2025年6月25日水曜日

ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団演奏会(2025年6月23日ミューザ川崎シンフォニーホール、ラハフ・シャニ指揮)

唖然とするほど見事な演奏だった。ブルース・リウの長い掌が左右に上下に躍動し、しばしばそれを追うのができないほどだった。テレビで見ているのと同じように、鍵盤上を動き回る両手の高速運動が、目の処理速度を上回るのではないか、という状態だった。ピアニストはもとより、指揮者も楽譜を見ていない(最初から用意されていない)。そしてピアニストは指揮者をも見ていない。そこには練習時の申し合わせと阿吽の呼吸だけが存在していた。彼はそれでもこの難曲(プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番)を、一気呵成に弾ききった。

私は終始どこをみていればいいのかわからなかった。テルアビブ生まれの指揮者ラハフ・シャニは、まだ30代中盤の、一般的な指揮者人生でいえばかなり若手の方だが、すでにどのフレーズをどう演奏すれば効果的かを心得ている。そこから自信を持って、絶妙なバランスで、テンポを変え、音色を調整し、精緻でメリハリのある表現が出てくる。まるでスポーツのように若い息遣いが、最初の曲、ワーヘナールの珍しい序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の冒頭から示され、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団のモダンで洗練された響きに耳を洗われた。

オランダという国は、コンセルトヘボウ管弦楽団のような世界一流のオーケストラが存在する音楽の盛んな国でありながら、有名な作曲家というのが思いつかない国である。私もワーヘナールという人の作品を聞くのは、これが初めて。解説によればこの曲は、1905年に作曲されているからロマン派の後期。たしかにワーグナーの初期作品のようでもあり、シュトラウスの影響もあるのでは思わせる豊穣な音楽である。ロスタンの小説が丁度発表された頃であるから、その管弦楽曲を思いついたのだろう。結構長い作品だった。

中央にピアノが配置され、オーケストラが再び登場する。2番目の曲であるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が、今日の目当てである。独奏のブルース・リウは中国系カナダ人。パリで生まれモントリオールで育ったらしい。何と言っても前回、2021年のショパン国際ピアノ・コンクールの覇者として知られる。我が国では2位に入賞した反田恭平に人気が集まっているが、コンクールで見せた「息を飲むような美しさ」(解説書)は記憶に新しい。今年もこのコンクールが行われるが、私はここへ来て、先日のアヴデーエワに続くショパン・コンクール優勝者の演奏に接することが続いている(本命はチョ・ソンジンなのだが、彼は人気があり過ぎてチケットを取るのが難しい)。

さてそのショパン弾きのリウがプロコフィエフをやる。舞台に設置されたのは、YAMAHAやスタインウェイのピアノではなく、FAZIORIであった。このメーカーは比較的新しいイタリアのピアノで、彼はこのピアノでショパンを制しているから、今回そのピアノを持ち込んだのだろうか?その音色が冒頭から聞こえてきたとき、いつもとは少し異なるように思えた。柔らかく、少し音が小さいと思った。そしてこれはショパンには相応しいのだろう、とも。しかし今日はプロコフィエフである。始まってすぐに激しいリズムが次々と顔を出し、見ていて飽きない。

それにしても物凄い集中力で、一気に聞かせるのはピアノだけではない。シャニと言う指揮者は、彼自身もピアニストであり、そして指揮者としてもオーケストラから常に前向きな表情を引き出すことに長けているように見える。あっとする間に終わってしまった第1楽章に続き、長い第2楽章の、次々と展開する変奏の面白さは見事なもので、ちょっとピアノの音がオーケストラに消されているかと思うこともなくはなかったが、これはこれで興奮の中に会場が包まれてゆく。

第3楽章に入ってコーダへ向かって一気に突進するあたりは、もうどこを見てよいのかわからないほどだった。私の席は2階席最前列少し左手というベストな場所で、丸でテレビカメラが設置されるような角度で、手の動きがわかる。このミューザ川崎シンフォニーホールというところは1階席が小さく、2階席が舞台とても近いので、そのアドバンテージを私は最大限楽しむことになったと言える。

月曜日のコンサートというのも、最近は珍しい。私はここのところ、来日するオーケストラというのをほとんど聞かなくなっている。我が国の演奏団体の水準が、海外に引けを取らない水準に達しているので、わざわざ高いチケット代を払う必要はないとさえ感じているからである。しかし、ごくたまに(数年に1回くらい)は、まだ聞いたことのないオーケストラが魅力的な指揮者とともに来日し、その演目が魅力的に思えた時にだけ、私はチケットを買うことにしている。今回のロッテルダム・フィルがまさにそうであった。私のスケジュールも空いており、そしてソリスト、指揮者とも申し分ない。そして何と、1週間前にもかかわらずそのチケットは大量に売れ残っており、直前だということで割引までされているではないか!

これは私にとって偶然の贈り物だった。前半のアンコールではピアノに譜面台が設置され、その前に椅子が2席設けられるという事態が発生した。ブルース・リウと指揮者のシャニが並んで座り、何とブラームスのハンガー舞曲第5番を連弾したのである。これは余興というにはあまりに贅沢なもので、ピタリと合った息遣いから共感の妙を発する至高の時間だった。前半のプログラムの興奮を冷ましたく、久しぶりにワインなどを飲んだが、これは水のようにあっさりとドライだった。

最後のプログラム、ブラームスの交響曲第4番は、私が期待していた通り大いに好感の持てるものだった。まず音色が重くない。ブラームスというと重厚なドイツの響きを期待する向きが多いが、私はむしろこのようなスッキリ系が好みである。これはおそらく古楽器的奏法が影響しているのではないかと思う。聞いた席が素晴らしかったからかも知れないが、オーケストラの各楽器とそのバランスの妙が手に取るように感じられる。イスラエルの若い指揮者となると、どことなく強権的な自信家を想像するが、シャニはそういうところがなく、むしろオーケストラの自主性を尊重しその実力を引き出すことに成功しているように見えた。少し不安定だったのは第1楽章だけで、尻上がりに調和が進み、第2楽章がこれほど共感を持って聞こえたことはなく(私の少ない実演での経験上に過ぎないのだが)、第3楽章でそれは頂点に達した。

第4楽章に入ると、中間部の個性的な木管のソロも言うまでもなく圧巻のコーダまでの間は、フレッシュなブラームスを堪能する10分間だった。この曲を実演で聞くのは、これまでそれほど多くはなかったが、間違いなく私の経験上ベストであったと言えるだろう。このような熱演のとに、2曲ものアンコールが演奏されたのは、来日オーケストラならではの特典だった。いずれもメンデルスゾーンの珠玉のピアノ曲集「無言歌集」を指揮者自らが管弦楽曲にアレンジしたものと思われる。「ヴェネツィアの舟歌」そして「紡ぎ歌」。オーケストラは拍手に応えて何度も会場に振り向き、鳴りやまない拍手に応えて指揮者は何度も舞台に現れた。

川崎には安くて美味しい居酒屋が多い。まだ月曜日だというのに多くに店が遅くまで開いている。私もそのうちの1件に入り、ビールと焼鳥ををつまんだ。こういうことが手軽にできるのが、日本のコンサートのいいところである。梅雨空が続く鬱陶しい東京で、長い夏が始まろうとしている。

2025年6月9日月曜日

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてきたからだ。丸でショパンのようだ、と思った。こんなに流麗に、モダンに、そして確信に満ちた演奏に出会えたのが嬉しくてたまらなかった。

この日のコンサートの指揮者は、当初予定されていたウラディーミル・フェドセーエフから、バスク人のフアンホ・メナに変更されていた。フェドセーエフだったらこんなに職人的に、そして献身的なサポートだったかどうかはわからない。しかしメナという指揮者は、最初のプログラムであるリムスキー=コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲の時から、細かい表情まで丁寧に音楽づくりをする人だと感心した。

3階席最前列ながら私の席は端から5つ目で、オーケストラからそれなりに近いのだが、ピアノの細かい表情までは感じ取ることができない。音はストレートに響いてはくるが、会場が大きすぎて発散してしまう。それでもアヴデーエワの鮮やかな技巧と、そこから放出されるエネルギーに圧倒されながら、次々と進む変奏が面白くてたまらない。この曲を聞くのは何度目かだが、間違いなく今回の演奏は圧巻だった。

大喝采の聴衆に応えたアンコールは、同じラフマニノフの「6つの楽興の時」作品16 から第4番「プレスト」ホ短調という作品だった。これも大変な難曲だと思ったが、さらりとやってしまうテクニックに唖然とするうち、終わってしまった。今年は5年毎に開かれるショパンコンクールの年である。来シーズンのN響では12月のC定期で、その優勝者との共演が予定されている(もっとも第1位がいなかったらどうなるのだろう?)。

今日のコンサートは当日券の発売がなかったことを考えると、チケットが売り切れだったのかも知れない。それはフェドセーエフが「悲愴」を指揮する予定だったからであろう。フェドセーエフの「悲愴」と言えば、80年代の頃、日本のメーカーによってモスクワでデジタル録音されたLPレコードが売り出された時、私もその演奏に接したひとりである。彼は丁度売り出し中の頃であった。その演奏は、当時の定番とされていたカラヤンなどに少々辟易しかけていた頃、錚々たる同曲のレコードの中に堂々とランクインするもので、新鮮さと録音の良さが印象に残るものだった。

あれから40年ほどがたち、フェドセーエフも90歳を超えた。それで現役を続けていることも驚きなので、今回の来日が本当に実現するか、実際のところ不安だった。だがその不安は的中した。意外だったのはB定期にも登場するメナが代役となったことだ。このことで、来場しなかった客も一定数いたのではないかと思われる。プログラムを変更せず、ロシア物で固めるという今回の演奏が、果たして良いものかどうか。だがそれは杞憂だった。

私は初めて聞くメナという指揮者は何歳なのか、プログラムに記載はないので詳しいことはわからない。だが彼の演奏するチャイコフスキーの「悲愴」は、冒頭の重々しいファゴットのメロディーから印象的な音色の連続で、そうか、「悲愴」とはこういう曲だったのか、と改めて感じる結果となった。毎年数多くの演奏会で取り上げられ(とりわけ梅雨のシーズンにはなぜか多いような気がする)、少し食傷気味な「悲愴交響曲」を、私は過去に6回聞いている(その中で思い出に残っているのは2回だけ=ノイマン指揮チェコ・フィルと小澤征爾指揮ボストン響だけれども)。

とりわけ第4楽章の見事さについては、特筆すべきだったと言える。この楽章にこそ重心が置かれ、クライマックスにおける絶望と、ついには諦観へと至る心象的な移り変わりを、これほど見事に感じたことはない。最後の消え入るようなコントラバスの一音までもが、広いホールでも手に取るように感じられた。この作品はまぎれもなくチャイコフスキーのひとつの到達点を示す作品だと思った。

会場はすぐに大きな歓声と拍手に包まれ、オーケストラが去っても拍手が鳴りやまない光景となった。N響の定期も今シーズンはあと2回のみ。来週はメナがブルックナーの交響曲第6番を指揮する。私はチェリビダッケの指揮するこの曲のビデオを見て、ブルックナーの音楽に目覚めた記憶がある。メナはそのチェリビダッケの弟子だから、この演奏を逃すのは惜しい。だがサントリー・ホールのチケットはただでさえ入手困難であり、しかも私は東京を離れることになっているから、この演奏を聞くことができない。後日テレビで見るしかないが、何かいいコンサートになるような予感がする。

2025年5月26日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)

まだ土曜日が休日でなかったころ、私は中学校から帰ってきて昼食を済ませたあとのほんのひととき、NHK-FM放送で我が国のオーケストラの定期演奏会を録音したものを放送する1時間の番組を聞くことが多かった。他に聞きたい放送があるわけでもなく、私は習い事に出かけなければいかねい憂鬱な気分と、週末を迎えた幸福感が入り混じる複雑な心境の中で、この番組に耳を傾けていた。

すると決まって睡魔が襲ってくるので、その日も少し眠っていたような気がする。そしてしばらく気持ちよい睡眠を謳歌している最中、急に耳をつんざくようなトゥッティが爆発音のように聞こえてきた。これが私のチャイコフスキーとの出会いだった。迫力のある音楽は10分足らずの間中ずっと鳴り響き、瀑布のように雪崩落ちるアレグロが何度も押し寄せ、コーダはこれでもか、これでもかと狂気のように幕を閉じた。アナウンスによれば、その曲はチャイコフスキーの交響曲第4番ということだった。私は嬉しくなり、チャイコフスキーの音楽が一気に好みとなった。

チャイコフスキーには、初めて聞くものを虜にさせるようなメロディーを思いつく天才のようなところがある。すべての曲がそうではないのだが、一度聞いたら忘れられない音楽に、しばしば出会う。ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、バレエ音楽と数えたらきりがない。そして交響曲の分野では、この第4番から第6番「悲愴」まで名旋律の宝庫と言っていいのではないだろうか。

交響曲第4番は、力強い金管楽器が大活躍する。「運命のファンファーレ」と呼ばれる冒頭は、憂鬱だがそれを越えて激しく痛々しい。私はこの部分があまりに激しいので、時に不快なくらいに苦痛でさえある。そしてそのファンファーレは終楽章でも回帰されるのだから、たまったものではない。私はこの作品をさほど楽しい作品だとは思えない。

だが、そうかと思うと美しい抒情的なメロディーが顔を出し、哀愁を帯びたチャイコフスキー特有の感傷が琴線に触れる瞬間もないわけではない。長い第1楽章においてでさえ、それは現れる。そして第2楽章は木管の寂しげなメロディーが切なく、何と言おうか、痛さをこらえていると時に訪れる安らぎの時間のような、不安をかかえながらも痛みは緩和し、辛うじて凌いでいるような安心を覚える。ちょっと分裂気味な気分にさせられるこの曲は、あまりに実際的な気分をのようでもあり、そういうわけでちょっと生々しいのである。

変わっているのは第3楽章。このスケルツォは、管楽器とピチカートによる弦楽器のみで演奏される短い曲である。集中力を伴って高速で演奏される。苦痛が取り払われて安寧の時間が過ぎ、戸惑いの中で短い時間が過ぎてゆく。音楽が一瞬止まったかと思うと、一気に大迫力の全奏が会場に鳴り響く。このお祭り騒ぎのような音楽もどこか神経症的である。演奏によっては扇動的で、落ち着きがなく、かといって楽しい感じもしない。

「運命を乗り越えて歓喜に至る」というのはベートーヴェン以来続く交響曲の伝統的モチーフだが、チャイコフスキーの音楽はもはやそれが観念的なものではなく、病気の苦痛のようにあまりにリアルに響く。であれば、そんな単純に運命が克服できるわでもなく、葛藤はしばしばぶり返し、何かわけがわからないまま、気が付いたら少しはましになっていた、というのが実際の闘病ではないだろうか。ただその現実を見せつけられるような気がして、スッキリと楽しめなくても良いとするのは、芸術性が勝っているからだと思うことにしよう。

というわけで、私はこの曲を定番のエフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏で聞いている。この演奏はスゴイ。最近何でも「凄い」といって感想を述べるのが流行っているが、この形容詞はこのような演奏にこそ使ってみたい。冒頭からコーダに至るまで、全くを隙を見せず一直線に突き進む。それは圧巻で、ソビエトの演奏家がまるで西側にミサイルでも打ち込むように、冷徹な完璧さで聴く者を圧倒する。

1960年にウィーンを訪れたソビエト屈指の演奏家が、西側のレコード会社にスタジオ録音を敢行したことが、雪解け時代の奇跡のひとつだったのかも知れない。この時、まだ共産主義は後年ほど廃れておらず、西側と拮抗する力を持っていた。演奏自体もそういうパワーを見せつけられているようなところがあり、それがいっそ曲のモチーフを強調しているようなところがある。第5番、第6番「悲愴」とともにすべてが記念碑的名演であることは言うまでもないが、決して自意識過剰なところはなく、ロシア音楽の神髄を音楽的に表現している。

私は大学受験が終わって、入試会場からの帰り道、当時まだ発売されたばかりのコンパクト・ディスクを記念に買おうと思って大阪ミナミの繁華街を歩いていた。心斎橋筋商店街に小さなレコード屋を発見して入ってみたが、ただでさえ少ないクラシックのコーナーに、わずか数枚のCDが売られているのみであった。1986年のこの当時、1枚の値段は3500円した。しかも輸入品ばかり。私は当時発売されたばかりにカラヤンの「英雄の生涯」を買うと決めていたが、このCDは残念ながら発見できなかった。代わりに見つけたのが、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番だった。

私はそのCDを買って持ち帰り、買ったばかりのCDプレイヤーに乗せてかけてみた。晩年のカラヤンは、往年のオーラを放つ統制力が低下し、ややヒステリックな演奏に聞こえた。試験の出来はあまり芳しくなかった。合格発表までの数日間は、放心した気分であった。そして長い受験勉強の苦痛と、それが過ぎても気持ちが直ちには変わらない不思議な感覚でこの曲を聞いていた。妙にしっくりくるものがあった。もしかすると憔悴しきったチャイコフスキーが、ヴェニスでこの曲の作曲に取り組んだ時も、これとよく似た心境だったのかも知れない。

2025年4月30日水曜日

NHK交響楽団第2036回定期公演(2025年4月27日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

N響は来る5月、オランダのアムステルダムで開かれる「マーラー・フェスティヴァル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて登場し、首席指揮者ファビオ・ルイージの下交響曲第3番と第4番を演奏するらしい。これは画期的なことだと思われるが、その公演に先立ち5月の定期公演では、同じプログラムが演奏される。今回出かけたA定期では、交響曲第3番が取り上げられた。

交響曲史上おそらくもっとも長大なこの作品は、普通に演奏しても100分に達する大曲である。女声合唱、少年合唱、それにアルトの歌手も必要とする。このたびの独唱はロシア人のオレシア・ペトロヴァで、彼女はこれまでたびたびN響とも共演しているようだが、私は初めて聞く。一方、合ペトロヴァ唱団はオランダでは地元の団体を起用するようだが、今公演では東京オペラ・シンガーズとNHK東京児童合唱団が受け持った。広い舞台に何段にも設えられた合唱席が高らかと並び、大規模なオーケストラを含め壮観である。

3800人も収容するNHKホールは、紅白歌合戦を開催するために設計されたため、クラシック音楽のコンサート会場としては広すぎて音響が悪いことで有名である。でもこのような大規模な作品では、このくらいの広さを必要とするのだろうか。そして2日ある両公演ともチケット完売というのも珍しい。3階席の隅にまで誰か座っている。その私も3階席の脇の最前列である。ここからだとグラスがないと表情を見分けることは難しい。

マーラーの交響曲第3番は、3つある「角笛交響曲」の真ん中の作品だが、長い曲にもかかわらず静かで精緻な部分が大半を占め、集中力を絶やさず演奏することは並大抵のことではあるまい。コーラスが歌うのは第5楽章に限られるので、最初から登場すると待ち時間が長いし、途中で退場すると緊張感が失われる(本公演では第1楽章の後に合唱が、第2楽章のあとにソリストが登場し、第5楽章を歌い終わった時点で着席した)。

さてその演奏だが、私の数少ないこの曲の経験(たった3回)の中ではベストであり、おそらくこの演奏を上回るものに今後出会う事はないと思われた。気合の入った演奏は、第1楽章冒頭からの、異様にも感じられる凝縮度を見ればよくわかるくらいで、ルイージも緊張を隠せないくらい。大きな身振りでグイグイとひっぱってゆく。そのことが、ちょっと演奏に堅苦しさを与えたと思う。もう少し余裕があるととは思ったが、それも30分にも及ぶ第1楽章では、そこそこ大きな音も鳴って聞きごたえがあるし、客席もまだ体力があるので、胸に熱いものを心に感じつつこれから始まる長い旅への期待を膨らませる。

それにしても今回の聴衆は、とても思い入れが強い人たちが大挙して押し寄せているように見えたし、オーケストラも首席奏者揃い踏みの布陣である。8本のホルンが冒頭で奏でるユニゾンもまるで単一の楽器のように見事で、それに続く2つのティンパニ、3つのシンバルもピタリと揃っていた。

長い第1楽章が終わっただけで相当疲れたが、まだ音楽はそのあと1時間以上続く。第2楽章と第3楽章はいわゆるスケルツォ風だが、ここの聞き所は満載である。だからまだ緊張感は抜けない。特に第3楽章にはあの長いポストホルンの独奏がある。私はここの部分に入った時、その奏者がどこにいるのかを、何度も何度も目を皿のようにして探したが見当たらない。あとでわかったのだが、奏者は舞台裏にいたようだ。だがその音色はまるで舞台前面で演奏しているかのように朗々と会場にこだまし、見事というほかないものだった。

長大な第1楽章といい、精緻を極める中間楽章といい、CDなどで落ち着いて聞くことになれすぎていると、ミスなく演奏して当然と思ってしまう。このような長い曲ほど、実演に接する機会が少ないので、つい完璧に演奏されてしかるべきなどと思ってしまうが、それはとんでもない間違いで、実際には音楽は一期一会の芸術である。客席と演奏者が一体となって作り上げる時間の連続が、最高にエキサイティングであり、またいとおしくもある。

第4楽章のペトロヴァの声が聞こえてきたとき、低く垂れこめた雲の合間から光が差すような瞬間に身震いを覚えたのは私だけだっただろうか。マーラーの曲ではしばしば化学変化が生じ、ある瞬間から会場全体が一種の神がかり的モードに入ることがある。今日の演奏会の場合、このあたりだったと思う。ここから先、特に終楽章の見事な弦のアンサンブルをまるで雷に打たれたように聞き入ったのは、私だけではない。徐々に築かれるクライマックス、長い長い道のりのあとに到達する愛の賛歌。だが第3番は第2番と違ってただ熱演をすればいいだけの曲ではない。

聞かせ所のうまい指揮者がオーケストラとがっぷり四つに組んで、最高の聴衆を得たときにのみ実現され得る音楽の奇跡が、あったと思う。もっと頻繁にコンサートにでかける余裕があれば、あるいはもっと完成度を上げた演奏に出会える可能性はあるかも知れない。だが、私に許された制限の中では、この曲のベストだと思うことにしようと思う。5月11日のコンセルトヘボウでの演奏会は、現地でビデオ収録される予定だそうで、NHKで後日放送されるだろう。その時に今回の演奏を思い出しながら、よりこなれた演奏(になっていることを期待する)に酔いたいと思う。

とにかくN響の持てる力が十二分に発揮された演奏会だった。演奏が終わっても指揮者がタクトを下ろし終えるまで音を立てる者はいなかった。そしてあふれ出すように始まった拍手とブラボーが、これほどにまで大きかったことを私は知らない。満員御礼のNHKホールをあとにして、新緑の眩しい代々木公園でやさしい風に吹かれながら、いくつかのフレーズを思い起こしていた。これはこの作曲家の「初夏」の音楽である。

2025年4月28日月曜日

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(2025年4月26日サントリーホール、広上淳一指揮)

流れるように綺麗なメロディーと、情熱に溢れる歌声、そして息をつかせないほど緊張感に満ちた舞台。三位一体となったヴェルディ中期の大作「仮面舞踏会」をサントリーホールで見た。セミ・ステージ形式とされた舞台は、いわゆる演奏会形式ともまた違ってしっかり演出がされており、衣装や舞台道具、それに照明までついて本番さながらの演技力が要求される。それは時に民衆の、時に暗殺集団の声を表現する合唱団にも言える。

いわゆる歌劇場と異なるのは、舞台の真ん中にオーケストラと指揮者がいることだ。舞台はサントリーホールの構造を生かしてオーケストラをぐるりと囲んでいる。合唱団はオルガン前のP席に黒い幕を覆って客席の一部であることを上手に隠し、オルガン前にもずらりと金管の別動隊が並ぶ。その数、20名余り。

指揮者の広上淳一は、音楽の自然な流れをとても重視し、その中から音楽的なバランスを極めて上手く引き出す指揮者だ。それは職人的と言っていいほどで、その音楽がマーラーであれモーツァルトであれ、音符の長さを十分に表現し、強弱をつけて生理的にもっともしっくりくる位置に定めることができる。その広上がヴェルディを振るときいたとき、歌手をさしおいてこれは「買い」だと思った。発売日にチケットを買うのは、私にとっては異例のことだ。カレンダーに丸印をつけ、大型連休が始まるので他の予定を誤って入れぬよう細心の注意を払った。もちろん体調を整えることも。

前奏曲の簡潔にして表情豊かな音楽が聞こえてきたとき、やはり今回は並々ならぬ力がこもっていると感じた。最大音量のアンサンブルでも乱れることはなく、枠役の歌唱を含め、そのバランスが理想的に文句のつけようがなく美しいことは言うまでもない。東京に数多くのオーケストラがあって、評判の指揮者が多くのコンサートを開いているが、広上の指揮する日フィルの音はその中でも一頭上をいっていると確信している。それを実現させているのが、あのひょうきんとも言えるような指揮姿だが、決して笑いを取るためのものではなく、理想的な音楽表現を体現するためにあのような姿になるのだろう。

それは歌唱を伴った場合でも同じである。だが今回の部隊、その歌手陣の見事さたるや、何と言っていいのだろうか、一点の非の打ちどころもないくらいの高水準で、誰から記載していいのかもわからない。登場順で行けば、ヴェルディの作品としては異例の小姓役である森田真央(オスカル)の、よく動き回る役作りに感心したし(もう少し印象的な衣装をつけていても良かった)、登場するのが前半に偏っている謎の占い師を演じたメゾ・ソプラノの福原寿美枝(ウルリカ)には、地の底から燃え上がるようなおどろおどろしい歌声が会場にこだまし、この歌声で是非ともアズチェーナ(「イル・トロヴァトーレ」)を聞いてみたいと思った。

総督の友人にして忠実な部下であるレナート役を歌った池内響は、実直でスマートな印象をもたらすもので、痩せて高身長な容姿も含めピタリとはまっている。ヴェルディがもっとも力を注いだのは言うまでもなくバリトンで、その役柄としてこの上なく素晴らしいのだが、サントリーホールは響きが良すぎて残響が大きいのが、この場合難しいところだ。だがこんな贅沢な悩みを語るのはよそう。

さて、「仮面舞踏会」の二人の主役、すなわちアメーリアの中村理恵とリッカルドの宮里直樹について語る時が来た。これほどにまで理想的で素晴らしいヴェルディの歌声を聞いたことはない。特に宮里のテノールは終始圧倒的な存在感を示し、この舞台の主役として文句のつけようがないくらいである。やや小太りなのに声は高い、という容姿の適合感もさることながら、その高貴な歌声は、パヴァロッティのようないわゆるベルカントオペラのそれではない。一方、中村理恵は世界中のオペラハウスで活躍する我が国を代表するディーヴァだが、アメーリアの役でも「愛の二重唱」に力点を置いて葛藤に満ちた女性心理を歌い上げた。

どの重唱が、どのアリアが、などと言うのではなく、次から次へとつながれてゆく力量に満ちた音楽は、集団テロという陰惨な企みを扱ったストーリーとは違って歌、また歌の醍醐味を味わわせてくれる。だから深刻になることはないばかりか、極上の娯楽作品のようですらある。さりとて滑稽すぎるわけでも、陰鬱なものでもない。ヴェルディの作品は、総じて極めて常識的なのでそこがいいところ。こういう作品が30もある。

私は中期と後期の作品を中心に、多くを最低1回は舞台で見てきた。体調が悪くて昨年「マクベス」を聞き逃したのは惜しかったし、「運命の力」と「ドン・カルロ」はまだなのだが、こういった作品も是非取り上げて欲しいと思う。

セミ・ステージ形式(演出:高島勲)というのが、新しいオペラの表現形態として十分に成立することを示している。登場するのが全員日本人であるというのも悪くない。外国から有名歌手を招聘するとコストがかかるし、練習にも制約ができる。そうでなくても我が国の歌手は、これらの外国勢に隠れて、実力ある人でも主役を歌う機会に恵まれない。だから、こういう企画は大いに称賛されるべきだし、チケット代が下がることで真の音楽好き、オペラ好きが気軽に楽しめるようになればと思う。

次第に高潮して行く舞台に引き込まれ、途中からブラボーの嵐が飛び交ったのは当然だった。広上はその時その時で指揮をストップし、客席と一緒に拍手を送る。オーボエやチェロがソロを担当するシーンでは、そこに照明が当たるのも面白い。普段はピットに隠れてオーケストラを意識することがない(ようになっている)。普段はほとんどオペラを演奏しない日フィルも、舞台で思いっきりヴェルディ節を奏でるのが楽しそうに見えたし、それに何と言っても広上の陽性な指揮と一体となった舞台が、まるで歌舞伎をみるかのように楽しく、字幕を含めどこに視線を送ればいいのか大忙しだった。合唱も良かったが、何と言っても舞台に隠れていたヴェルディの音楽が、ヴェールを脱いで間の前に溢れたことが新鮮だった。

興奮冷めやらぬ聴衆からは惜しみない拍手が続き、出演者も会心の出来だったと見えて長く舞台でカーテンコールに応えていたのが印象的だった。

2025年4月16日水曜日

NHK交響楽団第2034回定期公演(2025年4月13日NHKホール、パーヴォ・ヤルヴィ指揮)

2022年までN響の音楽監督を務めたパーヴォ・ヤルヴィが、久しぶりにN響の定期に出演する。5月の海外公演を控え、今月の定期は2回(A定期とB定期)のみで、このうちB定期は予定があって行けないから、行くとしたらA定期だと思っていた。演目は前半がベルリオーズの「イタリアのハロルド」、後半がプロコフィエフの交響曲第4番という贅沢なもの。どちらもヤルヴィの歯切れの良さとリズム感のセンスが光る名演になると予想された。

ベルリオーズの好きな私は、いまだに「イタリアのハロルド」を実演で聞いたことがなかったので、いつか、と思っていた。この曲はヴィオラ付き交響曲という珍しいもので、当然のことながら優秀なヴィオラ奏者を必要とする。我が国には今井信子という世界的に有名なヴィオラ奏者がいるが、私はいままで接する機会を持てないでいる。このたび招聘されたのは、アントワーヌ・タメスティというパリ生まれの奏者で、「ソロ、アンサンブルの領域を自在に行き来する現代最高峰のヴィオリスト」とプロフィールに書かれている。

チューニングが終わって指揮者が舞台に登場し、タクトを振り下ろしたときに、ソリストがまだいない。あれ、と思ったのもつかの間、舞台左袖からそろりそろりと登場したタメスティは、ゆったりとした序奏のあいだに何とハープ奏者のそばに行くではないか!最初のハープとの重奏が、なんと室内楽のような趣で演奏されたのには驚いた。以降、独奏者はオーケストラの間を行ったり来たり、指揮者の横に居続けることはなかった。

N響の見事なアンサンブルは、ヤルヴィの指揮によくマッチし、まさにベルリオーズの音を奏でていた。ときおり見せる幸福で歌のあるメロディーは、ややくすんだヴィオラとオーケストラに溶け合って幸福感に満ち溢れ、どちらかというと高音中心の軽い旋律は、何となく春の季節に相応しい。ここの第1楽章は、ベルリオーズの真骨頂のひとつだと思う。

一方第3楽章の躍動感あるリズムは、この曲最大の聞きどころのひとつだが、2つのタンバリンの連打と太鼓が織りなす独特のリズムは、聞いているものを何と楽しい気分にさせることか。不思議なことに胸が熱くなり、涙さえも禁じ得ない美しさが進む。ヤルヴィに率いられたN響のアンサンブルの面目躍如たる名演だと思った。

ヴィオラは終楽章で一時退場し、再び登場した時には第一ヴァイオリン最後列の二人と競演。そういった見事な演出を繰り広げながら終演を迎えた時、満席に近い会場から盛大なブラボーが乱れ飛ぶ事態となった。コンサート前半でこれだけの拍手と歓声が起こるのは、私の400回に及ぶコンサート経験(そう、今回は丁度400回目だ)でも初めてではないかと思う。

地味であまり目立つことはないヴィオラという楽器の魅力を十二分に発揮して見せたタメスティは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をヴィオラ用にアレンジした一曲を披露。さらにはオーケストラのヴィオラ・パートのみを起立させたことは、この楽器に対する愛情の現れとして思い出に残るだろう。

後半はプロコフィエフの交響曲第4番だった。この曲はボストン交響楽団の創立50周年記念のために作曲されたが、初演は成功せず後年大改訂を施した。本日演奏されたのは、その改訂版での演奏である。プロコフィエフは日本を経由してアメリカに亡命し、さらにパリで生活したことは有名だが、この作品はパリで作曲され、その後ソビエトに帰国して改訂された、ということになる。

演奏はN響の機能美が満開で、ヤルヴィのきびきびしたタクトのもと、オーケストラのアンサンブルの見事さが光った大名演だった。第1楽章の行進曲風のリズムは、大オーケストラが高速で突き進むさまを楽しむことができる。この演奏が始まる前、指揮者の正面にピアノが置かれ、そういうことのためかオーケストラはいつもより前面に位置している。このため3階席最前列の私の位置にもオーケストラの音は十分に伝わって来る。

ヤルヴィは翌週のB定期にも登場し、ストラヴィンスキーやブリテンの魅力的な作品を演奏する。これはまた聞きものだが、私は約40年ぶりに韓国・慶州への旅行に出かける予定である。4月にはもう一度C定期があって、これはルイージがヨーロッパ公演で取り上げる曲を演奏するらしい。マーラー・フェスティヴァルにアジア初のオーケストラとして登場し、交響曲第3番と第4番を披露するらしい。私は今回、シーズン・チケットを買ったため、このうちの第3番の演奏会に行くことになっている。今から楽しみである。

2025年4月15日火曜日

東京春祭オーケストラ演奏会(2025年4月12日東京文化会館、リッカルド・ムーティ指揮)

2005年「東京のオペラの森」として始まった音楽祭は、今年でもう21周年を迎えたことになる。2010年からは「東京・春・音楽祭」として、丁度桜の咲く3月から4月にかけての上野公園一帯で繰り広げられる音楽祭として規模も拡大し、今ではすっかり春の風物詩となった。

私は2014年から4年かけて行われた「ニーベルングの指環」の演奏会を鑑賞したのをはじめ、今年までほぼ毎年、何らかのコンサートに出かけてきた。最初は小澤征爾を中心に、新作オペラを上演するというのが恒例だったが、2006年(たった2年目)からはリッカルド・ムーティも登場し、その後毎年のように何らかのコンサートを指揮するようになった。今彼が指揮するオーケストラは、専ら若手を中心に特別編成された東京春祭オーケストラで、海外の劇場とのコラボレーションや教育的なプログラムなど、様々な企画が始まり、その他にも多彩な顔ぶれと普段は聞けない珍しい室内楽曲など、意欲的で興味深い日々が続く。

今年の管弦楽のコンサートのトリを飾るのが、リッカルド・ムーティが指揮するイタリア・オペラの序曲・間奏曲などを集めたプログラムであることを知った時、私は即座にチケット購入を決意、妻と二人で出かけることにした。何と言っても御年84歳にもなるムーティが、(それでも彼は毎年何回か来日しているようだが)なお現役の指揮者として意欲的な演奏を繰り広げているのを観たいと思ったし、いまや巨匠とも言えるような指揮者は、ティーレマンを除けば彼が最後ではないか、などと考えたからに他ならない。

ムーティを聞くのはこれが3回目(正確には4回目)である。最初は1990年、旅行先のニューヨークでのことだった。この頃ムーティは、オーマンディの後を継いでフィラデルフィア管弦楽団のシェフを務めており、ニューヨークへもたびたび訪れて定期的な演奏会をしていた。この時聞いたのはベルリオーズの「夏の夜」(独唱:バーバラ・ヘンドリックス)とスクリャービンの交響曲第3番「法悦の詩」だった。1階のオーケストラ席真正面で聞いた演奏は大変見ごたえがあったが、当時の私にとっては馴染みの曲ではなく、あまり印象は残っていない。

その後ムーティの指揮する極めつけの2つのオペラ(「ナブッコ」と「シモン・ボッカネグラ」、いずれもローマ歌劇場の来日公演)を大枚を払って立て続けに見て、もうこれ以上のものはない、と思って遠ざかっていた。その間にアバドや小澤征爾が亡くなり、メータやバレンボイムも活躍を聞かなくなった。私がクラシック音楽を聞き始めた頃、まだ若手だった指揮者が次々と姿を消してゆく中で、ただ一人まだ精力的に活躍を続けているのがムーティである。今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、ムーティの指揮だったことは記憶に新しい。

けれどもこのムーティのニューイヤーコンサートは、私を少々がっかりさせた。ウィーン・フィルの響きがいつもとは違って精彩を欠いていたからだ。録音の方はそう思えず、これはテレビのライブ中継を見た時の感想である。もしかしたらムーティも、高齢による衰えを隠し切れなくなったのだろうか。だとしたら私は今回の来日コンサートで、もはや精彩を欠いた彼の指揮姿を見ることになるのだろうか?まあそれはそれで、記念になると思いつつ当日を楽しみにしていた。

だが指揮台に現れたムーティは、足取りも軽やかで指揮姿も勇みよく、確かにかつての若々しさはないものの、なかなか切れのある音楽を作るではないか。この若手中心のにわか作りのオーケストラを、短期間のうちに手中に収め、歯切れのよいリズムと旋律がくっきりと浮かび上がるカンタービレに特徴付けられた往年の音作りは、まさにムーティの真骨頂であり、誤解を恐れずに言えば、正真正銘のイタリア流であった。

ムーティはまず「ナブッコ」序曲(ヴェルディ)で期待を膨らませたあと、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ)のうっとりするようなメロディーを、実際幕間に聞こえる間奏曲らしく演奏した。前半のプログラムで私が最も感動したのは、「道化師」間奏曲(レオンカヴァッロ)だ。「カヴァレリア・ルスティカーナ」と合わせて上演される2つのヴェリズモ・オペラのうち、「カヴァレリア」の方が親しみやすく音楽もきれいだが、「道化師」の方がやや複雑な心情を表現しており、音楽的充実度が高い。イタリア・オペラの神髄ともいうべき人生の宿命と儚さを、簡潔かつ雄弁に表現している。

ムーティはこのあと、「フェドーラ」間奏曲(ジョルダーノ)、「マノン・レスコー」間奏曲(プッチーニ)と続けて演奏し、これらはいずれも実際の劇中で演奏されると極めて印象深いが、このように間奏曲のみ立て続けに演奏されるとやや単調になる。けれどもこれは贅沢な悩みでしかない。思えばムーティのプッチーニなどどいうのも珍しい。

前半最後を飾るのは「運命の力」序曲(ヴェルディ)で、これは十八番中の十八番。確かフィラデルフィア管弦楽団との来日の際にもアンコールで演奏された記憶がある。トスカニーニ張りの緊張感を保ち、音の強弱を際立たせながら、流れるようなメロディーとたたみかけるようなリズムは健在だ。そういうわけで満員の客席からは前半からブラボーも飛び交うこととなった。

今回の客席には高齢者が目立ち、足どりも重い人が多い。にもかかわらず東京文化会館というところは、トイレに行くにも階段を上り下りしなくてはならず、しかも狭い。傘立てもなく客席は狭いが、音響は悪くない。

後半のプログラムは2つ。まず、カタラーニの「コンテンプラツィオーネ」というめずらしい曲。この曲を聞くのは勿論初めてだったが、わずか10分余りの長さながら、やはりそこにはレガートで音と音がなめらかにつながれてゆくさまを味わうことができる。なお、コンサートマスターはN響の郷古廉である。

もう後半最後になった。「ローマの松」(レズピーギ)である。オーケストラが最大に拡張され、3つの鍵盤楽器のほか両脇に金管楽器の別動部隊も配置された。クラシック音楽で最大の音量を誇るこの曲は、その圧倒的なコーダで有名だが、きらびやかな冒頭と夜の静けさを表現した中間部、それに朝もやにこだまする小鳥のさえずりなど、聞き所には事欠かない。ムーティはゆったりとしたテンポで味わい深く音を刻み、その印象は、これまで同曲を聞いた中では最高のものだった。

オーケストラは指揮に極めて忠実に対応した。コーダに向かって大団円を築く時、フォルティッシモになっても乱れない響きの綺麗さには圧倒された。イタリア音楽を演奏するとき、音というのがどのように重なり、繋がり、あるいは引き延ばされるべきか、何度も細かく練習したのだと思う。これはムーティにしかできないような職人技に思えた。拍手の大喝采、ブラボーの嵐が満員の会場にこだました。退場時に抱き合って喜ぶオーケストラのメンバーに惜しみない拍手が送られた。そしてムーティも、退場しかけたオーケストラの中に再び登場、花束を持って会場に手を振っていたのは印象的だった。

ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団演奏会(2025年6月23日ミューザ川崎シンフォニーホール、ラハフ・シャニ指揮)

唖然とするほど見事な演奏だった。ブルース・リウの長い掌が左右に上下に躍動し、しばしばそれを追うのができないほどだった。テレビで見ているのと同じように、鍵盤上を動き回る両手の高速運動が、目の処理速度を上回るのではないか、という状態だった。ピアニストはもとより、指揮者も楽譜を見ていな...