
第1楽章アレグロ・マエストーソは八分の六拍子。暗いメロディーにもっともブラームスを感じるところかも知れない。ただ、暗いだけでなく、どことなく憂愁を帯びた情緒が垣間見られ、しかも次第に熱を帯びてゆく。交響曲としての風格は、しっかりとしたものがある。第6番が朝の明るい音楽さとすれば、第7番は午後の曇った陽気である。
第2楽章を聞いた時は、この曲が「新世界より」のあの有名な第2楽章の前触れのような作品だと思ったことがある。「新世界」ではイングリッシュ・ホルンが、確信的に哀愁を帯びた「家路」のメロディーを奏でて聞くものをしんみりと懐かしさに浸るのだが、ここではクラリネットやオーボエが控えめに旋律を奏でる。物淋しげだが、展開されてゆくと独特のドヴォルザーク節である。フルートやホルンの印象的なソロと弦楽器が重なり合ってゆく。第2楽章はいい演奏で聞くと本当に味わい深い。
第3楽章のスケルツォはスラヴ舞曲である。ただここでのリズムは、特徴のあるアクセントで進み、しばしば穏やかである。賑やかな祝祭的音楽とは一線を画す。この曲を初めて聞いて以来、忘れることはない。ぐっと内省的な感じがしてくる渋さは、第8番や題9番「新世界より」にはない、また別の魅力である。第4楽章のフィナーレは力強い曲で、壮大に終わる。その重なり、煮詰まっていく感じは、やはりブラームスを思い出してしまう。
この曲の今一つの特徴は、複雑なリズムにあると思う。独特のアクセントを伴っているのは、第3楽章だけではない。そういう音楽をきっちりと、職人的な感覚で指揮ができる指揮者がいい。そこで私は長年、コリン・デイヴィスによる演奏を聞いて来たが、今ではマゼールがウィーン・フィルを指揮した演奏が気に入っている。80年代初期のデジタル録音。この頃のマゼールはウィーン国立歌劇場の音楽監督であり、しばしばベルリン・フィルにも客演するという活躍ぶりだった。
マゼールによるこの曲の冒頭の演奏を聞いていると、何かシベリウスを聞いているような気がしてくる。そういえばここ数日は、急に寒くなってきたような気がする。秋の短かった今年は、いつのまにか11月も終わりかけている。例年なら紅葉を楽しみにしている時期なにだが、どういうわけか北国からは雪の便りも聞こえてくる。どうもよくわからないムードの中で、年末を迎えるのだろうか。
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