2023年11月4日土曜日

東京都交響楽団第985回定期演奏会(2023年10月30日東京文化会館、オスモ・ヴァンスカ指揮)

今年はシベリウスの作品を重点的に聞いてきた。7曲ある交響曲(「クレルヴォ」を入れると8曲)のううち、前半の2(3)曲はまだ若い頃の作品で本当のシベリウスらしさに欠け、第3番は過渡的とされている。第4番は暗く陰鬱な作品だ。交響曲作曲家としてのシベリウスの真価が発揮されるのが第5番からとされている。シベリウスの後期の交響曲第5番、第6番、第7番はほぼ同時に着手された。

この3つの交響曲を同日に演奏するコンサートがあることを知ったのは、直前のことだった。シベリウスを得意とする第1人者のひとり、オスモ・ヴァンスカが都響の定期に登場するのである。コンサートは1回限り。しかも月曜日の夜で場所は東京文化会館。こんな玄人好みの演奏会は、さぞ閑散としているのだろうと思った。実際、当日券を含めチケットは全席種発売中。東京文化会館というのはトイレや席が狭く、あまり快適とは言えないが、アクセスが良い(改札口から30秒!)ことと、音響がさほど嫌いなほうではない(ただし前の方)。そういうわけで1階席脇後方のB席を買い求め、仕事が終わってから上野に駆けつけた。

驚いたことに会場には沢山の人が詰めかけていた。そして9割以上の席が埋まっていたと思う。我が国ではシベリウス・ファンが結構多いが、それにしてもヴァンスカは人気があるということだろうか。何でもこの日のプログラムは、コロナ禍で2度も延期になったものだそうだ。そしてヴァンスカは都響にこそ初登場だが、これまでに東京でシベリウスの名演を成し遂げてきている。ただ私は縁がなかった。10年以上前の2008年に読響の定期演奏会で聞いたことがあったが、その時はベートーヴェンの作品ばかりで、それはそれで大いに評価が高かったものだが、実演にはさほど心を動かされなかった記憶がある。得意のシベリウスではどうか、と期待が高まる。

7時になってメンバーが舞台に登場し、最初のプログラムである交響曲第5番の冒頭が鳴り響いた時、これはちょっと怪しいなと感じた。いつもの都響の切れがなく、音色にも彩がない(もともとシベリウスに色はないのだが)。練習不足か、それとも過度の緊張によるものか。この曲の間中、弦楽器は惰性的で管楽器はしばしば不安定。2つの楽章を合わせて改訂された第1楽章は失望のうちに通り過ぎ、ピチカートが印象的な第2楽章が少し心に残る程度。もっとも第3楽章は少しダイナミックになって、音色の微妙な変化が味わえる演奏になった。

東京文化会館のトイレはひどく、いつも長蛇の列ができる。しかもそれが二手に分かれて階段を何階分も上ることになる。再開されたバーカウンターに行くと、何とワイン1杯が800円もする。かつてはそんなに高かったかと思う。だから閑散としている。この会場には傘置きもないので、雨が降ると大変である。傘を席の下に置くと(そうするしかない)、通るときつまずきそうになるからだ。まあ今日は快晴で、傘の心配はなかった。

期待外れの前半を終えて後半が始まった。すると何と、見違えるような音色に変化したオーケストラからは次の交響曲第6番の冒頭から、一糸乱れぬアンサンブルが聞こえてきたのだ。第1楽章冒頭の静謐な音色が微妙な変化を重ねつつ、やがてトレモロが姿を現し、速いメロディーになってゆくところが私は好きだ。それにしても何という変貌ぶりなのだろうか。前半とはまるで違うオーケストラのように聞こえる。いや、前半が酷かった。都響の本領がここへきて発揮されたということだろう。

交響曲第6番は、そういうことで実に素晴らしい演奏だった。おそらくこの曲に、今回の演奏会の力点が置かれていたのだろう。私はシベリウスの魅力に改めて感動した。第2楽章に至っては、第1楽章でパッとしなかった木管楽器も腕を振るう。私は最近スウェーデンの作家、ヘニング・マンケルの小説を読んだばかりなのだが、そこで随処に語られる北欧の寂寞の表情を想像した。この作品でのみ登場するハープの音色が、色のついた温かみを感じる。

スケルツォ風の第3楽章を経て宗教感さえ漂うとされる第4楽章。それでも曲はあっけなく終わる。全体を通して同じように静かな調子は、初めて聞くと戸惑いも多く印象に残らないのだが、いい演奏で聞くと味わい深い作品だと改めて思った。勿論、会場の拍手は前半よりも多かったと思う。

続けて演奏された交響曲第7番もまた、実にいい演奏。私はこの曲の魅力に初めて気づいた。わずか20分余りの曲は、交響曲と呼ぶにはあまりに自由な形式である。ヴァンスカはこの曲もまた、大いに思いを入れて指揮していたように思う。都響のアンサンブルの美しさは、私の好みから言っても、このデッドなホールによく合っていた。配られたプログラムの解説には「重大なハ長調の大地の上で神秘的にきらめくオーロラのようである」と書かれているが、まさにそのような演奏だった。

様々に変化する曲の構成も、白く幻想的なシベリウス独特のキャンバスの上で繰り広げられる。時に室内楽的な佇まいも、あっけにとられたように終わる。指揮者は随分長い間タクトを下ろさない。静まり返った客席は、その瞬間を楽しんでさえいる。満足したのだろう。次第に湧き上がる拍手とブラボーの中を、ヴァンスカはソリストたちを順に立たせてゆく。おそらく3割ほどの人が、熱心なシベリウスのファンだったのだろう。そして今宵の演奏の良さがわかったと見える。オーケストラが退席してもなお、鳴りやまぬ拍手に応えて舞台にマエストロが登場すると、より一層大きな歓声が沸き起こった。

もうすぐ寒い冬が来ると思いたいが、ここのところの日本列島は季節が逆戻りしたかのような暑さである。来年春の上野の音楽祭のブックレットが出来上がって、会場に配置されていた。これを取って行く人が多いところを見ると、上野におけるクラシック音楽のファンも、それなりに固定的に存在するのだろうと思う。だからこのホールは、客席やトイレを改装して欲しいと思う。まあそんなことを考えながら、家路についた。

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