2012年5月4日金曜日

日本の地域区分について③


では、我が国の政治権力が最初に自ら書き記した文書は何か、という問題になる。それは明らかで、「古事記」と「日本書紀」ということになるのだが、ここでまたややこしい問題がある。それはこれらの文書が時の権力機構に都合がいいように「創作」された神話的なストーリーで構成されていることである。少なくとも多くが史実ではない。だからこの記述通り国家の範囲を規定しても、私にとってあまり意味を持たない。だが自分で少し「古事記」を読んで思うのは、当時の日本人の支配機構が持っていた地理的な感覚、とりわけ距離感というものがよくわかるということである。

当時は大阪南部(河内地方)、あるいは奈良あたりが我が国の「中心」だったので、そのあたりに視点を定めて見る。

古事記の「国産み」の物語は、イザナギとイザナミがぐるぐるかき回して産んでいった「大八島」について書かれている。大八島が日本列島の原形ということになるが、それらは以下の島々であるとされる。

1.淡路島
2.四国
3.隠岐
4.九州
5.壱岐
6.対馬
7.佐渡
8.本州

ここで淡路島が最初にくるところが面白い(ぐるぐるかき回すのは、鳴門海峡の渦潮のことか?)。そしてその範囲は瀬戸内海を渡って四国、九州に及んでいる。興味深いのは、本州の外側にある島々のうち、日本海側の島がその中に入る一方で、太平洋岸の東側はまったく触れられていない。中部山岳地帯を挟んだ東側は、当時やはり未開の地だったのではないだろうか(ただ海沿いに新潟までは、中央の及ぶ範囲として成立したいてこともまた興味深い)。

以上は私の勝手な想像に基づく偏見である。

いずれにせよ、大阪湾を中心に、近畿地方に広がる地域が日本社会の最初の舞台である。そして万葉集に詠まれた数々の地域が、このあたりに集中している。近畿地方に住んでいると、普段見慣れた風景が、実はこの頃にはすでに同じものとして存在していたことがわかる。その同じ風景を見ながら、普通に暮らしている。歴史がそこにあり、その積み重ねの上に自分の生活、存在があるのである。これは関東にいてもあまり感じることのできない感覚だと思う(もちろん江戸時代や鎌倉時代に遡る感覚はあるにはあるが、東京の人は近代以降に移り住んだ人が多いので、特にそういうことを自覚している人も少ないようだ)。

古事記まで引き合いに出して言いたかったことは、東京中心ではなく、近畿地方中心に話を進めていきたいというただそれだけのことであるのだが・・・。

(ちなみに私は関西という言い方より、近畿という方を好む。関西とは関所の西、つまり箱根の西ということだと中学生の特に教えられた。東京中心の考え方だ。これに対し近畿の畿とは、中央という意味だ。ついでながらナラとは韓国語で「国」の意味であり、これは共通の語源ではないかと勝手に信じている)

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