ロッシーニのオペラ「湖上の美人」は1819年にナポリで初演されている。それから2世紀近くの時間がたって初めてMETで初演されたこの作品は、表題役エレナにアメリカ人ジョイス・ディドナート、スコットランド王(またはウベルト)にペルー生まれのフアン・ディエゴ・フローレスを起用している。この二人は私の記憶する限り、METライブシリーズでも数々のロッシーニ作品を共演してきており、「オリー伯爵」、「セヴィリャの理髪師」、「チェネレントラ」など一連のオペラ・ブッファで圧倒的に素晴らしい歌を楽しんできた。
このコンビが出るとなれば、その作品に触れたことがなくても観てみたくなる。しかも今回、松竹のホームページに掲載された音楽評論家、加藤浩子氏の現地レポートを事前に読んでしまったので、その期待は高まるばかりであった。上演が始まった初日に東劇で、さっそくこの上演を観たのだが、その印象は「まだこんな作品があったのか」というくらいに素晴らしく、圧巻の一言につきる。私がどう表現したところでプロの評論家にはかなわないので、ここではその表現を一部引用させていただく。
『それは、奇跡のような数分間だった。
静まりかえった劇場を浸す、光を浴びてきらめく金細工のような声。その声のゆくえを見守り、絶妙のサポートを続けるオーケストラ。恋人への想いを歌い上げる声は、時に熱を帯び、時に静まりながらもますます輝きを増し、その声に呼応して指揮者のしなやかな背中が、繊細な手先が、オーケストラピットの薄闇に舞う。声と指揮が完璧に手を取り合い、楽譜から最高の音楽を引き出す奇跡のような瞬間。
ケミストリー。
その言葉が思い浮かんだ。恋する2人が共有する天からの授かり物のような、奇跡的な瞬間。目の前の歌手と指揮者は、音楽を介してそれを体現していたのだ。これ以上完璧なコラボレーションがあるだろうか。』(METライブビューイングのホームページより)
評論家の文章には二種類ある。仕事のために仕方なく記述した文章と、心から感動した文章である。そしてこれはその後者に属するものであると私は信じている。彼女の表現がすべてを物語っている。
『作品の本質を理解した演出と指揮に支えられ、名歌手たちが繰り出すめくるめく歌の数々は、客席を陶酔の渦に巻き込んだ。幕切れのアリアが終わった瞬間の沈黙と、直後に爆発した喝采の熱気の凄まじかったこと!』(METライブビューイングのホームページより)
私にとってのこのオペラ体験の意味は、最初のロッシーニのオペラ・セリアであったことだ。つまりあのロッシーニ・クレッシェンドは少し控えめとなり、笑いがこみ上げるようなシーンはほとんどない。舞台は中世のスコットランド。スコットランドを舞台にしたイタリア・オペラと言えば、ドニゼッティの「マリア・ストゥアルダ」やヴェルディの「マクベス」などが思い浮かぶが、共通しているのは舞台が暗く、政争に左右される悲恋の物語というものである。この作品もその例に漏れず、舞台はスコットランドの陰影に富んだ湖のほとり。そこに迷い込んだスコットランド王ウベルト(変装している)はエレナに一目惚れ。彼女はウベルトを狩猟小屋に案内するが、そこで彼女が反乱軍の貴族ダグラス卿の娘であることを知る。
ややこしいのは彼女をめぐる男性が3人もいることだ。三角関係ならぬ四角関係。しかもその一人、エレナと愛を誓いあった仲であるマルコムは、メゾ・ソプラノによって歌われる。話はややこしいが、結局結ばれるのはこの二人である。それに至るまでの紆余曲折がこのオペラのあらすじではあるが、そんなことよりもベルカントの歌のめくるめく饗宴を楽しむのが醍醐味である。
第1幕の最初から合唱も活躍する数々の歌は、間違いなくロッシーニの世界へと誘ってくれる。それに欠かすことのできない歌手たちが、誰をとっても素晴らしいのだ。すなわちマルコムを歌うダニエラ・バルチェローナ(メゾソプラノ)、もうひとり 、父親が嫁にしようとしている反乱軍の首領、ロドリーゴのジョン・オズボーン(テノール)、それからエレナの父親ダグラス卿のオレン・グラドゥスである。
たとえ第1幕で気分がのらない個人的な理由(寝不足とか仕事のストレスとか)があっても、歌の力は偉大である。第2幕は冒頭から息もつかせないほどの圧倒的なレベルで見るものを興奮させる。冒頭ではフローレスが再登場し、極めて美しいアリア「おお甘き炎よ」を歌うと、そこにもう一人のテノール、オズボーンが登場してディドナートを加えた三重唱へと続く。会場は興奮のるつぼと化すのはこのあたりだ。
第2場で国王はエレナの願いを聞き入れ、捉えられた反乱軍の人たち、すなわちエレナの父、マルコムらを解放する。しかも二人が結ばれることをも彼は許すのだ。そのさりげない、べたべたしたところのない展開は、このオペラの主題とも言うべき和解というものを嬉しいくらいにしみじみと味わわせてくれる。これほど感じのいい幕切れもない。最後にはエレナは超絶技巧を駆使してアリア「胸の思いは満ち溢れ」を歌うと舞台は最高潮に達する。炸裂する歌にぴたりと寄り添い、歌手たちとの見事な呼吸の溶け合いを可能にしたのは、ミケーレ・マリオッティの指揮の功績である。目立ち過ぎず、品のある舞台を作るポール・カランの演出と合わせ、この公演を類まれな成功に導いたと思われる。
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