2014年2月23日日曜日

ビゼー:交響曲ハ長調(小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団)

春が近づいて日々光の量が増していくこの時期になると聞きたくなる曲がある。ビゼーのハ長調交響曲はその一つだ。丁度、4年前の1月、伊豆半島を旅行した時に書いた文章が見つかった。

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まだ早い春を求めて旅に出た。品川から新幹線に乗ると、新横浜を過ぎたあたりから速度が上がる。風景も建物から自然へと変わって行く。「そうだ、ビゼー、聞こう」というわけで、持参したiPodを取り出す。iPodに圧縮した我がコレクションの中で、ビゼーの交響曲はトーマス・ビーチャムが指揮した一枚。ここでは手兵ロイヤル・フィルではなく、フランス国立放送局管弦楽団(逆にこの時期、ロイヤル・フィルを振ってこの曲を録音したのは、フランス人のシャルル・ミュンシュ)。80歳とは思われない生き生きとした音楽が、走る超特急の車窓風景に意外にマッチ。

小田原で7分も停車する間にのんびりとした第2楽章も終わる。今や「こだま」はかつての鈍行列車の旅にようにのんびりとしている。その証拠に7分も停車する普通列車は今どき珍しい。小田原のみかん畑と青い相模湾が見えると、列車は熱海へ。iPodを途中停止し伊東線に乗り換える。

第3楽章は逆にローカル線に相応しい感じがしてくるから不思議なものだ。この演奏、少し録音が古いのが難点で、この楽章で音がややこもる。トンネルを抜け海を眼下に見下ろしていると、何となくプロヴァンス地方に見えてくるから面白い。熱海は日本のコート・ダジュールと呼ばれているらしい。

伊豆急下田までの区間は少し日本離れした風景の連続で、晴れると素晴らしい風景が車窓に広がる。冬の伊豆半島は観光客も少なく、すれ違いで停車するローカル駅のすぐ前でみかんの木が静かに揺れている。

だが私の旅は伊東でおしまい。音楽も終わった。ビーチャムのビゼーは老巨匠が若い日を思い出したような演奏で、滅多に聞くことはないが捨てがたい魅力も感じられる。けれどもデジタル録音された、より音のいい録音を聞けば十分であるような気もする。駅を出るとまだまだ冷たい空気が顔を撫でた。快晴の空はどこまでも明るく、そして遠くに見える海はどこまでも青かった。

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その数日後、私はもっと新鮮な演奏を求めて、小澤征爾の演奏に耳を傾けた。そしてこの演奏が一番のお気に入りになった。ヤルヴィ、ハイティンク、プラッソンなども聴いてみたが、今でも小澤盤がもっとも好きである。ただ小澤征爾には後年、水戸室内管弦楽団を指揮した演奏もある。こちらは聴いたことがない。一方我が国の若手、山田和樹がこの曲を録音していて、そのさわりを聴いたことがあるが、小澤盤を彷彿とさせるいい演奏のように思えた(横浜シンフォニエッタ。ただこのCDは高い)。少し前の録音では、オルフェウス管弦楽団のものに未練が残るが、廃盤になったままで今では聞くことができない。

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春一番と呼ぶにはまだ早いこの時期、それでもたまに暖かい日はあるもので、東京の今日の最高気温は何と18度、四月上旬並みだそうである。寒い冬をさえぎって駆け抜ける早春の風、そんなさわやかな曲はこの若きビゼーの交響曲をおいて他にない。若干17歳で作曲されたハ長調のシンフォニーは、まだ未熟な雰囲気を残しつつも聴く者を捕えて離さない。私もその魅力に取りつかれた一人である。

小澤征爾がフランス国立管弦楽団を指揮した一枚もそのひとつ。ここで小澤は、フランスのオーケストラから堅実かつ新鮮な雰囲気を引き出すことにさりげなく成功している。けだし名演である。

第1楽章の新鮮なリズムは、もう少し湧き立つような演奏に出会いたいと思っていたが、小澤盤は標準的な早さながら瑞々しさがみなぎっており、完成度は高水準である。しかし何といっても第2楽章のオーボエの融けあうメロディーがこの演奏の白眉である。どの演奏でもここは魅力的だが、特にこの小澤盤が極めて美しく、酔わせる。第3楽章のリズムも全体の中にあって、吹いてくる南風のよう。 改めて聞きなおして、この演奏に惚れなおした。しばらくまた、ビゼーの交響曲にはまりそうである。

(2010年1月24日)

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