1937年生まれのアメリカの作曲家フィリップ・グラスは、その作風が非常に印象的だ。一般にミニマル・ミュージックと呼ばれる分野の草分けで(ただし本人はこれを好んでいない、とありきたりの注釈を入れなければならない)、短い旋律を何度も繰り返しながら、それが少しずつ変化していく。何か透明な感じ、そして東洋的な神秘的な感じである。歌劇「サティアグラハ」は、ガンジーの南アフリカでの人生を描いた作品で、昨シーズンのMet Live in HDシリーズでも上演されたが、そのさわりの音楽もまた、このように透明、そして東洋的であった。
詳しいことは音楽の専門家に任せることにして、このグラスの作品を初めて本格的に聞いた。それが1987年に作曲されたヴァイオリン協奏曲である。全部で3楽章から成る構成は、急-緩-急の形式で馴染み深い。いわゆる現代音楽に属するが、その音楽は非常に聴きやすい。映画の音楽やテレビドラマの主題音楽などに使ってもよさそうな感じ、といえば陳腐に聞こえるが、ここで聞く音楽は「クラシック」としては新鮮でありながら、現代人にとってはむしろ親和的ではないかと思う。
短いメロディーが連続的に、リズミックに繰り返されて、徐々に高まり、徐々に収まる。この曲には急に音楽が強くなったり(バロック音楽やベートーヴェンの得意としたやつだ)することはなく、かと言ってだらだらと静かなフレーズが続いたり、ロマンチックでありすぎたり、不協和音が不快すぎることはない。20世紀に入って様々な音楽的方向性が試行されたが、このような音楽は、なかなかいける。インドの音楽の影響を受けているとされるが、民族的ではなく、ロックやジャズとも違う。純音楽的に、これはひとつの作風であると思う。
第1楽章の冒頭から聞き手を情熱的に惹きつけると、第2楽章の静かな部分でも緊張感を失わない。そして第3楽章ではパーカッションの刻むリズムが耳に心地よい。オーケストラの小刻みな伴奏に乗って、クレーメルのヴァイオリンはいつものように夜の静寂の如く繊細だ。最低限の力で持続するように緊張の糸を細くしたり、伸ばしたり、あるいは太くしたり、といったあたりが作風と良く似合っている。だからこの曲の決定的な演奏として録音になったのだろうと想像しながら、何度も聞いてしまった。
伴奏は何とウィーン・フィルで、そのことがまた面白い。クレーメルとウィーン・フィルは、バーンスタインとのブラームスやムーティとのパガニーニなど、時おり気まぐれに素敵な演奏が存在するが、これもその一つだろう。だが、恥ずかしながらこのような演奏が存在していたことは最近まで知らなかった。
カップリングはシュニトケの合奏協奏曲第5番だが、これについてはまた別の機会に記そうと思う。
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