このカール・ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏で聞いていると、丸でハイドンが里帰りしたかのように感じる。あたかもウィーン郊外をローカル電車で行くような演奏は、今ではほとんど聞かれなくなったスタイル・・・何もしていない・・・である。ここにはただ、ウィーン・フィルの演奏で聞く古き良き時代の姿がある。
この演奏を聴きながら、長い期間をかけてハイドンの初期の交響曲作品から順に聞いてきたにも関わらず、ウィーン・フィルによる演奏を一度も取り上げていなかったことに気付いた。これから最後の作品までにも登場しないだろうから、ここでベームの演奏に登場してもらい、聞いてみたという次第である。そして改めて気付いたのは、ウィーン・フィルによるハイドンの録音というのが、非常に少ないということだ。ハイドンはウィーンにゆかりのある作曲家だから、これは意外であった。だからこの演奏は、取り立てて特徴が感じられはしないものの、ウィーン・フィルの響きで聞くことのできる貴重なハイドンということになる。
そのような演奏で聞くハイドンの第91番目の交響曲とはどんな作品だろうか。私は第82番以降の作品の中では最後に聞くことになった作品に、とりたたてて強い印象を持つことはなかった。それどころか、この作品はどこがいいのかよくわからない。ゆったりとした第1楽章から、弛緩した、何かありふれたようなメロディーで、ハイドンらしい奇抜なものを感じないのである。それ以外の作品があまりに素晴らしいから、これは後期の作品の中では、という前提の話ではある。それにしても、けだるい第2楽章はどこか重いメロディーの連続だし、第3楽章のメヌエットに至っても、どちらかというと低音の楽器が活躍し、そのことが印象的である。
専門的なことはわからないが、そのような地味で面白くないかに見える演奏も、また別の演奏、たとえば手元にあるラトル指揮ベルリン・フィルの演奏で聞くと随分印象が異なるのもまた事実である。だから演奏による違いというのは無視できない。で、ベームの演奏というのが、やはり平凡なものに感じられてしまうのも、時代というもののせいなのかも知れない。
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