2022年2月1日火曜日

ドヴォルジャーク:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53(Vn:ユリア・フィッシャー、デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団)

後期ロマン派(国民学派)に分類されるドヴォルジャークは、どちらかと言うと大器晩成型の作曲家であったようだ。若い頃の作品が、ブラームスなど他の作曲家の影響を受けて埋没している。初期の交響曲などはその例だが、一方で後年のチェロ協奏曲やいくつかの室内楽曲などは、突出した名曲で作風が確立している。国際的名声を得て新大陸へ赴く経験が彼の作風を拡大・定着させた、というのが音楽史の説明である。ここで聞くヴァイオリン協奏曲は、そのようなドヴォルジャークの発展する人生の直前に位置している。

ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲は1879年に作曲された。大ヴァイオリニストだったヨアヒムの勧めで作曲に着手し、かつ彼に献呈されているという経緯は、この曲に大きな華を持たせた。無視するには勿体ない作品となっていったのではないかと思う。ただヨアヒム自身は助言を述べただけで、この曲を演奏しなかったようだ。

第1楽章の冒頭を聞いて思い出すのは、ブルッフのヴァイオリン協奏曲である。ここには演歌風のうねりがあるのだ。これがヴァイオリンの特長を良く生かしている。そして多くのユダヤ系ヴァイオリニストが得意とするヘブライ風メロディーの、このやや低音の音域の狭い音楽によく似ている。東欧風の、やや陰を帯びた民族調のメロディーが、この雰囲気を増幅させる。

他方アリランを基調とする我が国の演歌のメロディーと、東欧における民族風のそれ(にはユダヤ系の属性も含まれる)との間にどういう共通点があるのかを語ることは、音楽の素人にはできないが、ひとりの音楽ファンとしては、ブルッフにしろドヴォルジャークにしろ、ここに日本人も「うねり」で参戦する余地があるように思えてならない。例えば、チョン・キョンファ(ムーティ指揮フィラデルフィア)や五嶋みどり(メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)もかなり若い頃から録音を行っている。特にみどりは、ブルッフやメンデルスゾーン同様に大変な集中力で歌う。その感覚は日本人としてはよくわかるのである。

ただ私自身は、この曲は音のきれいなヴァイオリンで聞くのが好きである。ユダヤ系ヴァイオリニストに多い、ややくすんだヴィオラのような音が交じる風体は、それがかえってスラブ的情緒を増加させているとしても、あまり好きになれない。曲全体にも言えることなどだが、伴奏のオーケストラが地味なのに、ヴァイオリンは結構難しいことを浮遊してやっている印象が強い。時折印象的なドヴォルジャークの哀愁を帯びたメロディーが顔を出すが、どことなく中途半端。つまらない演奏で聞かない方がいい曲の典型のような気がする。個人的には、ここは溜めを打ってちょっと澱んでいて欲しいな、などと思うところをさらっとやられると失望する。その味加減がヴァイオリニストによって異なる。

カデンツァを含む第1楽章から第2楽章へは休止なして繋がっていく。この曲の第2楽章は、いい演奏で聞くとなかなかいい曲だと思う。自然で素朴でありながらしんみりした表情は、紛れもなくドヴォルジャークのものだ。例えば真冬の曇り空に、透明なヴァイオリンがそこはかとなく静かに鳴り響く。気が付いてみると第2楽章が終わっている。ちょっとあか抜けた舞踊風のメロディーで始まる第3楽章は、スラヴ舞曲に独奏楽器を加えたようなロンド形式の音楽が続いて心地よい。

オイストラフやパールマンといった一部の巨匠が名演を残しているが、録音が盛んに行われるようになったのは、1990年代以降のことである。まだ演奏を熟すだけの余地が残っていたと気付いた若手ヴァイオリニストを中心に、この曲の録音がリリースされ始めた。そのような中に、チェコにも流れを持つドイツ人ユリア・フィッシャーがジンマンと組んだ演奏が私のお気に入りである。それは上記で述べたように、丁度いい塩梅でロマン性、民族性、透明性、抒情性、オーケストラを含む技量、溶け合い、伴奏のメリハリの良さなどが上手くブレンドされているからだ。適度にロマン性もあって艶やかだが、決して感傷的ではないところが、録音でき聞く場合の重要な点だ。客観的なデッカの録音も良く、線が綺麗で細身であるのがいい。だからCDで聞くこの曲の演奏としては、今のところイチオシということになっている。

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