレオ録音なのに丸で蓄音機から聞こえてくるようで、レトロという言葉がこの演奏にピッタリである。耳元でクリヤーに蘇ったその音は、一音一音が鮮明で指使いまでもが手に取るように伝わって来る。キリっと引き締まった楷書風の演奏が、またいい。

仕事が終わって夕食のあとのひととき、グラスに少々のウィスキーを傾けながらひとりこの演奏に耳を傾けていると、無性にセンチメンタルな気分になった。音が少しやせていることまでもが、魅力に思えてくる。あばたもえくぼ、ということだろうか。

2025年2月24日月曜日

NHK交響楽団第2033回定期公演(2025年2月21日NHKホール、下野竜也指揮)

これまで私は、N響の聴衆というのは高齢者が多く、どこか醒めていると感じていた。例えば杖をついていても歩きにくい人をよく見かけたし、そういう人が休憩時間に並ぶトイレはやたら時間がかかって混み合い時間が足りない(そのせいか、いつの間にか15分の休憩時間が20分に延長された)。補聴器への配慮を促すアナウンスにも最初は驚いたものだった。

それがいつからか変わり、今ではオーケストラが出てくるだけで拍手が起こる。補聴器のアナウンスは聞かなくなった。そして今回出かけた第2033回定期公演では、何と若い人や外国人が非常に多かった。とうとう世代が変わったのだろうか。2月はC定期のみ出演者は全員日本人だし、スッペやオッフェンバックの小品を集めたコンサートは、コスト削減を目的とした安易な企画として、お堅いN響の定期会員には人気なく、席はガラガラだと思っていた。ところがそうではなかったのだ。私の購入した2階席などはほぼ埋まっているではないか。

いわゆるポピュラー・コンサート、あるいは名曲コンサートの類であれば、これも頷ける。しかし本日は定期公演。3月には欧州公演も控えているようで、しばらく定期公演はお休み。けれども私は、定期公演としての演奏される名曲プログラムを昔から好んでおり、軽い曲を軽く演奏するのではなく、一球入魂の力で演奏することに密かな期待をしていた。同じことを思っている聴衆も多かった。かつてカラヤンのビデオ作品などがそれを彷彿とさせて、私のお気に入りだった。それこそロッシーニの序曲やシュトラウスのワルツを、まるでシンフォニーにようにゴージャスに演奏するのだから。

2日同じプログラムで開催されるN響定期の初日というのは、FM中継に加えてテレビ収録されることになっている。ところがこの日は通常のカメラに加え、マイクロフォンの設定がいつもより多い。これは何を意味するのかわからないが、もしかするとこの演奏は、何か特別な録音でもなされるのかも知れない。まあそんなことを考えながら、開演を待った。

最初の曲がスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲だったことを忘れていた。あの勇壮なトランペットのファンファーレが聞こえてきたとき、N響の管楽アンサンブルの見事さに圧倒された。いつのまにか、金管楽器のフォルティシモの醜さ(それは我が国のオーケストラの欠点だった)が消えてなくなり、磨かれて美しく聞こえるのだ。これは3番目の曲、同じスッペの喜歌劇「詩人と農夫」でも同様だった。

ただ「詩人と農夫」では、そのあとチェロの独奏が朗々と会場にこだまし、さらにハープが加わってうっとりするようなメロディーに酔いしれる。そうかと思うと濁りのない弦楽器のユニゾン、金管のアンサンブルと聞き所に事欠かない。

前半の2曲目にはヴァイオリニストの三浦文彰を迎えての、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番が演奏された。この曲は有名だが、私は会場で聞くのは初めてである。まるでヴィオラのような低音で始まる冒頭から、こなれた手つきで演奏するソロに見入った。

演奏は後半ほどこなれて上手く、もしかすると明日の2日目はもっと緊張感が取れていい感じになるのではと思われた。最後の曲、オッフェンバックの「パリの喜び」(ロザンダール編)は、言わずと知れた楽しい曲だが、これは40分近く続くという贅沢なもの。N響のようなプロ中のプロが奏でる「カンカン」が、そして夢のように美しい「舟歌」が、まるで交響詩のように響く。オーケストラの楽しさをこれほどにまで体験できる贅沢な時間は、なかなかないものだ。指揮の下野竜也も終始楽しそうで、表情は客席からはわからないが、これはテレビ放映時の楽しみである。

2025年2月18日火曜日

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)

今日は東海道新幹線に乗っている。名古屋方面へ出かけるのは今年に入って3回目である。耳には、ブラームスの第2交響曲。

この曲は、オーストリアの風光明媚な観光地ヴェルター湖畔にあるペルチャッハにて、交響曲第1番の完成からわずか1年のうちに作曲された。第1番の完成に21年もの歳月を要したのに比べると、圧倒的な速さである。

私はウィーン以外のオーストラリアへ出かけたことはなく、その自然の美しさを知らない。毎年ニューイヤーコンサートで見る各地の古城や田園風景は、それはまるで絵画のように美しく、このような環境の中に身を置いてこそ、豊かな音楽性が開花し名曲が生まれるのだろうと想像している。実際作曲家自身も、自然が創作意欲を掻き立てることを手紙などに記している。ブラームスも例外ではない。

自然をそのまま音楽にしたような牧歌的で明るい曲想が、44歳のブラームスを通して第2作目の交響曲となり、100年以上の歳月を経て我々のもとにある。50年前の演奏でも、録音されていれば再生が可能だし、楽譜によって演奏家が同じ音楽を再現するのをコンサートで体験することもできる。「ブラームスの田園交響曲」と言われるこの第2番に、私はこれまで幾度となく接してきた。ある作家が死の直前、ここの第1楽章の主題をレコードでかけるようにと言い、それを再生機で聞いた彼は静かに「そうだ、これでいいのだ」と辞世の言葉を残したそうである。

私もクラシック音楽を聴き始めた中学生時代、たった4曲しかないブラームスの交響曲を第1番から順に聞いていった。いや、第1番の次はいきなり第4番で、第3番が最後だった。他の家庭はどうか知らないが、少なくとも我が家には第1番のレコードが10枚近くあり、次いで多いのが第4番だった。第2番と第3番は1枚もなかった。知り合いの家に遊びに行った折、そこにあった第2番のレコードをはじめて聞くことになった。演奏はシュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル。そのときは、なんだか大人しく地味な曲だという印象しか残らなかった。

中学校3年生になって、ある寒い土曜日の朝、寝床でFM放送を聞いているとこの曲が流れた。当時は土曜日でも通学する必要があった。暖かい布団の中で、そわそわしながら耳を傾けていた。すると第4楽章になってアレグロの音楽が勢いよく流れてきた。最後はこんな風になるのだと思った。コーダでは思いっきりクライマックスを築き、気持ちよく終わる。朝からこのような曲を聴き爽快な気分で学校へ出かけたが、私の頭からはこの曲が、一日中鳴り響いて途絶えることがなかった。

この時の演奏は、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのものだったと記憶している。ここで取り上げようかとも思ったが、第1番でベームを推したので、それとは異なる演奏にした。それはジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮したものである。古い60年代の録音であるにもかかわらず、今もってこの演奏を超える印象を残すものに、私は出会っていない。同様のことを思う人も多いのか、この古い録音は何度もリマスターされ、未だにリリースされ続けている。

第2番の聴きどころは多い。まず、第1楽章の冒頭の旋律。弦楽器が出てすぐにホルンから木管へとメロディーが受け継がれていく。やがて弦楽器がひらひらと降りてきて風が滞ったかと思うと、おもむろにそよ風が頬をそっと撫でるように現れる。ここは第1の聞き所で、春風のように明るく朗らかにやるか(バーンシュタイン)、テンポを揺らして想い深く通り過ぎるか(モントゥー)、スコットランド民謡のように素朴に演奏するか(バルビローリ)。この主旋律は、そのあと繰り返しの際にも出てくるが、再現されるときにいかにハッとさせるかを私はいつも注目する。おそらくそういう演奏に過去出会ったからだろう。

ここは特に印象的でなければならない。ジュリーニのように遅すぎると緊張感が続かず、ショルティのようにせっかちというのも、私の感性に合わない。セルの中庸の美学は、ここでも大変好ましい。

第2楽章は、この曲の演奏の善し悪しを左右するものだ。ただこのことは、何度もこの曲を聴いてきて次第にわかってくるものである。クラシック音楽の魅力を知るには時間が掛かるが、その楽しみは長く続く。セルの演奏は、骨格がしっかりとして居ながら抒情的な面も豊かで、表情付けにメリハリが効いている。中音域のメロディーラインが一定の幅の中で上昇・下降を繰り返しながら進むが、決して明るく晴れたりはしない。

このあたり、シューマンの音楽もそうで、いわばドイツ・ロマン派の伝統という気もするのだが、ブルックナーやワーグナーのように(ブラームスと対立関係にあった)、南ドイツ風の時折日差しが差し込むというものではなく、あくまで曇り。このような閉塞的な気象と気性から、ブラームスの難しさがあるように思う。難しさと書いたが、これは好みの難しさ。つまり心から好きになれないけど、だからといってそんなに嫌いでもないのである。

第3章は素朴でほのかに明るく、3拍子のリズムはここの楽章を舞曲とする交響曲の伝統に回帰するようなところがあって好ましい。一方、第4楽章の爆発するようなリズムとメロディーをどう解釈するのがいいのだろうか?この曲を通して自然がひとつのモチーフだとすれば、ここはやはり春から初夏にかけての、浮き立つような喜びということではいだろうか?セルの演奏で聞いていると、民族舞曲がベースとなっているかのように聞こえてくる。ただそれでも南欧風の快晴ではない。

この曲は有名で人気がある割には、演奏の良し悪しや好みというものがよくわからないのが事実。同じことがベートーヴェンの「田園」にも言える。曲に問題があるかのようだと最初は思っていたが、セルの演奏に出会ってから、その考えは間違っていたことに気づいた。

新幹線の車窓風景に流れる冬の静岡の風景は、この曲のこの演奏によくマッチしている。

2025年2月14日金曜日

ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68(カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

午前8時30分新宿発の列車に乗って、甲府方面へ向かっている。ここ1週間ほど日本列島はずっぽりと寒気に覆われ、それこそ北海道から鹿児島に至るまで平地を含めて雪の陽気であるにもかかわらず、関東平野は連日の快晴続きである。この時期の悪天候は、特に受験生とって大変だと思うが、我が街道歩きもなかなか工夫を要する事態となる。東海道は名古屋での大雪のため行くことがためらわれ、中山道も佐久平を過ぎると、冬季の交通機関がめっきり乏しくなくなる。

関東平野の主要な街道はほぼ歩き終えたので、残るは甲州街道のみである。その大半を占める山梨県は、どういうわけか晴天が続いている。それで次なる区間、甲府柳町から韮崎の間を、飛び石連休を利用して歩くことにした。富士山方面へと向かう外国人の観光客でごった返す新宿駅を後にして、甲府・河口湖行き特急「かいじ」は、立川までまっすぐ西へと延びる中央本線をゆっくりと走る。

私はかつてこの沿線に10年ほど住んでいたので、沿線風景が懐かしい。雪化粧した多摩連山がビルの隙間から顔を出すのを眺めながら、ブラームスの交響曲第1番を聴いている。まだ三鷹だというのに、もう第1楽章が終わってしまった。それほど中央線を走る特急は遅い。私の一番のお気に入りにして、この曲の魅力を最初に教えてくれたのが、今聞いているカール・ベーム指揮ベルリン・フィルによる演奏(59年)である。この時ベームはすでに65歳だった。

ステレオ初期の古い録音にもかかわらず音質は良い。第2楽章に入って静謐な森の中にこだまするような素朴なメロディーが、この列車のスピードに合っている。ベームにはウィーン・フィルと録音した全集もあるが。この第1番だけはベルリン・フィルとのステレオ録音があって(他は確かモノラル)、実のところこちらの方が音楽の骨格がかっちりとしていい。今日のような、寒く引き締まる思いがする天候に合っているな、などといい加減なことを思う。

ブラームスは北ドイツの港町ハンブルグの出身で、そこの陽射しは夏でも弱く、寒々として曇天が続く。我が国に当てはめれば、冬の日本海側を思えばよいだろうか。低く垂れこめた雪の合間からたまに日が差して、明るくなったかと思うと雪が降り出すというような感じである。音楽家の父を持ち、自身もピアノの才能に恵まれた29歳の青年は、ドイツの地方都市からウィーンに赴く。ほとんど同じ境遇だったベートーヴェンを強く意識するのは、当然のことだったに違いない。

そのブラームスが異常ともいえる21年の歳月をかけて、満を持して最初の交響曲を作曲したことは常に言われることである。ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼んだとも。つまりはそれだけの完成度、充実度を誇り、常に意識の中にあったドイツ音楽の伝統を見事に継承したことは事実である。

だからこの作品は、ベートーヴェンの焼き直しなどでは決してなく、ロマン派後期に属しながら古典的様式を研究し尽くし、新たな交響曲としての金字塔を打ち立てた。このことについてはあまりに多くのことが語られているので、私はこれまでブラームスの作品について、このブログで触れるのをためらってきたほどだ。

最初の停車駅立川で、もう第3楽章となった。一般に第3楽章は3拍子で書かれることが多く、特にベートーヴェンは「スケルツォ」をより劇的に進化させた感が強いのだが、ブラームスはこの楽章を3拍子で書いていない。これはブラームスの独自性を示す例で、この曲が決してベートーヴェンの模倣ではないことがよくわかる。

一方、ベートーヴェンの「第九」との親和性が示されるのが第4楽章のメロディーである。音楽を聞き始めた頃はここにばかり針を下ろしたので、その手前の弦の静かなピチカート部分でプチプチとノイズが発生することになってしまい、レコードに傷をつけたことを後悔したものだ。このメロディーは、第1楽章から聞いていくととても印象的である。私の全く個人的な感想だが、第4楽章は前半がロマン的で後半になると古典的。こういう音楽が昔からあったね、と回顧するような気持ちである。この音楽はベートーヴェンの交響曲第5番の、続けて演奏される第3楽章からのパッセージに似ているとも思う(いやハ短調からハ長調へと向かう「苦悩から歓喜へ」の流れを考えると、これはやはり同類とみなすべきだろう)。

気合を入れて演奏されるので、次第に熱を帯びてそれなりの名演になるのは、ベートーヴェン同様曲自体が引き締まって無駄がなく、隅々にまで考え抜かれた結果だろう。そしt特筆すべきは、様々なアンサンブルに加えて、ソロのシーンの連続でもあることだ。オーケストラの力量が全編に渡って要求され、聴きどころには事欠かない。

第1楽章冒頭のティンパニ連打から、それは明らかである。第2楽章は何といってもバイオリンの、高らかに舞い上がるようなソロ。数々の印象的なメロディを吹く第3楽章は、菅のオンパレード。まずクラリネット、そしてホルンとフルートが高らかに弾きならされるとき、聞き手は固唾を飲んで聞き入る。第4楽章後半の、一気になだれ込むコーダまでの凝縮された音楽は、その粘着的性質もあって聞き終えてもいつまでも頭に残る。

高尾を過ぎる頃には、何と曲が終わってしまったではないか。今はこの文章を書きながら、同じベームの指揮する「悲劇的序曲」を聞いている。この曲ではウィーン・フィルが演奏している。ドレスデンやベルリンで活躍したベームは、レパートリーこそ少なかったがモーツァルトの典雅な「コジ」やベートーヴェンの記念碑的「フィデリオ」など、いくつかの歌劇作品で、長きに亘りこれを凌駕することはないほどに完成度が高い演奏を残した。

晩年どちらかというとウィーン・フィルの技量に頼って演奏しているようなところがあるが、若い頃は前衛的な音楽を得意とする指揮者だった。ベルクやリヒャルト・シュトラウスの名高い演奏も多く、逆にブルックナーやマーラーの演奏は少ない。そして古色蒼然としたあのバイロイトのワーグナーもまた、歴史に残る記録である。そんなベームが残したベルリンとの「ブラいち」は、彼の遺産の一つとして今でも燦然と輝いている。

車窓から見る甲府盆地の風景

2025年1月28日火曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第660回定期演奏会(2025年1月25日すみだトリフォニーホール、佐渡裕指揮)

久しぶりに聞いた佐渡裕の指揮は、オーバーアクション気味だった若い頃に比べ随分落ち着いたものになったと感じた。新日本フィルは佐渡を音楽監督に迎えてから、快進撃を続けていると言って良いだろう。特に彼の指揮するコンサートのチケットは、入手困難になりつつある。今年2年目となる24-25シーズン中最大の聞きものであるこの日の演目は、マーラーの交響曲第9番である。

バーンスタインの弟子として自らを紹介する彼にとって、バーンスタインが残したマーラーの交響曲全集は、クラシック音楽史上の遺産と言ってもいいだろう。そのマーラーの最高作品とも言える第9交響曲を指揮するとなると、それはもう一大事である。満を持して入魂の演奏が期待できる。そのように感じていた東京のクラシック音楽ファンは大勢いたであろう。当然というべきか、25日のすみだトリフォニーホールでの公演、および翌26日のサントリーホールでの公演のいずれもが早々に売り切れてしまったのだ!

私は仕方なく、諦めていたところへ1通のメールが届いた。なんと僅かな枚数のチケットを売っているというのである!前日24日のお昼頃である。この時ほど在宅勤務の有難さを思ったことはない。さっそく昼休みに新日フィルのサイトへアクセスしたところ、赤坂の方は売り切れていたが、すみだの方は空席があったのだ!丁度妻も在宅勤務の日だったため、即彼女を誘い、2枚のチェットを入手することができた。S席1階の左端で悪くない。しかも会員だからか、eチケットだからかよくわからないのだが、少し割引もあった。

会場にはまず、マイクを持って佐渡自身が登場し、55年前の大阪万博の頃に来日したカラヤン&ベルリン・フィルと、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのことについて話した。この時のプログラムは、カラヤンがベートーヴェン・チクルスだったのに対し(我が家にもプログラム冊子があった)、バーンスタインは当時まだあまり知られていなかったマーラーの交響曲第9番を演奏したとのことだった。小学生だった佐渡少年は、これをきっかけにマーラーに目覚めていった、云々について軽やかに喋った。

佐渡は京都生まれである。関西人として感じるのは、こういう時の京都人は(そうでなくても、かも知れないが)、あまり本心をさらけ出して心情を語るようなことはしない。むしろあえて何事もないかのように振舞う。しかしそこには並々ならぬ情熱が込められているかも知れないのだ。「80分を超えるかもしれないが、ゆったりとお楽しみください」とさりげなくプレトークを終えた彼は、一旦舞台から去り、チューニングのあと再び登場。振り下ろした指揮棒から流れてきた音楽は、実に自然で、気を衒ったところはなく、それでいて豊穣にして確信に満ちた足取りである。

カラヤンをして「大変疲れる」とさえ言わしめたこの難曲を、いともこなれた手つきで指揮する姿を見て、佐渡の指揮も円熟味を帯びてきたと感じたのだった。私はかつて、N響定期に初登場した「アルプス交響曲」や、新日フィルとのヴェルディの「レクイエム」を聞いたことがあったが、これらはいずれも90年代のことで、彼自身まだ若かった。まるでバーンスタインをコピーしたような身振りが印象的で、ちょっと音楽が上滑りしているときもあったように思う。だが、あれから30年近くが経過して聴く音楽は、より自然体であった。この難曲を軽やかに指揮することは、ものすごく難しいだろう。

ずっと同じような調子で流れている音楽が、惰性に陥ることなく、常に新しいフレーズに聞こえてくる。実際、この長い曲にあって、単純な繰り返しは一切存在しない。派手な打楽器や合唱こそ伴わないにもかかわらず、音楽の凝縮度は一貫して非常に高く、緻密である。両端にアダージョを配するという意外性もあって、長い曲を集中力を持って聞かせるのは並大抵のことではない。だがこの日の演奏は、それを実現していた。第2楽章の中盤以降に至ってオーケストラに自信がみなぎってきたことはよくわかった。第3楽章の後半での迫力は、この日の演奏のクライマックスだった。

長めの休止を経て流れ出る第4楽章の、豊穣にして繊細な音楽は、マーラー音楽の集大成である。ランプの灯が静かに消えていくように、最弱音が長く続くコーダを、これほどにまで見事に表現した演奏は私自身初めてだった(とはいうものの、この曲を実演で聞くのは3回目に過ぎないのだが)。おそらく興ざめだったのは、その最高に美しい瞬間に、若干の咳があったことだ(それも1回だけではない)。このことによってだろうか、手をおろした(佐渡は第4楽章ではタクトを持っていなかった)指揮のあとに沸き起こった拍手には、少し戸惑いが感じられた。もっと余韻に浸りたい気持ちと、早く拍手をしたい気持ちが交錯していた。あの咳がなければ、もっと落ち着いた拍手になったのではなかろうか。定期会員で占められた客席は、だれしもがこの難曲を知り尽くしているわけではない。

だが、そういう外的要因を別にすれば、最高位の水準にあった演奏だったと思う。翌日のサントリーホールの公演では、どのような演奏になっているのだろうかと想像する。それでも諦めていたこのコンサートに行くことができたのは幸運だった。音楽に完成度が増した佐渡裕の演奏に、これからはもっと頻繁に出かけたいと思った。

2025年1月27日月曜日

NHK交響楽団第2029回定期公演(2025年1月24日NHKホール、トゥガン・ソヒエフ指揮)

妻の誕生日が近いので洋菓子を買いに渋谷の「ヒカリエ」なるデパートに赴いた。1月末から2月にかけて、我が国ではチョコレートのシーズンでもある。何軒か覗いてみると、色や味がすこしずつ異なるこげ茶色のチョコレートが並んでいる。1粒が数百円もある高級チョコレートを買うと、固い箱に入れられカラフルな包装紙に包まれていた。わずかな色の違いを見せるチョコレート本体の芸術的な美しさと、それを包むパッチワークのような包装。その数十分後、私は公園通りを上ってNHKホールに入り、今宵の演奏会の開始を待った。

もらったプログラムを見ながら、チョコレートのことを考えていた。妙なことに、それは今日のプログラムに似ていたからだ。つまり2曲目のブラームスの交響曲第1番は、まるで並べられたダーク・チョコレートのように、凝縮された原料が時に芳香な違いを主張しつつ、一見しただけではわからないようなわずかな色の変化を楽しむさまであるのに対し、1曲目のストラヴィンスキーの組曲「プルチネルラ」は、その包装紙のようにくっきり明瞭な赤や黄、緑といった色が、まるでピート・モンドリアンの絵画のように配置されているような曲に思えたからだ。

素人の変な思いつきにも、少し根拠はある。すなわちこれらの2曲はいずれも、その時代に反してより古典的な様式を取り入れている点である。ブラームスは長い年月をかけて、バッハからベートーヴェンを経てロマン派に至るあらゆる音楽を研究し、古典的様式にのっとって最初の交響曲を作曲したことはいう間でもなく、ストラヴィンスキーはペルゴレージの音楽を模倣して「プルチネルラ」を作曲し(もっそもそのペルゴレージの作品も偽物だった)、いわゆる「新古典主義」の魁となった。いわば2曲とも、ロマン派後期において過去の様式を模倣して作曲された作品という共通点がある。だがその2曲は、上記で述べたように対照的である。これらを同じ日の演目に並べるのが面白いところである。

さて、ロシアの指揮者トゥガン・ソヒエフは毎年1月、NHK交響楽団に客演するのが恒例なっている。かつては優秀な若手指揮者として、十八番のロシア音楽やフランス音楽中心のプログラムが多かったが、最近はベルリン・フィルやウィーン・フィルにも毎年のように登場し、その多忙さは想像に難くない。にもかかわらず我が国に1か月近くも滞在し、今回も3種類のプログラムを振ってくれる。私はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」(A定期)を聞きたかったのだが、あの広いNHKホールが2日とも満席になるという異常な人気で諦めざるを得なくなり、サントリーホールで開かれるB定期も発売数が非常に少ないため断念。残った選択肢としてC定期を買い求めることとなった。なぜかこの日は多くのチケットが残っていた。

ソヒエフは今や、ドイツものもレパートリーに加えつつあるようだが、彼とブラームスの相性は悪くないと思われた。その理由は、私がソヒエフの音楽に感じるフレーズごとの、しっかりとした音色と音量の変化(それは天才的と言ってもいい)が、まるでチョコレートの風味や色合いのような微妙な違いを完璧に表現する様子が想像できたからである。けだしそれは正しかった。交響曲第1番の冒頭のティンパニ連打に始まる弦楽のうねりは、その一音一音が異なって聞こえた。2階席の奥という、サントリーホールならもっとも遠いような席にも、それは明確に伝わって来るのだった。

各ソロパートが大活躍するのが、この曲の聞き所である。そのクライマックスは第2楽章中盤のヴァイオリン・ソロである。3月をもって退団するマロさんこと篠崎史紀氏がコンサート・マスターを務める定期公演は、これが最後とのことである。おのずと注目が集まるその部分で、実に高らかかつ伸びやかに、確信を持って鳴り響いた時は会場の空気が変わった。例えようもなく美しかった。第3楽章でのクラリネット、第4楽章でのホルンやフルートもさることながら、この瞬間が本公演の白眉だったと言える。演奏が終わって真っ先に立たせ、あるいはオーケストラが退場してもなお拍手に応えるべく再登場した指揮者は、彼を連れてきた。

第4楽章で、あの有名な「第九」風のメロディーが聞こえてくるときも、そこだけを強調する指揮ではなかった。ごく自然に音楽は流れ、クライマックスを築いた。惜しむらくはNHKホールというところ、結局正面の前方で聞いていないと、臨場感が味わえないと思う。結局このホールは、オーケストラにとって広すぎるのである。それでも大きなブラボーは3階席から轟いた。檀ふみ氏が語っているように、もしかしたら3階席の最前列が「隠れた最高の位置」なのだろうか。だがここの席は真っ先に売り切れるので、私は一度も座ったことがない。

「プルチネルラ」の方もソヒエフ流の職人技が光った演奏だった。だが本公演ではやはりブラームスに多くの時間を割いて、音楽を作り上げていたように思う。この曲、私は2回目である。良く考えてみると、私はストラヴィンスキーの作品をまだ取り上げていない。ブラームスの交響曲と合わせて、今年中には書き終えたいと誓った今年最初のコンサートだった。

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

4曲あるブラームスの交響曲の中で、第3番は私が最も親しみやすいと感じている作品である。にもかかわらず、この曲が演奏されることは他の3曲に比べ少ない。何故だろうか?よく理由に挙げられるのは、すべての楽章が静かに終わる点と、中途半端な長さである。しかし哀愁を帯びた第3楽章は、ブラーム...