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今年中に何とかバルトークのピアノ協奏曲について語ろうと思ってきた。しかし12月になってもなお、私は第2番についてでさえ書くことができないでいる。そうこうしている間に大晦日になった。このまま年を越すわけにはいかない。今年亡くなったポリーニの演奏を取り上げる予定でいるからだった。
大晦日の夜10時になって、私はいつものように散歩にでかけた。北風が吹く寒い夜に、歩く人はほとんどいない。そびえる数多くのタワーマンションにも約半数の部屋には灯りがともり、紅白歌合戦などを見ているのだろう。私は少しほろ酔い気分で、いつものコースを歩いている。時折千鳥足になるが、気分がいい。モノレールが轟音を立てて、上空を通り過ぎてゆく。そして耳にはポリーニの演奏するバルトーク。
妻が仕事を持ち、毎日疲れて帰宅するとき、彼女はしばしば愚痴をこぼし、最悪の場合には癇癪を起すことが判明した。気持ちが高ぶって怒りに燃え、その矛先を私を含むいろいろなものに向けるのである。私は仕事を持つ大変さを理解しているからできるだけ理性的にふるまうのだが、それでもハチャメチャな言動はしばしば常軌を逸する。そんなある日、バルトークを聞いた。ピアノ協奏曲第2番であった。正直に言うとそれまで、私はバルトークが理解できなかった。そして思った。もしかするとこれは、彼女の音楽ではないか、と。
時に気違いじみたような音階の分離。リズムに脈略はなく、そのような部分が現代人の心理状態を表している。私のバルトーク理解の第一歩はこのようなものだった。
妻の心理状態が時に理解不能に陥るように、バルトークの音楽は理解不能と思うことにした。「理解できない」ということを理解できるようになると、どういうわけか少し理解できるような気がした。今ではこのポリーニとアバドの古典的名演奏を含め、このような支離滅裂に思える音楽が、極めて理性的に演奏されていることが理解できる。これはこれで、そのような状況を楽譜に書かれた音符から忠実に再現しているのである。時代劇のチャンバラシーンと同じである。
だから今となっては、上の考えは修正する必要があると考えている。妻にも大いに失礼でもある。実際ピアノ協奏曲第2番は「難解すぎた」第1番の反省から「大衆にとっての快さ」を希求した作品であると語っている。バルトークの音楽は、このように一見キチガイじみた印象を残すが、次第に体に馴染んでいくようになる。
3つの楽章から成っている。第1楽章と第3楽章はアレグロ。この2つの楽章は、作品を構成する対称構造をなしていることからも、同じムードを持っていると言える。金管楽器も大活躍し、ピアノとの奇妙で丁々発止のアンサンブルが面白い。このピアノ・パートはほぼ休みなく続き、ピアニストをして大いに疲れさせ、しばしばけいれんを起こすほどだと聞いたこともある。だがポリーニはこれをあっさりと弾きこなしてゆく。アバドの伴奏がまた、こなれた音楽のようにさらさらと流れてゆく。このことがもしかしたら、バルトークらしい粗野で野蛮なイメージを薄めている。
バルトークの音楽的構造がどのようなものかを理解するのは難しく、相当な音楽的知識があってもそれを音楽史の中に正確に位置付けられるだけの教養が必要ではないか。ピアノの超絶的な奏法はいうに及ばす、加えて民俗音楽を研究しつくした意味で、ハンガリーあるいはその周辺地域の地理的、文化的特性をも知っておく必要があるだろう。彼が後年アメリカへ移住したことも。だがそうでなければバルトークの音楽を楽しめないか、というとそうではない。素人的な聞き方でいえば、この曲の持つ「ピアノの打楽器的用法」であるとか、前衛的なリズムなど、感覚的、情緒的に聞くことも十分可能である。
さて、私が夜の散歩をしながら聞き入るのは第2楽章である。アダージョとはなっているが、それ自体が三部構成になっていて中間部はプレスト。ひとしきり遅く荘重なリズムが続いたあとで、速く疾走するような音楽が出てきて興奮する。ポリーニ&アバドの真骨頂が示される。ここではトーン・クラスターと呼ばれる、或る音域の音符を一気に同時に(掌で)弾く奏法を聞くことができる。
バルトークの音楽はインターナショナルであると思う。ハンガリーの民俗音楽に拠る作品も残しており、それらはもっと聞きやすいが、彼はそこから発展し十二音技法などとはまた別に、ロマン派後期から現代音楽に至る橋渡しをしたと言える。その前衛性がなかったら、後世の残る音楽家にはなれなかっただろうとも想像がつく。そのバルトークの音楽を、ハンガリーの土着性と結び付ける解釈から昇華して、今や古典的な音楽たらしめるまでに研ぎ澄ませることに成功したアバドとポリーニによる演奏は、今もって驚異的であると言える。
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