そんな毎日の、久しぶりに晴れた休日の朝に、久しぶりに何か音楽が聞きたくなって取り出したのが、コダーイ四重奏団の演奏するハイドンのクァルテットだった。最近はCDを聞くことがほとんどなくなったのだが、今日はどういうわけかCDの気分。1000枚以上はある棚から、作曲家の年代順に並べているのでハイドンは2段目のところに置かれている。このCDはナクソスの録音で、ジャケットがシンプルであり見つけやすい。そしてトレイにCDを載せ、再生ボタンを押す。LPからCDに変わって久しいが、やはりディスクを再生機にかけて聞く音楽には味わいがある。
ハイドンは交響曲を108曲も作曲して「交響曲の父」と呼ばれている。私はこの交響曲をすべて聞きとおそうと思い、第1番から順に聞いて来たことがこのブログを書くきっかけとなった。ブログでは初期の作品の一部を割愛したが、それでも8割以上の作品を聞いて何らかのコメントを書いたと思う。古典派様式を確立し、それを交響曲の形で実現していった模索と発展の道のりは、音楽を専門としない一リスナーとしても聞いていたとても楽しいものだった。
ハイドンは弦楽四重奏の分野においても、これと同様の試みを行っている。作曲された弦楽四重奏曲は現在のところ68曲と推定されている。この中には現在のドイツ国歌となっている第77番「皇帝」も含まれる。しかし俗に「弦楽四重奏の父」とも呼ばれているハイドンのこれらの作品を、最初から聞きとおそうとは思わない。だがそうは言ってもある程度体系的、網羅的に書こうと思い、なかなか手を付けられずにいたのだが、最近はもうそんなことに捕らわれず、好きな作品を思い付きで書く方がいいと思うようになった。室内楽や器楽曲は、もともと近親者やサロンといった、いわば少人数の集いの中で作曲された作品が多いことを考えると、これもまた当然の成り行きかも知れない。
そういうわけで、今日は「ひばり」を聞く。このハイドンを代表する作品の何と気品に満ちたメロディーだろうか。ここにはハイドンにしか書けないような伸びやかさを感じる。ベートーヴェンやモーツァルトのような、人生の苦悩やミューズの化身ともいうような天才性を感じるわけではなく、もっと自然で大人の音楽。それでもそこには確固たる信念と独自性が感じられる。ハイドンの職人的でかつ普遍的な創造性は、以降の作曲家に求められない(あるいは求めることが難しくなった)要素とさえ思われる(私が他に、このような成熟し完成された音楽性を感じるのはヴェルディである。あるいはメンデルスゾーンを加えてもいいかも知れないが、彼は若くして亡くなった)。
ハイドンの弦楽四重奏曲は、3曲あるいは6曲まとめて出版された。出版の順に付けられた作品番号だと、今回聞いた作品は「作品64の第3番、第4番、第5番」ということになるのだが、ハイドンの研究家ホーボーケンによって付与された作品番号(いわゆりホーボーケン番号)によれば、これらは第66番、第63番、第64番ということになる。ホーボーケンの作品番号は、しなしながら後年の研究によって偽作とされた作品をも含んでいることが判明し、これらを除外して並びなおされた番号も存在するからややこしい。いずれにせよこの3つの作品を含む作品64の6曲は、1790年に作曲され、「第2トスト四重奏曲」と呼ばれている。
1790年と言えば長年仕えたエステルハージ公が死去し、新たな境地を目指してロンドンに旅立つ直前のことである。この時ハイドンはもう58歳になっていたというから驚きである。今朝の新聞によれば、私が生まれた頃の日本人の平均寿命(男性)が60歳だったというから、58歳と言えば今では80歳くらいの感覚だろうか(もっとも抗生物質のない時代、若くして亡くなる人が多かっただけで、長生きする人は一定数いた)。
作品64の6つの作品のうち、後半の3曲を収録したCDでは、第4番ト長調(Hob.III-66)から始まる。有名な「ひばり」(Hob.III-63)はその次である。そこで初めてこの曲を聞いてみた。第1楽章の行進曲のようなリズムは、何かわくわくするような気持ちになる。続く第2楽章では、梅雨入り前の肌寒い雨の日に実に良く合う。ハイドンの弦楽四重奏曲の魅力は、まず緩徐楽章にあるのではないだろうか。ただそのことがわかるようになるまでには、交響曲を数多く聞くなどそれなりの努力をしてきた結果だと自負している。
第3楽章の3拍子もまた、弦楽四重奏曲の特長をよく表している。陽気な舞曲風のメロディー。第4楽章は再び早い曲に戻って楽しく終わる。そしてこの形式こそ、交響曲そのものである。交響曲の骨格部分だけを取り出して眺めているような気分が、弦楽四重奏曲を聞くときには起こるものだ。
続く第5番「ひばり」の第1楽章の伸びやかなメロディーの印象は決定的である。一度聞いたら忘れられないようなものがある。しかし第2楽章は、楽天的な第1楽章とは打って変わってちょっとメランコリックな感じがする。「ひばり」の明るく楽天的な印象だけでなく、このような陰影の変化があるからこそ名曲なのかも知れないのだが、私の印象はやや退屈。第3、4楽章も平凡。
しかし最後の第6番変ホ長調(Hob.III-64)は一層複雑で聞きごたえがある。特に印象的なのは第2楽章で、ここではシューベルトに通じるようなロマン的とも言える趣きがある。第3楽章のメヌエットには高音のバイオリンが限界まで鳴らすような印象的な中間部が置かれている。一方、第4楽章では複雑なフーガも聞こえてきて、この作品の深みはちょっとした発見であった。
コダーイ四重奏団はハンガリーで結成されたグループだが、NAXOSに録音した一連のハイドンの演奏は、オーソドックスながら極めて充実した響きを持っていて、おそらく代表的な録音の仲間入りをしている。録音が明瞭でハンガリー系の特長をよく表している。
作品64の後半3つの作品では、親しみやすい第4番、気品のあるメロディーが忘れられない第1楽章の第5番、重層的で音楽的に充実した第6番と、多彩である。ハイドンの魅力に久しぶりに触れた一日。この作品を皮切りに、今後もハイドンの弦楽四重奏曲を時折聞いてみたい。
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