2024年2月17日土曜日

ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(マレク・ヤノフスキ指揮スイス・ロマンド管弦楽団[リンツ稿]、アンドリス・ネルソンス指揮ゲヴァントハウス管弦楽団[ウィーン稿])

ブルックナーが最初の交響曲である第1番(習作を除く)を作曲したとき、作曲家はすでに40代の半ばだった。そのあとに9曲の交響曲を作曲したわけだから、大変遅咲きの部類に入る。なので、最初の頃の作品だからと言って、若さが前面に出ているようなところはあまりない。むしろ晩年の作品にも通じるような充実度を見せていると言える。

交響曲第1番を、そのように私は思っている。だがこの作品には2つの稿が存在する。作曲された時のリンツ稿と、改訂されたウィーン稿である。晩年の改定は1年以上の期間に及び、それは交響曲第8番の作曲後だったということから、2つの稿の違いはブルックナーの作風の変化を大きく反映していると言わざるを得ない。詳細にどこがどうということを知らなくても、実際に聞いた印象が随分異なるように感じる。ただそれには、この曲に対する演奏者の解釈によるところも大きいと思う。初期の作品らしく、速く荒れ狂うように演奏するものが「リンツ稿」には多いのに対し、晩年の作品のような円熟味を感じる演奏が「ウィーン稿」には多いと思うからだ。

私が所有している本作品のCDは、マレク・ヤノフスキがスイス・ロマンド管弦楽団を指揮したSACD(Pentatone)である。ここで聞ける演奏(リンツ稿)は、録音効果もあって大変活気があり、一点の曇りもなくまい進する快演である。ブルックナーの音楽は、特に自然体でゆったりと気宇壮大に進む演奏スタイルが効果的であって、多くのブルックナー・ファンはどちらかというとそういうのを好む。私もどちらかと言えば、こういう円熟味を帯びたブルックナーが好きだと、これまでは言ってきたのだが、この演奏に接して前者、完璧な機能美を前面に出して直線的に進む演奏も、またいいものだと感じた。

この交響曲第1番については、これまで演奏の主流を占めてきたのは、初期のリンツ稿である。活気ああって、機能美の極致とも言うべき精度でオーケストラが鳴り、圧倒的な高揚感を味わうことができる。オイゲン・ヨッフムのような定常あるブルックナー指揮者も、この作品ではリンツ稿で演奏を繰り広げている。

一方、ウィーン稿におけるブルックナーの改訂は、こういう傾向を緩和する方向に向かっている。特に第3楽章の印象的な違いは大きく、この楽章の速度がリンツ稿では生々しく野性的でさえある。特にこのヤノフスキの演奏で聞くと、また違う側面が強調されていて面白い。スイス・ロマンド管の演奏が素晴らしく、それを的確にとらえたすこぶる優秀な録音が、このディスクの最大の特徴だと思う。

さて歳を重ねると、若い時の行動が青臭く、時に気恥しく感じられるのが普通である。ブルックナーも若い(と言っても40歳だが)頃の交響曲第1番に対し「生意気娘」と呼んで大幅な改訂を行った。と言ってもこの作品をよみがえらせる作業をわざわざ行ったのだから、それなりに気合の入ったものだっただろうし、そうする価値があると思ったに違いない。もともと良い作品だと思っていたということである。この感覚もわかるような気がする。

現在では「リンツ稿」による演奏が多くなっているようだが、「ウィーン稿」で演奏された最近のディスクで私のお気に入りは、アンドリス・ネルソンスがライプチヒ・ゲヴァントハウス管を指揮した演奏である。これは一連のブルックナー全集の完結編となるものだ(他に交響曲第5番、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」が収録されている)。ネルソンス盤(ウィーン稿)とヤノフスキ盤(リンツ稿)では聞いた時の印象がまるで異なる。わかりやすい違いは演奏時間で、ネルソンス盤が約55分要しているのに対し、ヤノフスキ盤はたった約47分である。つまりネルソンス盤は約2割長い。

第1楽章アレグロは、威勢のいい行進曲風の主題に時折木管楽器が絡み、オルガンの音を彷彿とさせる金管のアンサンブルが交錯する。もうこの時点でブルックナーの特徴が満遍なく出ている。第2楽章アダージョも大変美しいが、ヤノフスキの速い演奏で聞くと、高速道路でスイスの湖近くを走っているような感覚を思い出す。

もっとも特徴的な第3楽章はスケルツォ。まるで刑事ドラマの展開部のようなメロディーである。これを実演で聞くと、両翼に並んだヴァイオリンとヴィオラの掛け合いが楽しく、そのあとをチェロが似た音型を次々に演奏してゆくシーンが面白い。繰り返しがきっちりとあるので、ブルックナーの第3楽章は平凡なトリオを挟んで何かと冗長な音楽に感じられることもあるが、いい演奏で聞くと楽しくていつまでも聞いていたい。

終楽章フィナーレは「快速に、火のように」と指定された荒々しい音楽である。いよいよドラマも大詰めという感じ。最近では原典版に立ち返る傾向が強いため、リンツ稿による演奏が主流となっているが、先日聞いた下野竜也指揮による都響の演奏会でも、そしてネルソンスの新盤もウィーン稿であるのは面白い。「若々しさが失われた」ことに抗ってリンツ稿の速い演奏を取るか、「最終稿でより円熟味のある」ウィーン稿を良しとするか、これは楽しい比較作業である。クラシック音楽を聞く楽しみのひとつが演奏による違いであるが、ブルックナーの場合、ここに稿による違いも加わる。特にこの交響曲第1番においてはその違いが顕著で、ブルックナーの音楽演奏の際立った2つの傾向を反映しているだけに、この面白さが際立つこととなる。

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