2014年3月7日金曜日

ヴェルディ:歌劇「アイーダ」(1990年8月18日、ヴェローナ野外劇場)

私のオペラ体験第3弾は、ローマでの「トスカ」、ニューヨークでの「オテロ」に続き、ヴェローナでの「アイーダ」であった。こう書くと、自分でも何と恵まれた体験かと思うが、当時は日本でオペラを見ることなど、余程のことがない限り不可能であった。大阪に住んでいた私は、地元のオペラ・カンパニーというものを知らなかった。それで外国に行くと、物見遊山で歌劇場などを見て回ったのだ。

私のオペラへの旅は、このようにまずイタリアへの旅立ちだった。これは偶然だが、今でもドイツものよりはイタリアものが好きなのは、この体験に基づくのかも知れない。さらに夏の風物詩とも言える音楽祭は、私を気軽にオペラ鑑賞に導いた。カジュアルな服装で、観光客気分でヴェローナに出かけたのは1990年、23歳の時だった。

当時私は夏休みを利用して、スイスのローザンヌにある工科大学に交換プログラムによって滞在する機会を得ていた。私の専門分野であるプログラミングの課題をこなすかわりに、滞在費を大学が支給してくれた。と言っても留学生への奨学金レベルであり、大学の寄宿舎の寮費を払うと、手元にはほとんど残らなかった。

私は毎週末を、ヨーロッパ各地への1泊旅行にあてた。1ヶ月ほどがたち、スイス国内の有名な観光地を巡った後は、いよいよ大好きなイタリアへの旅行を計画した。私のイタリア行きに、どういうわけかイスラエル人とカナダ人の友人が同行することになったが、カナダ人は乗るべき列車に乗ってこない。私たちはミラノ中央駅で彼を待ったが、携帯電話などない時代である。私たちはついに会うことができなかった。あとで聞いたところ、彼は列車を間違え、ヴェローナではなくボローニャに着いていたのである!

イスラエル人は変わった奴で、ミラノの駅前のマクドナルドで昼食を食べたあとは、別れてどこかへ行ってしまった。私が見る予定のオペラなどに興味はなかったのだろう。仕方がないから私はひとりでヴェニス行き急行列車に乗り、猛暑のヴェローナに着いた時にはシエスタの時刻。駅前は閑散としており、ここがあの「ロミオとジュリエット」の町かと戸惑った。

駅からうだるような暑さの中を中心部に向かうと、巨大な円形劇場が威容な姿を現した。ローマ時代の遺跡としては最大級の野外劇場が、有名なアレーナ・ディ・ヴェローナであった。さっそく本日の演目を尋ねたところ、何と「アイーダ」であった。ヴェローナ野外オペラで最も人気のある「アイーダ」は、偶然とはいえ私を大いに興奮させた。しかし切符がないのである!当然、売り切れ、ということだった。仕方がないから諦めてチケット・オフィスを出ようとしたところ、何人かの男が話しかけてきた。ダフ屋である。聞くと今夜のチケットがあるではないか。私は迷うことなくその一枚を、交渉して手に入れた。

開演は夜の9時で、終演は夜半を過ぎ1時頃。さすがイタリアである。お昼は長いから、観光も十分できる。その前に滞在するホテルを決めなければならない。ところが今度は、困ったことにホテルがどこも満室なのである。思えば夏の観光地に何の下調べもなく行くのは、インターネットのない時代とは言え、少し準備不足だと言うしかない。途方にくれていると、あるホテルのフロントの女性は私に、「特別な部屋があるわ」と言ったのだ!「部屋を見せてくれ」と言うと、彼女は私をprivatoと書かれた部屋の鍵を渡してくれた。そこは従業員用の狭い個室だった。だがシーツのあるベッドが置いてあり、シャワーもついている。私は直ちにそこに決めた。イタリア旅行はなんとかなるものだ、と思った。言葉がわからなくても。

「ジュリエットの家」などを散策して夕暮れ時なると、こんなにいたのかと思うほど大勢の観客が、列をなしている。まるで夏の甲子園球場のような感じである。私はそのスタジアムにチケットを持って入ると、それは見事な空間が目の前に出現した。私の席は中段の、舞台に向ってかなり右側であった。石の椅子に腰掛けて開演を待っている間中も汗が噴き出る。けれども夕暮れともなると心地よい風も吹いてくる。やがて隣の人から順に蝋燭が配られ、お互いに火をつけあうと、何万人もの観衆が火の光の中に灯った。オープニングはこのようなことをするのか。今ならビデオで見るシーンも、全て初めての私は感動し、音楽も始まらないのに何枚もの写真を撮った。

この日、誰が何を歌ったかなど何もわからなかった。けれども終演後に買ったプログラムから、次の様な歌手陣であったことが判明する。アイーダ:マリア・ノート、ラダメス:フランコ・ボニゾッリ、アムネリス:ダイアン・カリー、ランフィス:イーヴォ・ヴィンコ、指揮:アントン・グァダーニョ。
大スペクタクルの演出は、円形劇場の最上段から舞台までを広く使い、動物も出演する壮大なものだった。第2幕の凱旋のシーンは息を飲む見事さ。だが第3幕以降の舞台もなかなかのものだった。私はむしろ後半の舞台が思った以上にいいものだ、ということをこの舞台で発見した。深く音楽が浸透していき、夜が徐々に更けていく。音響も思ったほど悪くはない。最後の二重舞台のシーンが終わると、満場の拍手とブラボーが渦巻き、そこにヴェルディの肖像画が登場した。

上演が終わると、待っていたかのようにレストランが一斉にオープンし、夜食の時間となる。私も何かを飲んでいると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえる。振り向くと何と、スイスの大学の同じ研究室の助手がガール・フレンドといるではないか。ボリビア人の彼は彼女とラザニアなどを食べてる。こんなところで会うなんて、なんという奇遇だろう。私は興奮しながら夜のヴェローナをホテルに戻り、昼間の疲れもあってあっという間に眠りに落ちた。

翌日はお昼にヴェローナを発ち、ミラノへ戻る途中、クレモナに立ち寄った。ストラディヴァリウスの活躍した街である。そしてヴェルディが生まれたパルマは、ここからほど近い場所である。そう思うと、何かとても感慨深い気分であった。

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