我が国の諸街道が五街道を中心として整備されたのは、江戸時代に入ってからだ。明治以降の鉄道、高速道路などもこれに即して整備されているが、その共通基盤には東京中心主義がある。東京が首都であり、天皇が住んでおられることが、あらゆる行政機関も文化も、すべて東京へ向かうものを「上り」と言う事になっている。だから時刻表も東京人が調べやすいように、東京発の「下り」列車から記載されている。
だが、天皇が上京するまでは「上り」と言えば京都へ向かう方向だった。これは江戸時代でもそうである。関西を「上方」というのもその名残で、東京とは東にある「京」という意味に過ぎない。昨今の大震災の反省から東京への一極集中は見なおさねばならないが、それにはこの歴史的発想の転換ができるかにかかっていると言える。
江戸時代以降の街道区分では、東海道、中仙道、日光街道、水戸街道、奥州街道などと呼ばれており、今の国道もそれに沿っているが、その前は、関西を起点に行政区分は今のような「東北」「関東」「中部」などといったものではなかった。
畿内・・・概ね大阪、奈良北部、京都南部、阪神(河内、難波、摂津、山城、和泉、大和)の各地域
が中心であり、そこから東西南北に伸びる街道をイメージして分けられた政治区分は、
東海道・・・概ね滋賀(伊賀)、三重、愛知、神奈川、東京、千葉、茨城
東山道・・・概ね滋賀(近江)、岐阜、長野、群馬、栃木、東北全域(北海道は入らない)
北陸道・・・概ね福井、石川、富山、新潟(佐渡まで)
山陰道・・・京都北部、兵庫北部、鳥取、島根(隠岐まで)
山陽道・・・兵庫南部、岡山、広島、山口
南海道・・・概ね和歌山、淡路島、四国全域
西海道・・・九州全域、(琉球)
それに近代以降に加えた
北海道
を合わせて五機八道に区分するのがいいと思う。ここで面白いことは、東山道が日本列島の山間の地域を進み、東北へと抜けることだ。関東は北部と南部でわかれる。また同様に和歌山が四国と同じ分類になるのが目を引く。
つまり関西を起点に東海道、北陸道、山陰道、山陽道が放射状に伸びる。かつて四国へは大阪から南海本線に乗って和歌山まで行き、そこから徳島に行く船に乗ったものだ。また、中仙道のルートは高崎あたりで江戸へと南下しないでそのまま山添に北上し、白河の関を通ってみちのく(陸奥の国)へ至る。これが東北への正式ルートだった。
最後に、このような区分を書いてみて思うのは、現在の地方区分がその地域の特徴をまとめたものではない以上、まったく合理性がないように思えてくることだ。さらに言えば、都道府県というのも何とも無味乾燥した区分だと思う。県民性がブームのようだが、おおよそ郷土愛のような感情を議論するとき、昔の区分で考えたほうが合点が行く。大阪にも摂津と河内、それに和泉がある(大阪市の難波と堺もある)。阪神地域は摂津なので、兵庫県でも大阪に近い。京都も舞鶴と京都市ではかなり違う。それに比べれば、埼玉と茨城の違いなど、関西から見ればどうでもいいようなものだった。
2012年5月6日日曜日
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