「ポーランド」の愛称を持つ曲だが、チャイコフスキーの交響曲中最も知られていない曲である。この曲の際立った特徴は、5楽章構成であることと、長調で描かれていることである。作曲された1875年頃は、チャイコフスキーにおける「傑作の森」ともいうべき時期にあたり、ピアノ協奏曲第1番や「白鳥の湖」などが書かれている。この2曲はいずれもメロディーの宝庫のような曲で、一度聞いたら忘れられないような旋律がそこかしこに溢れている。だが、同時期に作曲されたこの交響曲第3番には、そのようなところがない。
標題となった「ポーランド」の舞曲は最終楽章に由来するが、それまでである。全体としてどことなく散逸的であると思ってきた。最新の新しい録音なら少しは聴き応えがあるかとも思ったが、今日はカラヤン指揮ベルリン・フィルの古い演奏に耳を傾けている。とりとめのない第1楽章が終わって第2楽章に入ると、少しメランコリックながらも明るいメロディーが流れてくる。思えばこの頃は、チャイコフスキーがそれまでの重圧(「5人組」からの影響)を少しずつ脱して、独自の作風を確立してゆく時期にあたる。前作の交響曲第2番同様、ここで聞けるのはロシア土着的音楽から西欧の影響を受けたモダンなチャイコフスキーへの転換の序章である。
私たちは、歴史に残る大作曲家が独自の作風を確立した後の有名作品にのみ注目し過ぎであり、実際にはそこに至るまで長い試行の中にこそ、その作曲家の真の姿に触れる思いがすることを、そしてそれらの作品がしばしばのちの名作を超えて、若々しく瑞々しい香りを放つことを知っている。第3楽章のアンダンテは、前楽章の続きのような曲がしばらく続いたところで急に流れるようなカンタービレが聞こえてくる。ここはきわめて印象的である。明るい中にも寂しいロシアの風景を思わせる、陰影に富んだチャイコフスキー節がこの曲の中間楽章の魅力である。
第4楽章のケルツォが聞こえてきた。列車は早くも長岡に到着した。雨が降っている。前の2つの楽章と違って行進曲風であり、管楽器の乱舞が楽しくトロンボーンの響きが美しい。これらはカラヤンの真骨頂なのだろうか。そしてポロネーズのリズムによって特徴づけられる終楽章は10分近い長さのフィナーレである。初めて聞いたときはいかにも冗長で退屈だと感じたものだが。
車窓は夜のとばりが下りてほとんど何も見えないが、「とき」は新潟平野を快走している。壮大なフィナーレが終わると同時に小雨の降る冬の新潟駅に到着した。今夜は初めて新潟に泊まる。そういえばさっき、社内誌で「水の美味しいところは何を食べても美味しい」とある作家が書いていた。今宵は日本海の幸を、数ある銘酒と共にいただくこととしようか。
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