コンサートは珍しく、スッペのオペレッタ「ウィーンの朝・昼・晩」から始まる。気さくで気取らない雰囲気で始まるコンサートは、懐かしさも感じる打ち解けたムードの中、ワルツ「東方のおとぎ話」へと進む。この曲は2009年にバレンボイムが取り上げているが、別の曲ではないかと思うほどその時とは印象が異なり名曲に聞こえる。さらにはヨーゼフ・シュトラウスの遅いポルカ「ウィーンの生活」、エドゥアルド・シュトラウスの速いポルカ「人が笑い生きるところ」といった初登場の曲までもが、何やら粒ぞろいの名曲に聞こえるから不思議だ。
純米辛口の吟醸酒を味わうような気持でワルツ「オーケストラの村つばめ」を聞いて行くと、もう前半のコンサートも終わりである。メータの惰性的で単調な指揮は、ここでは改められ、慎重かつ大胆にオーケストラの持ち味を生かすことに専念している。その献身的な様子から、類稀な関係に成熟したことが窺える。後半は「加速度円舞曲」のような懐かしい曲の合間に、珍しい曲が数多いものの、ワルツ「酒・女・唄」が長い序奏と伴って演奏されるという嬉しさに心が躍る。
そしてニューイヤーコンサートの中でも白眉とも言うべきワルツ「美しく青きドナウ」は、毎年アンコールとして演奏される曲であり、新年のスピーチもあってどの年の演奏がどうの、という評価を飛び越える曲であるにもかかわらず、この年の「ドナウ」はとても印象的だった。おそらくは最も素晴らしく演奏された「ドナウ」は、この2015年のメータにとどめを刺す。少なくとも私にはそのように感じられた。
メータの再登場で、もはやこれを上回る演奏はできないのではないかというほどになったためだろうか、この後彼の登場はなく、2022年現在でも予定されていない。
一方、もう一人の常連指揮者、リッカルド・ムーティはこのあと2018年、そして2021年と2回に亘って登場、老齢の域に達しながらも瑞々しく、しかも落ち着いた名演奏を聞かせてくれたことは記憶に新しい。メータに並ぶ5回目の登場となった2018年の演奏は、メータとは対照的である。メータがどちらかと言えばポピュラーな曲を中心に楽し気に指揮するのに対し、ムーティは真面目一辺倒で、初登場の曲を並べ、言ってみれば芸術家肌であることを強調して見せる。ところがそこから紡ぎだされる音楽は、しっとりと情感を湛え、ワルツのような通俗曲を純音楽的に料理してみせるのである。どちらの演奏も甲乙が付けがたい魅力があって、そういう様々な演奏に接することができるのもニューイヤーコンサートの楽しみである。
2018年の演奏は有名な「ジプシー男爵」の入場行進曲で始まるが、こんな曲でも楷書風の演奏である。続くワルツ「ウィーンのフレスコ画」なんて曲は聞いたことがないし、「マリアのワルツ」もそうである。ところが「マリアのワルツ」などは、そういう風には感じられず、もうムーティは過去に何度も演奏をしてきているかのようなこなれた演奏で、ウィーンフィルも含め余裕すら感じさせるせいかとても楽しい。初めて聞く曲でこういう経験は珍しいが、ムーティの演奏できくときにだけ、こういう経験ができる。
後半に演奏されるスッペの喜歌劇「ボッカチオ」序曲も大変珍しいのだが、ベテランの手にかかると名演奏になって会場も沸き返っている。ムーティによるニューイヤーコンサートはうっとりするような時間をもたらし、気が付くともう終盤にさしかかっている。さすがにここまで来ると、以前とは違って有名曲が並ぶ。「ウィーンの森の物語」「南国のバラ」などに挟まれたポルカも「町と田舎」「雷鳴と電光」といった具合である。どのような名曲であっても珍しい曲であっても、ムーティの指揮は真剣に真面目で音楽的。それでもお正月のムードに溶け合っているから不思議である。
私はこの2018年の「美しく青きドナウ」を、房総から東京へと向かう高速バスの中で聞いた。空いた静かな車内からは夕日に照らされた東京湾の向こうに太陽が暮れかかる頃だった。快晴の空がオレンジ色に染まり、西に傾いた夕陽がひときわ大きくなって、肉眼でも見ることができる紅さに輝いている。江戸川を越えた時だった。夕陽は丁度富士山をシルエットにして没していった。ムーティのワルツと都会の日暮れの奇妙なマッチングが、私に幻想的な時間を与えた。
ムーティによる演奏は、白痴的に美しいメータの演奏とは異なり、発見をすることが多い。初めて聞くワルツやポルカだけでなく、すでによく知られた名曲であっても、ムーティ流の揺るぎない解釈は、ベテランの自信を感じさせる。そのムーティが新型コロナの蔓延に伴って無観客の演奏会となった異例の2021年の指揮者だったことは、偶然であるとはいえ好ましいことだったと思う。ムーティは前回の登場から4年ぶり、6回目の登場だった。イタリアン・スーツに身を包んだナポリ生まれのムーティも、もう歳をとったもんだと思った。初出の曲にスポットをあて(ワルツ「音波」など)、丸で何度も演奏をしてきたかのような完成度で指揮をする。そのことに最初は退屈だったが、ここまで聞き続けてくると、そのことの方が楽しくなっていて、むしろ有名曲の方がつまらないくらいである。同じワルツでもツェラーの「抗夫ランプ」やコムザークの「バーデン娘」のような珍曲も登場、シュトラウス一家にはない趣きの曲に心がときめいた。ただ有名曲を演奏する際にはムーティも良く考えていて、「春の声」や「皇帝円舞曲」といった曲では目一杯テンポを落とし、それまでのどの演奏よりもコントラストをつける。その若干わざとらしい部分が、やや目障りではあると思うのは私だけだろうか。
この2021年のコンサートは無観客で行われたため、当然のことながら拍手はない。恒例の「美しく青きドナウ」の前には、英語で長いスピーチを行い、それもCDには収録されている。コロナ禍で開催が危ぶまれた恒例のコンサートを開催する意義をムーティは力説し、音楽の必要性を訴えたことは印象的だった。最後の「ラデツキー行進曲」でも拍手はなく、淡々と演奏が進む。バレエの画像も最小限挟まれたが、何か無理をしているようで痛々しく感じられた。
このように2021年の演奏は、ビデオで見ると異様な雰囲気である。照明に照らされ、例年の如く舞台上に花が所狭しと並べられていることが、かえってその異様さを際立たせる。だから私はこの模様は、映像なしのメディアで楽しみたいと思った。そしてそうする限り2021年のコンサートは大成功の部類に入ると思われる。無観客による丸でセッション録音のような雰囲気が特別な集中力をもたらしたのか、どの演奏も完成度が高く聞きごたえ十分である。
1. スッペ:喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「東方のおとぎ話」作品444
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「ウィーンの生活」作品218
4. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「人が笑い生きるところ」作品108
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ドナウの岸辺から」作品356
7. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」(音楽の冗談)作品257
8. ヨハン・シュトラウス2世:「加速度円舞曲」作品234
9. ヨハン・シュトラウス2世:「電磁気ポルカ」作品110
10. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「蒸気をあげて」作品70
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「エルベのほとり」作品477
12. ロンビ:「シャンパン・ギャロップ」作品14
13. ヨハン・シュトラウス2世:「学生ポルカ」作品263
14. ヨハン・シュトラウス1世:「自由行進曲」作品226
15. ヨハン・シュトラウス2世:「アンネン・ポルカ」作品117
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒・女・歌」作品333
17. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「粋に」作品221
18. ヨハン・シュトラウス2世:「爆発ポルカ」作品43
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」より「入場行進曲」
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ウィーンのフレスコ画」作品249
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「花嫁さがし」作品417
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「心うきうき」作品319
5. ヨハン・シュトラウス1世:「マリアのワルツ」作品212
6. ヨハン・シュトラウス1世:「ヴィルヘルム・テル・ギャロップ」作品29b
7. スッペ:喜歌劇「ボッカチオ」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ミルテの花」作品395
9. ツィブルカ:「ステファニー・ガヴォット」作品312
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「百発百中」作品326
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
12. ヨハン・シュトラウス2世:「祝典行進曲」作品452
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「町と田舎」作品322
14. ヨハン・シュトラウス2世:「仮面舞踏会のカドリーユ」作品272
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のばら」作品388
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「投書欄」作品240
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228
1. スッペ:喜歌劇「ファティニッツァ」より行進曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「音波」作品148
3. ヨハン・シュトラウス2世:「ニコ殿下のポルカ」作品228
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
5. ツェラー:ワルツ「坑夫ランプ」
6. ミレッカー:ギャロップ「贅沢三昧」
7. スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
8. コムザーク:ワルツ「バーデン娘」作品257
9. ヨーゼフ・シュトラウス:「マルゲリータ・ポルカ」作品244
10. ヨハン・シュトラウス1世:「ヴェネツィア人のギャロップ」作品74
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「クラップフェンの森で」作品336
13. ヨハン・シュトラウス2世:「新メロディー・カドリーユ」作品254
14. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
15. ヨハン・シュトラウス2世:シュネル・ポルカ「恋と踊りに夢中」作品393
16. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228
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