2012年11月25日日曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第7回目(1984年3月)①

大学受験を1年後に控えた春休み、友人のU君が東京へ行きたいと行った。漫画やアニメの類を好む彼は、私の趣味とは相容れなかったが、同じクラスで楽しく付き合っていた。彼は神田の古本屋をめぐってお目当ての漫画を手に入れたいと言うのである。ただ2人に共通していることはお金がないことである。そこで私はある提案をした。

大阪から一日かけて東京まで鈍行列車で行く。夕方には東京に到着するので、それから夜行列車の出る深夜近くまでを古本屋巡りに費やす。その後上野駅を出発する夜行普通列車長岡行きに乗り、高崎線、上越線を経由して早朝の長岡駅に到着。そのあとは私の鉄道旅行に付き合って弥彦駅を訪れ、そのあと北陸本線で富山へ。最後に高山本線を乗り通して岐阜から大阪へ帰る。わずか2日とは言え結構な行程で、電車にほとんど乗りっぱなしである。

この旅行に、いつものN君を誘い、U君は友人のO君を誘った。計4名のうち、鉄道旅行派は2人である。残りの2人が果たしてこの強行日程に耐えられるかは不明である。けれどもこれから1年間は受験勉強一色の生活になることを思うと、何かのんびりと旅行しておくのも悪くははいと思ったのであろう、全員が早朝の大阪駅中央コンコースに集合した。

いつものように東海道本線を米原まで行き、乗り継いて大垣に行く。ここでわずかな時間を利用して朝ごはんを買い込み、浜松行きの快速列車の中で食べる。この列車は割合快適で、しかも必ず座れるから、それからは昼寝の時間である。それでも豊橋駅を過ぎる辺りで目が冷め、浜名湖を眺めながら静岡県を横断する。浜松からは比較的混雑しているが、沼津または熱海からは東京行きの16両編成の最後尾にゆったりと座り、夕暮れの東海道線を一路上って行く。

私はこの東海道本線の上京ルートが好きであった。変化に富んだ車窓風景と、徐々に東京へ近づいていく気分で、いつも高揚していた。3月の快晴の一日は、肌寒いものの日差しも強く、浜名湖を渡るときは車窓を開けたく成るようなポカポカ陽気であったし、安倍川、大井川、富士川と渡る鉄橋は、いつもちょっとした気分だった。まだ新幹線も特急こだまも走っていなかった頃、同じ程度の長さの時間をかけて数多くの急行列車が走っていたことだろう。その都度、これらの車窓風景が乗客を楽しませたに違いない。

富士山を右手に見える三保の松原付近の景色が私は好きだ。駿河湾の向こうに晴れていれば大変きれいに見ることが出来る。しばらくすると今度は左手に移り、富士川を越え、しばらく富士山が見てている。新幹線だと20分くらいで通り過ぎるこの区間を、1時間程度かけてゆっくりと進んでいく。

沼津で列車を乗り換え、丹那トンネルを抜けると熱海である。それから小田原までの区間は、東海道本線のクライマックスである。湯河原あたりでは眼下に太平洋が見え、青くて大変美しい。谷底に民家が見え、山にはみかん畑が広がる。トンネルを抜け、鉄橋を渡り、小田原に到着する。それから横浜までの湘南の駅に止まるたびに、人が少しずつ乗ってきていよいよ東京が近づいてくるのがわかる。川崎を過ぎると列車もかなりスピードを上げる。平日でも上りなら、せいぜいが満席である。ネオンサインが夕闇に映えてくる頃、列車は品川駅に到着する。

私たちは確か二手に別れて、数時間の東京見物を楽しんだ。私はU君と古本屋街へ出かけるため、神田駅で降りた。ところがそこには古本屋の一軒もない。どうしてかと調べていると、神田というのはこのあたり一体を表すようで、古本屋街は神保町へ行かねばならない。私たちは水道橋まで行き、そこからさらに白山通りを歩いて神保町まで行った。

当時の神田はまだ活気があった。古本屋も数多くが営業中で、今とは比べ物にならないほどの活気だった。専門的な書店が多く、どの店も大阪にはないこだわりの店構えに思えた。私は興奮してその一軒一軒を少しずつ訪ねていった。U君のお目当ての本は、いくつかの専門的な店で聞いてみたが、置かれていなかった。いまなら秋葉原へ直行するところである。

それからどのようにして上野駅に行ったかは覚えていない。夕食もどこかの蕎麦屋のようなところで食べたはずである。4人は各駅停車の長岡行き夜行に乗るため、深夜の上野駅に集合した。酔っぱらいだらけの高崎線ホームで、私たちはボックス席を専有して座った。だがこの列車は間もなく満員になった。そればかりか最終列車にはかなりの酔っ払い客が乗っていた。かれらはささいんばことでわめき、そして車内で喧嘩が起こった。男気のある人がかれらをなだめて次の駅に下ろすまでは、車内に緊張が走った。だがこのような光景は1度や2度ではなかった。東京の郊外へ行く列車は、何と毎晩過酷なものかと、その時思った。列車はそのような週末のサラリーマンの悲哀を乗せながら、深夜の高崎線を走っていた。

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