そっと窓を開けたら温かい初夏の風が入ってきた、というような出だしである。何ともさり気なく、自然でぬくもりのある音楽は、シューベルトにしか書けないような感じだ。
ベートーヴェンの交響曲第5番(ハ短調)と第6番「田園」(ヘ長調)が対になっているように、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」(ハ短調)とこの第5番(変ロ長調)は対になっているように思える。どちらも趣きの異なる2つの作品が、ごく短期間のうちに作曲されたという点である。すなわち第5番は前作の第4番と異なってとてもおだやかで美しい曲である。頬を撫でるように優しい第1楽章に続く第2楽章は、物思いにふけるような、そして癒されるような曲で、牧歌的でもある。
カール・ベームがウィーン・フィルと録音した一連の作品のうち、ベートーヴェンの「田園」とこのシューベルトの第5番がひとつのCDにカップリングされて発売されていた。DG Originalsシリーズの新リマスタリングにより、このCDはひときわ魅力的である。
ベームはウィーン・フィルの魅力を引き出すにあたって、ほとんどオーケストラの自主性にまかせているようだ。少し遅めのテンポと、ルバートを多用することにより、今ではとても懐かしく感じられる。そう思えばある時期まではこのような音楽が「音楽」だと言われていた。だが最近ではビブラートを極力抑えるので、現代楽器を使用していてもあっさりと音楽は流れてしまう。そこがとてもつまらなく思えていたのだが、こちらの演奏スタイルに慣れてしまうと、古い演奏はクドくてもたれるように思えてくる。
ブルーノ・ワルターはそのような演奏の最右翼ではないかと思っている。特に晩年のステレオ録音はその極みのようなところがある。だがこの時期の録音はコロンビア・レコードの人工的な音作りのせいもあって、私は必ずしも好きになれない。ベートーヴェンの「田園」がその代表例である。だがカール・ベームは、そこまではいかず、むしろゴツゴツとした印象がある。それがウィーンの音に中和され、郊外風の演奏に仕上がっている。
3拍子の第3楽章を聞きながら、今日は東北本線を北上する鈍行列車に乗っていた。すでに一部では田植えも終わって、水を張った水田に夏の陽射しが反射している。
第4楽章に入ると、転調して少し激しい部分もあらわれるが、どこかハイドンを思わせるような曲だと思った。少しずつ変化しながら、繰り返されてどこまでも続いていくリズミカルな曲は、シューベルトのまたひとつの魅力である。ベームの演奏が何を置いても素晴らしいというわけではないが、このような演奏もたまにはいいものだと思う。列車はいつのまにか、埼玉県を通り過ぎ、小山に着いた。今日は日中の気温が摂氏25度を越え、夏の陽気になるという。新緑まぶしい五月晴れの朝である。
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