ハイドンは当時五十代だった。長年の間エステルハージ公に仕えた直後のことで、ここまでがハイドンの「最も仕事をした期間」だとすると、ここから始まる「晩年」は、いよいよハイドンの遅咲きの花が開く、まさにその最初の作品群と言うことができる。そのようなことを考えながら聞くと、この82番はやはり、それまでの作品とは一味違っているかのように聞こえてくる。ハ長調の堂々とした冒頭は、序奏もなくいきなり速く始まり、すぐにトランペットの響くファンファーレとなる。
第1楽章ヴィヴァーチェ・アッサイは、明確なソナタ形式であり、聞いていて気持ちが弾む。第2楽章はアレグレットだが、ここはダンス音楽であり、長い時間ステップを踏み鳴らした後、やっとのことでコーダ風の終結部が聞こえてくる。第3楽章は当然メヌエット、トリオもある。第4楽章はヴィヴァーチェのフィナーレ。ここで標題の謂れとなった「熊」の鳴き声となる。「熊」に相応しいかはともかく印象的である。このような諧謔性を含んだハイドンの音楽は、これからが本番である。
さて、このような古典派の形式を完全に仕上げたハイドンの交響曲作品は、思う存分能力を発揮して、数々の依頼に基づき優れた作品を世に送り出す。それは交響曲では、このあと104番「ロンドン」まで続く。そのどの曲を聴いても見事なくらいに美しく、古典派はここに極まったとさえ思う。別の作曲家、例えばモーツァルトは確かに極めて美しいが、その見事さはもはや神業的である。つまり人間臭さが感じられない。一方ベートーヴェンになると、これはもうロマン派に近い。18世紀の最後の20年くらいが、ウィーン古典派の隆盛期であったと思う。
完璧なまでの造形的骨格を、コリン・デイヴィスはアムステルダムのいぶし銀のオーケストラとともに、決定的な演奏で表現している。録音されたハイドン作品のなかで、この組み合わせによる交響曲の一連の演奏は、当時のフィリップスの優秀なデジタル録音とともに、歴史的名盤であると言える。私もロンドン交響曲の多くをこの組み合わせで何度聴いたかわからない。宝物のようなCDを、後期のハイドンを彩る交響曲作品の最初に選ぶことに何のためらいもなかった。ハ長調というのがまた、飾り気がなくて良い。
0 件のコメント:
コメントを投稿