このコンビによる録音は、私の手元に交響曲第5番がある。このCDに一緒に収められているのがもしかするとそうだっかだろうか、と見返してみたが、それは「ロメオとジュリエット」であって、残念ながら「フランチェスカ・ダ・リミニ」ではなかった。「ロメオとジュリエット」に比べると「フランチェスカ・ダ・リミニ」の録音は少ない。
バーンスタインとしては新しい方の録音とは言え、もうかれこれ20年近くも前のものなので、今では都内にもわずかとなったCD屋に出向いたところで、入手ができるかわからない。Amazonでも買えるだろうが、一緒に収録された交響曲第4番にそんなに興味は沸かない。中古屋に行こうかと迷った時、私にはもう一つの選択肢が頭に浮かんだ。地元の図書館である(YouTubeでも聞けるではないか、という意見もあるが、それはさておき)。
さっそく地元の図書館のウェブ・サイトに行ってみると、本館だけでなくいくつもある分館の蔵書目録を一発で検索できる。誰かが借りていたとしても予約ができ、自分が借りられる状態になった際には登録しておいたメールアドレスにお知らせが来て、しかも最寄りの分館で受け取れるのである。かつてのように出向いて、カードを検索する必要などない。それで「チャイコフスキー」「フランチェスカ」などとキーワードを入力すると、一発で複数がヒットし、その中にちゃんとバーンスタインの録音があるではないか!
さっそく予約し、翌日には受け取ることが出来た。それを携帯音楽プレーヤー(私はSONYのWalkmanである)に入れて通勤途中に聞いてみた。録音は1989年10月で、亡くなる丁度一年前であり、ほとんど追悼盤に近い形でリリースされたものである。最晩年のバーンスタインは、さらに入念で思い入れが深い演奏を繰り広げ、2度目のマーラー全集に代表されるように、次々と超ド級の録音を重ねて行った頃である。我が国の年号で言えば、昭和から平成に変わる、まさにその頃。
幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、チャイコフスキーが弟とともに南フランスを旅行中に、ダンテの「神曲」の「地獄篇」に触発されて作曲したと言われている。私は恥ずかしいことにチャイコフスキーがフランスを旅行していたことを知らなかったが、この「フランチェスカ・ダ・リミニ」というタイトルは、サンドナーイの歌劇に出てくることを知っているくらいで、そのストーリーも知らなかった。あらためて調べてみると、それはまさに歌劇に相応しいストーリーである。
「13世紀、ラヴェンナにあるポレンタ家の美しい姫フランチェスカは、父の命令で宿敵マラテスタ家との和解のため、同家の長男ジョヴァンニのもとへ嫁ぐことになる。フランチェスカを迎えに来たのは、ジョヴァンニの弟である美青年パオロだった。2人は恋に落ち、醜いジョヴァンニとフランチェスカが結婚してからも密会を続ける。ところがある夜、フランチェスカとパオロが密会しているところをジョヴァンニに見つかり、嫉妬に狂ったジョヴァンニによって2人は殺されてしまう。2人は色欲の罪を犯した者として、地獄の嵐に吹き流される。」 (Wikipediaより)
音楽は暗く、何か悪いことが起きそうな感じで始まる。「トリル」というのは「ある音と,それより二度上または下の音とをかわるがわる速く奏すること」と手元の音楽辞典には書かれているが、「タララ、タララ」と、丸でつむじ風が建てつけの悪い家屋を吹きとばさんとするかのように、渦を巻きながら駆け抜けてゆく。私はこの音楽を聴きながら、嵐を創造するのだが、何か戦闘が行われているようにも感じられる。「減七の和音」というのはこういう時に使われるもので、不安定である。
しかし音楽はやがて、オーボエのソロを伴って静かな部分に入る。このあたりのメロディーの美しさがわかるようになったのは、歌劇「エフゲニー・オネーギン」を聞いてからのように思う。チャイコフスキーのもっとも美しい調べは、抒情的でほの暗い。 オペラ的であり、幻想的でもあるここのメロディーは、フランチェスカとパオロの恋を描いていることは明白である。
終盤になって再び激情に見舞われ、音楽は速くなり、高揚して終わる。バーンスタインとニューヨーク・フィルによる圧巻の名演奏は、巨匠が亡くなる直前とは言えないほどエネルギッシュである。バーンスタインが晩年になってチャイコフスキーを取り上げたのは、彼がロシア系の移民であることと関係があるのかも知れない。ソ連が崩壊するのは、その死から丁度1年が経った1991年のことであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿