2014年11月2日日曜日

ヴェルディ:歌劇「マクベス」(The MET Live in HD 2014-2015)

松竹のホームページに「最近のMET史上最大の成功!」などと書かれているのを読むと、このエイドリアン・ノーブルの演出による「マクベス」は、METライヴとしても2008年の再演であるとわかっていても、これはもう見るしかないと思った。それはアンナ・ネトレプコがマクベス夫人を演じるから、という理由以外にない。そして前評判に違わず、私のMETライヴ経験の中でも屈指の名演であるばかりか、これは歴史的な「マクベス」の映像ではないかと確信した。

以下私は、今朝六本木のTOHOシネマズで見た「マクベス」について興奮冷めやらぬ感動を記載することになるのだが、 その感動は、指揮者のファビオ・ルイージが前奏曲を降り始めた冒頭から始まった。ルイージは、病気になった音楽監督レヴァインに代わってMETを指揮し始め、今ではその評価は板に付いた感があるのだが、そのルイージもここへきてMETのオーケストラを完全に掌握し、イタリア・オペラに相応しい統率力で、特には力強いトゥッティや、心に迫るカンタービレを十分に表現する力が付いていると思った。ところが、これはもしかすると、歌手たちの素晴らしさにこたえようと、指揮者、オーケストラ、それに合唱団が持ちうる限りの力を発揮しようとしたからではないか、と思うに至った。

それは第1幕でマクベス(バリトンのジェリコ・ルチッチ)とバンクォー(バスのルネ・パーペ)が歌う二重唱「二つの予言が的中した」で早くも明らかだった。いつもとは違う何か異様な雰囲気が、会場を覆っていた。第2場。ベッドでマクベスからの手紙を読むネトレプコが、登場のアリア「さあ、急いでいらっしゃい」を歌い始めると、私は脳天から竹割りをくらったかのように、全身が打ちのめされた。以後、第2幕が終わるまでの前半は、もうこの舞台がただの名演を超えた歴史的なものであるとさえ、思われたのである。

私はこの映像を、いつもの東劇ではなく、六本木のTOHOシネマズで見た。ところが予想に反して、ここの会場は満席に近い状態であった。おそらく前評判が高かったからろう。そしてそのプレミア・シートにはリクライニングが付いてるのだが、私はついにこれを使う気持にはなれなかったのだ。背筋を伸ばして聞き入れないと、何か十分に楽しめないような気がしていた。それほどこの公演の集中力はすさまじく、ヴェルディの書いた無駄のないドラマ性と迫力ある音楽に、ただただ圧倒されるばかりであった。

久しぶりにヴェルディを聞くと、食事制限をしたあとに豚かつを食べたような気分になる。溢れるメロディーと一糸乱れぬ合唱は、 まだベルカント時代の様相を残していて、高カロリーだが至福の気分にしてくれる。そのドラマ性重視の傾向が明確になる「マクベス」には、女性はただひとりしか登場しない。そして主人公はバリトンである。ヴェルディのオペラに一貫してテーマとなる心理的な葛藤と、男の弱さとでもいうべきものが、シェークスピアの原作によるものとは言え、ここでも明確に示されている。

ネトレプコの存在感は、第3幕以降になっても全く衰えることがない。だからこの作品はマクベス夫人こそ主人公である、という意見もあるくらいだが、それはおそらく違うだろう。ヴェルディが表現したかったのは、彼女の悪辣とも言える権力欲ではなく、それによって狂わされた男の悲劇であるからだ。彼女はそのきっかけであったにすぎない(「オテロ」ではこの役はイヤーゴである)。だがヴェルディはマクベス夫人にとても素晴らしい音楽をつけている。

だが重ねる蛮行に自ら戸惑い、錯乱状態になっていくのはマクベスだけではなかった。第4幕で彼女は、側近がつなぐ椅子の上を歩きながら、登場する。これは彼女の心の不安定さを象徴している。終始暗い舞台は、音楽そのものを決して邪魔することがない。そのことで集中力が生まれた。

ネトレプコの大名演の陰に、他の歌手が隠れていたわけではない。パーペ、ルチッチ、それにマクダフを歌ったテノールのジョセフ・カレーヤもまた、これ以上にないくらいの成功であるばかりか、見事に絵になる格好、そして表情である。ネトレプコが完璧にマクベス夫人になりきっていることに加えて、これら男声陣もまた標準をはるかに超える出来栄えであった。

狂気じみるくらいな拍手は、大歓声とともに全ての歌手に向けられた。だがそれだけではない。冒頭で述べたように、メトロポリタン歌劇場合唱団の、いつも以上に見事なアンサンブルと、それに何といってもルイージの、引き締まった上に表情に富んだ完全な指揮が、これに加わったのだ。その劇的な凝縮度は、若いころのレヴァインを思い出させるほどだ。だからこの上演は、METの数々の名演の中でも一等上を行く完成度であった。

興奮冷めやらぬのは、映画館に来た客だけではなかった。幕間のインタビューに答えるネトレプコの、狂気じみたハイパーさは、彼女がまったくもってマクベス夫人を自分の役にしてしまっていることを裏付けた。今シーズンは本作品を皮切りに、「フィガロの結婚」「カルメン」など、有名作品が目白押しである。やや食傷気味だったかのように思っていた私の音楽生活も、今日の「マクベス」で完全にリズムを取り戻した。暗く残虐なストーリーを味わった後だと言うのに、春のように暖かい六本木の街を吹き抜けていく風は、連休の合間ということもあって、とても軽やかであった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...