昨シーズンの演目に登場したばかりだというのに「オテロ」がまたもやThe MET Line in HDシリーズに登場した。その理由はこのプロダクションが、長い間続いてきたエライヤ・モシンスキーによるものからバートレット・シャーによるものに変わったからであろう。歌手陣も一新された。20年もの間デズデモナの当たり役だったルネ・フレミングは引退し、ブルガリア人の美貌ソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァに変わった。「オテロ」の女声の主役はデズデモナだけだから、この公演の第一の見どころは彼女の歌に尽きる。ここでヨンチェヴァは、第4幕の「柳の歌」を頂点とする聞かせどころで、錚々たる名歌手が名を刻んだ新たなデズデモナ役として、見事な歌を披露した(ように思う)。
インタビューではその人柄がにじみ出るような真摯さで、彼女はこの不遇の死を遂げる女性の犠牲愛とでもいうべきものを、迫力ある力強さと演技力で乗り切った。第4幕の迫真の舞台は、聴衆を画面にくぎ付けにするものだった。表題役を歌ったアレクサンドル・アントネンコ(テノール)とイヤーゴ役のジェリコ・ルチッチ(バリトン)はいずれも東欧の実力歌手で、最近のヴェルディ歌いはみなどういうわけか東欧系である。
シャーの演出は古典的な解釈から見るものの観念を解き放ちつつも、斬新さによる戸惑いを生起させるほどの斬新なものではなく、ちょうどよい塩梅である。私はこういう演出が好きなので、今回のオテロの舞台はなかなか見ごたえがあった。その象徴的なものは、後半の舞台中央に出たり引っ込んだりして形状を変えるガラス(に似せた半透明の)建造物である。このような構造物は3Dプリンターなどを使えば予算も低く抑えられるのでないだろうか、などと余計なことを考えていたが、特に我が国の新国立劇場の素晴らしい照明装置と組み合わされれば、とても見ごたえのあるものになるように思われた。
第1幕の最初は荒れ狂う海のシーンだが、舞台に並んだ合唱団(は船の乗組員である)に動きは少なく、従来のシーンを見慣れている聞き手には少し大人しすぎるように思われた。だが第1幕の冒頭から一気に始まる凝縮された音楽は、まるで前菜からステーキが出てくるようなスタミナたっぷりのボリュームで、むべ完璧な音楽というのはこういうものなのだろう、と唸ってしまうのがいつもの私である。そういうわけだから体力のない私は早々に疲れ果ててしまい、睡魔が襲ってきて第2幕の半分を聞き逃してしまう。ハッと気が付くのはハンカチのシーンからと決まっているのだが、その第2幕の幕切れにおけるオテロとイヤーゴの復讐を誓う二重唱は、身震いのするような素晴らしさであった。
オテロの役は力のあるテノールにしかできないもので、あのドミンゴでさえ力不足とされていた時期があるくらいだし、そういえば私が初めてこの作品に触れたときのレコードは、極め付けと言われたマリオ・デル・モナコの歌うカラヤン盤であった。オペラというのを論じるときには、その作品の持つとてつもない奥深さを脇に置いて、自分が言わば勝手に作り上げた妄想に比較して、どこが足りないなどと不満や不評を並べるのが通例とされているのだが、思うにそれでは歌手や演出家に対し失礼である。だから今回のオテロを歌ったアントネンコの容姿が、あの独特の成り上がりムーア人を想起させず、まるで健康的な若者の風貌であったことや、極悪のイヤーゴがどこかオテロの父親のような雰囲気に見えたというような「個人的な」不満は、割り引いておく必要があるかも知れない(オテロの未熟ぶりを表現するため、それを意図していたとも思える)。
特筆すべき影の功労者は、ヤニック・ネゼ=セガンのメリハリが聞いた指揮ではなかっただろうか。彼の指揮する音楽はすべてが生き生きと息づき、歌うべきメロディーもたっぷりで、強いて比較するならあのクライバーを思い起こさせる。インタビューに現れた彼の、どちらかというと低い身長や、クライバーにあったようなエレガントでウィットに富むようなものとは異なる平凡な指揮ぶりからは、このような力強く繊細な音楽が流れ出ることが不思議である。だがまぎれもなく彼が振るときの音楽は、ほかの指揮者とは一味違う何かを感じさせる。
総合的に考えて、METの新しい「オテロ」はヴェルディの「超」のつく名作の新しいページを印象付けるものであっただろう。なお今回のスクリーンでの見どころは、本編に加えて幕間に放映されるビデオ・ディレクター、ゲイリー・ハルヴァーソン氏を追った12分もの長さのドキュメンタリーで、 本来のこの映像が流される生中継のスイッチングがどういう風に制作されているかの一端を垣間見ることができる興味深いものだったことを付け加えておきたい。
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