2024年2月10日土曜日

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」作品64(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

セカイのオザワが亡くなった。小澤征爾の指揮するボストン響は、何十年にも亘ってその磨きかかった響きを維持し、精彩を欠くことはなかった。小澤征爾のディスクは名盤が数多く残されているが、その中でも屈指の出来栄えのひとつを取り上げようと思う。

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シェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」には、数多くの作曲家が音楽を付け、様々な作品に仕上げている。もっとも有名なのは、グノーのオペラだろうか。これはそのものズバリの名作。一方ベッリーニは「カプレートとモンテッキ」を書いているが、これはキャピュレット家とモンターギュ家という意味。アバドが取り上げたが、さほど有名な作品ではない。一方、英国の作曲家ディーリアスは「村のロメオとジュリエット」。バーンスタインは同じストーリーをハーレムに移し、ミュージカル「ウェストサイドストーリー」を作曲。古い両家の争いが、罪のない男女の仲を妨げるという純愛物語は、ゼッフィレッリの映画でこれ以上ないほどの美しさに仕上がっている(よくテレビで放映されていた)。私は高校時代、英語学習の副読本として簡単なものを読んた記憶がある。

ベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」は、長いがなかなかの名曲である。ロシアに目を転じるとチャイコフスキーが幻想序曲「ロメオとジュリエット」を20分程度の作品に仕上げている。両家の戦いのシーンがまるでチャンバラのようだが、初期の傑作とされている。そして極めつけはプロコフィエフである。バレエ音楽として全4幕(9場52曲)から成る作品は、通して演奏すると2時間半もかかる大曲だが、様々な振り付けで上演され続けており、有名なメロディーは3つのバレエ組曲としてプロコフィエフ自身により編成され、演奏会でもしばしば取り上げられている。プロコフィエフはさらに、10の小品から成るピアノ曲にも編曲している。

バレエ音楽は長いから、その中の管弦楽曲だけを選別した組曲で親しむことも多い。けれども私は全体を通して聞くのが好きだ。チャイコフスキーの「白鳥の湖」も、ドリーブの「コッペリア」も、そのようにして聞くと有名なメロディーが繰り返し、繰り返し現れ、次第に耳に馴染んでくる。中には退屈な部分も多いが、ストーリーの時間の経過とともに音楽が自然に流れるので、唐突な感じがなく、聞き流していくといいBGMになる。車をドライブしながら、というのもいいかも知れない。しばしば冒頭に置かれ、数分で終わってしまう最も有名な「騎士たちの踊り」(組曲では第2組曲の第1曲「キャピュレット家とモンターギュ家」の中間部に登場する)の音楽も、全曲版では何度も登場する。繰り返しと言っても、そのままではなく少しずつアレンジがされていくから、聞いている楽しみが増す。

全曲版で親しめればそれでいいのだが、ややこしいことに全曲版から抜粋して構成された組曲が3つ存在する。この3つの組曲はそれぞれ独立していて、重複はないものの選曲や順序は全曲版と相当異なっている。3つの組曲も全部を演奏することはほとんどないから、さらに抜粋されることとなる。このとき、抜粋の曲やその並べ方は指揮者によって異なることが多い。そういう風にして、もともとの作品の構成からはかけ離れた抜粋版が数多く存在しているのが実情である。この結果、ある曲に続く曲が、以前に聞いた曲ではない、ということが起こる。しかもいくつかの曲は、オリジナルの曲をアレンジしている例も多い(「キャピュレット家とモンターギュ家」、「タイボルトの死」など)。以下に全曲版の順序を記載しておくが、多くの曲が組曲のどこかに組み込まれている(わかる範囲で★を付けた)。一方、第18曲のガボットはどこかで聞いたことがあると思ったら、実は古典交響曲の第3楽章を改作して転用したものだ。好きな順で聞けばいい、と言えばその通りなのだが、音楽だけ聴いても意味がわからなくなってしまうので、原作のストーリーに照らして理解するのが結果的に効率的であるように思う。全曲版で聞いておけば、長いが一番自然でわかりやすいと考える所以である。

第1幕
第1曲 前奏曲
第1場
第2曲 ロメオ
第3曲 街の目覚め★
第4曲 朝の踊り★
第5曲 喧嘩
第6曲 決闘★
第7曲 大公の宣言
第8曲 間奏曲
第2場
第9曲 舞踏会の準備
第10曲 少女ジュリエット★
第11曲 客人たちの登場(メヌエット)★
第12曲 仮面★
第13曲 騎士たちの踊り★
第14曲 ジュリエットのヴァリアシオン
第15曲 マキューシオ
第16曲 マドリガル★
第17曲 ティボルトはロメオを見つける
第18曲 ガヴォット(客人たちの退場)
第19曲 バルコニーの情景
第20曲 ロメオのヴァリアシオン
第21曲 愛の踊り
第2幕
第3場
第22曲 民衆の踊り★
第23曲 ロメオとマキューシオ
第24曲 五組の踊り★
第25曲 マンドリンを手にした踊り
26曲 乳母
第27曲 乳母はロメオにジュリエットの手紙を渡す
第4場
第28曲 ローレンス僧庵でのロメオ
第29曲 ローレンス僧庵でのジュリエット
第5場
第30曲 民衆のお祭り騒ぎ
第31曲 一段と民衆の気分は盛り上がる
第32曲 ティボルトとマキューシオの出会い
第33曲 ティボルトとマキューシオの決闘
第34曲 マキューシオの死★
第35曲 ロメオはマキューシオの死の報復を誓う
第36曲 第2幕の終曲
第3幕
第37曲 前奏曲
第6場
第38曲 ロメオとジュリエット★
第39曲 ロメオとジュリエットの別れ★
第40曲 乳母
第41曲 ジュリエットはパリスとの結婚を拒絶する
第42曲 ジュリエットひとり
第43曲 間奏曲
第7場
第44曲 ローレンス僧庵★
第45曲 間奏曲
第8場
第46曲 ジュリエットの寝室
第47曲 ジュリエットひとり
第48曲 朝の歌
第49曲 百合の花を手にした娘たちの踊り
第50曲 ジュリエットのベッドのそば
第4幕
第9場
第51曲 ジュリエットの葬式
第52曲 ジュリエットの死★

この作品は一時アメリカに移住していたプロコフィエフがソ連に帰国し、その最初に手掛けた作品である(1937年)。だからかどうかわからないが、音楽がわかりやすくて親しみやすい。20世紀の曲らしく新古典主義的な明晰さを備えたモダンなリズムがあるかと思えば、抒情的な部分もあって飽きることがない。

長年この作品の極めつけとして名高い評価を勝ち取り、それが今でも続いている演奏がある。ロリン・マゼールがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏である。こういう曲に相応しい完璧な演奏である。デッカの録音も良い。ところが、この演奏を超えるほど感動的なのが小澤征爾指揮ボストン交響楽団による演奏だと私は思う(違う意見もある)。プロコフィエフを得意としている小澤の面目躍如たる名演で、すべての音楽が生き生きと蘇り、特に金管楽器の安定した巧さが光る。集中力を維持しつつも適切なテンポとリズムを堂々と採用し、乱れるところがない。あらゆるシーンが目に浮かぶようである。

実は私は、小澤がボストン響を引き連れてニューヨークを訪れた際、カーネギーホールで聞いた演奏会でこの曲を聞いたことがある。名演だったとは思うが、そのころはまだプロコフィエフの音楽に目覚めてはおらず、従ってさほど感動しなかった。だが聞けば聞くほど味わいが増すことから、プロコフィエフの中でも屈指の名曲である。前任セルの時代の名残を残すマゼールの演奏も捨て難いが、小澤の演奏をライブで聞いたことに因んで、ここでは小澤盤を採用した。

一方、組曲のディスクでは元の組曲の順に演奏しているものは少なく、その中からさらにいくつかを選び出して並び替えることが多い。私がこれまで聞いたもののなかでは、ムーティがシカゴ交響楽団を指揮した演奏が録音も良く気に入った。ただライブ録音のため全体で45分程度しかなく、ちょっと淋しい。全曲版がいいというのは、このような欠点を感じないからでもある。

「ロメオとジュリエット」の舞台になったのはイタリアの古都ヴェローナである。ここにはローマ時代の大きな野外劇場があることでも知られ、夏になると音楽祭が盛大に開かれる。私は学生の頃にここを旅行し「アイーダ」などを見た思い出がある。そのヴェローナには「ジュリエットの家」なる観光名所があるのだが、どうやらこれは偽物で、それらしい雰囲気のバルコニーが古いアパートの一角に設えてあるという代物である。

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