2012年5月2日水曜日

日本の地域区分について①

たかが旅行のまとめであっても、私にとっていつも心を悩ませる問題がある。日本国内の各地について触れる際に、どうしても避けて通れない問題が、そのそも日本の国土をどう分類(区分)するかということである。日本の国土の範囲をどう定めてどう分類するか。

まず、中学や高校の社会の教科書を開くと、我が国の「客観的な」位置や形状について触れてある。日本は第二次世界大戦後の一時期を除けば、いまだかつて他の国の支配下になったことがない国家なので、日本の国土のうち、旅行可能な範囲については、問題になることはまずない。

現在の日本の主権が及ぶ範囲が日本国であることは言うまでもないが、その範囲が大昔からそうであったか、という問題も、ごく簡単に言えばイエスである。ただ北海道は後から加わった地域であることと、太平洋戦争前の植民地はこれを含めることは妥当ではないだろう(最近出版された鉄道地図には、旧満州地域や朝鮮半島のことまで載っているが、中央集権的な考えの好きな鉄道好きらしい)。

日本人が自ら記した最初の歴史文書において、すでに日本という国の範囲がほぼ規定され、いくつかの争点となる部分はあるにせよ、まあだいたいそれでいいということになるのが私の安易な見解である。すなわち畿内に都があって、支配者である天皇が変わるたびに首都が移る、という古墳時代末期から飛鳥・奈良時代にかけての頃である。平城京に都が定まるまでの間にも、いくつかの都が存在したが、その点在の様子はしばしば曖昧模糊としている。最も古いのが藤原京、あるいは飛鳥京などと言われているが、私はよくわからない。ただ、私の生まれた大阪にあった難波宮というのは、今では綺麗に整備され博物館などもあるが、私が子供時代に接した最初の遺跡ということになるかも知れない(当時は広場があるだけだった)。

私がこの考えにこだわるのは、大阪生まれの私が成長するに連れて感覚的に広がっていった日本の範囲というものが、関西地方を中心に徐々に拡大していった大昔の日本の中枢機能の人が考えていた国土感覚と、何となく似ているようにも思われるという単純なものだ。かなり誤解を恐れずに言えば、子供の時の私が東北や九州に抱くイメージは、まったくもって非常に遠いこの世の果てというイメージ(もちろん外国は想像しなかった)だったし、北海道ともなるとそれこそ外国のようなところだと思っていた。

まだ情報網が今のように発達していなかった小学生の私は、例えば金沢にいくのも物凄い遠くに行くイメージだったし、大阪から京都を超えて大津に入ることも、非日常的な遠征の気分だった。気分を高揚させながら、山科のトンネルを「下る」時の感覚は、今となってはむしろお笑いかもしれないが、そういう感じだったのである。

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