昨シーズンに始まったパリ・オペラ座ビューングのうち、オペラに関するもので見落としていた「ホフマン物語」を見ることで、すべて見たことになる。その他は「カルメン」「ジョコンダ」「ヘンゼルとグレーテル」「ファルスタッフ」である。これらは事前の期待とは裏腹に、どれもなかなかの出来で、結構楽しむことができた。この「ホフマン物語」はとりわけ感動的なものであったが、その理由はロバート・カーセンによる天才的な演出によることが大きい。指揮はトマーシュ・ネトピル。
プロローグでは歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の幕間にバーのカウンターができあがる。そこまでの展開にも目を見張るが、横一線に立て付けられたカウンターの上で、ホフマン(テノールのステファノ・セッコ)は「クラインザックの物語」を歌う。舞台には合唱団の他に数多くの登場人物がいるが、あらすじを読んでその人々を理解しようとしないほうがいいかも知れない。
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」に登場する3人の女性、すなわちドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ、それにマルツェリーナというキャラクターの違いが、この「ホフマン物語」にそっくりコピーされている、とカーセンはインタビューで答えている。彼女たちはすなわち、ジュリエッタ(ソフィ・コッシュ)、アントニア(アンナ・マリア・マルティネス)、それにオランピア(ジェーン・アーチボルト)ということである。もう一人、ホフマンが恋文を奪われてしまう憧れの女性がステラだが、一般的な解釈ではこのステラの3つの側面が、それぞれこの3人の女性の姿であるという。
「ドン・ジョヴァンニ」になぞらえる見方は、私にとって興味深いものであった。ホフマンにはミューズの化身で親友のニクラウス(メゾ・ソプラノのケイト・アルドリッチ、ズボン役)がいて、常にホフマンに付きまとうのだが、彼こそ「ドン・ジョヴァンニ」におけるレポレッロのような感じである。
第1幕ではオランピアの登場で、ここは本作品のもっとも大きな見どころだといつも思う。機械人形に扮したコロラトゥーラの長大なアリア「生け垣に小鳥たちが」は、そのへんてこりんな仕草と相まって見るものを沸き立たせる。ここでのアーチボルトの演技も見事という他はなく、彼女の独壇場であった。機械人形を組み立てたスパランザーニ(テノールのファブリス・ダリス)は、汚れた白衣をまとっていて、これも見応え満点。
今回の上演では、3人の女性の役はそれぞれ別のソプラノによって歌われたが、悪魔の役であるリンドルフ(上院議員)、コッペリウス(人形細工師)、ダペルトゥット(魔術師)、それにミラクル博士(アントニアの医師)はひとりのバリトン歌手、フランク・フェラーリによって演じられた。この4人は各幕でそれぞれ登場し、ホフマンの恋愛の邪魔をする。彼のたくらみはことごとく成功し、そこが数々の女性をものにするドン・ジョヴァンニと決定的に異なる点だ。
第2幕は一転、イタリア・オペラの様相を呈する。それもそのはずで、ここはオペラハウスの舞台である。通常の舞台の位置にオーケストラ・ピットがこしらえられ、その中でアントニアが登場、亡き母から受け継いだ美しい声を出して歌いたいが、これが禁じられている。彼女は歌うと死んでしまうほど病弱になっているのである。だがホフマンが静止するにもかかわらず、医師にそそのかされて歌ってしまった彼女は死に絶えるのである。ここの重唱を含む音楽は、まるでヴェルディのオペラのようだ。そういえばプロローグで、ホフマンが過去の恋を思い出すところのメロディーは、まるでワーグナーの音楽を思わせる和音がだと思った。もしかしたらオッフェンバックはこのオペラで、少しパロディを付け加えたのかも知れない。
1時間もある長大な第2幕は、オペラとしての見どころが多いが、ここで舞台の上に出来上がっていたもう一つ上の舞台の幕が開いて、アントニアの母親が登場するあたりは素晴らしいと思った。そして幕切れではオーケストラが登場し、指揮者がタクトを振り下ろす。その見事な演出は鳥肌が立つくらいだ。
第3幕は幕が開くと、今度はオペラの客席がこちらを向いている。何列もに並べられた座席が交互に揺れると、丸で波が立っている海のようだ。その揺れに合わせてあの舟歌が歌われると、やはりこの演出家は天才だと思った。そこへ入ってくる合唱団扮する観客は、それぞれ男女が抱き合ったりしている。ここが実は娼館なのではないかと思わせる。そしてジュリエッタはホフマンを手球に取る。カーセンの話では、ホフマンの恋の発展段階によって相手の女性が変わっていくという。これは彼の成長物語だというのである。
エピローグで再びバー・カウンターが登場。「ドン・ジョヴァンニ」が終わってホフマンは取り残されるが、ここからがまた美しい。舞台の右上だけが光輝いて、その光に向かってミューズ(ステラ?)とホフマンが歩んでいく。いろいろな改訂版がある「ホフマン物語」だが、この終わり方は見ているものを感動させる。なるほどこんなにおもしろいオペラだったのか、と感じた4時間の上演が終わり、雨の降る渋谷の街を後にした。
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