ハイドンの最高峰「天地創造」を実演で聞くことができただけで、神に感謝しなければならないだろう。我が国で最も有名な古楽奏者である鈴木秀美が、新日本フィルの定期に出演し、しっとりとしかもたっぷりとハイドンの音を響かせた。すみだトリフォニーホールは空席も目立ったが、熱心なファイは静かに聞き入り、惜しみない拍手が送られた。
旧約聖書の冒頭部分、神が7日間でこの世界を作り出したという「創世記」は、以下のように始まる。
「はじめに、神は天と地をつくられた。地は形もなく、空虚だった。そして闇が深淵の上を覆っていた、そして神の霊が、水の上で漂っていた。神は言われた、『光あれ!』と。」
最初の和音のあとは、しばらく静かな、まさに混沌とした、それでいて音楽的な響きが続くと、やがて深く息を吸い込むようにオーケストラが、そして独唱と合唱が上記のことばを歌う。まったくもって感動的な瞬間である。
ラファエルはバス・バリトンによって上記の前半部分が歌われ、合唱がそれに続く。今回の公演では、ラファエルを多田羅迪夫が歌った。声量もあり、その経歴から不足はないのだが、やや音程がずれることがあったのは残念である。一方、合唱はこの公演のために結成されたコーロ・リベロ・クラシコ・アウメンタート。鈴木が主宰するオーケストラ・リベラ・クラシカと同様、古楽の専門集団である。総勢60名程度の合唱は、プロとアマの混合だそうだが、迫力は十分であった。
「天地創造」は、世界の始まり7日間の出来事を3つのパートに分けて順に進む。
<第1部>
第1日・・・天と地
第2日・・・空と水
第3日・・・海と陸、草木
第4日・・・昼と夜、季節、太陽と星
<第2部>
第5日・・・生き物
第6日・・・人間
今回の公演はここで20分の休憩が入った。つまり第7日にあたる安息日ということだろうか。ここまででも十分に聞きごたえのある音楽が次から次へと現れ、耳と体がすっかりハイドンの音に浸ってゆく。よくこんなにも綺麗な音楽を、多く作曲したものだとつくずく思う。
「天地創造」は「世界と自然の誕生をめぐる壮大な物語を音楽によって描写する野心的な試みである。ここでのハイドンの音楽はそれ自体が力を内包し、混沌の中にあって自ら生成していく自然の力と同一視されているかのようだ。」(公演のブックレットより)
この音楽を最初に聞いたのは、武蔵野音楽大学のオーケストラだった。確かハイドン・イヤーの頃だったと思う。ここで私は、音楽の持つ不思議な力に感動し、ただ独唱と合唱が繰り返すだけのスタイルに、壮大な物語が語られているにもかかわらず、そしてハイドンの「古典派」としての音楽的形式を遵守しながらも、決して物足りないものにはなっていないことに、単純に驚いた。大オーケストラにコンピュータを用いた壮大なSF映画音楽が、内容のない陳腐なメロディーを延々とかき鳴らす現代文明に染まった身からすれば、それは奇跡のような瞬間だった。
ハイドンのオラトリオ「四季」は、「天地創造」と双璧をなす金字塔のひとつだが、共通するのは音楽による自然描写のユーモラスな側面を持つことである。歌詞を追っていけば、その内容が露わになる。だがしかし・・・今回の公演では字幕がないばかりか、会場が暗く対訳が読めない。これは音楽に集中することができる反面、やや物足りないと感じた。
私の大好きなウリエルのアリア「気品と尊厳を身に付け」は第2部の終盤、第6日目のシーンで歌われる。ここの音楽を聞くと、シューベルトの音楽はハイドンの模倣ではないかとさえ思えてくる。今回、ウリエルはテノール櫻田亮が歌った。やや小柄ながらその歌声は3階席の後方にまでこだまし、オーケストラと合唱が混じっても決して消えるようなことがないくらいに澄んでいた。
後半の第3部はアダムとエヴァの神への賛歌である。アダムを歌ったのは多田羅迪夫、エヴァを歌ったのはソプラノの中江早希である。私が最も好むシーン、アダムをエヴァの二重唱に合唱が加わる「おお主よ、神よ」は、この音楽最高の音楽だと思う。第3部が始まってすぐにここのメロディーが流れてくると、何か鳥肌が立つような感動に見舞われる。今回の演奏では・・・残念ながらそこまではいかなかったが・・・その理由はもしかしたら、昼間の仕事でのストレスが尾を引いて、私を演奏への集中から遠ざける要因になったからではないか、と思うことにした。
全体に音楽が大変美しく、オーケストラもほとんど全くミスをすることもなく、独奏の部分では特に、程よく調和された歌と楽器が、最後まで丁寧に、そして時に熱く鳴り響いた。3階席の私のそばで、重い総譜をめくりながら聞いていた人がいた。もしかするとこの人は、どこかの団体で指揮をするのだろうと思う。
9月には都響の定期で再び「天地創造」を聞く機会が訪れる。パンフレットによるとこの公演は、合唱にスウェーデン放送合唱団を迎える本格的なもので、しかも嬉しいことに日本語の字幕が付くようだ。だから私は今から、次の公演に心を寄せている。
演奏が終わり、いそいそと錦糸町駅の改札へと流れて行く人並からそれ、居酒屋などが立ち並ぶ下町の界隈を散歩した。乾いた初夏の風が頬を撫で、見上げると東京スカイツリーが正面にそびえていた。仕事で疲れた週末の夜は、美しい音楽と演奏のおかげでさわやかな気分を残しながら過ぎて行った。
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