2024年2月15日木曜日

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

私は大阪で育ったから、朝日放送で週末夜に放送されていたテレビドラマ「部長刑事」を何度も見ている。たった30分の刑事ものというのも珍しいが、このドラマは少し変わっていて派手なシーンはあまりなく、むしろ心理ドラマとしての面白さが前面に出たユニークなものだった(と記憶している)。全国にネットされているわけではなく、刑事も犯人もみな関西弁丸出しのセリフだから、私にとってはたいへん身近に感じることができた(通常のテレビドラマは標準語で会話がなされるため、関西人には親近感がわかない。特に学園もの)。

さてその「部長刑事」に登場するテーマ音楽が、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章なのである。ところがこのドラマに使われる演奏は遅い。我が家にあったレナード・バーンスタインによる演奏は、これとは対照的にめっぽう速い。この違いは、この作品を語る上で避けて通れない「第4楽章のテンポ」問題なのである。遅い方を採用する指揮者は、私の知るところではヤンソンス、インバルなど。近年は原典主義の流行で、新しい録音ほど遅い演奏が多くなっている。

どちらが好きかという前に、この作品の初演者で今なお評価が高いムラヴィンスキーの演奏に耳を傾けてみる。するとそれはバーンスタイン同様に一目散に駆け抜ける演奏だ。というわけで、ここの演奏は速いのが標準だと思いたくなる。ところが、このムラヴィンスキーの演奏のもとになっているのが、出版された楽譜(遅い方)ではなく、手書きされた写譜だというのである(速い方)。ムラヴィンスキーの初演にはショスタコーヴィチ自身が立ち会っているから、わけがわからなくなる。テンポの問題は、実は第4楽章冒頭だけでなくコーダにもある(コーダではバーンスタイン盤がめっぽう速いのに対し、ムラヴィンスキー盤は重くて遅く、対照的である)。

どちらが正解かよくわからないのだが、まあ細かいことはさておき、この曲の魅力は何といってもその分かりやすさではないだろうか。ショスタコーヴィチは暗黒の時代を生きた作曲家だった。スターリンによる粛清はあらゆる分野に及び、人気作曲家でさえも例外ではなかった。因縁をつけられ、事実ではなくても批判されたり投獄されるのは日常茶飯事だったのではないかと思う。そういった批判をかわすため、ショスタコーヴィチはそれまでとは違った明快な音楽を作曲した。それが第5番の交響曲だった。一時「革命」とも題されたその音楽は、寒さと飢えに苦しむ農民が、やがて雪崩を打つように首都に侵入し革命を勝ち取るというストーリーである。これがベートーヴェン以来の「苦しみからの勝利へ」という第5交響曲の図式に、変にマッチする。

だがその解釈を真っ当に受けてよいのだろうか。この「勝利」は偽りの勝利であり、第2楽章のワルツは強制され、第4楽章の歓喜は銃口を向けられた中で繰り広げられる狂気であると解釈することもできる。共産主義に迎合したのか、それとも表面的には社会主義を讃えつつも、虐げられた芸術家の魂の叫びこそが隠されたテーマなのか、それはわからない。だが、ムラヴィンスキーの初演にショスタコーヴィチは立ち合い、その初演は大成功に終わることでショスタコーヴィチの名誉は回復、以降2人の親交は続き、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの作品の多くを演奏した。交響曲第5番は結果的に、正反対の2つの解釈が可能なものとして在り続けている。

第1楽章は長く、フルートのソロや行進曲風のメロディーなど様々なテーマが現れ、ピアノやチェレスタといった楽器も登場する。これだけでも十分に楽しいが、第2楽章のスケルツォになるとロシア風のダンスで、重低音と管楽器の組み合わせが面白い。一方、第3楽章はこの曲の神髄とも言うべき部分で、弦楽器主体のラルゴである。寒さと飢えに苦しむ悲痛な響きで涙も出てこない。突如、ティンパニがクレッシェンドし、軍隊の行進のようなメロディーが威勢よく鳴り響く。金管楽器の旋律は一度聴いたら忘れられない。静かな部分も経て、再度主題が現れると小太鼓やシンバルなども登場し、祝祭的な音楽となってコーダに突き進む。オーケストラを聞く醍醐味が味わえる。

エフゲニー・ムラヴィンスキーは、ロシア革命前の1903年サンクト・ペテルブルグの生まれである。3年年下のショスタコーヴィチはまだ生まれていない。程なくしてロシア革命が起こり、以降、ソビエトが崩壊する直前の1988年に没するまでレニングラードのオーケストラを指揮し続けた。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビは、世界でもっとも高水準の演奏を繰り広げるものとして有名だった。しかし鉄のカーテンの向こう側の演奏の実態が知れ渡ることは、実際にはほとんどなかった。

我が国には1973年に初来日、以降2年おきに来日を果たすが、私が本格的にクラシック音楽を聞き始めた1980年以降は、予定されながら実現することはとうとうなかった。新聞の広告に何度か来日公演のチケット販売予告を見たが、その数か月後には「公演中止」の広告に変わった。録音嫌いでもあったムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは、数多くのディスクが発売されているが、そのほとんどがソビエトで録音され音質が悪い。しかし第5番に関しては1973年来日時のNHK録音を始めとして、いくつかが知られている。今回私が聞いているのは、最晩年の1984年4月にソビエトでライブ録音されたものだ。Eratoから発売され、現在はDENONレーベルで音楽配信されている。音はいい。

このムラヴィンスキーの演奏と双璧をなすのが、西側の若手選手、レナード・バーンスタインの演奏だろう。もっともバーンスタインはロシア系の移民の子孫だったことから、ロシアへの愛着もあったのだろう。冷戦の雪解けが進んだ1959年、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックとともにモスクワの舞台に立つ。この時のショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏は、華々しく楽天的でさえある。この快活な演奏をショスタコーヴィチ自身が聞いていて、舞台に駆け寄った逸話は有名だ。バーンスタインは演奏旅行の後、ボストンでこの曲を録音した。現在聞くことのできるディスクは、この時の伝説的録音として今なお名高い。私が初めてこの曲を聞いたのも、我が家にあったこの演奏のLPレコードだった。

バーンスタインとムラヴィンスキーによる2つの演奏は、今もってこの曲の東西の横綱である。

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