デング熱騒ぎで閉鎖されたままの代々木公園をかすめるように歩きながら、NHKホールへと急いだ。10月ともなると6時には陽もどっぷりと暮れ、薄い上着だと寒く感じる。今年の秋は、温暖化で季節感の乏しい近年には珍しく、平年並みの気温である。
4年がかりで行われたロジャー・ノリントンによるベートーヴェン・サイクルが、先週のAプログラムで完結したようだ。私は「エロイカ」の演奏が忘れられないし、シュトゥットガルト響と聞いた「田園」も衝撃的だった。レコードでは一世を風靡した80年代の第2番(ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ)と、シュトゥットガルトで入れた全集の中の第7番などが、私の記憶から離れることはない。N響がピュア・トーンに様変わりする姿は、今や当たり前の出来事だが、最初は本当に驚いたものだ。
そしてベートーヴェンの後にはシューベルトが演奏されるではないか。しかも「未完成」と「グレイト」という黄金の組合せ。私は何と言ってもシューベルト好きだから、シューベルトの交響曲がプログラムに乗ると、いつも行ってみたくなる(だがシューベルトのコンサートは割に少ない)。しかもノリントンで、となると即決である。
だがコンサートというのは案外難しいものだ。期待せずに出かけると、意外にいい演奏だったり、逆に大きな期待を持ってでかけると、これが期待外れだったり。そして今回のBプログラムは、もしかしたら後者だったような気がする。期待が大きすぎたのだろうか。でもそれは出かけてみないと判らないことで、出かけなかったらいつまでも後悔するし、それにN響の場合、テレビで放映されたりするので、演奏が良かったら悔しい思いをすることになる。
後半の「グレイト」は、私にとっては思い出に残る演奏がある。それはウォルフガング・サヴァリッシュがN響を指揮した演奏だ。この演奏によって私はこの曲に目覚めたと言ってよい。特に第3楽章のトリオの部分になって、私はどういうわけか体が硬直するような感動に見舞われたのだ。それは偶然と言ってよい。ただ長い曲だと思っていたこの曲が、実に美しいメロディーに彩られた、多彩な曲だっと知ったのである。
以来、「グレイト」の演奏はCDで数多く聞いた。もっとも好きなショルティによる演奏を筆頭に、コリン・デイヴィス、ジュリーニといった名前が浮かぶが、実演では何といっても数年前に聞いたミンコフスキである。このミンコフスキの演奏では、繰り返しが多く行われたにも関わらず、演奏にリズム感が溢れ、それは終楽章において頂点に達した。プレイヤーがみな乗りに乗っている様は、最前列の席から手に取るようにわかった。
けれどもCDで手当たり次第に聞いてみると、意外なことに全ての演奏が素晴らしくはない。指揮者の音楽に対する観念が、曲にピタッと馴染んでいるか、そしてその域に達しているか、ということがこの作品では求められる。それは丁度ブルックナーの曲と良く似ている。そしてCDで聞いてもさっぱり感動しない演奏というのが存在するのである。
さて今回のノリントンの演奏は、私にとっては完全に期待外れだったと思う。もしかしたら緊張しすぎたN響の、ちょっとした余裕のなさがそうさせたのかも知れない。いや実はノリントンは、シューベルトの演奏に向いていなかったということだろうか。私はすべての繰り返しを省いた今回の演奏から、その可能性が高いと思う。だがこの演奏では繰り返しが多くても、単に長いだけという結果に終わったかも知れない。
極論すれば「グレイト」の魅力はその長さにある。いい演奏で聞くと、どこを演奏といているかもどうでもよくなって、もっと長いことこの曲を聞いていたいと思うのだ。第2楽章の後半など、その典型である。もしかしたら私はこの曲に、主にドイツ系の演奏家で聞く典型的な演奏に慣れ親しみすぎているのだろうか。辛うじて第4楽章では、N響の力演とはなったが、それでもあの軽快な、弾むようなリズムを期待した聞き手にとっては、退屈でさえあった。
「未完成」でも同様に、私の心は若干白けた。シューベルトの曲をピュア・トーンで聞くというのは、本当に必要なのだろうか。ノリントンの演奏の限界を知った気もするが、古楽器奏法で聞く演奏も、モダン楽器の演奏があって、その反面教師のような存在だったとすれば、今や古楽器奏法が主流になってしまうと、ロマンチックな演奏が懐かしい。懐かしさを期待するシューベルトの聞き手は、従来の演奏がいいのだろうか。だが私にはミンコフスキの名演の記憶が残り、そしてサヴァリッシュはと言えば、少し雑然とし過ぎてていたようにも思うので、そう単純なことではないだろう。N響は今や大変力量のあるオーケストラだから、やはりこれはノリントンのシューベルトが、私に合わなかったというしかない、というのが結論である。
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