最初の曲、エルガーの序曲「フロアサール」作品19が鳴り響いた途端、私は今回のN響の音に釘付けとなった。非常にバランスが良く、綺麗な音色は、3階後方の自由席でも明確に確認できた。自由席に座っていながら、これほどにまで美しい響きに出会うのは滅多にないことだ。いつものN響の何かくすんだ濁ったような音が、今回はしない。ろ過された水のように澄んだ音は、イギリス音楽に必要不可欠だ。今回の定期公演のために、このオーケストラはシェイプ・アップして端麗となった。
尾高忠明の指揮するイギリス音楽を、私はかねてから聞きたいと考えていた。そのチャンスはいくらでもあったし、これからもあるだろうと思う。けれども私は尾高自身がそうであったように、イギリス音楽を「食わず嫌い」していた。正確に言えば、楽しめないでいた。尾高はNHKのテレビ番組に古くから出演し、東京フィルとの演奏会は非常に多い。その尾高がイギリス音楽のスペシャリストとして世界的に注目され始めたのは、90年代になった頃だったように思う。BBCのウェールズのオーケストラを指揮したエルガーなどのCDが随分と評判になったからだ。
だが私にとって尾高の音楽はこれまで身近にはなかった。NHK交響楽団の会員にもなって何度も定期公演に出掛けたが、これまでに一度も聞いていない。それで私は今年3月、日本人だけで演奏されたシェーンベルクの「グレの歌」を聞きに行こうとチケットを買おうとした。ところがその日は家族の予定と重なって断念せざるを得なくなったのだ。3月のことだった。この演奏会はテレビでも放映されたが、的確にして静かな興奮を呼び起こす素晴らしい演奏だった。
今回2番目の演目だったディーリアスの歌劇「村のロメオとジュリエット」から間奏曲「天国への道」は、唖然とするくらいに綺麗な音楽に聞こえた。不足しない質感と知性を保ちつつも、静かで自然の感興が感じられる。ディーリアスというのはこういう音楽なのか、と思った。N響の管楽器も弦楽器も、すばらしくブレンドされ一体となっているが、重なって濁り合うことはなく、かといってバラバラでもない。醒めているかといえばそうではなく、言わば中庸の美しさである。珍しいヴォーン=ウィリアムズのテューバ協奏曲がN響主席奏者の池田幸宏とともに始まると、80歳にもなって作曲されたという世界最初のテューバ協奏曲に、私は目を奪われた。
興奮醒めやらぬ休憩時間を挟んで、とうとうお待ちかねのウォルトトンの交響曲第1番が始まった。この曲のN響の演奏は、その出来栄えで言えば、私の過去20年、数十回にも及ぶN響定期公演体験史上、最高の演奏の一つだったと思う。巧さという点においてこの曲のこの演奏は、そこらへんの平凡な演奏を圧倒的に凌駕していた。速くしかも重量感を持って進む第1楽章は、ストラヴィンスキーの音楽のように機知に富み、続く第2楽章になると、さらに高まる。スケルツォといった感じの面白いリズム処理は、手際の良い指揮に支えられて、類稀な名演となった。
第3楽章の何か日本的な感じもするフルートの出だしで、一息ついたように静かになったが、続く終楽章では長いフレーズのフーガを始め、ほとんど完璧なオーケストラの響きに打ち震えることとなった。いよいよティンパニが二人体制となって、そこに大太鼓や銅鑼が加わる様子は、3階席から見ていてもめくるめく感覚の連続である。この様子をテレビで放映されるときには、もう一度見てみたい。そしてもしCD録音されたら「買い」である。おそらく今シーズン一番の演奏だったと思う。
終演後には指揮者に花束が贈られた。その理由はよくわからないが、演奏が特に素晴らしかったからだと思いたい。そしてこれを最後に退団する奏者への花束も、オーケストラから贈られると尾高は聴衆に向ってユーモラスなスピーチを行った。こういうことは定期公演には珍しいことだった。外に出るとタイ・フェスティヴァルの雑踏であった。東京は昨日とうって変わって晴れ、気温は30度近くにまで達したようだ。しかし暑かった日中が一気に下るこの時期の気温のように、私の興奮も心地よく醒めた。イギリス音楽には結局、引きずって酔うという感覚がもたらされることはほとんどなかった。
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