冒頭はベートーヴェンを思わせるようなティンパニ付きの和音も、すぐに柔らかいシューベルトの歌が聞こえる。第1楽章は堂々とした音楽で、第2楽章はいつものように優しく美しい。だがその第2楽章にも若々しいティンパニの連打を伴うメロディーがある。
このティンパニの荒々しい響きは、第3楽章でも顕著である。スケルツォとしての性格が明確な部分は、やはりベートーヴェンを思い起こさせるが、もとをただせばハイドンに起源があるようにも思う。しかしモーツァルトにはなく、後世の作曲家としてはシューマンやブルックナーへの流れも感じ取れる。
この曲は第8番「グレート」に対して「小ハ長調」と呼ばれる時がある。シューベルトの初期の交響曲は、第1番からこの第6番までを指す。ドイチュ番号で言えば、D82からD589ということになる。1000曲近いシューベルトの作品のうち、前半部分である。わずか32年足らずのシューベルトの生涯に当てはめれば、16歳から21歳ということになる。
一方、我々が普段良く聞くシューベルトの有名曲は、いくつかの小さな歌曲を別にすればD600以降がほとんどで、その中で初期に位置する弦楽5重奏曲「ます」がD667、「未完成」でもD729、「美しき水車屋の娘」になると、もうD795である。
このように第6番までの交響曲は、若きシューベルトの作品に過ぎないが、聞かずにおくには勿体無いくらい素晴らしい。その中でこの第6番はとりわけ異彩を放っている。第4楽章の、まるで嬉遊曲とでも言いたくなるような軽快な曲は行進曲風の軽やかなリズムとメロディーで、一度聞いたら忘れられない。 なんという事だろう、主題メロディーの転調や再現などが繰り返されると、徐々に深みを感じるようになる。陳腐な例えだが、晴れた空の下を走る列車が、雲の陰に隠れてもなお快走するような感じである。
何度も繰り返し聞いていくうちに、こっちの体が馴染んできて、それに合わせて楽しんでいる自分を発見する。田園地帯を行く列車の如き愉悦感のお陰で、長く感じられないのが不思議である。それはあたかもあのグレート交響曲にも言えることで、「小ハ長調」と呼ぶに相応しい。
インマゼールの指揮する古楽器団体アニマ・エテルナの演奏は、繰り返しを省略しないで新鮮なシューベルト像を明らかにした秀演である。どの曲も素晴らしいと思うが、私はこの第6番の演奏を持っているので、今回繰り返し聞いてみた次第である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)
ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...
-
現時点で所有する機器をまとめて書いておく。これは自分のメモである。私のオーディオ機器は、こんなところで書くほど大したことはない。出来る限り投資を抑えてきたことと、それに何より引っ越しを繰り返したので、環境に合った機器を設置することがなかなかできなかったためである。実際、収入を得て...
-
当時の北海道の鉄道路線図を見ると、今では廃止された路線が数多く走っていることがわかる。その多くが道東・道北地域で、時刻表を見ると一日に数往復といった「超」ローカル線も多い。とりわけ有名だったのは、2往復しかない名寄本線の湧別と中湧別の区間と、豪雪地帯で知られる深名線である。愛国や...
-
1994年の最初の曲「カルーセル行進曲」を聞くと、強弱のはっきりしたムーティや、陽気で楽しいメータとはまた異なる、精緻でバランス感覚に優れた音作りというのが存在するのだということがわかる。職人的な指揮は、各楽器の混じり合った微妙な色合い、テンポの微妙あ揺れを際立たせる。こうして、...
0 件のコメント:
コメントを投稿