これまでにオリジナルの管弦楽版、そして弦楽四重奏版と聞いてきたハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」は、最終的に作曲者自身にょって編曲されたオラトリオ版になって、いよいよ名作の仲間入りを果たす作品に仕上がったように思った。何よりオーケストラだけの曲だった旋律に歌詞が入ることの面白さが手に取るようにわかる。それは丸で、白黒写真に色を塗るようである。しかもこの作品の場合、最初から歌詞入りを想定していたわけではない。ところが、丸でその歌詞のために作られた音楽であるかのようだ。
序章は歌詞が入らないため、管弦楽版と同じである。しかしユロフスキの指揮で聞く今回の録音では、まずこの演奏が古楽器奏法の影響を受けた最近の演奏であることによって、実にすっきりとしたものになっている。まずそこで最初の感動。
第1のソナタ。だがまず耳に響いてくるのは、何と合唱のみではないか。「父よ!彼らの罪を許しさまえ」と短く入ると、あの最初のメロディーが歌入りで聞こえてくる。身震いすら覚えるような、ハッつする瞬間。心が洗われるような気がした。合唱曲というのはこういう風になっているのか、と思う間もなくソリストが絡む。
ユロフスキの演奏では、リサ・ミルン(ソプラノ)、ルクサンドラ・ドノーゼ(メゾ・ソプラノ)、アンドリュー・ケネディ(テノール)、クリストファー・マルトマン(バリトン)の4名で独唱である。ライブ録音だが、そうと気付くのは演奏が終わって、徐々に盛り上がる拍手が聞こえて来た時である。演奏の完成度は高く、とても感動的。
第2のソナタでも同じようなコラールの響きを最初に置いている。「おまえは今日、私と共に楽園にいる」。でもこの曲では、まず長い管弦楽だけの部分がある。管弦楽版や弦楽四重奏版を聞いてきた者にも、たっぷりとをの旋律を聞かせるのは憎い演出だ。しかもここは独唱から入る。ユロフスキの演奏はビブラートを抑えて速めに進む。そのことによって、かえって心に染み入るように止めどもなく悲しい旋律が続く。
第3のソナタは「女性よ、これがあなたの息子です」 。まるで教会でミサを聞いているような清楚な残響を伴って、最初は管弦楽のみで入るところは第2のソナタと同じ。遅い曲ばかり聞き続けてきたのにも関わらず、交響曲なら第2楽章に入る感じだ。続く第4のソナタは「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」は少し雰囲気が変わって、どこか遠くへでも行く感じ。諦観とも言えるようなメロディーだと感じるのは私だけだろうか。
さて、このあとに管弦楽版ではなかった「序曲」が挿入されている。この作品が大曲としての性格を帯びるとともに、物語性を持つことにも寄与している。ハイドンがオラトリオ版を思い付いたのは、自身の作品が編曲され、カンタータとして演奏されているのに遭遇したからだ、というところが面白い。それはロンドンからウィーンへと帰る途上でのことであり、帰国前のロンドンではヘンデルによる大規模オラトリオに接している。後に「四季」や「天地創造」へと発展する、これは先駆けとも言える作品である。
後半は第5のソナタの特徴的なピチカートから始まる。ここでは合唱による前置きはない。それどころかこのあたりは管弦楽の見せ場が続く。忘れた頃に入って来る歌は、その切々たるメロディーが繰り返される時で、テノールの独唱からである。「渇く!」 と題された音楽は、痛々しくも抒情的でもある。第3楽章と言った感じか。
第6のソナタ「果たされた!」の導入部は再びコラールだが、ここは非常に短い。いよいよ音楽は最終段階に入る。どちらかというと明るい感じがする。それは演奏が荘厳であるにもかかわらず、無駄な部分を削り落としたような性格によるものだからだろうか。そして第7のソナタ「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 に至って再び教会で聞くような美しい合唱に耳を奪われた。ホルンのメロディーに耳を澄ましているうちに、どことなく心が軽くなり、気分が昇華していく。そしてそれを打ち砕くような大地震!ユロフスキの演奏はきびきびとリズムを刻みながら、一気にコーダを迎える。緩徐楽章のみで1時間にも及ぶ曲が終わると、私は少し淋しい気分になった。
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